軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

義理の息子

子供になって数日、ここでの暮らしはすごく快適だ。

公爵夫人として嫁いできた時は事務的で、全く姿を見せなかった使用人達も、記憶のない子供のわたしには優しい。

それに少し引っかかりを覚えながらも、美味しい食事にお昼寝、庭の散歩などをして過ごしている。

ちなみに公爵とは子供になってしまった日以降、顔を合わせていない。

……まあ、妻が小さくなっても困るわよね。

魔術師達が調査を進めているようだけれど、わたしはしばらくこのままでもいいくらいだ。

ふんふんふーん、と鼻歌を響かせながら公爵邸の中を歩く。

公爵邸は広く、どこも豪奢で、美しい。美術品の中で暮らしているような気分だった。

「お嬢様、ご機嫌ですね」

侍女に声をかけられて笑顔で頷いた。

「うん! こうしゃくてー、たのしいよ!」

幼いわたしを『奥様』と呼ぶのはおかしいということもあって、呼び方が『お嬢様』に変わった。

調度品や壁に飾ってある絵画を眺めたり、美しく整えられた庭園で駆け回ったり、公爵邸は色々と見るところがあるので案外、暇にはならない。

今日は初めて通る廊下に掛けてある絵画を眺めて歩いていた。

見たことのない景色が沢山あって、これがなかなかに楽しい。

「このえはどこ?」

と、侍女に訊けば、後ろから別の声がした。

「それはアルネア山の麓にあるシャルレ湖だよ」

まだ幼いけれど静かで、落ち着いた声に振り向けば、そこには黒髪に赤目の男の子が立っていた。

多分、公爵の息子のユリウス・アルヴィスだろう。

そして、原作小説では エリシア(わたし) を殺す義理の息子──……。

「しゃるれこ? おっきいみずたまりみたい!」

「間違ってはないかもね」

ユリウスがゆっくりと近づいてくる。

原作通りなら今は十歳くらいだろうか。子供にしては無表情だ。

だが、背も高くて顔立ちも父公爵そっくりで整っている。

将来成長すれば、まんま公爵と同じ顔立ちに育つだろう。

「あのね、わたし、えりしあっていうの! おにいちゃんのおなまえは?」

「僕はユリウス・アルヴィス。……本当に子供になってるんだね」

ジッとユリウスに見つめられ、首を傾げて見上げる。

わたしは笑顔でユリウスの手に触れた。

「おにいちゃん、あそぼ?」

ユリウスは驚いた顔をしたものの、すぐに目元を和らげた。

「いいよ。……あと、ユリウスでいいから」

「ゆりうす?」

「そう」

ユリウスがこちらに手を伸ばしてくる。

そうして、わたしをひょいと抱き上げた。

確かめるようにわたしを抱え、触れ、何か納得した様子で抱き直される。

「遊ぶならどこがいい?」

「おにわ!」

「分かった」

そして、ユリウスが歩き出す。

「君は警戒心がないね」

「けいかいしんってなぁに?」

「知らない人を怖がらないね」

……まあ、わたしは公爵のこともユリウスのことも知ってるからね。

ニコリと笑ってユリウスを見上げる。

「ゆりうす、なまえしってるから、しらないひとじゃないよ!」

「そう」

これ以上は言っても無駄だと思ったのか、ユリウスは前を向く。

公爵邸の中を抜けて、中庭に出る。

ユリウスがわたしを地面に下ろした。

「何をして遊ぶの?」

「えっとね、おいかけっこ! わたしがおいかけるから、ゆりうすはにげてね」

「うん」

原作小説『愛の行方』では他人に冷たい公爵令息というキャラクターであったけれど、こうしている限り、ユリウスは冷たいという印象はなかった。

無表情だけど普通に話してくれるし、物静かなだけな気がするが……。

……お、追いつけない……!!

ユリウスはゆっくり走って──というか歩いて──いるのに、わたしの歩幅では全然追いつけない。

それにやっと追いついても『捕まえられる!』と思った瞬間にひらりと避けられる。

しばらくそうやって中庭を走り回ったけれど、一度も捕まえられなかった。

噴水の縁に座って休憩し始めるとユリウスが戻ってきた。

はぁ、ふぅ、と荒い息のわたしを覗き込んでくる。

「体力ないね」

それから、ユリウスは横に座った。

会話はないけれど、心地の良い風が吹いて気持ちいい。

目を閉じて風を感じていると声をかけられた。

「……頭、撫でてもいい?」

「うん、いいよ」

ユリウスの手が控えめに、そっとわたしの頭に触れる。

頭の形を確かめるように慎重な手つきで撫でられる。

「小さいね」

「わたしもおおきくなるもん」

「それはどうかな」

よしよしと頭を撫でられるのは悪くない。

……エリシアはこんなふうに頭を撫でてもらえなかった。

幼い頃は母親が撫でてくれたのかもしれないが、エリシアの記憶にはない。

手を伸ばしてユリウスに抱き着く。

「えへへ」

本当にこのまま、夫人じゃなくて公爵家の子供になれたら良かったのに。

* * * * *

継母となるエリシア・ヴァンデールが黒魔術で子供になってしまったらしい。

それを聞き、ユリウスは実際に会って確かめに行った。

そこにいたのは自分よりもずっと小さな女の子だった。

やや癖のある鮮やかな赤い髪に、緑の瞳をした可愛らしい子。

初めて会ったユリウスに警戒心を抱くどころか『遊ぼう』と誘ってくる無防備さ。

抱きかかえるとあまりに軽くて、小さくて、柔らかくて驚いた。

……子供ってこんなに小さいんだ。

社交界で毒婦などと呼ばれている人とは思えないくらい純粋で、明るく屈託なく笑い、ユリウスを追いかけてくる。小さな手がユリウスの服を掴もうと何度も伸びてきたのを避けた。

中庭を動き回っている最中、視線を感じて顔を上げれば父が上階の窓からこちらを見ていた。

すぐにユリウスの視線に気付くと去ってしまったが、父は興味のないことに意識を向けるような人ではないので、この子供のことを気にはしているようだ。

横にいる子供は噴水に手を入れて、水の感触を楽しんで遊んでいる。

他の子供は知らないが、大人がこんなことをして遊ぶわけもない。

本当に中身も子供になってしまっているのだろう。

「ゆりうす、だっこ〜」

子供が両腕をこちらに伸ばしてくる。

柔らかな緑色の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。

今まで、こんなふうにまっすぐに視線を合わせてくれるのは父だけだった。

アルヴィス公爵家は代々攻撃系の黒魔術に特化しており、そのせいか魔力が高く、魔術を使える者や魔力がある者からすれば、父もユリウスも威圧感を覚えるそうだ。

大抵の者は怯えるか、緊張するか──……誰も目を合わせようとしない。

それなのに、この子供はユリウスと目を合わせる。

笑って、手を伸ばして触れようとしてくる。

……この感覚を、僕は知らない……。

ふわふわとしたような、落ち着かないような、不思議な気持ち。

小さな体を抱き上げ、膝の上に乗せた。

「……君はいつまでこのままなの?」

そう問えば、子供が首を傾げる。

「いつまで?」

訊いたところで無意味だと分かっていた。

「なんでもないよ。……そろそろ中に戻ろう」

「ええ〜」

「僕の部屋で一緒にお茶を飲もう」

子供が目を瞬かせた。

「美味しいお菓子がいっぱいあるよ」

「おかし! たべたーい!」

「じゃあ、中に入ろうか」

子供を抱え直して立ち上がる。

嫌がることもなく、素直に腕の中にいる子供に少しだけ胸がざわついた。

この子供の黒魔術が解けたら、本来の姿と年齢に戻ってしまうのだろうか。

そうしたらもう、こういうふうに過ごすことはできない。

……継母なんてどうでもいいけど。

この子供には少し興味があった。

* * * * *

「おーぃしー!」

ユリウスと遊んだ後、部屋に招かれて一緒にお茶を飲んでいる。

ティータイム用の三段のケーキスタンドには、軽食やケーキが綺麗に並んでおり、ユリウスは相変わらず無表情だけど、わたしが好き勝手に食べても怒らない。

一口大だけど子供には大きいケーキを頬張るわたしを、紅茶を飲みながら眺めていた。

「リスみたいだね」

膨らんだわたしの頬をユリウスが軽くつつく。

口の中のものを飲み込んで訊き返す。

「りすさん?」

「そう、木の実を口いっぱいに入れて運ぶ習性があるんだよ。巣や他の場所に隠すけれど、隠し場所を忘れることも多い。……君の場合は、そのまま食べちゃうだろうけど」

ふ、とユリウスが微かに笑う。

ユリウスが笑うから、わたしも笑った。

「だって、おいしーんだもん」

公爵家の食事も、お菓子も、どれも文句のつけようがないほど美味しい。

これを毎日食べられるなんて、それだけで幸せである。

「ゆりうすは、たべないの?」

「僕はそんなに甘いものは食べないよ」

「じゃあ、なにがすき?」

わたしの質問にユリウスが小首を傾げた。

「……肉?」

「おにく?」

「そうだね、肉は好きだよ」

「おにくたくさんたべるから、ゆりうすはおおきいの?」

ユリウスがキョトンとした顔をして、それから小さく笑った。

「そうかもね」

今はまだ子供だから可愛いけれど、あと数年もすればより成長して大人っぽくなるだろう。

メインヒーローの対抗馬になるくらいなので、ユリウスは見目が良い。

……公爵様そっくりに育つしなあ。

ちなみに公爵も美形なのですごくモテるのだが、黒魔術のせいか人々から怖がられている。

だからこそ、普通に話しかけてくれた主人公のリリエットに恋心を抱くのだけれど。

「でも、肉を沢山食べても君は多分、大きくはならないよ」

「ええ〜っ」

「それに君は肉より甘いもののほうが似合いそう。僕の分も食べていいよ」

ユリウスが軽く手を上げれば、メイドがわたしのお皿にユリウスの分のケーキを取り分ける。

食べてなくなった分が戻ってきた気分でちょっと嬉しい。

「ありがとう、ゆりうす! おねえさんもありがとう!」

わたしが笑顔を見せれば、メイドが一礼して下がる。

そうして、ケーキを食べる。

わたしの口の中にケーキが入ったところで、ユリウスが言った。

「これで一つ 貸し(・・) だね」

「 かし(ふぁひ) ?」

口の中のケーキを噛んで、飲み込む。

「かしって、なぁに?」

「今、君は僕からケーキをもらって食べた。僕から 借りた(・・・) 状態だね」

「けーき、たべちゃったから、かえせないよ?」

「ケーキ以外で返してくれればいいよ」

自分からあげると言っておいて、もらったら『貸し』とはちゃっかりしている。

……そういえば原作でもユリウスはやや細かい性格だった。

公爵もそうなのだろうか、と思いつつもう一口ケーキを食べる。

それを飲み込んで、ユリウスに顔を向ける。

「じゃあ、ゆりうすには、とくべつに『なんでもおねがいをきくけん』をあげるね」

ユリウスが目を瞬かせた。

「『なんでもお願いを聞くけん?』」

「うん、けーきたべたら、つくる。ゆりうすのおねがい、ひとつだけ、なんでもきくの」

……まあ、こんな小さな子供が叶えられる願いなんて大したものではない。

最後のケーキを口に押し込み、急いで食べて、飲み込む。

「ちいさいかみとぺん、ほしい」

ユリウスが立ち上がるとメッセージカードとペン、インク壺を持ってきてくれる。

メイドが取り皿などを下げて、ユリウスがわたしの前にメッセージカードとペン、インク壺を置く。

それにも「ありがとう」と声をかけてから、ペンを掴む。

あえて慣れてないように拳で掴むとユリウスが「え」と呟いた。

「ペンの使い方……分かる?」

「いんく、つける?」

「そうだけど……って、ああ、それだとつけすぎだよ」

ペンをインク壺に入れるとユリウスがわたしの手に、自分の手を重ねた。

「こうやって余分なインクは落として、ペン先は強く押し当てたらいけないよ」

試しに、というふうにメッセージカードにペンを走らせる。

そこには『エリシア・アルヴィス』と書かれていた。

「えりしあ、あるゔぃす?」

「そうだよ、君の名前」

「わたしのなまえ……」

ユリウスが書いてくれたということは、少なからずわたしを認めてくれたのか。

それとも、単に無害だから家に置いてもいいと思ったのか。

思わずメッセージカードを持って、掲げてしまう。

「ゆりうす、ありがと! これ、だいじにする!」

「どういたしまして。書き方は分かった?」

「うん、わかった!」

今度は自分でペンを持ち、インクをつけて、新しいメッセージカードに書く。

文字はヨレヨレだし、インクも掠れてしまった部分もあるけれど、ユリウスの名前とわたしの名前も書いてから渡す。

受け取ったユリウスがメッセージカードを見た。

「『なんでもお願いを聞く券』……『ずっと使える』」

「うん、ゆーこうきげんはなし!」

ユリウスがまた小さく笑った。

そして、伸びてきた手がわたしの頭に触れる。

「いつか、使わせてもらうね」

「すぐつかわないの?」

できれば今すぐ使ってくれたほうが、こちらとしては気楽なのだが。

「うん、もったいないから」

インクが乾いたメッセージカードをユリウスは机の引き出しに仕舞う。

戻ってきたユリウスにもう一度頭を撫でられる。

「父上に自慢しようかな」

……公爵様は別に欲しがったりしないと思うけど。