作品タイトル不明
第十話 観覧者は憂う
イェラはソラから送られてきた手紙を読み、無造作にゴミ箱へ放り込んだ。
「商会連合を解散しろと命令するためだけにこの文章量とは、遠回しに書き過ぎでしょう」
誰にともなく呟いて、イェラはこりを解すように肩を回す。
勝ち誇ったような微笑を浮かべて、イェラは立ち上がった。
「さて、お爺様に告げ口しておかないと」
ついでに経過報告も済ませてしまおう、と棚から必要な資料を取り出した。
資料を開き、中身を確認しながら部屋を出る。
取り込んだ商会の名簿や貿易品目と輸出先の情報など、問題がない事を確認する。
「イェラさん、ちょっとお待ちください」
すれ違ったメイドに呼び止められて振り返る。
苦笑したメイドに癖のある髪が跳ねている事を指摘され、資料を小脇に抱えて手櫛で整える。
「館の中だからと言っても、気を抜いてはいけませんよ」
「分かってます」
聞き慣れてしまった小言に言い返す。
くすんだ色の銀髪は少し放っておくと無秩序に跳ねてしまう。
イェラが直した髪を軽く確認して、メイドはよし、と頷いた。
「旦那様なら庭にいらっしゃいますよ。紅茶をお持ちしますか?」
「ありがとう。お願いします」
メイドは会釈して厨房の方へと歩いていった。
イェラはメイドに教わった通り、庭を目指して歩く。
庭に出てみれば、秋めいた風に小さな花が揺れ、色付いた葉が散っていた。
池に浮かぶ枯れ葉を眺めている探し人を見つけ、イェラは声をかける。
「お爺様、もう涼しくなりましたから、風に当たり過ぎては体を壊しますよ?」
「……イェラ、か」
お爺様と呼ばれた老人は振り返らず、池の水面を見つめていた。
イェラは隣に並び、水面を覗く。
生き物の姿はなく枯れ葉が漂う光景は人に懐古の念を抱かせる。
奴隷として売られ、この家に引き取られて十年を越える歳月を経た。
振り返ればあっと言う間だったと、イェラは思う。
「……イェラ。お前は立派になった」
老人が水面を見つめながら、独り言のように呟いた。
イェラは老人の横顔を伺う。
老人の優しげな眼差しを見て、イェラは静かに口を開いた。
「……前々から不思議だったのですが、なぜ私を買ったのですか?」
「何度も言っただろう。計算が出来、法則を見つけだす頭の良さがあったからだ」
老人の答えに、イェラは首を振った。
質問の意味が正確に伝わらなかったらしい、とイェラは補足を加える。
「私に決めた理由ではなく、私が必要だと考えた理由です」
老人はふむ、と口を閉ざす。
イェラを横目で見て少し考えた後、頷いた。
老人は秋空を見上げ、波のような巻積雲に目を細めた。
「オガライトは知っているか?」
老人が口にした商品名を、イェラは覚えていた。
奴隷として売られる事になった決め手とも言える、薪の代替品だ。
奴隷になったのは、欲に目が眩んだ行商人の判断ミスが招いた事であるとイェラ自身も分かっている。
それでも、オガライトはあまり思い出したくない品だ。
老人は秋空を見たまま、話を続ける。
「オガライトを見た時、それまでの人生を振り返って愕然としたものだ」
愕然とした、と聞いて、イェラは首を傾げる。
オガライトは従来の薪と違う新商品であり、確かに衝撃的ではあった。
だが、愕然としたとなると、言葉の含む意味がいささか異なる気がしたのだ。
老人は苦笑して、続ける。
「まだ分からんかもしれん。いや、一生分からんかもしれん。だが、わしは確かに愕然としたのだ。何十年と生きて、何一つ生み出せなかった己の人生に、な」
老人は自嘲気味の笑みを浮かべた。
「オガライトを生み出した者が誰かは、今もって分からん。だが、その者が生きた証、オガライトは長くこの世に残るだろう」
老人は再び空を見上げた。
まるで、そこに誰かがいるように、羨ましそうな色を瞳に宿していた。
「慌てたよ。年甲斐もなく焦った。何かを生み出すには遅すぎたからな」
イェラは老人の年齢を思い出す。
記憶が確かならば、既に六十を越えていたはずだ。逆算すると、オガライトが市場に出回った頃は五十歳前後になる。
「だから、託す事にした。若い者に、これからの時代を担う者に託し、何かを生み出す手伝いをしよう。大きければ大きい程よい」
老人はニヤリと悪童のように笑う。
イェラの頭に手を置き、言葉を繋げた。
「そう例えば、領地を変える程の何かだ。イェラ、お前は本当に立派になったのだよ」
老人は嬉しそうにイェラを誉め、頭を撫でる。
イェラは照れくさくなって、はにかんだ。
「わしは子供ができなかったが、お前のような自慢の娘を育て上げる事ができた。それだけで、生きた証が作れたのだ」
しかし、老人は唐突に寂しそうな笑顔を浮かべた。
「だから、わしに付き合ってつらい思いをするのなら、やめても良い」
「っ……お、お爺様!?」
弾かれたように顔を上げたイェラは、驚きに目を見開く。
今までの努力を無にするような発言だったからだ。
老人の顔を見て、どうやら本気で言っているらしいと判断し、イェラは顔を伏せる。
「確かに、つらい事はあります。ですが、もう投げ出すわけにはいきません」
金がないなら人ではない、と言い切った行商人の顔を思い出す。
ならばすべてを人にしてみせようと誓った、あの日の事を思い出す。
ただ一人先頭に立ってでも成し遂げる。それができなければ情けないと言われた。
王都で再会し、クロスポートで決別した青年の姿が脳裏をよぎった。
「心配しないでください。どんなにつらくても私は道を間違えません。必ずたくさんの人を幸せにしてみせます」
イェラは宣言する。
しかし、イェラの誓いの言葉は、老人にますます寂しそうな顔をさせるだけだった。