軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十五話:社長令嬢の歪んだアプローチ

新学期が始まってからというもの、一年二組の教室は完全に華を中心としたクリーンな状況へと移行していた。

かつて彼女を「根暗」「ブタ」と嘲笑っていたクラスメイトたちは、今や誰もがその洗練された美貌と、海外から絶賛される圧倒的な才能に近づこうと必死だった。華はまだ少し内気なところを残しながらも、俺が隣にいるという安心感からか穏やかに話している。

その対極。教室の最果てにある窓際の席で、高橋美咲は誰からも話しかけられない完全な隔離状態に陥っていた。

「……なによ、なによみんなして。調子に乗っちゃってさ」

美咲は鉛筆の先を、ノートの白紙にガリガリと擦り付けながら、血走った目でこちらを睨みつけていた。一学期までのあの傲慢なまでの輝きは見る影もない。

だが、今日の彼女の目には、ここ数日間のただ怯えるような絶望ではなく、どこか哀れなまでの『狂気』と『義務感』がギラギラと渦巻いていた。

放課後。

終礼のチャイムが鳴り、クラスメイトたちが次々と部活や下校へと動き出す中、俺と華は駅前の新オフィスへ向かうため、カバンを肩にかけた。

「佐藤くん、今日のポータルサイトのアップデートログ、わたしも一緒に確認してもいいかな……?」

「ああ、もちろんだよ、白雪さん。君のメインビジュアルのデータ連携は、今日が本番だからね。世界中の人たちが、君の新しい絵を待っているよ」

「うん……っ! わたし、すごく楽しみ!」

華が嬉しそうに微笑み、俺の斜め後ろを一歩遅れてついてくる。

その二人の行く手を阻むように、教室のドアの前で、激しい足音が響いた。

「――待ちなさいよ、佐藤くん。……それから、白雪……さんも」

立ちはだかったのは、美咲だった。

彼女は、父親から『佐藤蓮の正体』を突きつけられたあの喫茶店での衝撃から、まだ完全にパニックを起こしているようだった。制服の襟元は微かによれ、握りしめられた指先は白くなるほど震えている。

だが、彼女は引きつった笑みを無理やりその顔に貼り付け、一学期までの「社長令嬢のマウンティング」のトーンを、必死に再現しようと声を張り上げた。

「な、なによ、二人してコソコソと。相変わらず陰気臭いわね」

「何か用かな、高橋さん。俺たちはこれから用事があるんだ。無駄なことをしている時間はないんだけど」

俺が冷淡に一蹴すると、美咲はピクッと眉を跳ね上げ、さらに一歩、俺たちとの距離を詰めてきた。

「偉そうに言っちゃってさ! あんたが、ちょっとアメリカの会社と繋がったからって、調子に乗ってんじゃないわよ。……わたしのパパがね、今回のあんたたちのサイトのこと、特別に褒めてあげてたわよ?」

「……高橋さんのパパが?」

華が、俺の学ランの袖を後ろからきゅっと掴みながら、不思議そうに声を漏らした。美咲はその華の怯えない瞳に一瞬だけ激しい嫉妬の炎を燃やしたが、すぐにそれを隠すように、傲慢な笑みを浮かべて胸を張った。

「そうよ! うちのパパの会社は、駅前の一等地にオフィスがあったくらいの一流企業なの! あんたたちが子供の小遣い稼ぎで始めたサイトなんて、大人のプロの世界じゃ、すぐに潰されちゃうに決まってるじゃない」

そう言い切ると美咲は大きく息をすうと、キッと鋭い視線を向けて来る。

「だからね、パパが特別に、あんたたちのサイトをうちの会社の傘下に入れて、プロデュースしてあげるって言ってるのよ。白雪のその薄汚い絵だって、パパの会社が上手く宣伝してあげれば、もっと高く売ってあげることもできるんだから。……ありがたいと思いなさいよね?」

美咲は腰に手を当て、勝ち誇ったように言った。

父親の破滅の足音が後ろに迫っているからこそ、彼女は「助けてあげる」という強気のポーズを崩すことができなかったのだ。ここで下手に出てしまえば、自分の社長令嬢としてのアイデンティティが完全に崩壊してしまうという、最後の 防衛本能(プライド) だった。

俺は、彼女の哀れなマウンティングを最初から最後まで冷徹な目で眺め、やがて、短いため息を一つ吐き出した。

「お断りするよ、高橋さん」

「え……っ? お、お断りって……あんた、本当にバカなの!? これはパパの会社からの、最初で最後のチャンスなのよ!? あんたの貧乏な家だって、パパの会社と提携すれば、これからもずっといいご飯が食べられるようになるのよ!?」

「勘違いのレベルが酷すぎるな。高橋さん、君のお父さんの会社が今、どれだけの負債を抱えて、大口の取引先から次々と契約解除の通知を送られているか、君は本当に何も知らないのか?」

「な……っ!? なによそれ、そんなの嘘よ! パパの会社は今復旧してるところだって――」

「絶好調な会社が、なぜ中学生の個人プロジェクトの利権を、そんな見苦しい嘘をついてまで掠め取ろうとするんだい?」

俺が静かに一歩を踏み出し、四十二歳のシニアエンジニアとしての圧倒的な眼光で美咲を見下ろすと、彼女は言葉の圧力に圧倒され、ひっと息を呑んで後ずさりした。

「君のお父さんの会社には、俺たちの資金と技術を割く価値は一円もない。むしろ、足を引っ張るリスクにしかならないんだよ。プロデュースしてもらう必要もないし、君のパパと組むメリットはゼロだ」

「う、嘘……っ、嘘よ……パパが、そんな……っ」

美咲の顔から、完全に血の気が引いていく。

自分の最後の拠り所だった父親の威光が、蓮の冷徹な正論によって木っ端微塵に粉砕されていく現実。

「高橋さん」

俺の背中の後ろから、華が静かに、しかしきっぱりとした凛とした口調で美咲を見つめた。

「私はね、佐藤くんの技術と、佐藤くんの言葉だけを信じてる。佐藤くんは、あなたたちの知らない、もっと広い世界で、本物のお仕事をしているんです。……だから、あなたのその意地悪な提案も今の私たちには、まったく届きません」

「白雪……あんた、あんな根暗ブタだったくせに、私に向かって……っ!」

「事実を言っているだけです。私たちは、もうあなたたちには興味がありません」

華の放つ、圧倒的な美貌とプロとしての気品。それは、美咲の安っぽい虚栄心など、並ぶことすらおこがましいほどの公開処刑だった。

「これ以上、俺たちの邪魔をしないでくれ。行こう、白雪さん」

「うん、佐藤くん」

俺は華の手を引き、美咲の横をすり抜けて教室を後にした。

後ろから、「なによぉー! 待ちなさいよ佐藤くん! 白雪ぃー!」という、美咲のヒステリックな絶叫と、惨めな泣き声が響き渡ったが、俺たちが振り返ることは二度となかった。

美咲の歪んだアプローチは完璧な失敗に終わったが、彼女の更に先にいる男はまだあきらめてなどいないのであった。