作品タイトル不明
第二十一話 観客席
クラインセルト子爵領には二つの街が存在する。
北部のグランスーノと東部のグラントイースだ。
それぞれ、ベルツェ侯爵領やトライネン伯爵領に近い人口密集地であり、旅人や商人が訪れ、物と金がもたらされる。
どちらの街にも多数の大手商会が存在し、利益を上げていた。
街を統括する官吏には、クラインセルト伯爵の覚えめでたい二人の男が就いている。
ザシャとホルガーだ。
その二人の街官吏がグランスーノの屋敷に顔を揃えていた。
秘密裏の会合である。
屋敷の主であるザシャが眼鏡の奥から鋭い視線を放ちながら、窓の外を見つめていた。
「相変わらず、飾り気のねぇ部屋だな」
不満そうな声にからかいの色を込めて、ホルガーがソファに腰を下ろす。
目の前にあった机に躊躇なく足を載せた。
音でそれを理解しつつ、ザシャは咎めなかった。
「今後の事について、話し合いたいんです」
窓の外を見たまま、ザシャが静かに語りかける。
他の者が同じようにホルガーに語りかけたなら、不興を買って酷い目に遭わされるだろう。
だが、ホルガーは肩を竦めただけだった。
「話し合い、話し合いか! そいつはいい。作戦失敗、裏で手を引いてた犯人と知られ、仲良くお縄に付く日を話し合いで決めましょうってかッ?」
「当たらないでください。鬱陶しいです」
「はいはい、悪うございました! ……実際の所、金銭的な損失はねぇが、敵対意思が知られた事は不味いな」
ホルガーは舌打ちする。
中小商会を騙し、大手商会に支援して商圏を拡大する計画が、ソラに知られた事は間違いない。
当初の計画では、たとえ知られたとしても問題がなかった。
失業者の発生を嫌うソラに対し、従業員という一種の人質を突きつける事が出来るからだ。
しかし、計画は失敗し、ザシャとホルガーが支援していた大手商会は相次いで店を畳む事を発表した。
「確かにやり難くなりました。だが、街官吏としての立場はまだ無事です」
「あの手紙、証拠としては弱すぎるものな」
ホルガーがソファの上で偉そうに胸を張る。
しかし、天井に向けられたホルガーの顔は険しかった。
「今回の件、跡継ぎが何をやったか聞いたが、どうにも要領を得ない。勝手に動く人形がどうとか、馬鹿げた事をぬかしやがる」
ホルガーが不愉快そうに言って、机に軽くかかと落としを食らわせた。
ホルガーは支援していた大手商会の会長から、事の顛末を聞いたのだろう。
報告者は苛立ったホルガーの八つ当たりを受け、満身創痍で逃げ帰ったはずだ。
ザシャにとってはどうでもいい事である。
「ザシャ、そっちはどうだよ? 夢物語をべらべら喋らない奴から報告を受けたか?」
視線を向けたホルガーに問われるが、ザシャは首を振る。
ちょうど屋敷の前に止まった馬車を見つめながら、ザシャは口を開いた。
「こちらも下手な劇作家から手紙をもらった気分でしたよ。……到着したようです」
馬車から降りた人物を確認して、ザシャはホルガーに知らせる。
ホルガーが首を伸ばして窓の外を見た。
「アイクだったか? 呼びつけるとは、流石に気が利くな」
ホルガーが愉快そうにクックッと喉を鳴らした。
ザシャは窓から視線を外し、椅子に腰掛ける。
「あんな話、本人から直接聞かなければ、納得しないでしょうからね」
「まぁな。しかし、嘘か誠かはあまり意味がねぇぞ。問題は交渉材料を確保できなかった事だ」
ホルガーの言葉に、ザシャは険しい顔で頷く。
「町官吏の処罰が行われた時にも思いましたが、跡継ぎを下手につつくと状況が一変します。あれには触れない方が良い」
「まったくだな。だが、触れずにはいられねぇ。てなわけで、このホルガー様から提案があるんだが」
ホルガーが不遜な笑みを浮かべ、もったいつけるようにザシャへ視線を注ぐ。
無言のままに視線を返したザシャを見て、つまらなそうに舌打ちした。
「ようは跡継ぎの動きを封じればいい。どうやるかと──」
仕方なしに話し出したホルガーだったが、言い切る前に部屋の扉が叩かれた。
コツコツと控えめに奏でられたノック音を聞き、ホルガーが低く苛ついた声を出す。
「ちッ……うっせぇな」
舌打ちして立ち上がり、大股で扉に近付くと、即座に引き開ける。
扉の向こうで用向きを伝えようとしていたメイドが、小さな悲鳴を上げる。
悲鳴に眉を潜めつつ、ホルガーがジロリと視線を一閃した。
メイドの横で固まっていたアイクに目を留めるや否や、左腕を振り抜き、アイクの顎を打ち上げた。
容赦のない攻撃に反応できず、強制的に仰け反らされるアイクの襟首を、ホルガーが引き戻した左手で掴み取る。
痛みに呻く暇すら与えず、部屋の中に引きずり込んで床に転がした。
部屋に向き直りざま、扉を蹴り飛ばして閉じる。
「よく来たな。歓迎するぜ」
ホルガーが出迎えの言葉を口にしながら、顎を押さえるアイクに馬乗りになった。
アイクの頭を鷲掴みにして床に押しつけると、耳元に口を寄せて低い声で囁きかける。
「お前が嘘を吐けば一発、俺様が嘘だと思えば十発だ。分かるか? いや、理解できるか?」
「……はい」
「素直でよろしい。ご褒美だ。ほらよッ」
言葉と同時に、アイクの鳩尾へ拳を振り下ろし、直前で止める。
冷たい汗を流すアイクの歪んだ顔を見て、ホルガーが愉快そうに笑った。
「ザシャ、いいぞ」
「では、始めましょうか」
目の前で振るわれた一方的な暴力に、ザシャは眉一つ動かさなかった。
一枚の手紙を取り出すと、普段通りの口調で質問する。
「あなたが送ってきたこの手紙に書かれている事に、嘘偽りはありませんか?」
ザシャは手紙を丸め、ホルガーに放る。
片手で受け取ったホルガーが、開いた手紙をアイクの鼻先に突きつけた。
アイクが苦い顔で頷く。
「間違いありません。確かに、人形が独りでに布を織っておりました。他にも紅茶を運ぶメイド代わりの人形なども──」
目つきを鋭くしたホルガーが腕を振り被ったため、アイクは衝撃に備えて言葉を切り、歯を食いしばった。
しかし、予想に反して拳は振るわれなかった。
「嘘くさすぎて逆に真実味を帯びてんだよなぁ」
「そうですね。嘘を吐くなら、もう少しまともな嘘を吐きます」
ホルガーがぼやいて頭を掻くと、ザシャは同意する。
どうやら信じてもらえたらしいと見たアイクが、ほっと息をついた瞬間、ザシャは口を開く。
「──話が本当であろうとも、アイクに店を畳まれると困ります」
「あぁ、ウッドドーラとか言う商会に東へ出張ってこられると邪魔だものな。あの商会には、跡継ぎの息もかかってやがる」
アイクに馬乗りになったまま、ホルガーが言葉を繋いだ。
会話が不穏な流れに乗った事に、アイクが眉を寄せる。
「ちょっとお待ちくださ──」
「うるせぇッ!」
ホルガーが荒げた声と共に拳を振り落とし、強制的にアイクを黙らせた。
腹部に数発の拳を受けたアイクがむせる。
しかし、アイクの状態などまるで意に返さず、ザシャは話しかけた。
「アイク、店を続けなさい。最低限の人員を残して人件費を削減すれば、まだしばらくは保つはずです。倒産しても、アイクの再就職先はこちらで用意しましょう」
「……お断りします」
ザシャの申し出を断り、アイクはホルガーを警戒して体を固くする。
案の定、頬に拳を叩き込まれたが、アイクは意思を宿した瞳でザシャを見上げてきた。
「あなた方に付いても、我が商会の従業員を切り捨てるだけ。とても承服できません」
アイクが言い切った台詞を、ホルガーが鼻で笑い飛ばす。
「布の安値競争を仕掛けたのはアイク、お前だろうが。ロジーナ商会を倒産させて商圏を奪おうとしたお前が、綺麗事をぬかすなよ」
ホルガーがアイクの髪を掴み、鼻先が触れそうな距離で凄む。
だが、アイクは怯まなかった。
「商圏を拡大しなければ、ジーラの商会連合に対抗できない。指をくわえてては早晩、我が商会は潰されていた。長として、商会に勤める従業員を守るためには商圏の拡大が必須だった! 綺麗事でも何でもない、何よりも優先すべきは従業員の生活、これは私の、経営者としての“矜持”だッ!」
アイクが声を張り上げ、啖呵を切った。
ほう、と面白そうに笑うホルガーだったが、瞳は危険な色を帯びていた。
「おぉ、ご立派、ご立派。だがな、お前を殺して、商会長の首をすげ替えれば事足りるんだよ」
物騒な笑みを浮かべたホルガーに対し、アイクは青い顔をしつつ笑みを見せる。
「……私が戻らなければ、ウッドドーラ商会に全てが引き継がれる手筈になっていましてね。クラインセルト子爵と関わりがある大手商会です。真っ向から子爵に喧嘩を売れますか?」
「……てめぇ」
ホルガーの額に青筋が浮かぶ。
アイクは襲い来るだろう痛みに備え、覚悟を決めた。
「──ホルガー、もう無駄です。今回はこちらの負けを認めましょう」
「ちっ……!」
舌打ちしたホルガーが立ち上がり、腹立ち紛れにアイクの腹につま先をねじ込んだ。
「用済みなんだよ、とっとと視界から消えろ」
ホルガーはアイクが立ち上がろうとして床に着いた手を蹴り払い、扉へと転がしていく。
廊下へアイクを蹴り出すが、まだ怒りが収まらなかったのか、掴み上げて窓から放り出した。
一階とはいえ、大の男が落ちる音はそれなりに大きかった。
音が気に障ったのか、ホルガーは苛立った声でアイクに罵声を浴びせる。
ホルガーの理不尽な暴力から逃れようと、アイクは這々の体で馬車の元へ走って行った。
踵を返して部屋に戻ってきたホルガーとザシャの視線がぶつかる。
「双頭人形に連絡を取れ。早めに跡継ぎの動きを封じる手を打った方が良い」
「先ほど言い掛けていた話ですか。具体的には?」
ホルガーはザシャの問い掛けに面倒そうな顔をした。
アイクの来訪に話の腰を折られたため、気分が乗らないのだろう。
「双頭人形にも説明するんだ。後で良いだろ」
「では、手配しておきます」
気分屋のホルガーに文句も言わず、ザシャは言葉を返し、窓の外を見た。
ザシャの目は遙か遠く、クロスポートに向けられていた。