作品タイトル不明
第二十二話:帝国の礎
シリコンバレーの巨頭から振り込まれた第一期のロイヤリティは、源さんのダミー法人を経由して、俺たちの元へと着金した。その額、日本円にして約一億八千万円。一九九五年の地方都市においては、これだけでちょっとした自社ビルが建つほどの巨額の 資本(リソース) だ。
だが、俺の脳内にあるロードマップは、この程度の金額で満足するようには設計されていない。
「おい、蓮――いや、これからは外向きには『佐藤代表』って呼んだ方がいいか? お前の指示通り、駅前の大通りに面した新築ビルの一フロア、二年分の前払いで賃貸契約を完了したぞ。保証人の件も、俺の法人の実績をフルに使って完全にクリアだ」
放課後。源さんの秘密基地に集まった俺たちを前に、源さんが一枚のぴかぴかした鍵をデスクにカランと放り投げた。
「ありがとうございます、源さん。これまで通りの呼び方でいいですよ。それより、あっちのビルのセキュリティと、専用回線の引き込みの見通しはどうですか?」
「バッチリに決まってるだろ。通信会社の知り合いに裏から手を回して、地域で一番太い回線をダイレクトに引き込ませる手はずを整えた。これでようやく、このボロ平屋の秘密基地から、本格的な『 開発拠点(オフィス) 』へとシステムを移行できるな」
「ボロ平屋は酷いと思いますけどね。でも、あっちのビルの方が回線の環境も段違いですし、何より冷暖房が完璧ですからね。白雪さんにとっても、作業効率が大幅に向上するはずです」
「まぁ、確かに白雪ちゃんも、ここの怪しい電子パーツの山とハンダゴテに囲まれて作業するより、ずっと集中できるだろうしな。なぁ、白雪ちゃん?」
源さんが苦笑いしながら視線を向けた先――パイプ椅子に座っていた華が、新調したばかりのペンタブレットを胸に大事そうに抱えながら、少し照れくさそうに微笑んだ。
「あ……えっと、わたしは佐藤くんと源さんがいるなら、ここのお部屋でも、すごく楽しかったです、けれど……。でも、新しいお部屋、ちょっとだけ緊張しちゃうかも、です……っ」
夏休みを経て完全に覚醒した彼女の美貌は、秋の深まりとともに、さらにその透明感を増している。教室の男子たちが彼女の一挙手一投足にため息を漏らすのも無理はなかったが、当の本人の意識は、学校の人間には一ミリも向いていなかった。
「何も緊張する必要はないよ、白雪さん。新しいオフィスには、君専用の最高級のデスクと、人間工学に基づいて設計された特注のワークチェアを用意してあるんだ。長時間描いても、腰や肩が痛くなりにくいやつをね」
「えっ……わ、わたしのために、そこまでしてくれたの……? 佐藤くん、なんだか、すごく大袈裟だよ……っ」
「大裟なんかじゃないさ。さらに言うと、照明の色温度も、君の繊細な色彩感覚を邪魔しないように、すべてプロ仕様の演色性に調整してあるからね。君の指先から生み出される『絵』は、我が社の最も重要な中核資産なんだ。開発環境の最適化に妥協するわけにはいかないよ」
「もう、佐藤くんってば……すぐそうやって、お仕事の難しい言葉で誤魔化すんだから。……でも、嬉しいな。佐藤くんがわたしのことを一番に考えて、お部屋をデザインしてくれたんだよね……?」
華は上目遣いで俺を見つめ、机の下で、そっと私の学ランの袖を指先できゅっとつまんできた。
「おいおいおい! 新オフィスに移っても、源さんの前での熱烈な愛の囁きは禁止だからな? 独り身のエンジニアには刺激が強すぎるんだよ。当てつけか!」
「源さん、からかわないでください。白雪さんが困っているじゃないですか。……ほら、白雪さん、袖を離して。これからのロードマップについて、重要な話を詰めるから」
「あ……う、うん……っ。ごめんなさい、佐藤くん……」
華は慌てて顔を真っ赤にしながら手を離し、姿勢を正した。その様子すらも、初々しくて可憐だった。俺は照れ隠しを兼ねてコホンと一つ咳払いをし、メインディスプレイの画面を切り替えた。
画面に映し出されたのは、一九九五年現在、世界中で爆発的に普及し始めているインターネットの接続数と、今後の市場予測のグラフだ。
「資金は十分に確保できた。これからは、単なるソフトウェアの切り売り(ライセンスビジネス)から、プラットフォームの構築へとフェーズを移行する。具体的には、白雪さんのキャラクターを全面に押し出した、世界初の『イラスト・コンテンツ特化型のポータルサイト』を開設するんだ」
「ぽーたるさいと……? インターネットの、お祭り会場みたいなもの、かな?」
「分かりやすく言えばそうだね。世界中の絵描きやクリエイターが、自分の作品をデジタルで持ち寄って共有し、交流できる、巨大な楽園さ」
「世界中の人が、デジタルで絵を見せ合うの……? でも、今のパソコンって、文字ばっかりで、そんなことできるのかな……?」
「普通の方法じゃ無理だ。だから、俺のプログラムで極限まで最適化して、画像の読み込みラグをゼロにする。世界で俺にしか作れないシステムだ。そして、その楽園の中心として君臨するのが、白雪華――君なんだよ」
一九九五年の現段階において、イラストをWeb上に投稿して共有するという概念は、まだ極めて限定的なマニアのものに過ぎない。しかし、海外の掲示板ではすでに『H・S』の描く青い髪の少女に対して、世界中のトッププロたちが「十年先の未来のロジック」「本物の女神」と狂熱的なログを刻み、数百万ドルを提示してまで奪い合おうとしている。二〇〇〇年代以降に爆発する『SNS』や『イラスト投稿プラットフォーム』の仕組みを、このIT黎明期に先回りして、俺たちの手で完全に独占するのだ。
「世界中の、アメリカやヨーロッパの凄い人たちが、わたしのサイトに集まってくれるの……? なんだか、あの掲示板の英語の反応を聞いたときも思ったけれど、想像するだけで心臓がドキドキしちゃう……。わたし、本当にそんな凄い場所のトップになれるのかな……?」
「なれるさ。いや、君にしかできない。海外のエンジニアたちはね、君の描く『絵』に完全にひれ伏しているんだ。彼らは君の次の作品を、それこそ飢えた狼のように待っている。だから、何も怖がる必要はないんだよ。俺のプログラムが、君の城を完璧に守るから」
「……うん! 佐藤くんが一緒なら、わたし、何が起きても、何も怖くないよ。佐藤くんの言う通り、世界中の人をあっと驚かせるような絵を、もっともっとたくさん描くね」
華は強く頷き、俺を信頼しきった瞳で真っ直ぐに見つめ返してきた。かつての、教室の片隅で美咲たちにおどおどと怯えていた少女の面影は、もう完全に上書きされていた。
「よし、源さん。そういうわけだから、今週末に新オフィスへの機材の搬入を行う。土曜日、朝九時に現地集合でいいですか?」
「応よ! トラックの手配も済んでる。佐藤蓮と白雪華の、これが本当のスタートだな。お前らのイニシャル、今や海外じゃ『R・S』と『H・S』の無敵コンビとして神格化されてるんだ。足元をすくわれないように、一気に日本のトップまで駆け上がるぞ!」
「ええ、分かっています。でも、そこには当然源さんの協力も必要不可欠ですからね」
「ふふっ、本当のスタート、かぁ……なんだか、すごくカッコいいね、佐藤くん」
華がペンの頭を顎に当てながら、嬉しそうに目を細めた。
未来の知識という最強の武器を携えた俺と、世界を魅了する神の手を持つ華。二人の新時代のプログラムは、一九九五年の世界を誰も見たことのない未来へと書き換えるために、今、その歩みを進めていた。