作品タイトル不明
第二十三話 イレーネオ
──このまま正攻法で戦うのは危険か。
チャフは敵の実力を認め、一計を案じた。
「お前達、“詰めて”やれ」
チャフは護衛達にだけ意図が通じるように命じる。
縦一列に並んでいるフェリクス達は、チャフの声を聞き、無言で馬を右に寄せ始めた。
フェリクス達が徐々に敵へと迫っていく。
人馬の壁となって距離を詰められた敵騎兵隊は、逃げる事なく迎え討った。
フェリクス達に圧されて右に逃げ続ければ、枝を道へ突き出した黒松の森と挟まれてしまう。
フェリクス達は敵の曲刀に長剣を合わせ、数度打ち合う。
しばらく、接触ぎりぎりの距離で打ち合う彼らへと、突然の声が飛んだ。
「前後を詰めるな!」
はっとした様子で敵騎兵が前後を走る仲間との距離を確認した。
当初の位置関係と比較すると、明らかに隊が密になっている。
フェリクス達が巧みに速度を調節しながら打ち合ったため、釣られていたのだ。
前の一人が少し速度を緩めただけで、後方が減速して戦線から離されるだろう。
全速力で駆ける騎兵同士の戦闘だ。追いついて戦線に復帰するにはかなりの時間を必要とする。
「もう遅ぇんだよ!」
慌てて距離を戻そうとする敵騎兵隊の先頭へと、フェリクスが容赦なく長剣で横薙を放った。
雨水を斬り裂き、弾き飛ばし、鉄色の軌跡を描くフェリクスの長剣。
寸前で曲刀を縦に構えて受け止めた敵騎兵の瞳に、身を屈めるフェリクスとその向こうでナイフを投擲するチャフが映り込んだ。
恐るべき正確さで肩を狙って飛んでくるナイフを、敵騎兵は上体を反らし、紙一重で避けて見せた。
それは見事な体捌きだ。平時なら歓声を浴びるべき素晴らしい反射速度だった。
だが、今この場においては悪手だった。
上体を反らし、後方に体重を掛けた主人の行動に、馬は素直に答えた。
減速したのである。
必然、密になっていた敵騎兵隊は、接触を避けるために次々と減速を余儀なくされる。
最後尾を走っていた敵騎兵に減速の影響が直撃し、瞬く間に引き離された。
フェリクス達は慣れたもので、まず並びを互い違いの二列に変更した。
互いの位置を即座に判断、距離を適正位置に直して、再び縦一列に整列する。
苦々しい顔の敵騎兵は、乱れた列を整えるのに時間がかかっていた。
フェリクス達に、敵の整列を待つ義理があろうはずもない。
馬を寄せるや否や、長剣による鋭い斬撃の嵐を見舞う。
チャフは敵を見据えながら、イェラに声を掛ける。
「先ほどから、木剣を提げている敵兵を見かけるが、理由がわからない。心当たりはないか?」
「木剣、ですか……?」
舌を噛まないように言葉を区切りながら、イェラが問い返す。
まるで飾りのように木剣を提げている敵兵が、チャフは気になっていた。
ソラ率いる火炎隊とは異なり、木剣で戦う素振りはない。
もとより、火炎隊の木剣は圧密木材による特別製だ。強度がまるで違う。
イェラは心当たりがあるのか、深刻そうに眉を寄せた。
「目撃者が出る前に敵を散らした方が良いと思います」
何故、とチャフが訊く前に、戦闘に動きがあった。
隊長らしき眼鏡の男が動いたのだ。
曲刀を構えた眼鏡の男が声を張り上げる。
「後方を開けろッ!」
後方にいた敵騎兵が素直に従い、速度を調節する。
護衛の一人が隙を見て長剣で突きを放つが、曲刀で弾かれた。
舌打ちする護衛の前に、眼鏡を掛けた男が現れる。
「誇っていい。あなた方は間違いなく精鋭です」
場違いに丁寧な言葉使いで褒めながら、眼鏡の男は曲刀を構える。
その構えに、護衛は目を見開いた。
馬は全力で駆けている。鐙で緩和できるとはいえ、相応の揺れがある。
チャフやフェリクス達、敵騎兵隊も条件は同じだ。
体を安定させるために鐙へ足の爪先を入れて踏ん張り、太ももで馬を挟んでいる。
そして、振り落とされないように、また馬に意志を伝えるために、片手で手綱を握るのだ。
だが、眼鏡の男は手綱を完全に離し、両手を自由にしていた。
足と腰の筋力だけで、上体を安定させ、振り落とされない自信があるのだろう。
長年、精鋭と呼ばれてきたからこそ分かる。
眼鏡の男は精鋭だらけのこの戦場で頭一つ抜けている、と。
「誰か、手伝え!」
一人で相手できないと見た護衛が、すぐに救援を願う。
その間に、曲刀が恐ろしい速度で振り抜かれた。
鋭くも重い金属音が響く。
両手を用い、適宜片手持ちに変えながら振るわれる曲刀。
時に重く荒々しく、時に素早く繊細に、緩急をつけた刃は護衛の体力と精神力をガリガリと削っていく。
長剣で防ぐタイミングが徐々に遅れていき、柄を握る手が痺れる。
「──こっち向きやがれ、この眼鏡!」
前を走っていた別の護衛が後ろ手にナイフを投げつける。
眼鏡の男は苦もなく曲刀で弾き飛ばした。
その隙をついて馬を寄せ、ナイフを飛ばした護衛が戦いに加わる。
二対一となってもまだ、眼鏡の男に長剣は届かない。
せめて、左右から挟み撃ちにできれば手数を増やせるのに、と護衛二人は歯がゆい思いで長剣を振るう。
眼鏡の男は目を細めると、護衛の顔めがけて曲刀を振り下ろす。
長剣で受け止めた護衛の横腹を、すかさず蹴り飛ばした。
呻く護衛を無視してもう一人を睨みつけ、自らの馬の首に胸を付けるように上体を寝かせる。
次の瞬間、左手に持った曲刀が閃き、下方からの強烈な突きが放たれた。
上体を起こす反動と左手を振り上げる遠心力を利用して放たれた一撃は、にわか雨の中で天に昇る雷にも見えた。
技術の粋を極めた芸術的な突きだったが、狙われた方はたまったものではない。
長剣を合わせようとするが間に合わず、曲刀が太ももを突き刺した。
力を込められなくなり、鞍の上に腰を落とした主人に馬が抗議するように荒く鼻を鳴らす。
曲刀が抜き取られた刺し傷から血が流れ出す。
戦闘の継続は不可能と判断したのか、眼鏡の男が注意を逸らしかけた時、
「──トライネン家を舐めんなッ!」
自らの怒声で痛みをかき消しながら、護衛は全力で長剣を薙ぐ。
眼鏡の男が反応し、曲刀を斬り上げて長剣を上に弾いた。
護衛は左足の力のみで腰を上げ、体重を掛けて長剣を振り下ろす。
片手ながら、勢いの乗った攻撃だ。
「──見事」
眼鏡の男が目を細め、振り下ろされる長剣を曲刀で受け止めた。
曲刀の柄は両手で握られている。
「意地だけは、認めます」
長剣を弾き飛ばし、バランスを崩させる。
右足に力が入らない相手など、ものの数には入らないのだろう。
右足に怪我を負った護衛は、長剣を弾き飛ばされた勢いで馬の左側に体重が傾いてしまう。
勘違いした馬が左に斜行してしまい、眼鏡の男から瞬く間に遠ざかった。
無理が祟ったのか、痛む右足を睨みつつも戦闘への復帰どころか、引き離されないように馬を駆けさせるだけで手一杯のようだ。
後方から眼鏡の男に長剣が突き込まれる。
先ほど横腹を蹴り飛ばされた護衛だ。ギラギラと光る瞳で眼鏡の男を睨んでいる。
しかし、位置が悪かった。
突きを軽々と避けた眼鏡の男は、曲刀の背で馬の首を狙う。
護衛が馬を守るために長剣を縦に構えて防ぐが、湾曲した刃の先が馬の首へ僅かに届いた。
眼鏡の男は曲刀を手前に引く。
馬は首を曲刀の切っ先で引っかかれ、嫌そうに速度を落とした。
すぐに眼鏡の男と護衛の距離が開く。
眼鏡の男は放置していた手綱を取ると、護衛から視線を外した。
視線の先を辿った護衛は大きく息を吸い込み、危険を知らせる。
「若様、その眼鏡はヤバい。逃げてくださいッ!」
チャフが振り返り、眼鏡の男の顔を見極めるように目を凝らした。
「……イレーネオ、か?」
チャフの独り言のような誰何に、眼鏡の男、イレーネオが口元に笑みを浮かべる。
「王国に名高い貫陣の御子息に名前を覚えて頂けているとは、嬉しいですね」
長時間の走行による疲労で息が上がってきたチャフの馬へと、イレーネオの馬は追いすがる。
「ジーラにあなたが来なければ、イェラさんはあの日に非業の死を遂げていた。今となっては、命令を無視してでも仕留めておけば良かったと思いますよ」
イレーネオは語りながら、曲刀を握り直す。
「トライネン家の騎兵隊がここまで手強いとは思いませんでした」
イレーネオの瞳に剣呑な光が宿る。
チャフは心の中で舌打ちし、護衛達に視線を移す。
イレーネオと戦っていた護衛二人は、後方からチャフに追いつこうとしているが、馬の疲労が蓄積している。
他の三名は敵騎兵隊四名を相手していた。
フェリクスが敵を引き離してチャフの元に向かおうとしているが、敵のしつこい攻撃に妨害されている。
──救援はなしか。
相手はトライネン家の精鋭二人を蹴散らすほどの実力者だ。
護衛対象のイェラを抱えたままでは、剣を振るうにも限界がある。
「……チャフ様、前方に晴れ間が見えます」
思案するチャフに、イェラが小声で伝える。
──晴れ間……なるほど、ソラ卿の剣が使える。
すぐに意図を理解したチャフは、青銅剣の留め金を外し、それとは別に愛用の剣を抜く。
ちらりと前方を確認し、日溜まりに到達するまでの時間を予測する。
──あそこまで時間を稼げるのか?
「やるしかないな」
腹を括って、チャフはイェラに頭を下げさせた。
馬の首にしがみつくようにしたイェラを抱えるように、チャフは体勢を変える。
「フェリクス、前を見ろ。まずは雨雲の下を抜ける」
チャフはフェリクスに言葉を投げ、愛剣をちらつかせる。
チャフやイェラと共に、ソラから青銅剣の説明を受けたフェリクスには十分だった。
「お前ら、速度を上げろ。若様を抜き去る勢いでだ!」
率先してフェリクスが敵の曲刀を力任せに弾き、馬を走らせる事に専念する。
護衛達も何かあると察したか、次々に馬の限界を引き出す。
それを見届けるとフェリクスがイレーネオに視線を移した。
チャフと目が合うと、長剣を太ももと馬の胴体に挟んで支え、柄から手を離す。
最後の投げナイフを抜き、手綱と共に握り込んだ。
いざという時にはフォローに回るつもりだろう。
チャフ達の馬は度重なる全力疾走で速度が落ちている。
ついに、イレーネオの間合いに捉えられ、チャフは長剣の柄を血管が浮かぶほど強く握りしめた。
「……イェラ、万一の時は頼む」
「あまり考えたくありませんね」
言いつつも、イェラは真剣な顔で頷いた。
「──遺言は生き残る者に宛てるべきですよ」
背後から冷たい囁き声が聞こえたかと思うと、曲刀が雨水に煌めき、チャフの背に向かった。
「舐めてもらっては困る」
チャフが上半身を捻り、長剣で曲刀を受け止めた。
イレーネオが少し驚いた顔をする。
片手で掴んだ長剣を馬の尾の辺りに添え、鉄の壁にしたのだ。
二つの支点で固定された鉄の長剣は、イレーネオの一撃を受けようとびくともしない。
「──トライネンの名は飾りではないからな」