軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

王都への道(1)

馬車が街から出て、しばらく経った頃。

外からコンコンと二度、馬車の壁が叩かれた。

「もうカーテン開けてもいいぞ」

ウィルジールさんがそう言ったので、そっとカーテンの裾を持ち上げて外を見る。

横向きに流れる車窓には多くの木々が広がっていた。

……こうやって森に入ったのは初めてだ。

前世では殆ど病院にいたし、今生でもずっと地下にいて、グランツェールの街から出たこともない。

こんなに沢山の木々が生えている様を直に見る機会なんてなかったのだ。

「……き、いっぱいある」

青々とした木々がずっと横を流れていく。

「森ですね。木が沢山集まって生えているところですよ。そのうち山も通りますから、景色の良い場所があるかもしれませんね」

セレストさんがカーテンを横に動かした。

窓一面に森が広がって、わたしはそれを眺めた。

「やま、たかい?」

「ええ、高いですよ。今は正面にあるので見え難いですが、いくつか山越えをするので、外に出る時は忘れずに上着を着てくださいね」

「うん」

どうやらこの世界でも標高が上がれば気温は下がるらしい。

セレストさんが最初にくれたポンチョは今も着ていて、これは本当に優れてる。

冬は暖かく、夏はほどよく涼しい。

セリーヌさんが言うにはこれはスノースパイダーという魔物の糸で織った服なのだとか。

最初は蜘蛛の糸と聞いて驚いたけれど、快適さを知っているので手放せなかった。

セリーヌさんも上着はこれがあれば充分だと言っていて、それくらい、機能性のある服らしい。

「ああ、そっか、森は初めてか」

ウィルジールさんが納得した風に言った。

「うん、き、たくさんある。すごい」

「休憩時間になったら木に触ってみますか?」

セレストさんの問いかけに頷いた。

「さわる」

初めてだらけの旅の始まりだ。

* * * * *

馬車は停まることなく走り続けた。

そうして、最初の休憩地点に到着した。

休憩地点は川のそばで、少し森が拓けており、周囲の様子を確認出来そうな場所だった。

馬車が停まるとすぐに周りを走っていた騎士達が慌ただしく動き出し、周囲の安全の確保と警備を固める。

それをわたしは馬車の中から眺めていた。

……みんなキビキビ動くなあ。

きっと、慣れているのだろう。

しばらくして馬車に騎士が近付いて来て、周囲の安全の確認が出来たことをウィルジールさんに伝えた。

セレストさんとわたしが先に降りて、最後にウィルジールさんが降りると、両手を伸ばして背筋を伸ばした。

「やっぱ馬車は退屈だな。俺も馬が良かった」

ウィルジールさんの言葉にセレストさんが苦笑する。

「そうもいかないでしょう、一応王子なのですから」

「まあな」

それからウィルジールさんは別の場所に行き、わたしとセレストさんは馬に向かった。

馬は人を乗せていなかったからか元気そうだ。

何度か馬の顔を撫でてやると嬉しそうにしていた。

騎士達も周囲へ気を配りながらも、それぞれ思い思いに休んでいるようだ。

「あまり離れなければ好きにしていいですよ」

と、セレストさんが言うので、わたしは近くの木に近付いた。

見上げるほどに大きい木は太くて、枝葉が広がり、時折それらが風に揺れて木漏れ日が落ちてくる。

そうっと木に触れた。

硬くて、表面はざらりとしていた。

空気を肺いっぱいに吸い込む。

……これが森の匂い。

不思議な匂いだ。

雨が降った後のような、でも、それよりもずっと濃い緑と、多分土だろう少し湿った匂いがする。

木の間から落ちる木漏れ日が心地良い。

少し離れた場所からサラサラと水の流れる音がして、なんだか、とても心が落ち着く。

太い木の根に腰を下ろす。

ふわっと風が流れていく。

最初に比べて僅かに伸びた髪が風に揺れる。

……自然が癒しっていうのも分かる気がする。

遠くで小鳥の声や動物の動く音が聞こえる。

木々の枝葉が風に揺れて擦れ合う音。

騎士達の足音や話し声もして、穏やかな時間が流れていく。

目を閉じて音に耳を傾けていると、サクサクと足音が近付いて来るのが分かった。

目を開ければ、第三騎士団の団長ことニコル=ラヴァンディエさんがそこにいた。

「休憩か?」

訊かれて頷いた。

ニコルさんは少しだけ辺りを見回し、セレストさんがやや離れてはいるが、見える位置にいるのを確認すると顔をこちらへ戻した。

「ここには何もないし、子供には退屈だろう?」

その問いにわたしは首を振る。

「たいくつじゃないです。もり、きもちいい。いろんなおとと、においがする」

「そうか?」

「とりのこえ、はっぱのおと、つちのにおい、もりのにおい。きのあいだの、ひかり。はじめてがたくさん」

木の根がすごく硬いことも知った。

木漏れ日の心地良さを知った。

森の匂いは少し湿った不思議な匂いで、だけど、その匂いを胸いっぱいに吸い込むとまるで体の中まで森が広がっているような気分になる。

「初めて?」とニコルさんが首を傾げた。

サク、と別の足音が近付いて来る。

「あー、コイツ、半年くらい前までは奴隷だったんだ。それまでずっと地下にいて、グランツェールの外に出たのも今回が初めてなんだよ」

コップ片手に近付いて来たウィルジールさんの説明に、ニコルさんが痛ましそうな顔をする。

「それは……」

「だいじょうぶです。わたし、きにしてない、です」

「だってさ」

わたしの言葉にニコルさんが少しホッとしたような顔をする。

別に、わたしが元々奴隷であったことは事実だし、それで世間知らずだということも、本当のことなので気にしていない。

変に気を遣われるほうが落ち着かないので、そういう意味ではウィルジールさんの直球さはありがたい。

平然とした様子のウィルジールさんとわたしを見て、ニコルさんもそれを察したようだった。

「そうか。初めての旅が騎士団と共にというのは幸運なことだ。旅の安全が保障されている。この旅を楽しむといい」

ニコルさんがそう言って微笑んだ。

わたしも彼女を見て頷いた。

これだけの騎士団がいれば旅は安全だろう。

セレストさんもやって来た。

「ユイ、これをどうぞ」

立ち上がって受け取った布製の袋を開ければ、中にクッキーが入っていた。一目でセリーヌさんお手製のものだと分かる。

「セリーヌが移動の休憩時間に、と。これから先は馬に乗るので割れてしまいますから、今食べたほうがいいでしょう」

それに頷き、セレストさんに差し出した。

セレストさんはクッキーを一枚取って「ありがとうございます」と微笑んだ。

「ウィルジールさんと、ニコルさんも、たべますか?」

ニコルさんが目を瞬かせた。

その横でウィルジールさんが「お、いいね」と手を伸ばして袋からクッキーを一枚取り出した。

「殿下、毒見を──……」

ニコルさんが言い終わらないうちにウィルジールさんはクッキーを口に放り込んでしまう。

「毒なんか入ってないって。セレストは俺の親友だし、セレストの 番(つがい) もそんなことをする理由がない」

「それはそうですが……」

「お前は少し堅すぎるんだよ」

ウィルジールさんがニコルさんの肩を叩いた。

ニコルさんはウィルジールさんと同じくらいの年齢に見える。

その歳で騎士団長にまで上り詰めるのは大変なことだっただろうし、それだけの実績があるということだ。

無骨さはあるけれど、冷たくはない。

「ニコルさん、どうぞ」

クッキーを差し出すと見下ろされる。

赤みがかった金の瞳が細められた。

「ああ、ありがとう」

そうして、そっとクッキーを一枚摘む。

恐らく、生真面目な人なのだろう。

ウィルジールさんはちょっといい加減な感じの人だから、ちょっと堅苦しいくらいの人が付き添っていたほうが釣り合いが取れそうだ。

ニコルさんがクッキーを食べる。

「……美味しい」

ニコルさんの笑顔に、わたしも自然と笑みが浮かぶ。

セリーヌさんの作るお菓子はとても美味しい。

それから、大人三人であれこれと話しているのを聞きつつ、わたしはのんびりクッキーを食べて過ごしたのだった。

* * * * *

三十分ほど休憩した後、旅が再開する。

今度はわたし達も馬に乗っての移動である。

セレストさんが馬に乗り、その前にわたしも乗って、セレストさんはわたしが落ちないように両側から腕を通して手綱を握っている。

実は一人では鞍の上に乗れないので、先に乗ったセレストさんの手を借りてなんとか乗ったのだ。

降りる時にも多分、手を借りることになると思う。

ピピーッと笛の音がして隊列が動き出す。

最初はゆっくりと、それから次第に速度が上がっていき、馬が走り出す。

そこそこの速度で走っているので揺れるので、お尻がちょっと痛い。

馬に乗る練習を少しだけどして良かった。

何もせずに乗っていたら、あっという間にわたしはずり落ちていただろう。

お尻の下で、ドドッ、ドドッ、と馬が揺れる。

セレストさんが支えてくれているおかげもあって、わたしは落ちずに乗れているのだと思う。

「ユイ、大丈夫ですか?」

セレストさんに問われて頷いた。

まだ揺れに慣れていないので、口を開いたら舌を噛みそうな気がしたので返事は出来なかった。

揺すられて、セレストさんに寄りかかる。

ゆったりしたローブを着ているから分かり難いが、セレストさんは細身でもしっかりと筋肉質な体型で、寄りかかっても不安定さはない。

手綱から片手を離し、わたしの腰に腕が回される。

「怖かったら私にしっかり掴まってください」

その言葉に甘えてセレストさんに抱き着いた。

練習した時よりも速く馬は走っている。

厩舎の前の広場と違い、森の中は地面もデコボコしているのか揺れが大きい。

……跨って乗ったほうが良かったかな。

動きやすいようにズボンを履いているけれど、練習の時には横向きに乗っていたので、今回もそのようにして乗っている。

次の休憩の後は跨って乗るべきかもしれない。

しばらく揺すられて、段々と揺れに慣れてくる。

ゆっくり体の向きを正面へ向ける。

風がぶわっと顔に当たって一瞬驚いたけれど、目を開ければ、目の前には綺麗に隊列を組んで走る騎士達の姿があった。

木々が後ろへどんどん流れていく。

流れていく景色と風には爽快感がある。

「まだ怖いですか?」

セレストさんに訊かれて首を振った。

怖さよりも、その疾走感の感動のほうが強い。

馬車の中で見るよりずっと速く感じる。

「うま、はやいっ」

「そうですね」

セレストさんが小さく笑った。

騎士達が操るのが上手いのか、馬達が距離を取るのが上手なのか、速度が出ていても馬同士の距離は常に一定に保たれている。

上を見上げれば木々の隙間から空が見えた。

セレストさんがわたしを見下ろす。

ふ、と目元を和ませて、すぐに顔を正面へ戻したので、わたしも釣られて正面へ顔を戻した。

「どうしてもつらくなったら寄りかかっていいですからね」

それに頷き返した。

森と言ってもずっと続いているわけではない。

鬱蒼と生い茂っていた森の木々の隙間に見える光が増えたなと感じ、少し経つと、森が途切れた。

パッと視界が開ける。

森を抜けると、その先には平原が広がっていた。

平原の先には大きな山々があり、方向的に恐らく、あの山々を越えるのだろう。

ザァと風が横向きに吹けば、草原の草が風に合わせて揺れて、まるで波のように風の動きが見えた。

草原の中にある道を使節団は進んで行く。

建物も人影もない。

街とは違い、どこまでも広がっていそうなそれに少し怖くなった。

思わずセレストさんの服を掴んでしまう。

セレストさんの腕がギュッとわたしを抱え直した。

それにホッとする。

……街の外に出たんだ。

今更になってそれを実感した。

グランツェールの街ですら、まだまだ行ったところのない場所ばかりなのに、更にその外の世界にわたしは出ているんだ。

でも、先ほどの不安はない。

こうしてセレストさんがそばにいてくれる。

それが何よりも心強い。

しっかりと前を見据える。

グランツェールに帰った時、ディシーに沢山のお土産話をしたいし、せっかくの旅なので小さなことでも見逃したくない。

少し前にはウィルジールさんの乗った馬車が走っており、その周りは特に厳重に騎士達が警護している。

そうして今は見えないが、わたし達の後ろに使節団の馬車が走っており、丁度隊列の真ん中辺りにわたし達はいる。

こうやって騎士達の隊列に混ざって旅をする機会なんて普通はないだろう。

そう思うと貴重な経験だ。

騎士達は前を向きながらも周囲を警戒しているようで、少しだけ空気がピリッとしていて、久しぶりの緊張感が肌に伝わってくる。

「きしさま、かっこいいね」

わたしが言えばセレストさんが苦笑した。

「そうですね」

何故苦笑したのか分からなくて首を傾げて見上げたが、セレストさんは前を向いたままだ。

それから更に二時間ほど、太陽が天上に届く頃まで走り続けたのだった。

その頃にはお尻も痛いし、降ろしてもらったけれど、足がプルプル震えてしまって立っているのがやっとで、結局セレストさんに適当な切り株まで抱き上げてもらうことになった。

……痛くないけど力が入らない……。

馬から降りたのにまだ揺れている気がする。

「大丈夫ですか?」

セレストさんが心配そうに訊いてくる。

「だいじょうぶ、いたくない」

「ですが力は入らないようですね」

「……うん」

見下ろされて、足を見れば、微かに震えている。

セレストさんが眉を下げて微笑んだ。

「馬車に乗せてもらいましょうか」

それにわたしは首を振った。

お尻は痛いけど、擦り切れて痛いというほどではないし、まだ初日で二時間乗っただけだ。

今でこれだと、この先の旅の最中もずっと馬車に乗せてもらうことになってしまう。

セレストさんが困った顔をした。

「馬車は嫌いですか?」

「きらいじゃない、けど……」

「けど?」

セレストさんに訊き返されて言葉に詰まった。

すぐに音を上げるなんて良くない気がした。

何にって言われても分からないが、なんだか負けたような感じがするのだ。

黙ったわたしの前でセレストさんが膝をつく。

「ユイ」

名前を呼ばれて顔を上げればセレストさんが微笑んだ。

「二時間も乗って頑張りましたね。疲れたでしょう? 私も久しぶりに馬に乗って疲れたので、一緒に馬車に乗ってくれませんか?」

……その訊き方はずるい。

そう言われたら断れない。

頷いたわたしの頭をセレストさんの手が撫でる。

その手の温もりを感じると、先ほどまであった罪悪感と言うか、負けたような気分はどこかへ消えてしまった。

セレストさんには勝てないかもしれない。

でも、ちっとも嫌な気はしなかった。