軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第二十一・五話(幕間):太平洋を越える熱狂

日本の一角にあるボロ平屋の秘密基地から、太平洋を越える常時接続のネットワーク網を伝い、アメリカの最先端テックコミュニティへと放流された一つの「シグナル」。

それが、世界の中心であるシリコンバレーのエンジニアたちにどれほどの地殻変動を起こしていたか、当時の日本の狭い箱庭の住人たちは誰も知る由がなかった。

一九九五年、秋。テキスト主体で構成された海外の大手開発者ネットワーク。その最深部にある、新型軽量通信ソフトのスレッドは、数日間にわたって異常なほどのアクセス負荷を記録し続けていた。

「おい、ジェシー! 今すぐこのコードのアップデートパッチをダウンロードしてみろ!」

カリフォルニア州パロアルトにある、大手IT企業の薄暗い開発室。モニターの緑色の光に照らされた若手チーフエンジニアのボブが、隣の席の同僚の肩を激しく揺さぶった。

「なんだいボブ、騒々しいな。また日本のあの『R・S』とかいう謎の天才が、とんでもないアルゴリズムでも投稿したのか?」

「ロジックが完璧なのはいつものことさ! 今回のパッチはそんなレベルじゃない。……ほら、 起動画面(ランチャー) を見てみろ!」

ボブがエンターキーを叩くと、一九九五年の貧弱なメモリ環境ではおよそ不可能なほどの超高速レンダリング処理で、ある一枚の「絵」がブラウン管の画面いっぱいに映し出された。

それは、深い夜空のような青い髪をなびかせ、夕焼けを溶かしたような温かい赤のリボンを胸元で結んだ、一人の美しい少女のマスコットキャラクターだった。

繊細にコントロールされた線の強弱。原色を嫌い、透明感のある中間色を巧みに組み合わせたその色彩感覚は、当時アメリカのアート界を席巻していたどの3Dグラフィックスや、古典的なアメコミ調のデザインとも完全に一線を画していた。

「……オーマイゴッド……なんだこれは。この絵は……一体、誰が描いたんだ……?」

ジェシーの手から、持っていたマウンテンデューの缶がデスクに転がった。彼は椅子の背もたれから完全に身を乗り出し、画面の中の少女の瞳に吸い込まれるように凝視している。

「スレッドの 署名(シグネチャー) を見てみろ。プログラムの担当が『R・S』。そして、グラフィックの担当には新しく『H・S』というイニシャルが刻まれている」

「H・S……? 聞いたことがないな。ディズニーのチーフアニメーターか? それともピクサーの秘密兵器か?」

「いや、掲示板のログを解析した奴の話だと、発信元はすべて『R・S』と同じ、日本の地方都市のプロバイダらしい」

「クレイジーだ! 日本には、こんな次元の違うグラフィックデザインを、一般の通信ソフトのIU(画面)に無償で提供するような怪物が眠っているのか!?」

二人の興奮を体現するように、画面の向こうの 電子掲示板(スレッド) には、世界中のトッププロたちからの狂熱的な書き込み(ログ)が、秒単位で積み重なっていた。

[No.40921] USER: テック・ウィザード(シアトル)

『この新型パッチをあてた瞬間、我が社のサーバーの転送速度が30%向上した。だが、そんなことはどうでもいい。この起動画面に出てくるブルーヘアのガールは誰だ? 私は彼女に恋をしてしまった。無機質なCUI(文字画面)の世界に、本物の女神が降臨した気分だ!』

[No.40925] USER: コード・クラッシャー(サンノゼ)

『>>40921 同感だ。この繊細な線の引き方と色彩のレイヤー構造を見てみろ。現代のどのアートスクールの教科書にも載っていない、明らかに「十年先の未来」からやってきたロジックで描かれている。我が社のデザイナーたちに見せたら、全員プライドを叩き折られて泣き出してしまったよ』

[No.40933] USER: 匿名ギーク(MIT)

『おい、信じられないことが起きたぞ! さっき我が社の最上層部(役員会)がこのソフトの動作チェックをしたんだが、ボスが画面の少女を見るなり叫んだんだ。「今すぐこの『H・S』という絵師を探し出せ! 次世代OSの 標準壁紙(デスクトップテーマ) として、彼、あるいは彼女のデザインを独占契約するんだ!」ってな。提示する予算は、最低でも数百万ドル規模になるらしいぞ!』

[No.40940] USER: シリコンバレーの 狼(パロアルト)

『>>40933 遅いな。我が社の法務部門は、すでに発信元の日本のダミー法人宛てに「五百万ドル」の独占ライセンス契約のプロポーザル(提案書)を送信済みだ。この『H・S』の描く絵には、これから世界中のパソコンユーザーのスタンダードを塗り替えるだけの、天文学的な商業価値がある』

海の向こうで巻き起こる、数億円規模の資本の嵐。

世界最高のプロたちが、白雪華の描いたキャラクターの魅力にひれ伏し、その才能を強欲に奪い合おうと、太平洋を挟んで熱いシグナルを送り続けていた。