作品タイトル不明
第7話 サディア⑦
そうして、朝を待って。
わたしは身軽に、ワンピースと上着を着て、編み上げ靴を履いて。
手ぶらで家を出た。
トランクとか大荷物とかを持って家を出れば、家出だと思われるかもしれないから。
身軽に。
荷物は持たずに。
気が付かれないように、換金できるものは上着に全部縫い付けた。
それを売って旅費にして、わたしは家を出よう。
お父様もお母様もわたしの気持ちなんて理解してくれない……なんて、いつまでも泣いていても無駄。
だったら。
「家を出て、自分の力で働くの……」
令嬢が、家出をしないのは、お金がないから。
仮にあったとしても、どうせ騙されて、身ぐるみはがされて、娼館にでも売られる。
そう言われるから。
だから、嫌でもなんでも耐えて、その場で、心を殺して生きていく。
でも……、わたしは思う。
エリオット様みたいな、お父様やお母様みたいなわたしの気持ちを全く考えてくれない人達に囲まれて生きていれば、いつかまた、今回と同じようなことが起こる。
だったら、野垂れ死にしてもいい。
たとえ、売られて、最低な場所で生きていかなくてはならなくても。
これ以上、わたしの心を殺されたくない。
どんな結果になろうとも、わたしは出て行って、自分の力で生きていく。
「さようなら、お父様、お母様」
小さく呟いて、そして、わたしは自分の部屋を出た。
「サディアお嬢様!」
しばらくぶりに部屋を出たわたしを見て、使用人が明るい顔でわたしを呼んだ。
「お元気になられましたか?」
「ううん。全然ダメ。だけど、部屋で鬱屈していても仕方がないわよね。カフェにでも行ってお茶でも飲んでくる」
「かしこまりました。馬車の用意をさせますか?」
「ええ、お願い。王都の……そうね、大通りのカフェは人が多くてうるさいだろうから、川沿い……いえ、海沿いのほうがいいわね。静かなカフェに案内してくれる? あ、カフェの代金は……」
わざとらしく言いよどめば、気のいい使用人はにかっと笑った。
「部屋に籠りきりだったお嬢様が外出して気分転換したいと言えば、お小遣いくらい大丈夫ですよ」
お父様と顔を見合わせたくない。
でも、わたしが学用品や本を買うために使う程度のお小遣いなら、家令に言えば大丈夫。馬車の手配もそうだ。
ちょっと出かけるというフリで、わたしはタウンハウスを出る。馬車は、わたしが言った通り、海沿いのカフェまで走ってくれた。
「ありがとう。まず本でも買って、海辺を散策して、それからこのカフェでお茶でも飲んでゆっくりするわ……」
嘘の予定。
「だから、そうね。夕方になる前に迎えに来てくれるかしら?」
馬車の御者は、笑顔で「分かりました、お嬢様。お楽しみくださいね」と手を振って、去って行った。
ゴメンね、嘘をついて。サヨウナラ、ありがとう。
さて……、馬車と御者が去って行ったとしても、一応わたしも伯爵家の令嬢。一人で街歩きなどはさせてはくれない。当然、侍女がついてくる。わたしは彼女から、どうにかして逃げないといけない。
……できれば、この侍女があんまり咎められない方法で。
無理かな? 街歩き中に、侍女である彼女がわたしを見失ったとか言ったら。
お父様や家令に叱られて、侍女という職をなくすかもしれない。
いっそ、どこまでも連れていく?
まさかね。
それは無理。
考えながら、歩く。
とりあえず、書店へ。
何かいい方法はないかと考えながら書店内をうろうろする。
どれだけうろうろしても、侍女はしっかりわたしの後ろをついて歩くし、この書店の出入り口は一つだ。
走って逃げても、追いかけてくるだろう。
そして、すぐにバレてしまう。
でも、走って逃げるしかないかな。
考えなしだったのかもしれない。
ううん、衝動的に、家出を決めたんだから、考えなしで当然。
……いっそ、この書店で分厚い本を買って、それを武器代わりにして、侍女の頭でも叩いて、失神させるとか。
いや、駄目。それは駄目。頭なんか殴って、それで大怪我させることになるかもしれない。それは人として駄目だろう。
でも、だったら、どうしよう。
あんまり書店でうろうろしてても駄目だろう。
テキトウに目についた本を買う。
隣国であるウェイレット王国語で書かれた会話集。
それを抱えるようにして持ちながら、海岸通りのほうへと向かう。
護岸に、たくさんの船停泊している。大型のものから小型のものまで。
……いっそ、あの小型の船に飛び乗る? 船をお借りして……って、駄目よね。持ち主の承諾なしに勝手に船を出したら、それは窃盗。そもそもわたしは船なんて動かし方も知らないし……。
ああ、困った。
護岸の道沿いに置かれたベンチに座って、ため息を吐く。
あ、そうだ。
「ねえ、ちょっと喉が渇いたわ。わたし、このベンチで座っているから、あっちの屋台で何か飲み物を買ってきてくれる?」
侍女が飲み物を買う隙に、わたしは逃げる。侍女だって、手に飲み物を持っていたら、咄嗟にわたしを追いかけることもできないでしょう。
いい考えと思ったのに。
「お嬢様。お疲れでしたらカフェに行きましょう。そちらでしっかり休まれたほうが……」
「……そ、そうね」
失敗。駄目か……。
じゃあ、他の手を……と思った時に、わたしが座っているベンチの前で誰かが足を止めた。
「あの……、あなた……、もしかして……」
軽やかな澄んだ声……と思って顔を上げたら。
「ああ、やっぱりあなたね。こんなところでどうしたの?」
「え?」
誰だろう? こんな声の持ち主は、わたしの知り合いにいたかしら?
失礼ながら、じっと相手を見る。
淡い水色の長い髪……。どこかで見覚えがあるような気がする……。
「あたくしのことは記憶にないかもしれないわ。あのね、貴族学院の秋のお祭りのときに、あたくし、ロバートにエスコートしてもらって……」
「あっ!」
思わず立ち上がった。
ロバート様がエスコートしていた可憐な令嬢。元々エリオット様にイラついていたのもあるけれど、この人を見て、わたし、歯止めが利かなくなったんだ……。
「ふふ、思い出してくれた?」
「えぇ……。先日は失礼いたしました。ひどい様子をお見せしてしまって……」
ああ……。恥ずかしい。それにあの時の嫌なことが思い浮かんでしまう。
なのに、このご令嬢は、柔らかく微笑んでいる。
「あのね、そのことで、あたくし、ちょっとあなたと話したいと思っていたの。よかったらちょっとお時間下さる?」
「えっと、構いませんが……」
ちょっと悩む。
「……では、どこかの店にでも入りますか?」
「ううん、悪いけど我が家に来て下さる?」
あ……思いついた。
侍女をこの場に置いて、わたしだけ行けば。
侍女を……、巻ける。ありがたい!
わたしは侍女を振り返る。
「あのね、悪いけど、さっきのカフェに馬車が来るから、それに乗って帰ってくれる? わたし、こちらのご令嬢とお話があると家令にでも伝えて」
「え、ええ! ですがお嬢様! こちらの方は……」
「貴族学院の秋祭りの日に、わたしが失礼をしてしまった方よ。謝りに行きたいの」
侍女の身分では、この可憐なご令嬢が「どこの誰か」なんてことを問い詰めることはできない。
ご令嬢は、にっこりとわたしに笑いかけてくれた。
「そこに馬車を止めてあるから、乗ってちょうだい」
そこと視線を流されたほうを見てみれば……、六頭立ての立派な馬車。ドアには家紋。この紋は……。
「侯爵家……」
「ええ、よく知っているわね」
ご令嬢は感心してくれたけど、侍女は焦り顔。
我が家は伯爵家。侯爵家のご令嬢に指図はできない。
わたしは、ワンピースのスカートを軽く持ち、頭を下げる。
「重ね重ね、失礼をいたしますがお許しを」
侯爵家をお訪ねするような服装ではない。
「構わないわ、失礼なのは、いきなり声をかけたあたくしにもあるもの。さ、馬車に乗ってちょうだい」
「はい。ありがとうございます」
まだ、何か言いたそうな侍女をその場に残して、わたしは侯爵家のご令嬢と一緒に馬車に乗せていただいたのだった。