軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第一話  塩の改良

ソラが執務室で書類の山と格闘していると、部屋の扉が叩かれ、ラゼットが顔を出した。

ウッドドーラ商会へ使いに出したはずだが、とソラは執務室の窓を振り返り、太陽を仰ぐ。

夏の気配が忍び寄るソラ伯爵領の空に浮かぶ太陽はまだ高く、ウッドドーラ商会から帰ってきたにしては早い。

――珍しく寄り道しなかった、だと。

ソラは驚きを隠せず、ラゼットに視線を戻した。

「何か問題があったのか?」

ラゼットが寄り道せずに帰ってくるだけの何かがあったと察して、ソラは水を向ける。

しかし、ラゼットはのほほんとした顔で廊下を振り返り、声をかけた。

「私は書類を届けに来ただけですから、コル、説明はあなたがしなさい」

ラゼットに名を呼ばれたコルが廊下から恐る恐る顔を出す。

書類に埋もれているソラを見て取ると、困ったように視線を彷徨わせた。

「ソラ様はお忙しいみたいなので、僕の用事は後回し――」

「後回しにしたら私が残業する羽目になるでしょう? 早く入って説明しなさい」

逃げようとするコルの言い訳を遮って、ラゼットはコルの腕を取ると執務室に引きずり込んだ。

ソラは苦笑しつつ、コルを見る。

「それで、どうしたんだ?」

執務室に足を踏み入れた時点で腹を括るしかなくなったコルは、心細そうにしながらも口を開く。

「ここ最近、塩の味が落ちていまして……」

「塩の味?」

ソラは今朝の朝食を思い出すが、味に問題があった記憶はない。

首を傾げるソラの前に、ラゼットが書類を差し出した。

「塩の輸出額の推移です。味の方は分かりませんけど、輸出額がここ最近、目に見えて落ちているのは事実ですよ」

ソラが確認すると、確かに塩の輸出額が急落している。

――価格を下げてもいるみたいだが、輸出量自体が低下しているな。

ソラ伯爵領において、塩は重要な輸出品の一つである。

問題を見つけた以上、ラゼットが寄り道せずに帰ってくる理由としては十分だった。

ソラは輸出量の年次推移を眺めつつ、各年に起きた出来事を振り返る。

塩の質に影響を及ぼすような事件は思い浮かばず、首を傾げた。

――せっかく輸出再開で軌道に乗っていたってのに。

かつて、教会派領で唯一の塩の産出地だったクラインセルト伯爵領だったが、内陸の教会派領にて岩塩が見つかったことにより輸出量が急落、王太子の誕生会にかこつけてソラが王都に出向いたことがある。

チャフに決闘を吹っかけられたのもその時だが、ソラは思い出に浸るつもりもない。

――あの後、輸出量が元に戻ったくらいだから需要はあるはずなんだが……いや、まて、輸出量が戻った?

ソラはふと思いついて、コルに問いかける。

「塩の味が落ちたっていうのは、もしかして、苦いのか?」

コルは数度瞬きして、頷いた。

「はい、輸出再開からしばらくは味が良くなっていたんですが、ここ最近、苦みが増して」

そういう事か、とソラは納得する。

――唯一の塩の産地である事をかさに着て商品開発を怠ったから、誰も気付かなかったのか。

放置していても塩の味は改善するだろうと予想しつつ、ソラは暦を思い出す。

もうすぐ、夏に向けて長雨が降る時期だ。例年、湿度も高くなる。

「ちょうどいい。この件をリュリュに任せてやれ。塩の味を改善させろ」

それだけ言って、ソラは書類仕事に戻った。

リュリュは根城にしている科学実験室で、二種類の塩を前に腕を組んでいた。厚手の白衣越しにも柔らかさがうかがえる双丘が腕に押されて形を変える。

二種類の塩を食べ比べてみると、確かに味が違うのが分かる。苦みがあると言われれば、納得も出来た。

味が違うという事は、苦みを呈する物質か、苦みを打ち消す物質が含まれているはずだ。

問題はその正体である。

「海なんて物質の宝庫なのに、何をどうやって取り除けば……」

二種類の塩を睨みながら、リュリュは頭を捻る。

ジメジメとまとわりつく湿気が体を重たく感じさせた。

ラゼットから渡された塩の輸出に関する資料に目を通す。本日何度目にあたるのかリュリュも分からないほど読み返している資料から新発見は見つからない。

ソラはこの資料から何かを読み取り、原因に気付いたようだった、とリュリュはラゼットから聞かされていた。

「何年か保存すると気化してなくなる? 化学変化を起こして性質が変わる?」

考えられる可能性を呟きながら、眉を寄せる。

塩の製造方法を紙に書き出すなどしていると、外はすっかり暗くなっていた。

可能性を一つ一つ潰していこうと考えて、リュリュは実験手順の作成に移る。

コンコン、と木の扉がノックされる音がして、リュリュは顔を上げる。

「リュリュ、お風呂に行こ」

着替えを持ったサニアが扉を開け、風呂場を指さした。

リュリュは実験手順を書いた紙を見つめる。

「はいはい、そんな顔しないの。ほら、行くよ」

名残惜しそうにするリュリュの視線にほだされて放置しても実験ばかりでひきこもるだけだと知っているサニアは、無理やりリュリュの手を取って科学実験室から連れ出した。

廊下を歩き、脱衣所で服を脱いでいる間も、リュリュの頭の中は塩にかかわる実験項目でいっぱいだった。

いつもの事だ、とばかりにサニアはまるで頓着せずリュリュを風呂場に引っ張り込む。

体を洗う布を手渡され、リュリュはぼんやりと風呂から立ち上る湯気を眺めながら体を洗い出す。

ソラこだわりの檜風呂は、魔法で沸かした湯を張るだけの自然に優しい代物だ。

湯に浸かり疲れが取り除かれるのを感じつつ、リュリュは天井を見上げた。

サニアが浴槽の縁に腰掛け、欠伸する。

「気を抜くと寝ちゃうよね。お風呂場の湿気と部屋の湿気だと全然感じ方が違うのはなんでだろ」

リュリュから答えが返ってくるとは期待していないのか、サニアは再度欠伸を噛み殺して口を開いた。

「湿気と言えば、この時期は塩が固まらないよう注意しないといけないのを忘れてたってコルさんが言ってたよ」

「――忘れてた?」

塩、という単語に反応しただけだが、リュリュから答えがあったことにサニアは少し驚いたように熊の耳をぴくぴく動かした。

「うん。ちょっと前までの塩は固まり難くて重宝してたんだけど、最近の苦い塩は固まるんだって――」

突如としてリュリュが立ち上がった。

「……分かった」

そのまま風呂場を出ようとしたリュリュを、サニアが後ろから抱きとめ、無理やり座らせる。

「実験はちゃんと温まってから!」

「……くぅ」

悔しそうに風呂の水面を叩くリュリュに呆れて、サニアはため息をこぼした。

「それで、何が分かったの?」

話を続けていれば風呂を出ようとはしないだろうと考えて、サニアが問いかける。

途端に瞳を輝かせたリュリュは浴槽から立ち上る湯気を指さした。

「湿気だよ。苦みの原因は潮解するんだ」

「潮解?」

「湿気を吸って溶ける事だよ。質の良い塩は輸出が滞った時期に苦みの原因物質が潮解して流しだされたんだ。最近出回っている苦い塩は、製造されたばかりで潮解を起こす時間がなかったから、苦みが残ったまま売られてる」

リュリュが説明すると、サニアは天井へ立ち上る湯気を見上げながら少しづつ理解する。

「湿気に晒して苦い物を流しだせばいいってことだよね? かなり時間かかりそうだけど」

理解が及んだサニアが呟くと、リュリュは俯いた。

数年単位で苦みを流し出した塩を即席で作る方法を考え始めたのだ。

直後、風呂場の扉が開く。

「おっ風呂だぁ!」

行儀悪く手拭いを振り回して入ってきたのはサロンだ。

「サロンちゃん、はしゃぐと危ないよ」

サロンの後ろから、ローゼが眉を八の字にして注意する。

「ボクが転んだりするわけないだろ。このボクが!」

どこからくる自信なのか、腰に両手を当てて威張ったサロンは再び手拭いを回しながら浴槽に向き直って、ピタリと動きを止める。

リュリュに見つめられている事に気付いたのだ。

サロンの脳裏には硫黄を嗅がされたトラウマがフラッシュバックしている事だろう。

サロンの横から浴槽を見たローゼがぺこりと頭を下げる。

「あ、リュリュさん、サニアさんも、お邪魔します」

「ローゼ、どうしよう。またゆで卵食べられなくなる……」

「だから、はしゃいじゃダメって言ったのに」

リュリュが立ち上がると、サロンはびくりと肩を震わせ、震える足でローゼの前に立った。

来るなら来てみろ、と言いたそうな立ち位置だが、生まれたての小鹿よりプルプル震える足はあまりにも頼りない。

リュリュはサロンとすれ違いざま、ポンと頭を撫でた。

混乱しているサロンを無視して、リュリュはサニアを振り返る。

「ちょっと手伝って」

十日後、科学実験室にはリュリュとサニア、コル、ラゼット、そしてソラが勢ぞろいしていた。

「塩の改良ができたから、味見をどうぞ」

そう言って、リュリュは塩が乗った小皿を差し出す。

コルが一つまみとって、おぉ、と感動したような声をこぼした。

「苦みが全然ないですよ。無さすぎる気もしますけど」

ラゼットもコルに倣って塩を摘まみ、頷いた。

「塩の味しかしませんね。これはこれで面白みに欠けますけど」

ラゼットはソラを見る。これで完成なのか、と言いたげだ。

ソラは実験室の端にある樽状の機械を見つめて、にやりと口端を吊り上げた。

「遠心分離したのか。それでサニアもここにいるんだな」

一人納得して、ソラは実験室を見回し、目的の物に目を留める。

「塩から分離した苦み成分、にがりがあるだろ。コルと相談して適量を混ぜろ」

海塩には製塩してもにがり成分が残る。

このにがりの主成分、塩化マグネシウムは潮解反応を起こし、塩が固化する原因にもなる。

日本では梅雨の季節、高い湿度を利用してわざと潮解反応を起こすことでにがり成分を流し出す枯らしと呼ばれる工程があり、塩の純度を高めていた。

よく枯らした塩は苦みが少なく口当たりもよいため、高値で取引されていたのだ。

しかし、遠心分離した場合は枯らし過ぎてしまう欠点があり、ただ塩辛いだけの塩が出来上がってしまう。

このため、にがりを適量追加して味を調整する必要があった。

ソラは仮面を外すと、リュリュに視線を移して笑いかける。

「塩の改良は成功だ。よくやった」

ソラはリュリュとサニアを見た後、実験室の端にある樽状の機械、遠心分離機を指さした。

「あの遠心分離機は魔法で動くんだろ? 塩を作っている連中のところで公開実験して、潮解についての説明とにがりを流し出す工程を徹底するように指導できるか?」

「出来るよ。機械を運ぶのに船を貸してもらいたいんだけど」

「ゼズに言って、新型船を出してもらえ。手続きは俺がやっておく」

枯らしを徹底すれば、塩の品質が持ち直すとともに輸出も安定するだろう。

ソラは塩から分離されたにがりを見て、笑みを浮かべる。

――これも使い道があるしな。