作品タイトル不明
5. 婚約の通達
「こ、婚約……? フェルナー伯爵家、ですか……?」
まさか我が家に、伯爵家からのお声がかかるとは。父は得意げな笑みを浮かべながら、ソファーにふんぞり返る。
「そうだ。すぐ東側の領主だ。我がローゼン男爵領産の薬を、安定的に供給したいらしい。……ふん、数年前にこちらから婚約の打診をした時はにべもなく断ってきたくせに、今さら惜しくなったとみえる。今やかなり評判がいいからな、うちの薬は」
父はまるで自分が作りだしたかのような口ぶりでそう言うと、満足げに笑い、ゆっくりと紅茶を口に運ぶ。
黙って次の言葉を待っていると、父はふいに眉間に皺を寄せ、私を睨んできた。
「どうやら薬の生産にお前が関わっているらしいとの噂があり、それが先方の耳に入ったようだ。平民学校で技術を学び、現場をまとめ上げ、新薬の開発をしている娘がいると。商才があるだの聡明だの、なんだか知らんが妙に過大評価されとるようだ。お前、新薬のことを自分の手柄だとか言いふらしているんじゃないだろうな?」
「……いえ、まさか。私はこの六年間、ただ勉強をしたり、薬草の研究を続けたりしていただけですわ」
「ふん。本当だろうな? いつの間にかお前が平民学校に通っていたことまで、近隣の領主に広まってしまっているじゃないか。全く……外聞の悪い」
面白くなさそうな父の態度に、こちらの方が不愉快になる。
「真実なのですから、構わないのではありませんか? 私はたしかに平民学校に通い、卒業しました。学校の先生たちにも、私が領主の娘であることはすぐに気付かれましたし、人の口に上るのも時間の問題だったかと」
「黙れ!! 何を偉そうに……! 地味な長女のくせに、ちょっと成果を出したくらいで調子に乗るな!」
「……」
「分かったか!? 家長に口答えするなど、もってのほかだ! 謝罪をしろ!」
「……申し訳ございません」
少しでも私が反論することは、許されないらしい。この人は家長としても領主としてもろくな仕事をしていないのに、威張ることだけは一人前だ。
成長するにしたがい、私は父の理不尽さを理解し、心の内でひそかに軽蔑するようになっていた。
そんな私の心境になど思い至らない父は、大仰なため息をつく。
「最近、ヘレーネとマチルダが神経質になっている。今度顔を合わせても、自分の評判がどうとか、そんなくだらん自慢話は絶対にするなよ。幸いというべきか、お前の妙な評判は、まだ王都までは響いておらんからな」
(……お母様とマチルダが……?)
気になった私は、父の様子を窺いながらも尋ねてみる。
「何か問題でもあったのですか?」
「……そういうわけではない」
「……マチルダの縁談は、どうなのですか? そろそろいいお相手は見つかっ……」
「うるさい! そんなことはお前が口を出すべきことではない! いちいちしゃしゃり出ようとするな! 可愛げのない」
(……なるほど。この様子だと、いいお相手が見つかっていないのね……)
二人の機嫌が悪いのは、それが原因なのだろう。相変わらず、王立学園で分不相応なお相手を狙い続けているのだろうか。
マチルダの可愛らしい顔立ちは、たしかに群を抜いている。成長するにしたがい、そのあどけない顔立ちとはアンバランスなほど、体の凹凸がくっきりと目立ってきて、妖艶さまで感じさせるようになっていた。けれど、それだけで高位貴族家の令息となど婚約できるわけがない。どこの領主様が、見目が整っているだけの貧乏男爵家の次女を、嫡男の伴侶に迎えたがるというのか。
そんなことを内心憂いていると、父が大きく咳払いをした。
「マチルダのことはいい。とにかく、お前は近日中にフェルナー伯爵家に通うことになる。あちらの領地運営や家政について学ぶためだ。嫡男のニルス殿は、お前の一つ年上。軍人として、東の国境沿いの防衛拠点に留まっておられるそうだ。フェルナー伯爵夫妻の望みは、我がローゼン男爵領の特産品である新薬の、継続的な供給。そして嫡男ニルス殿の子を産む、従順な妻だそうだ」
父は一度言葉を区切ると、私の反応を確かめるようにこちらを睨めつける。
私は「はい」と一言返事をし、逆らう意志がないことを示した。
満足したらしい父は、さらに言葉を続ける。
「お前の評判を聞き、期待されているのは間違いない。勤勉で賢く、領地経営の役に立つともお考えだろう。お前にとっても我が家にとっても、このうえない良縁だ。間違っても離縁などされぬよう、伯爵家とニルス殿にしっかりと尽くせ」
「……承知いたしました」
これが貴族の結婚。私の意思など、微塵も関係ない。家長がここへ嫁げと言えば、娘は黙ってそれに従う以外の道はないのだ。
相手がどんな男性なのかは分からないし、不安でたまらないけれど、これから先の私の人生は決まった。
(……まだ領地で試してみたいことがたくさんあったのにな……。でも仕方ない。とにかく、私が作り上げた新薬作りの作業工程だけは、皆にしっかり引き継いでおかなくちゃね)
後日、私はいつもの作業小屋に行き、婚約のことをフリッツ一家に報告をした。
「これからはフェルナー伯爵邸に通うから、不在の時も増えるけれど、まだ結婚するまでは時間があるわ。それまでに、懸念点が見つかればたくさん話し合いましょう。……私の考案した工程を再現できるのは、あなたたちの技術だけよ。ローゼン男爵領をよろしくね」
そう伝えると、彼らは神妙に頷いた。フリッツおじさんが真っ先に口を開く。
「心細くはございますが……、リエラお嬢様のお教えくださった知識を、今後皆に受け継いでいけるよう頑張ります」
「ご婚約おめでとうございます、お嬢様。こちらにいらっしゃるうちに、まだいろいろとお教えください。若手たちにも技術を引き継いでいかねばね」
ベラおばさんも太陽のような笑顔で、そう言ってくれる。
「ありがとう。ええ、これからの課題はそこよね。先方の領地は近いし、結婚後も可能であれば、こちらに顔を出したいわ」
新薬作りの綿密な作業工程をしっかりと把握しているのは、今のところ私とこのフリッツ一家だけ。
先のことを考えると、同じように精密な作業ができる人員を、もっと増やしていかなくてはならない。
自分が去った後の実家のことを考え、私は今まで以上に領地の仕事に力を入れた。