軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十八話:夜の帳と、歪んだ自尊心(高校生編)

――あれから、4年の月日が流れた。

西暦は一九九九年。世紀末の不穏な熱気と「二〇〇〇年問題」への漠然としたシステム不安が交錯する中、インターネットという名の巨大な津波は、世界を完全に飲み込もうとしていた。

俺と華は、都内の難関私立高校へと進学していた。資金力はすでに国内の並のIT企業を遥かに凌駕し、世界一のシェアを誇るコンテンツポータル『WWW.RS-HS-PROJECT.COM』の運用益は、スイスの信託口座に数十億円規模の数字を刻み続けている。

高校生になった華は、中学一年の夏に洗練されたあの可憐な美貌をさらに爆発的に開花させ、今や学校中、いや世界中のテックコミュニティから『デジタルアートの女神』として崇められる圧倒的な存在になっていた。

だが、光が強くなればなるほど、その影にある濁流もまた、ドロドロとした濃度を増していくのであった。

◇◇◇

「……はい、オールド・パーの水割りですね。少々お待ちくださいませ、すぐにお持ちいたします」

ネオンがギラギラと狂ったように輝く六本木の片隅。高級外車が列をなし、バブルの残滓にしがみつく大人たちが集う高級キャバクラ『バビロン』の薄暗いフロアで、高橋美咲は、露出の激しい黒のドレスに身を包んで営業用の愛想笑いを浮かべていた。

年齢を偽り、偽名の「ミサキ」として夜の街に身を落としてから数ヶ月。

中学時代、父親の会社が【R・S】の介入と大旦那の冷酷な見限リによって完全に倒産した後、彼女の家庭は一瞬で崩壊した。かつての「社長令嬢」というステータスも、ハワイ旅行も、ブランド物の洋服も、すべては時代の荒波に流されたのだ。

現在、彼女が通っているのは都内の底辺高校。実家の困窮と、かつての贅沢な味が忘れられず、プライドの欠片を夜の街の虚飾で埋めるようにして、美咲はこの濁流に自ら身を投じていた。

「あーあ、今日もクソみたいなハゲオヤジの相手。……なによ、どいつもこいつも、私の価値も知らないくせに、安い酒で触ろうとして。本当に虫唾が走るわ」

換気扇の回る薄暗い控室の鏡の前で、美咲は拳を叩きつけ、濃すぎるメイクを施した自分の顔を睨みつけて爪を噛んだ。

彼女の脳裏には、いまだに強烈な執着として、あの白雪華の姿が焼き付いている。

「なんで……なんであの根暗ブタが、世界の姫みたいに扱われてるわけ!? 佐藤の隣で贅沢するのは、本当は社長令嬢の私だったはずなのに……! あの時はパパの会社がちょっと運が悪かっただけよ、あいつらが全部私の人生を盗んだのよ……っ!」

歪んだ自尊心と、激しい嫉妬。そして勝手な思い込みが美咲の精神を蝕んでいた、まさにその時だった。黒服の男が控室のドアを無造作に開けた。

「ミサキちゃん。次のセット、指名入ったよ。VIPルームの一番良い席だ。相手は太客だから、粗相のないようにな」

「え? あ、指名……!? はい! すぐ行きます!」

美咲は慌てて鏡の前で表情を「プロのキャバ嬢」へと切り替え、引きつった営業スマイルを顔に貼り付けた。

重厚な絨毯が敷かれたVIPルームのドアを開けると、室内の最高級本革ソファにゆったりと腰掛け、クリスタルのグラスで高級ブランデーを傾けている一人の男がいた。二十代後半ほどの若い男。仕立ての良い外国産のスーツを着こなし、いかにも時代の寵児といった傲慢なオーラを放っている。

「初めまして、ミサキです。ご指名ありがとうございます、お隣失礼してもいいですか?」

「お、君が噂のミサキちゃんか。写真よりずっと可愛いね、気に入ったよ。さあ、こっちに座りなよ」

男はニヤリと下品な笑みを浮かべ、美咲が座るなり、その細い腰を強引に引き寄せた。

男の名は――「 藤堂(とうどう) 」。

いま、渋谷や六本木界隈で「ビットバレーの申し子」「若き天才起業家」としてマスコミにチヤホヤされている、新興ITベンチャー『藤堂ネクスト・ソリューションズ』の社長だった。

だが、その男にはもう一つの顔がある。

前世において、佐藤家の財産をすべて巧妙な投資詐欺で騙し取り、蓮の家庭を生き地獄へと突き落とした挙句、美咲と不倫関係を結んでいた『前世の真の仇』が、この一九九九年において、最悪の歯車として美咲の目の前に現れたのだ。

この時代では蓮以外の誰もその事を知るよしもなく、美咲は藤堂の背後にある「巨万の富」と「権力」の匂いに、一瞬で目を眩ませた。

「藤堂社長、凄い時計ですね! それ、⬜︎レックスの限定モデルですか? やっぱり、本物の一流の社長さんは身につけているものの桁が違いますね!」

「ははは、これくらい大したことないさ。これからはインターネットの時代だからね。今、うちの株価はうなぎのぼりなんだ。近々、日本のIT市場に大きな仕掛けをして、世界の頂点に立つ予定なんだよ。凡人どもには見えない未来の設計図が、僕の頭には入っているのさ」

藤堂は傲慢に胸を張り、美咲のグラスに高級シャンパンを並々と注いだ。

「まあ、素敵……! 藤堂社長のお話って、スケールが大きくて本当にワクワクしちゃいます。私の周りの男の人たちって、学校の話とか安いバイトの話ばっかりで本当につまらないんですもん」

「おや、ミサキちゃんはまだ学生だったかい?」

「あ、 ……はい、藤堂さんにだけ教えるんですけど、実はまだ高校生なんです。だから、周りの男の子たちが子供っぽくて。……インターネット、ですか。実は藤堂社長……私の知り合いに、ちょっとネットで生意気なサイトをやってるガキがいるの」

「ほう? なんてサイトだい? 国内の話なら、大抵は僕の視界に入っているはずだがね」

藤堂がグラスを揺らしながら、退屈そうに問いかける。美咲はここぞとばかりに、胸の奥底に溜まった毒を吐き出すように声を落とした。

「えっと……確か、『RS-HS-PROJECT』っていう、イラストばっかり載せてる生意気なサイトなんだけど……」

その名を美咲が口にした瞬間、藤堂の手がピタリと止まり、その目が強欲な獣のようにギラリと細められた。

「……何だって? 今、なんて言った? あの世界第一位のアクセスを誇るポータルサイトの運営者が、君の知り合いだって……!?」

「え、ええ……。まあ、ただの中学時代の同級生なんですけど。白雪っていう、昔はデブでブタだった根暗な女の絵を、佐藤っていう小賢しい貧乏人が適当にプロデュースして、運良くアメリカの会社に拾われただけのラッキーな連中。あいつら、大金の使い道も知らないような子供なんです。藤堂社長みたいな本物のプロの経営者がちょっと圧力をかければ、あの利権、簡単に奪えると思いません?」

美咲は藤堂の胸元に指先を這わせ、上目遣いで甘い声を漏らした。かつての「社長令嬢」としての全能感を、この藤堂という強力なコマを操ることで取り戻そうとする。

「ククク……ハハハハ! 面白い、面白いぞミサキちゃん! あの『R・S』の正体がただの高校生だったとはな! 我が社の技術力と、僕のバックにいる投資家たちの資金力があれば、そんなガキどものサイト、合法的に買収して乗っ取ることなんて赤子の手をひねるより簡単だ!」

藤堂は美咲の肩を強く抱き寄せ、その頬にキスをした。

「藤堂社長、本当に……? あの佐藤と白雪を、引きずり下ろしてくれる?」

「ああ、約束するよ。ミサキちゃん、君は最高の幸運の女神だ。あの利権を僕がすべて掠め取って、君を本物の女王にしてあげるよ。僕の愛人になれば、何でも好きなものを買ってあげるからね」

「本当……!? 嬉しい、藤堂社長……っ! 私、ずっとあなたについていくわ!」

美咲は藤堂の腕にしがみつき、暗い歓喜に満ちた歪んだ笑みを浮かべた。

年齢を偽って高級店で働く女子高生と、ITバブルの波に乗って詐欺紛いの買収を繰り返す強欲な悪党。前世で蓮の家庭を地獄へ落とした二人の元凶が、今世でも再び、醜悪な同盟を組んだ瞬間だった。

だが――彼らはまだ知らなかった。

自分たちが相手する最強のエンジニアである【R・S】の仕掛けた罠に、すでにキャッチされているという現実を。

◇◇◇

駅前の自社ビル最上階。トリプルモニターの前にいた俺は、源さんから送られてきた『藤堂ネクスト・ソリューションズからの不審な通信アクセスログ』と、美咲の年齢詐称・入店記録のデータを画面に映し出し、静かに冷酷な笑みを浮かべていた。

「蓮、例のITバブルの成金社長のIPから、うちのポータルへのポートスキャン(解析試行)が頻発してる。裏には……あの高橋美咲が付いてるみたいだな」

源さんが、二ッ矢サイダーをデスクに置きながら、険しい顔で画面を指差した。

「想定内ですよ、源さん。むしろ、思ったより仕掛けてくるのが遅かったくらいだ」

俺の隣で、液晶タブレットに向かって美しい天使の羽を描いていた華が、そっとペンを止めて俺の学ランの袖をきゅっと握りしめてきた。高校生になり、誰もが息を呑むほどのスタイルと美貌を手に入れた彼女の瞳には、かつての怯えはもうどこにもない。

「佐藤くん……高橋さん、また悪い人と一緒に、佐藤くんの邪魔をしようとしてるの……?」

「心配ないよ、白雪さん。君の描く絵の価値も、俺たちのプラットフォームも、あんな詐欺師たちには一ミリも傷つけられない」

俺は華の細い手を優しく包み込み、モニターに映る「藤堂」と「美咲」の名前を見つめた。

「仕掛けてきたか、藤堂。そして美咲。手を出してこなければ放っておこうと思っていたけれど……仕掛けて来るならお前たち二人に、前世のすべての地獄を、何倍にして返してやる」

薄暗い夜の街を舞台に、前世の因縁をすべて排除するための復讐のプログラムが、今まさに起動しようとしていた。