軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三十一話:新世代のログイン、マウンティングの逆転

「ククク、あいつら本当に単純だな……。蓮、お前の言う通り『藤堂ネクスト』のバックにいるハッカーが、うちが用意したダミーの脆弱性にまんまと食いついたぞ。今、セキュリティの壁を突破したと勘違いして、画面の向こう側で狂ったように偽の株式権限コードを書き換えてやがる」

特注の大型トリプルモニターの前で、源さんがペプシをプラスチックのボトルから直接ラッパ飲みしながら、実に愉快そうにキーボードを叩いた。

画面の奥深くでは、藤堂の息がかかったクラッカーたちが、蓮の仕掛けたデジタルなアリ地獄へ向かって、自ら深々とログインしていくログがリアルタイムで刻まれている。緑色の文字列が滝のように流れ、そのすべてが蓄積されていく。

その様子はあたかも甘い匂いに誘われて群がるアリの様に見えた。

「予定通りですね、源さん。強欲な大人ほど、自分の『力』を過信して認識を誤る。あいつらは今頃、警察が本格的に動き出す前に、俺たちのすべてを実力行使で奪い取ったと確信して、六本木の夜の街で勝利の美酒でも煽っている頃でしょう」

俺は冷徹な無表情のまま、ノートパソコンの画面上でデータを綺麗に整理していた。

藤堂や美咲が勝手に勘違いして自滅のロードマップを突き進むのは、完全に俺のシミュレーションの範疇だ。だが、この一九九九年という世紀末の濁流において、彼らの背後にある『裏社会の暴力』を完全に無力化するためには、もう一つの防壁を並行して起動させる必要があった。

『ピーーーー……』

その時、オフィスのエントランスのインターホンが、静かに一度だけ鳴り響いた。

「おっと、新しいお客様がいらっしゃったみたいだぞ? どうする、蓮」

「あえて中に通してください、源さん。……白雪さんは、そのままアトリエで絵を描いていてくれ。余計な音を耳に入れる必要はないよ」

俺がパーテーション越しに声をかけると、専用ブースから顔を出した華が、デジタルペンを胸元に抱えながら、俺を信頼しきった大きな瞳で深く頷いた。

「うん、分かったよ、佐藤くん。わたし、次のビジュアルに集中してるね」

華がパーテーションの奥へと戻っていく。高校生になり、誰もが息を呑むほどのスタイルと可憐な美貌、そしてトップクリエイターとしてのオーラを纏った彼女を、これ以上あの汚い大人の世界に触れさせるわけにはいかない。

源さんが手元のスイッチを操作し、自動ドアが静かに開く。

応接室へと優雅な足取りで入ってきた男は、城崎たちのようなステレオタイプなヤクザとは一線を画す、仕立ての素晴らしい最高級のイタリア製スーツを着こなしていた。

二十代後半ほどの若さ。整った顔立ちの奥にある冷徹な瞳は、渋谷界隈のIT企業を渡り歩く若きエリート投資家そのものに見える。だが、男の背後に控える二人の大柄な部下の、一切の無駄がない佇まいは、彼が紛れもなく「夜の街の支配者」の一角であることを示していた。

「初めまして、佐藤蓮代表。……いや、天才プログラマー【R・S】とお呼びした方がいいのかな?」

男は来客用の本革ソファに滑らかな動作で腰掛け、優雅に足を組むと、値探るような冷たい笑みを俺に向けた。

「お前が城崎のところの脳足りんどもを追い返したガキか。ふん、面構えだけは一丁前だな」

背後の部下が威圧するように低い声を出すが、男はそれを片手で制した。

「ヤメやがれバカが!」

そう一括すると、男はにこやかに笑った。

「……ウチのモンが失礼しました。佐藤代表、高校生が世界一のポータルサイトを裏で動かしているという噂を聞いた時は耳を疑ったが……なるほど、この洗練されたオフィスを見れば納得がいく。城崎のところの古い人間どもが、君に一本取られて泣き寝入りしたという情報は、すでにこちらの耳に入っているよ」

男は懐からスマートに薄い上質な紙の資料を取り出し、ガラステーブルの上に滑らせた。

「挨拶が遅れたね。 乾(いぬい) だ。単刀直入にビジネスの話をしようか。城崎のバックにいる藤堂の成金は、近々君たちのサイトを物理的に乗っ取るつもりだ。彼らは君が警察に泣きつくと踏んで、その前にハッキングで心臓部を潰しにくる。大人の社会は、正論や警察の腰の重い捜査だけで守れるほど甘くはない」

乾は鋭さのある笑みを浮かべ、さらに言葉を重ねた。

「そこでだ、佐藤代表。我が組織が君たちの『裏の盾』になってあげよう。藤堂や城崎からの実力行使や、裏からの汚い嫌がらせは、すべて我が社の武力で未然に遮断してあげよう。……君たちの命、家族の安全、すべてを保証する。その代わり――君たちの持つ世界一のIT利権の半分を、我が社のフロント企業へ譲渡してもらいたい。悪い取引ではないはずだ」

乾は背もたれにゆったりと寄りかかり、マウンティングを仕掛けてきた。城崎のような粗暴な脅しではない、逃げ道のない合理性を突きつける、より狡猾で冷徹な裏社会のプレッシャー。

彼もまた、高校生のガキを大人の交渉術と裏の力で完璧に『遣り込めた』と確信しているようだった。

だが、その乾の傲慢な考えを、俺は冷徹な目で見つめたまま、一ミリも表情を崩さなかった。

「――お言葉ですが、勘違いしないでください、乾さん」

「何だと……?」

乾の眉が、微かにピクリと跳ね上がる。

「あなた達がどこで誰にどれだけの裏金を流し、どのシノギで法律を犯しているか。我が社のセキュリティシステムは、あなたがこの部屋のソファに座った瞬間に、すべての暗号化を解除してスキャンを完了しています」

俺は手元のキーボードを、トントンと静かに二回叩いた。

次の瞬間、乾の真目の前にある大型モニターが突然起動し、そこに鮮明なグラフィックと共に『機密データ』が表示された。それを見た瞬間、乾の完璧だったはずの笑顔が、一瞬でピキリと凍りついた。

「な……っ、これは……! おい、どういうことだ!」

乾の背後の部下たちが慌てて腰に手をやろうとするが、乾はそれを完全に硬直したまま制止させた。

画面に映し出されていたのは、乾の組織が所有するすべての海外隠し口座の正確な「残高ログ」、過去五年間に渡る「インサイダー取引の全証拠」、さらには――乾自身の愛人や家族の、現在地を含む完璧な「個人情報」のデータだった。

「乾さん、あなたたちに俺と対等な交渉をする権利はない。あなたたちの全リソースは、今この瞬間から、俺の許可なく動かすことはできない。嫌なら今すぐそのデータ、すべて国税庁と警視庁のトップ、それにあなたたちの組織の『敵対組織』の幹部へ一斉送信しますが……どうしますか?」

俺は四十二歳のシニアエンジニアとしての圧倒的な強者の眼光で、乾を静かに見下ろした。十六歳の少年の身体から放たれているとは到底信じられない、冷酷な絶対支配のプレッシャー。

「あ……っ、お前、何を……っ。いつの間にこれほどのデータを……!」

乾の額から、ドロリとした本物の冷や汗が流れ落ち、高級スーツの襟元が目に見えて小刻みに震え始めた。

少年の姿をした、底の知れない『化け物』。その圧倒的な知略と技術の前に、乾のインテリヤクザとしてのプライドは、初手の数秒で完膚なきまでに粉砕されたのだ。

「乾さん、俺は合理的な人間です。俺の指示通りに動くなら、そのデータは永久に非公開にしておく。それどころか、藤堂の資産が全損した後に残る、莫大な裏の利権を君たちに譲渡してもいい。……どうしますか?」

「……クッ。ハハ……参ったな。まさか、こんなガキに命綱を握られるとは」

乾は観念したように両手を軽く上げ、青ざめた顔で完全に服従の白旗を提示した。

「分かった。あんたの……いや、佐藤代表の指示に従う。俺たちは、何をすればいい?」

「城崎たちが俺の周辺や家族に仕掛けてくる物理的な実力行使を、藤堂たちには『成功している』と思わせたまま、裏からすべて完璧に遮断してください。それがあなたたちの任務です」

「……了解した。完璧な防壁になってみせるよ、ボス」

乾は、畏怖の念が混じった複雑な苦笑いを浮かべ、応接室を後にした。

藤堂や美咲が「勝った」と確信して六本木の夜で悦に浸っているその裏で、蓮はITの技術だけでなく、裏社会のパワーバランスすらも完璧に手駒として従え、逃げ場のない絶対的なマルチスレッド包囲網を完成させていた。