作品タイトル不明
第十話 踊らされた者達
ロジーナ商会の商館に慌ただしい足音が響く。
まだ空も暗い時間帯、日の出まで随分と間があるというのに、音の主は顔を見るだけで眠気が飛ぶような焦った顔をしている。
よほど嫌な知らせなのだろうと、すれ違う誰もが直感した。
「ロジーナさん!」
音の主は商会長の名を呼びながら、ノックもなしに部屋へ足を踏み入れる。
しかし、そこに期待した人物はおらず、副会長が驚いた顔を向けてくるだけだった。
「……ロジーナさんなら、昨晩にお忍びで外出した。例の件でな」
落ち着きを取り戻した副会長に伝えられ、音の主は怒りに任せて壁に拳を打ちつけた。
ロジーナは子爵領中央部の町、ジーラにいた。
町に入る前から押し込められた馬車の中からジーラの港を眺め、ロジーナは目を疑った。
──改築工事中とは聞いたけど……。
大きな河に面したジーラの港には、多くの男が行き交い、工事に従事している。
以前に訪れた時の小さな港は華麗な変身を遂げつつあった。
どれほどの費用がつぎ込まれているのか、想像もつかない。
──お金って、あるところにはあるものね。
「この港はどれくらい大きくするつもり?」
馬車に同乗している眼鏡の男に訊ねるが、無視された。
──部外者には教えないか。
「これから契約を結ぶ相手にも教えられませんか?」
「──まだ契約を結んでいない相手には、の間違いでしょう」
男が眼鏡のズレを直しながら答えた。
それもそうだ、とロジーナは納得する。
「前々から思っていたのですが、眼鏡の弦の長さが合っていないのではありませんか?」
顔を動かす度に眼鏡を直す男を見かねて、ロジーナは指摘する。
男は眼鏡を押さえながら無感情に頷いた。
「上司から送られた、特注品ですから」
「特注品なら使用者に合わせるものではないですか?」
「上司の憂さ晴らしです」
「……苦労なさっているんですね」
言葉に同情を込めると、男は静かに外を見る。
ロジーナも釣られて目を向けると、小さな宿が見えた。
宿の前で馬車を止めるよう御者に指示した後、眼鏡の男は自ら扉を開ける。
「到着しました。相手は既に中で待っている頃でしょう」
先に馬車を降りた男に続いて、ロジーナは宿に入る。
傭兵かと思うほど筋肉質の宿主が笑顔で出迎えた。
眼鏡の男が無言で上を指さすと、宿主が部屋番号を告げる。
「聞いての通りです。先に部屋へ行ってください」
「あなたは?」
「見張りです」
簡潔に返して、眼鏡の男は一階に備え付けの暖炉前に座り込んだ。
──あんなに側へ寄ると煤まみれになるって、知らないわけでもないでしょうに。
男と暖炉の距離に疑問を抱きつつ、ロジーナは二階への階段を上る。
「──柏を薪にしてる良い宿じゃねぇんだから、あまり近寄るな。そもそも松ヤニ臭いだろうが」
階下から、宿主が男を注意する声が聞こえてくる。
やっぱりな、とロジーナは肩を竦める。
──大手商会ともなると、従業員まで松ヤニの臭いが分からないのか。
羨ましい事だと思いながら、ロジーナは部屋番号を確認していく。
最奥から一つ手前の部屋に同じ番号を見つけ、深呼吸した。
──この契約に失敗したら、今度こそ終わり。
身を包む緊張感がロジーナの背筋を震わせた。
深呼吸を繰り返し、ロジーナは扉をノックする。
「……失礼します」
声をかけ、ロジーナは扉を開けた。
柔和な顔をした老人が床に杖を突いて立っていた。
ロジーナは黙礼した後、部屋の扉を閉じる。
「いやはや、こんなにお若く綺麗な方とは思わなかった」
「恐縮です」
老人に小さく頭を下げる。
はやる気持ちを抑えつつ、ロジーナは商談用の笑顔で当たり障りのない言葉を紡いだ。
「大きな商会を束ねるだけあって、流石に貫禄がおありですね。呑まれてしまいそうです」
単純な社交辞令を返したつもりのロジーナだったが、老人は一瞬笑顔を凍り付かせた。
続いて、老人が出した声は震え、隠しきれない不安と焦りが滲んでいた。
「……これは失礼、若いから、と馬鹿にしたわけではありません。お気に障ったなら、謝罪いたします」
そう言って、本当に頭を下げる老人の姿に、今度はロジーナがうろたえた。
「そんな、頭をお上げください。貴方が私共ロジーナ商会に融資して下さるからこそ、これからも私共は店を続けられるのです。頭を下げるのは私の方です」
必死に頭を上げてもらえるよう頼み、ロジーナも頭を下げる。
「……ロジーナ商会、ですと?」
不意に問い掛けられ、ロジーナは怪訝に思い、顔を上げる。
そこには眉を寄せて困惑する老人の姿があった。
「ロジーナ商会というと、確か、東にある中規模の商会では?」
「……はい、その通りです」
ロジーナは肯定し、懐から一枚の手紙を取り出した。
手紙には、子爵領北部の街、グランスーノの街官吏ザシャの署名と、ジーラにて待つという内容が書かれていた。
「銀の娘がザシャ様に渡りをつけて下さったのでしょう?」
街官吏のザシャと言えば、大手商会に多額の融資を行う資産家だ。
そんな人物から資金を提供してもらえるならば、アイク商会など恐れる事はない。
ロジーナが出した手紙を見た老人の顔からは、みるみる血の気が引いていった。
土気色の顔で、老人がポケットから手紙を取り出す。
「……読んでみなさい」
口調の変化が気になったが、ロジーナは素直に老人が出した手紙へ目を通す。
そこには、見覚えのある文面と共にホルガーなる者の署名があった。
──ホルガーって、確か子爵領の東にあるグラントイースの街官吏……。
頭から冷水を掛けられているような、ぞっとする感覚が襲ってくる。
宛先を見ると、聞き覚えのある商会の名。
「確か、ベルツェ侯爵領からの布を商っている……」
ロジーナは目を見開き、瞬時に身を翻した。
部屋の扉を破る勢いで開き、廊下を走り抜け、階段を駆け下りる。
そして、暖炉前の無人の空間を見て、ロジーナは膝から崩れ落ちた。
遅れて現れた老人が沈痛な面もちで呟く。
「──お互い、騙されたようだね」