作品タイトル不明
第一話 忙殺される人と休暇を取る人
第二執務室の扉が力強く叩かれる。
響き渡る音はノックと呼べるほど生易しくはない。
来訪者の怒りの程を表していた。
部屋の主は机と床に山と積まれた書類と資料を流し見て、鬱々とした気持ちで机に突っ伏した。
「……フェリクス、扉の前には誰がいると思う?」
「心当たりが有りすぎて分かんねぇですよ」
だよな、と同意を示して、チャフは机に突っ伏したまま重いまぶたに抗った。
最後にまともな睡眠を取ったのは何時だろうか。
記憶を探ると、三カ月前に過労で倒れた日まで遡っていた。
ベッドに潜り込んでも、浅い微睡みの水面を漂うばかりで寝付けない体になっていた。
何故なら、深く寝入ってもすぐに仕事が舞い込み、睡魔を駆逐するからである。
「ソラ卿は三年もこんな生活を続けているのか……」
サニアやリュリュ共々、馬鹿げた体力だ。
部屋の扉が一層強く叩かれる。もしかすると蹴りを入れられているのかもしれなかった。
フェリクスが扉の鍵を見つめながら、口を開く。
「開けた方が良いんじゃねぇかと思います」
「お前がコルに隠して貰っている秘蔵のワインをワインビネガーと入れ替えられたくなければ、開けないでくれ」
チャフは机に両手を着いて体を起こし、近くにあった書類を手にする。
難民が入りすぎて治安が悪化した事を訴える陳情書だった。
難民流入は増加の一途を辿っている。
しかし、難民そのものは問題ではないと、大樹館の面々は考えていた。
難民に混じってやって来る無法者が罪を犯すケースが頻発しているのだ。
チャフは机の三段目、陳情書類と書かれた引き出しを開ける。
手にしていた陳情書を引き出しに納めようとしたが、容量が一杯で入らない。
「あぁ、またかッ!」
チャフが舌打ち混じりに罵声を飛ばす。
その時、ノックの音が止んだ。
シンと静まる部屋の中へ、扉を挟んだ廊下から冷たい声が忍び寄る。
「ミツケタ」
声が空気に溶けると、扉が数秒で開錠された。
ぞっとして、チャフは扉を見た。
静かに開きゆく扉の向こうに小柄な影が現れる。
少年とも少女ともつかない人影は、ギラリと光る瞳でチャフを見据える。
「忙しいんだよ。こそこそと逃げ隠れするな」
部屋に踏み込んだ人影の後ろから、書類束を抱えたラゼットが入ってくる。
チャフは頬のひきつりを自覚しながら、懇願するように人影、ソラを見つめた。
「もう手一杯だ。これ以上、仕事を増やさないでくれ」
「馬鹿を言うな。仕事を増やしたのはお前だ」
淡々と告げて、ソラはラゼットが抱えた書類を一枚抜き取る。
「圧密木材の出荷量が十倍になってる。チャフが計算を間違えたからだ。というか数字をいじる時は確認に来いと言っただろ。お前の担当は数字の“確認”であって“訂正”じゃないんだからな」
机に書類を置き、おかしな箇所を指差しながら、ソラはチャフを叱った。
続けて、ラゼットが抱えた書類束を指差す。
「サニアがおかしいと思って調べたんだ。圧密木材以外にも妙な数字が大量に出てきたぞ」
指差すからには、ラゼットが抱えた書類束に全て記載されているのだろう。
申し訳ない気持ちになりながら、チャフは書類束を受け取る。
「再提出の期日は?」
「全部サニアが修正しちまったよ。後で頭下げてこい」
「……これを全部、か?」
サニアにも担当の仕事が山のようにあるはずだが、とチャフは首を傾げた。
ソラが肩を竦める。
「不眠不休で片付けたらしくてな。俺が耳を触るのを自重するくらい、フラフラだ」
「ソラ卿が自重する、だと……?」
「ちゃんとサニアに礼を言っておけよ」
絶句するチャフをおいて、ソラは部屋を出ていく。
ラゼットは後に続かず、チャフに一礼する。
「私は明日から休暇に入ります」
「そうか。そんな話もあったな」
チャフはラゼットの腹部に視線を移しかけ、失礼かと思い直して逸らす。
「良い子を、出来れば素直で優しい子を産めよ」
「……善処します。私への連絡はゼズに言って下さい。仕事の引き継ぎはリュリュとサニアにしてありますので、何かあれば二人にお願いします」
この流れるような仕事の引き継ぎはソラ家臣団に特有だろうな、と思いつつ、チャフは頷きを返した。
ラゼットの後ろ姿を見送って、チャフは書類束を見直す。
丁寧な文字で修正が施され、別紙には理解し易く計算過程が書いてある。
チャフがどこを間違えて計算したかも指摘してあった。
少し落ち込んだが、深呼吸して気を取り直す。
失敗の経験から学び取るくらいでなくてはならない。
意気込みも新たに書類へ手を伸ばすが、再び訪問者が現れた。
赤毛混じりの金髪をバレッタで留めたリュリュである。
ノックもせず、無言のままで部屋に進入してきたリュリュは、ざっと部屋を見回した。
目当ての物が見つからなかったのか、不機嫌そうに眉を寄せる。
「シドルバー伯爵領から砂銀が届いたって聞いた。見せて」
寄越せ、と聞き間違えたかとチャフが耳を疑うほどに堂々と、リュリュは片手を突き出した。
「単なるサンプルだ。別に面白がるものでもないはずだが」
シドルバー伯爵領の新鉱山で採掘された物であり、竜骨車の導入によって初めて採掘できるようになったものだ。
着目すべきは技術であって、取れた鉱石ではないだろうに、とチャフは首を傾げた。
「良いから見せて」
人に物を頼む態度ではないが、なんとしても見たいという意志は感じ取れる。
隠す必要のある物ではないので、チャフは机の引き出しを開けた。
「ほら、今日届いたばかりの物だ」
チャフの手に乗る光沢も見事な銀色を、リュリュはひょいと摘んで観察する。
「へぇ……これが砂銀、か。重たいね」
楽しげに見つめた後、丁寧にチャフの手の平に返す。
「ソラ様も見たって聞いたけど、何か言ってた?」
「いや、特に何も」
チャフが首を振ると、リュリュの薄い唇が弧を描いた。
何か妙だと感じて、チャフは眉を寄せる。
チャフの目には特に何の問題も見受けられないが、ソラに知識を植え付けられたリュリュだけが気付く何かがあるのかもしれない。
しかし、チャフが問う前に、リュリュは踵を返す。
「ソラ様が何も言わないなら、ウチからも特に言う事はないよ」
含みのある言い方をして、リュリュは部屋を出て行った。