作品タイトル不明
第二話 先達は動き始める
大樹館の応接間でソラは、呼びつけた町官吏の仕草を観察していた。
クラインセルト伯爵領時代を知る、女衒と蔑まれる官吏だ。
毒騒動で罠に掛けられた事が余程堪えたらしく、最近はしっかりと仕事に打ち込んでいる。
しかし、薬が効き過ぎたのか、ソラに対する恐れの色を隠し切れていない。
今も落ち着きなく周囲を見回し、仕掛けが施されていないか見極めようとしていた。
「女衒、キョロキョロするな」
「あ、すみません」
ソラに指摘されてようやく自分の落ち着きのなさに気付いたらしく、女衒は居住まいを正す。
しかし、目線は相変わらずあちこちに揺れていた。
「ソラ伯爵、出来れば女衒ではなく本名で呼んで頂きたいんですが」
「お前が勤める町で、お前の名前が良い意味で広まったら呼んでやる。頑張れ」
「……はい」
微妙なパワハラを行いつつも、そう遠くない未来に本名で呼ぶ事になるだろうと、ソラは考えていた。
官吏としての能力は並以下だが、奴隷や売春業界などに鼻が利くのだ。
昔とった杵柄か、悪質な連中を見極め、摘発する。
難しい線引きを女衒は経験則で行い、上手にバランスを取っていた。
合わせ飲むべき清濁を判断できない新米の官吏には、無理な芸当である。
官吏の立場から降ろす事になっても、別のポジションを用意する事になるだろう。
「以前にも言っただろ。俺はお前の能力を買っているんだ」
「……恐縮です」
ソラの嘘偽りのない言葉にも、女衒は萎縮してしまう。
仕方ないと諦めて、ソラは本題を切り出す。
「お前、ホルガーとザシャとの付き合いが長いだろ?」
「──自分は商会連合の件と関わりはありません!」
怯えた様子で頭を振る女衒に、ソラは面倒になって頭を掻く。
「知ってるよ。ただ単に、あの二人の性格が知りたくてな」
おおよその見当は付いているのだが、ソラは他者の意見も聞いてみたかったのだ。
女衒は一瞬考え込み、気乗りしなそうにゆるゆると口を開く。
「ホルガーは良く人や物に八つ当たりして見せますが、内心は安定志向の野心家です」
「安定志向の野心家……面白い評価だな」
膝の上に頬杖を突き、ソラはくすくすと笑う。
言った本人もおかしな表現だと思ったのだろう、女衒は補足を加える。
「利益に目ざとく、最後に計画へ参加しては美味しい所を全部持っていく。そんな奴です。普段の乱暴な振りも、手柄を奪った相手の反抗心を挫くためですよ」
成功する奴隷商にもよく見られる性格だ、と女衒は付け足す。
実際、人口密集地である街を管理し、多数の商会に融資する資産家でもあるホルガーは、敵に回すと危険な男だ。
同様の条件を揃えたザシャの人となりを訊ねると、女衒は渋い顔をする。
「慎重派で隠密行動が得意な奴です。奴隷商の摘発も、あいつの手が及ぶ範囲には近付きたくない」
良い思い出がないらしく、女衒はため息をつく。
「思えば、ザシャが最初から参加する計画は高確率で成功しますね」
「……ザシャは裏の人間に隠れ家を提供したりしているのか?」
「昔っからの得意分野ですよ。何を懐に抱えているか分かりゃあしない。下手につつくと、危ない輩がわんさと出てきますよ、きっと」
ソラは子爵位叙爵パーティーでザシャが見せた反応を思い出し、一人納得する。
──やはりか。年季が入ってるな。
ソラからの質問は終わりと見て、女衒がおそるおそる口を開く。
「自分も聞きたい事が……」
「言ってみろ」
軽い調子でソラが促すと、女衒はほっとした様子で質問する。
「ジーラの官吏の爺さん、今はどこにいるんです?」
ソラは腕組みをして、押し黙った。
ソラがいつまでも言葉を返さないでいると、女衒の目が冷静さを失っていく。
「いえ、ジーラの町と商会連合は実質的にホルガーとザシャの手中にあるわけで、ジーラの爺さんを連中が生かしとく意味はないんじゃないかなと」
不味い話題だったのかと慌て始めた女衒に、ソラは仮面の中で苦笑した。
「行方を眩ました、という事になっている」
「……つまり、本当は違うと?」
「ちょっとした準備に取り掛かるそうだ。今の状況を予想していた数少ない人間として、何よりも義娘のために、やるべき事があるんだとさ」
女衒はいまいち理解できないという顔をした。
ソラはこれ以上の情報を開示する意志がない。
「他には何かあるか?」
ソラが話題転換を兼ねて訊ね返す。
女衒は考える素振りをした。
「では、もう一つ。領境にトライネン伯爵軍が集結しつつある件と、チャフ・トライネン子爵の行方不明は関係がありますか?」
「一番訊きたかった事はそれだろ?」
「えぇ、何分、クラインセルト伯爵の時代に軍が動く事はあっても、トライネン伯爵が騎兵隊を動員した事例はありませんでしたから」
本来なら、ソラ伯爵領の全官吏に指示が飛ぶ程の重大事なのだ。
力を増す商会連合とチャフの行方不明に業を煮やしたトライネン伯爵が動き出した、そう見るのが自然である。
実際、各貴族もソラとトライネン伯爵の衝突に備え始めている。
──騙されなかったのはベルツェ侯爵ぐらいか。
ソラは笑う。
着々と整い始めた盤面に満足しながら、ただ笑う。
仮面の下の笑顔は誰に見咎められる事もない。
もしも見る事が出来たなら、女衒は同僚の末路を見せつけられたあの日の記憶を喚起され、二度と立ち直れなかっただろう。
「……ソラ様?」
言葉を返さないソラに不安を覚えたらしく、女衒が声をかける。
ソラは女衒が聞き取れないほど小さな笑声をこぼす。
「トライネン伯爵の騎兵隊は気にしなくていい」
ソラは東の壁となるトライネン伯爵の期待を代弁する。
「アンダープロモーションを見届けに来ただけだからな」