作品タイトル不明
第二十九話:仕組まれた買収劇
六本木の高級キャバクラ『バビロン』のVIPルームで、高橋美咲と藤堂が醜悪な同盟を結んでから一週間。駅前の自社ビル最上階にある俺たちのオフィスには、早くもその予兆を感じ取っていた。
「いやあ、蓮。お前の読みは本当に恐ろしいくらいドンピシャで当たるな。ほら見ろ、『藤堂ネクスト・ソリューションズ』の周辺で、通常のITベンチャーじゃ絶対にあり得ないような不透明な資金移動が一斉に動き出したぞ。これは、裏社会のペーパーカンパニーを経由してやがるな」
特注のトリプルモニターの前に陣取った源さんが、ファンタの缶をデスクに置きながら、キーボードを激しく叩いた。画面には、藤堂の会社に関連する海外からの資本流動を示すグラフが、不自然な赤のスパイク(突出)を描いて明滅している。
「想定内の状況だよ、源さん。藤堂という男の本質は、マスコミを操って中身のない技術を『最先端』に見せかけるだけの詐欺師だ。裏で暴力団関係者に資金の一部を流し、あくどい乗っ取りや恐喝を繰り返してここまでのし上がってきたのは、周知の事実だしね」
俺は至って冷静にそのデータを確認していた。前世において、俺を生き地獄へと突き落とした本人である『藤堂』。奴は綺麗な表面を装いながら、都合の悪い汚れ仕事はすべて裏の暴力装置に丸投げする卑劣な男だ。
「あの……佐藤くん。その『藤堂』っていう人の後ろにいる人たちが、私たちの場所を奪おうとしているの……?」
俺のすぐ隣。半透明のパーテーションで区切られた専用のアトリエブースから、華がそっとその端正な顔を出した。液晶タブレット用のデジタルペンを胸元でぎゅっと握りしめている彼女の瞳には、不安の色が微かに混じっていた。
「心配ないよ、白雪さん。彼らがどれだけ暴力や汚い資金でシステムを叩こうとも、俺たちのプラットフォームの根幹には一ミリも届かない。それどころか……」
俺は華の少し震える細い手を、そっと優しく包み込むように握りしめた。華の白い頬が、一瞬でポッとサクラ色に染まり、俺の学ランの袖をもう片方の手できゅっと握り返してくる。
「彼らがうちの会社を脅し取ろうと必死に投入してくるその資金そのものを、言い逃れのできない決定的な組織犯罪の証拠ごと、すべて俺たちの罠で綺麗に吸収してあげるだけさ。だから君は、ただ絵を描くことだけに集中してて大丈夫だよ」
「うん……佐藤くん。あなたがそう言ってくれるなら、わたし、何も怖くないよ」
華が力強く頷き、俺を信頼しきった瞳で真っ直ぐに見つめ返してきた。
――その翌日の放課後だった。
静謐なオフィスに、入り口の自動ドアのインターホンが、無作法で激しい音を立てて何度も鳴り響いた。
『ピーーーー……』
「佐藤代表、お目見えだぜ。ビルの下に、いかにも裏社会って感じの黒塗りの高級車が停まったと思ったら、ガラの悪い奴らが上がってきやがった。……おい、あの高橋美咲も一緒だぞ」
源さんが不敵な笑みを浮かべ、インターホンの映像をメインモニターに切り替えた。
そこに映し出されていたのは、あからさまに堅気ではない、鋭い眼光を放つ漆黒のスーツを着た男たち――藤堂の息がかかった暴力団関係者だった。そしてその中心には、かつて一度、俺たちに実家ごと完璧に叩き潰され、煮え湯を飲まされた過去を持つ高橋美咲が立っていた。
中学時代の、あのヒステリックで無知な叫びはもうない。夜の街に身を落とし、裏社会の権力に寄り添うことで辛うじてプライドを繋ぎ止めている彼女は、露出の激しいブランド物の黒いドレスを纏い、ヤクザの愛人のような、どこか冷ややかで影のある、じっとりとした笑みを浮かべていた。
「佐藤くん、白雪さん。……お久しぶり。立派なオフィスは健在なようね」
スピーカー越しに、美咲の低く落ち着いた、しかし確かな怨嗟を含んだ声が響く。
父親の会社が倒産し、底辺高校へ転落した彼女が、夜の街で見つけた『藤堂』という新たな盾、そしてその裏に潜む暴力の闇。それを使って、今度こそ俺と華を奈落へ引きずり下ろそうという、歪んだ執着がそこに立っていた。
「あえて中に通してください、源さん。ただし、オフィスの防犯カメラと集音マイクはすべて最大感度で稼働に」
「応よ!」
源さんがニヤリと笑ってキーボードを叩き、自動ドアのロックが静かに解除された。
数秒後、オフィスの応接室のドアを威圧的に開けて入ってきた暴力団関係者たちと美咲は、室内の最新鋭のIT環境を一瞥した。男たちの中心に立つ、顔に深い傷跡のある年配の男が、来客用の高級革ソファにドカリと腰を下ろした。美咲はその男の真横にそっと寄り添うように陣取り、煙草に火をつけながら、冷たい視線で華を見つめた。
「相変わらず、お綺麗なままで結構なこと。……でもね、佐藤くん。あなたたちがいくら子供の頭で突っ張ったって、大人の、本物のプロの世界はそんなに甘くないのよ? 今回はね、藤堂社長の代理人として、この方たちが直々に『お話』をしに来てくれたの」
美咲は静かに煙を吹き出し、隣の男に視線を送った。それを合図に、傷跡の男は懐から厚みのある買収提案書を、ドンと机の上に放り出したと同時に、ドスの利いた低い声が響き渡る。
「単刀直入に言おうや、佐藤蓮くん。君たちの運営しているそのポータルサイト『WWW.RS-HS-PROJECT.COM』だがね……藤堂社長が、その全利権を包括的に『買収』したいそうだ。君らみたいな子供に、これ以上の規模の利権を振り回す力はない。大人しくこの提案書にサインをすることだ。そうすれば、君らの家族の『安全』くらいは保証してあげてもいい」
男は背もたれに深く寄りかかり、凄まじい威圧感を放ちながら言った。
「私の彼氏である藤堂さんの会社がね、白雪さんのその絵も、まとめて綺麗に管理してあげるって言ってるの。昔みたいに力任せに奪うようなことはしないわ。これでも『合法的』な大人の取引なのよ。……賢い佐藤くんなら、これが最後のお願いだってこと、分かるわよね?」
美咲は足を組み、ドレスの隙間から細い脚を覗かせながら、静かに微笑んだ。中学時代にプライドを完膚なきまでに粉砕されたからこそ、今の彼女は、裏社会の暴力という絶対的な『力』の後ろ盾を冷徹に利用する、より狡猾な女へと進化していた。
だが、その脅迫まがいの提案を、俺は冷徹な目で見つめたまま、一ミリも表情を崩さなかった。
「丁重にお断りしますよ。藤堂社長の犬の皆さん。……それから、高橋さんも」
「……何だと、ガキが」
傷跡の男の目が、一瞬で冷酷な凶器のようにギラリと細められ、応接室の空気が凍りついた。
「あんたたちは自分の立場が分かっていないようだな。藤堂社長が裏で君たちのダミー株を買い漁るために、どれほどのインサイダー取引のログを積み重ねてくれたか。そのすべてが、警察のハイテク犯罪捜査部門へリアルタイムで送信されていることすら気づいていないのかい?」
俺が冷淡に告げると、男たちの、そして美咲の顔から一瞬で余裕が消え失せた。
――こうして前世から続く因縁は再び幕を開くのであった。