作品タイトル不明
第三話 悩む料理人
クロスポートの大通りに面したレンガ造りの建物に、コルは恐々と足を踏み入れた。
入口の上に掲げられた鉄の看板から宿料亭組合の本部であると知る事が出来る。
宿料亭組合長の立場にあるコルなら、怯えて入る必要などないはずの建物だが、元来の気弱さが彼の足を竦ませている。
クロスポートの宿や料亭の家族が持ち回りで担当している受付で料理本を眺めていた娘が顔を上げ、こそこそと資料室へ逃げていくコルの後ろ姿をとらえた。
「組合長、きちんと規則を守ってください」
可哀想になるほどビクリと肩を跳ねあげたコルは、ゆっくりと振り返る。
「き、規則、ですか?」
「宿料亭組合は客商売、愛想が大事です。ほら、ちゃんと挨拶してください」
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは」
ほっとした様子で資料室へ逃げ込もうとするコルの後ろ姿に、娘は再び声をかける。
「本日の御用はなんですか?」
振り返るコルに対して、娘は親しげに笑って台帳を掲げてみせる。
コルはとぼとぼと受付に歩み寄り、台帳に必要事項を記入し始めた。
娘は紙がずれない様に端を抑えながら、口を開く。
「南部の料理って食べた事ありますか?」
コルは顔を上げる。
南部と言えば、ソラ伯爵領自体が王国の南部である。オルスク群島の郷土料理かとも思ったが、それならば南部ではなく島の、というだろう。
分かりにくい言い回しだったと娘も気付いたのか、言い直す。
「サンゴとかあるような、南方の海です」
知らぬ存ぜぬでコルは話を切り上げてしまいたかったが、嘘を吐くと後が怖いと思い直して素直に答える。
「……新ジユズ国の南方の料理を出す店が王都にありましたけど」
「入りましたか?」
コルが頭を振ると、娘は大げさに肩を落とした。
さぁ、理由を聞け、と言わんばかりの空気を纏う娘を無視できず、コルは記入を終えた台帳を差し出しながら問いかける。
「南方の料理がどうかしたんですか?」
「敵情視察ってやつです。南方の料理人がやってきて、屋台を出してるそうですよ。夏祭りに向けて、何が売れるか確かめてるようです」
「夏祭り……」
もうそんな季節か、とコルは窓からのぞく雨雲を見上げた。
春の花祭りを終え、緑が深くなる夏の暑い時期に行われる夏祭り。
軽食や遊びを提供する様々な屋台が出る祭りであり、宿料亭組合にとっては稼ぎ時である。
皆が刃物を持ち出し振るう様は、もはや、戦争と言い換えても過言ではない。
もっとも、刃物は包丁で、振るう先には食材があるのだが。
「組合長も新料理の開発に?」
娘は資料室に視線を向けて訊ねる。
「えぇ、まぁ、そんなところです。ソラ伯爵領でしか食べられないものを用意しないといけなくて」
言葉にすると、コルの気分が落ち込んでいく。
新料理を開発しなくてはならなくなった理由を思い出したのだ。
「特産って言ったらアイスプラントと魚くらいしかありませんよね。一時期、バカ官吏がライ麦粉に毒を混ぜた時は大変でしたよ」
娘は料理本に視線を落とし、ぺらぺらとめくる。
娘が持っている本には宿料亭組合の蔵書であることを示す判が押されていた。
「あの頃に作られた資料なら、色々と面白いのも載ってますよ。資料室の右から二番目の本棚、上から二つ目の段に、魚肉の食感を変える試みって題名の本があります。著者名ないんですけど、いろいろ試してて面白いですよ。知ってます?」
コルは視線を彷徨わせた。知っているも何も、著者本人である。
資料室の充実化を図り、いくつかの本を自主的に書き上げていた。
「それじゃ、時間がないので、これで」
コルは会話を切り上げ、逃げるように資料室へ向かう。
「もうちょっとお話ししたかったんですけど」
後ろから娘のぼやくような声が聞こえてきたが、コルは振り返ることなく足を速めた。
異性との会話を楽しむ余裕がいつにも増してなくなっていた。
それもそのはず、コルを本当に悩ませているのは新料理の開発ではなく、新料理を食べさせる相手の事。
「なんで王太子がソラ伯爵領にやってくるんですか」
今朝、ソラのもとに届いた手紙に訪問理由は書かれていたのだろうが、コルは教えられていない。
ソラからコルに下された指示は、王太子をもてなす為の料理であり、ソラ伯爵領産の物を豊富に使う事が求められる。
しかも、トライネン伯爵の子息であるチャフに出していた料理よりも一つ格上の物である事が求められる。
厄介な注文だった。
ソラも難題だと自覚していたらしく、デザート作りを請け負ってくれている。
すでに水飴の原料である麦芽の他に果物を輸入しようとベルツェ侯爵に手紙を出し、試作品を作ろうとしていた。
材料の中に、リュリュが菌の培養をする際に使う寒天が含まれている事がコルには気がかりだったが、ソラがやる事だからと様子を見ている。
「寒天を使うという事は、煮こごりを出すと被りそう……」
あれこれと考えながら、コルは資料室に入り、本棚を眺める。
ソラ伯爵領内にある宿や料亭はほとんどが組合に加入しており、組合の共有財産である料理本を閲覧する権利を有する。
また、料理の作り方などは常時募集しており、定期的に編纂されて各地の組合支部に配本されている。
ソラ伯爵領中に散らばる料理の知識を閲覧できるため、組合への加入率はかなり高い。
頑なに加入を拒む偏屈な店もあるが、ごく少数だ。
加入店が料理についての知識を持ち寄るため、コルが知らない料理の情報も舞い込んでくる。
コルは本棚から高級料亭のメニュー表を引っ張り出した。
王太子がソラ伯爵領へ訪問しに来るまで、あまり時間はない。
気合を入れ直して、コルはメニュー表をめくるのだった。