作品タイトル不明
第6話 サディア⑥
最悪だ。
最悪だ。
怒鳴って、泣いて、喚いて……そんな姿をロバート様に見せてしまった。
恥ずかしい。
もう嫌だ。
ただ、感謝だけを伝えられたら、それでよかったのに。
初めから、両想いになれるなんて、大それたことは思ってはいなかったのに。
……ううん、少しだけは嘘だ。ほんの少しくらい、もしかしたら、運が良ければ……程度には考えた。
せめて、ハンカチを渡したかった。
思いを込めて、刺繍をしたのに。
汚された。
エリオット様に取り上げられて。
触るな馬鹿。
それはあんたのものじゃない。
わたしの思いはロバート様に向けたものだ。
なのに。
エリオット様は、ご自分が、ご自分こそが傷ついたと言わんばかりの泣き顔になって。
まるでわたしが悪者みたいに。
わたしだって言い過ぎたところもある。
だけど、止まらなかった。
だって、今までだって、迷惑だって何度も言っていたのに。
今まで、聞きもしないで照れてるだとかなんだとか言って。
渡したかったのに。
ありがとうございます。お礼の気持ちで一生懸命刺繍をしました、受け取ってください。
ロバート様に言いたかったのに。
なのに、ロバート様は、可憐なご令嬢をエスコートして……。
ああ、もうぐちゃぐちゃだ。
何も考えたくない。
誰にも会いたくない。
わたしは泣いて泣いて泣いて……。
母がドアを叩いても、父がドアの向こうからわたしを呼んでも……。
ドアを開けずに、ずっと……何日も何日も泣き続けたのだった。
***
泣いていても、時間は過ぎる。
泣いているから喉も乾く。
ずっと部屋に閉じこもったままではいられない。
泣き腫らした目を洗いたくて、使用人に洗面器と顔を洗う水などを持ってきてもらって。
そのときに、使用人が気を使って飲み水や果物もそっとテーブルの上に置いて行ってくれた。
「ありがと……」
呟いた声が聞こえたのか、使用人は「いいえ」とだけ答えて、そうしてわたしを一人にしてくれた。
顔を洗っても、また涙が出てくる。
悔しくて、悲しくて。
取り返したハンカチを見れば、やっぱり涙があふれてきて。
せっかく心を込めて刺繍はしたけど、ハンカチを見るたびに悔しさと悲しさは倍増する。
暖炉に、ハンカチを捨てた。
そうして燃やす。
ハンカチはあっという間に燃えて、そしてその火はすぐに消えた。
……わたしの気持ちも、悔しさも悲しさも、こんなふうに消えてなくなればいいのに。
思っても、消えない。
泣いては、顔を洗って、眠って、起きて、食べて……。
時折、お母様やお父様たちがわたしの部屋に来たけれど、わたしは何も言わなかった。
どうせ、話しても、理解してくれない。
特にお母様は、きっと、人前で喚くなんて、令嬢らしくない。さっさとエリオット様と仲直りしなさいとでも言うだろう。
お父様だって、わたしに寄り添ってくれるとは到底思えない。
いつまでも、こうして部屋に閉じこもって泣いていることはできない。
分かっているけど、動けない。
何もしたくない。
何も考えたくない。
なのに、どうしてもエリオット様に対する嫌悪感や、ロバート様のことが思い浮かんでしまう。
ああ……、もう学院には行きたくない。
どこにも行きたくない。
しばらくして、使用人の持ってきてくれるスープやパンも食べられるようになった。
でも、何もしたくない。
ただ、ベッドで毛布を被って、泣いて。
無意味に時間を消費して。
そんなときに「エリオット様がお見えです」と使用人が伝えてきた。
「会わないわ。会いたくない。一生会う気なんてない」
「そう……ですか……」
お母様がエリオット様に対応したらしい。
何をどう言ったのか、わたしは知らない。知りたくもない。
ドアの向こうでお母様がなんだかんだと言ってくる。
「うるさい!」
怒鳴って、毛布を被った。
その夜、お父様がわたしの部屋に入ってきた。
「サディア。エリオットが来たけれど、会わなかったんだって?」
「……お母様が、お父様に告げ口したの?」
わたしはお父様を睨んだ。
「言っておくけど、わたしはエリオット様が大嫌いよ。会いたくなんてない」
「エリオットは何をしたんだい?」
言ったところでどうせ理解はしてくれないんだろう、お母様も、お父様も。
でも、もうどうでもいい。
黙っていたって、叫んだって、苦しいのは変わらない。
八つ当たりでもなんでも、お父様にだってぶちまけてやる。
「わたし、好きな人が出来たの、初恋の人よ」
「エリオットだろう?」
わたしはお父様を睨んだ。
「馬鹿を言わないで。わたしはエリオット様を好いたことなんて、ほんの一瞬もないわ。親同士に結婚をほのめかされて、本気で嫌だった。出会った時から大嫌い」
「え?」
「『え?』て何よ、『え?』て。当たり前でしょう? わたしだって女の子なのに、外見を褒められたことなんてないわ。かわいいのはエリオット様、わたしはかわいくなんてない。エリオット様を見るたびにイライラした。顔さえかわいければ何もしなくても褒められるのね。わたしなんて、努力して、苦労して、それでやっと褒められるのにって」
「サディア……」
「もちろん、そんなの八つ当たりよ。わたしはかわいくなんてないんだから、外見なんてほめられるわけない。知ってるわよ。どうせみんな天使みたいなかわいい顔が好きなんでしょ? そんなエリオット様と比べられるわたしがどれだけ惨めな気持ちになるのかなんて、考えもしない」
笑う。ううん、嗤った。
だって、お父様がすごくショックを受けた顔をしている。
馬鹿みたい。
やっぱり、お父様たちはわたしの気持ちなんてこれっぽっちも気が付いていなかった。
「たった一度でいい。努力もしないで、ありのままのわたしを褒めてほしい。そんなことをわたしはずっと願ってた。でも、何もしないで褒められるエリオット様と違って、わたしは努力しないと褒められないの。ホント、エリオット様、ムカつく」
お父様は無言。
ええ、わたしだって八つ当たりだってわかってるわよ。
褒められるようなかわいい外見なんてしていないんだもの。
どうしたって、側にかわいい人がいれば、そちらを褒めるのはあたりまえで。
「八つ当たりだって分かっているから、わたしはエリオット様と離れようとした。エリオット様がいなければ、わたしと比べられることもなく、わたしはわたしでいられる。エリオット様と無関係になることだけが望みだった。なのに……」
いったん声を止めて、詰めていた息を吐く。
「嫌なのに、断っても、迷惑だと言っても、エリオット様はわたしを幼馴染だ、母親が嫁にするならわたしみたいな令嬢がいいと言ったんだと学院で触れ回って……。おかげで、エリオット様狙いの令嬢に、囲まれたりしたわ。何度嫌だ、迷惑だとエリオット様に言っても照れているだけとか何とか云われて、無関係な令息たちにも勝手な噂をされて……」
話すごとに、あれもこれもと思い出されてムカムカしてくる。
「知らなかった……」
「話してもどうせ曲解したでしょう? 照れているだけだとか何とか言って。エリオット様なんて好きになるはずないわよ。迷惑だわ。あの人のせいで、わたし、学院では一人の友人もできなかったわ。ランチもずっと一人きりよ」
もう話したくなくて、むっすりと黙った。
「だったら……サディア。お前の初恋の相手というのは……」
話したくはないけれど、ここまで話して黙っていたって仕方がない。
溜息を盛大に吐いてから、わたしは言った。
「無責任な噂をするなと、令息たちを咎めてくださった方がいたの。初めてだったわ、わたしを悪く言わない人……」
「その男の名前は?」
「言わない。お父様に言ってもどうしようもないわ。ねえ、そんなことより、わたし、もう学院にはいかない。退学して、どこかで働くわ。、もう二度と、エリオット様にも他の生徒たちにも会いたくない」
「……悪口を言われた程度で学院を辞めるのか?」
ほら、やっぱり。
話したって、どうしようもない。
わたしは冷笑した。
「ほらね。やっぱりお父様もお母様もわたしのことなんて、なーんにも考えてはくれないんだわ。わたしの気持ち……つらさも何もかも、どうでもいいのね」
「そんなことはない。だが、悪口程度で……」
「悪口程度?」
あはははは。わたしは笑った。
「ねえ、お父様。わたし、初恋の相手に刺繍をしたハンカチを渡そうとしたの。心を込めて、花と初恋の人のイニシャルを一生懸命刺繍して……」
燃やしたハンカチ。
だけど、話せばやっぱり悔し涙があふれてくる。
「わたしの気持ちが迷惑なのはわかっていたわ。だけど、せめてお礼にって。なのにそのハンカチをエリオット様が奪ったの。そして、わたしに言ったわ」
「何を、だ?」
お父様を睨みつけながら、エリオット様の口調をまねて、わたしは告げた。
「『あれぇ? でもイニシャル、まちがってるよ? ボクのイニシャルは『E』だよ? うっかり間違えちゃった?』よ。ふざけないでほしいわね」
涙があふれて、わたしの頬をひとすじ流れて落ちた。
「エリオット様宛てじゃない、イニシャルは間違ってない。わたしがハンカチを渡したいのはきちんと『R』にイニシャルの人で、エリオット様じゃない。わたしが好きな人は『R』の名前の人なのよ。誤解されるのは迷惑だ……って、怒鳴ったわ、わたし。なのに、エリオット様のほうが泣きそうな顔になったのよ」
ああ、馬鹿々々しい。
「サディア……」
「お父様にも告げてあげる。わたしは照れてもいないし、恥ずかしがってもいない。ずーっとそう言っていたのに、どうしてわたしの言葉を曲解するのかしらね? エリオット様のことは迷惑だと告げても、恥ずかしがっているとか何とか云われて、大勢のご令嬢に嘲られて、ご令息たちにも勝手な噂をされるの。そんなことが重なるたびに、心の底からエリオット様が大嫌いになっていったわ。元々大嫌いだったけど、わたしの初恋を踏みにじってくれたエリオット様のことは、今では憎むほどに嫌いよ」
お父様は「そんな……」とか「きっと悪気はなかったんだ……」とか「エリオットは本当にサディアのが照れていると思って……」とか繰り返し言ってきた。
……ああ、やっぱりね。
ここまであからさまにわたしの気持ちを伝えても、お父様はわたしではなくエリオット様を擁護する。
すごいわねえ、エリオット様。さすが天使のようにかわいらしい外見。
誰もがみんな、エリオット様の味方をする。
フッと息を吐く。もう、お父様には期待しない。
「出て行って、お父様」
ううん、わたしが出て行くわ。その言葉は、胸の中でのみ込んだ。
だって、もう、これ以上、何をどう伝えたとしても、わたしの気持ちは理解してくれないでしょう? どうせ、エリオット様を擁護するんでしょう?
ええ、悪いのはわたし。
天使のようなエリオット様を誤解させるわたしが悪いのよ。
あーあ。馬鹿々々しい。
心の中が、ざらついてどうしようもない。
エリオット様に怒鳴った時みたいに、お父様にも暴言を吐いてしまいそう。
だから、繰り返した。
「出て行って、お父様。これ以上お話することはありません」
お父様に背を向けた。
お父様はうだうだと、まだ何かをわたしに言ってきたけど……、聞く気なんてない。
わざとらしく耳を塞ぐ。
そうしたら、ようやく諦めて、お父様がわたしの部屋から出て行った。
パタン。
ドアの閉まる音。
わたしの心のドアも閉まった。
もう、開かない。
「あはははははは……。あー、馬鹿らしい。天使様はいいわよね、無条件で誰もが味方になってくれて!」
ああ……、暴言を吐く自分が嫌だ。
真っ黒に染まっていく自分の心が気持ち悪い。
「出て行こう」
自然に、わたしの口から出た言葉。そうよ、もう、こんなところに居るのも馬鹿らしい。出て行くんだ。
ざっと、部屋の中を見渡す。
そして、まずクローゼットを開けた。
「……こういう時、自分の顔が地味でよかったと思うわ」
貴族の令嬢としてはとても地味な濃紺のワンピース。それから、茶色の上着。編み上げの靴は焦げ茶色。
「ちょっと裕福な商人の娘程度には見えるかもね。
茶色の上着と何枚かのハンカチを取り出して、書き物机の上に放り投げた。
「アクセサリー……、指輪とか、小さいものがいいわね……。あ、イヤリングもあるわね」
ハンカチの上に乗せて、四角に畳む。上着の裏に一つずつ縫い付けていく。いざというときに、これを売ればお金になる。
「あ、お金もあったっけ……」
引き出しを探る。誕生日か何かの時にプレゼントしてもらった記念コイン。銀貨相当になるって聞いた覚えがある。
「コインが……十枚ね。旅費くらいにはなるかしら」
アクセサリーも、コインも。
わたしがどこかで働けるようになるまでの資金となればいい。
どこでどう働けるのかなんて、分からないけど。
「とりあえず、他国にでも船に乗って渡って……。そこでどこかに雇ってもらえればいいわ」
甘い見通しということは分かっている。
どこかで誰かに騙されて、売られたりするかもしれない。
「でも……、こんなところで生きていくよりはマシよ……」
わたしは出て行く。
エリオット様もお父様もお母様もいない場所へ。