軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十九話:新たなロードマップ

シビックホールでの大失態から数日。

高橋システム開発が鳴り物入りで発表した新型システムは、市場から「致命的な欠陥品」としての烙印を完全に押されていた。そればかりか、システムの不具合によって周囲にまで影響を及ぼしかけるという大トラブルまで発覚し、駅前の一等地に構えていた彼らのオフィスには、連日謝罪と釈明を求める取引先が殺到しているという。

前世では美咲が言った本物の現場を見せてくれると言う言葉に騙され、夏休み中無給で働きデバッグしていた俺が存在しなくなった以上、何かしらのトラブルは起きるだろうと想像していたが、その余波は想像以上だった。

そしてその波は、学校の教室へとダイレクトに波及していた。

「ねえ、高橋さんのパパの会社、なんかもの凄い借金を背負うかもしれないんだって」

「発表会で画面が真っ赤になってフリーズしたところ、テレビのニュースでも一瞬映ってたよね……」

「今までの自慢、何だったんだろうね。ハワイ旅行とか言ってる場合じゃないじゃん」

九月の半ば。一年二組の教室では、美咲の周囲には心理的な壁が形成されていた。

一学期まで彼女の影のように張り付いていた取り巻きの女子たちは、今や誰も美咲に近づこうとしない。それどころか、彼女たちが次のターゲット(カーストの頂点)として必死に視線を送っているのは、教室の後ろで静かにスケッチブックを開いている白雪華だった。

「……っ、なによ、なによみんなして……っ!」

美咲は自分の席で、短くなった鉛筆を机に突き立てるようにして震えていた。

制服の襟元はどこかよれていて、一学期までのあの傲慢なまでの輝きは見る影もない。父親の会社が倒産の危機に瀕しているという家庭内の重苦しい空気が、十二歳の彼女の精神をじわじわと摩耗させているのは明白だった。

「白雪さん、今日の放課後はどうする? もしよかったら、源さんのところで新しいグラフィックツールのテストをしたいんだけど」

俺が席を立ち、華に声をかけると、彼女は嬉しそうに顔を上げて微笑んだ。

前髪をきれいに分けたその素顔は、夏の間に洗練された美貌をさらに際立たせ、今やクラスの誰もが憧れる本物の美少女のオーラを放っている。

「あ……うん! 佐藤くん、わたし、新しいキャラクターのデザイン、もう頭の中で半分くらい決まってるんだよ? 今度は、アメリカの男の子たちもびっくりするような、カッコいい男の子の戦士を描いてみたくて……っ」

華の声には、かつてのおどおどした響きはもうほとんど残っていない。

自分の才能が世界に認められたという圧倒的な自己肯定感が、彼女の言葉にしっかりとした芯を与えていた。

「へえ、それは楽しみだな。白雪さんの描くファンタジー衣装は世界一だからね。期待しているよ」

「も、もう、佐藤くんってば、すぐそういう風に大袈裟に褒めるんだから……っ。でも、佐藤くんにそう言ってもらえると、わたし、本当にいくらでも描けちゃう気がするな」

華が少し照れくさそうに白い頬を染めて、楽しそうに笑う。

「ちょっと……佐藤くん、白雪……さんっ!」

美咲が、涙をボロボロと流しながら、俺たちの前に駆け寄ってきた。

その表情には、一学期までの「上から目線のマウンティング」の気配は微塵もない。あるのは、すべてを失いかけた人間の、見苦しいまでの焦燥感だけだった。

「あんたたち……っ、パパの会社のパソコンに、変な 絵(プログラム) を表示させたの、あんたたちでしょ!? パパがね、あの発表会のあと、ずっと頭を抱えて『我が社はもうおしまいだ』って、ずっと泣いてるのよ!」

美咲は俺の学ランの胸元を掴もうと、震える手を伸ばしてきた。

俺はその手を、最小限の動きでパシッと冷淡に叩き落とした。

「手を離してよ、高橋さん。クラスでこれ以上見苦しい姿を見せないでほしいな」

「見苦しいってなによ……っ! あんたたちのせいで、うちのパパの会社はめちゃくちゃよ! 謝りなさいよ! 今すぐパパの会社に来て、あの画面を元に戻してよぉ!」

美咲のヒステリックな叫び声が教室に響き渡る。しかし、周囲の同級生たちは、彼女を哀れむような、あるいは軽蔑するような冷たい視線を送るだけで、誰一人として美咲の味方をしようとはしなかった。他人の威光でしか人を殴れなかった人間の、これが当然の末路だった。

俺はため息を一つ、冷淡に吐き出し、美咲の目を真っ直ぐに見据えた。

「勘違いしないでほしいな、高橋さん。君のお父さんの会社が市場からお断りされかけているのは、俺たちのせいじゃない。彼らが作っていたシステムそのものの『クオリティ』が、現代のネットワークの水準に全く達していなかった。ただ、それだけの事実だ」

「う、嘘よ……パパの会社は、大きいビルにあって……っ」

「オフィスの大きさと技術の価値は比例しないと、一学期にも言ったはずだよ。むしろ、あの発表会で俺たちのシステムが介入しなければ、お宅の不完全なプログラムは地域の基幹ネットワークを巻き込んで 大爆発(クラッシュ) を起こしていた。俺たちはね、お父さんの会社を破滅から救ってあげたんだよ。まぁ、その価値すら理解できないなら、これ以上何を言っても無駄だろうけれど」

「あ……あ、ああ……っ……」

美咲は、俺の放つ大人の冷徹な論理(正論)に完全に叩きのめされ、言葉を失ってその場にへたり込んだ。

彼女が誇っていた「社長令嬢」という砂の城は、未来の技術水準という荒波によって、完全に平らにならされてしまったのだ。

「行こう、白雪さん」

「うん、佐藤くん」

華は、へたり込んで泣きじゃくる美咲を一瞬だけ見つめたが、その瞳にはもう、かつての恐怖や劣等感は一切なかった。あるのは、ただ一つの哀れみと、それ以上の「自分の歩むべき未来」への強い意志だけだった。

二人は並んで教室を後にし、夕焼けの染まる住宅街を歩き出した。

「ねえ、佐藤くん」

「ん? どうしたんだ、白雪さん」

「わたし、さっき高橋さんを見ていてね……少しだけ、昔の自分を思い出しちゃったの。誰かに認められたくて、でもどうしていいか分からなくて、泣くことしかできなかった頃の自分を」

華は歩みを止め、夕日を浴びてきらめく世界を、愛おしそうに見つめた。

「でも、今のわたしには、佐藤くんがいてくれる。わたしの絵を世界に届けてくれて、わたしの居場所を作ってくれた。……だからね、わたし、もう二度と後ろは振り返らないよ。佐藤くんと一緒に、もっともっと、誰も見たことがないような素晴らしい世界を作っていきたいな」

彼女のプロとしての、そして一人の女性としての再出発。

そのあまりにも眩しい笑顔に、四十二歳のメンタルを持つ俺の心臓すらも、トクンと小さく、熱い鼓動を跳ね上げた。

「ああ、約束するよ。俺のプログラムと、君の才能があれば、世界を思い通りに書き換えることなんて簡単さ」

「うん! どこまでも一緒に行くよ、佐藤くん!」

一九九五年の秋。

学校という名の狭い箱庭を綺麗に一掃した俺たちは、次なる巨大な市場――世界を席巻するインターネットビジネスの本格的な黎明へと向けて、最高速度の出力を上げて、確実な一歩を踏み出していた。