軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十八話:動き始めた歯車

二学期が始まって一週間。一年二組の教室のパワーバランスは、完全に塗り替えられていた。

夏休みを経て息を呑むほどの美少女へと生まれ変わった華の周りには、一学期までの排他的な空気など嘘のように、男女問わずクラスメイトが集まるようになっていた。

「白雪さん、その髪型すっごく可愛いね! どこでカットしてるの?」

「白雪さん、よかったら今度の調理実習、同じグループになってくれない?」

華は突然の周囲の掌返しに戸惑い、まだ少しおどおどとしながらも、俺が隣で見守っている安心感からか、一つ一つの問いかけに丁寧に応えていた。その上品で控えめな物腰が、彼女の可憐さをさらに引き立てている。

一方で、教室の逆側のカーストは、音を立てて瓦解しつつあった。

「なによ……みんなして白雪、白雪って……。あんな根暗ブタ、ちょっと痩せただけなのに、手のひら返しちゃってバカみたい……!」

高橋美咲は、すっかり人が寄り付かなくなった自分の席で、爪を噛みながら呪詛のように呟いていた。

かつて彼女の太鼓持ちをしていた女子たちも、今や華のグループに混ざろうと必死で、美咲に声をかける者すらほとんどいない。

そんな中、美咲にとって最後の精神的支柱である、父親の会社の『新型ソリューション発表会』の当日がやってきた。

金曜日の放課後。美咲はカバンを掴んで立ち上がると、教室のドアへ向かう俺と華の前に、血走った目で立ちふさがった。

「待ちなさいよ、佐藤くん! 白雪!」

「……何かな、高橋さん。今日はもう家に帰りたいんだけど」

俺が冷淡に足を止めると、美咲は手に持った招待状をこれみよがしに突き出してきた。

「今日、これから駅前のシビックホールで、パパの会社の発表会があるのよ! 地域一帯のビジネスマンや、テレビの取材だって来るんだから! あんたたちがどれだけここで威張ったって、パパの会社が今夜、本物の『世界の最先端』になる事実は変わらないの!」

「発表会、今日だったんだね」

俺の隣で、華がそっと私の学ランの袖を掴みながら、美咲を真っ直ぐに見据えた。以前のように怯えて縮こまることはない。彼女の瞳には、凛とした強さが宿っていた。

「そうよ! あんたたちみたいな子供のお遊びとは、動くお金の桁が違うの! 悔しかったら、今からでもパパに頼んで会場の端っこで見学させてあげてもいいけど?」

「結構だよ、高橋さん。そんな不完全なシステムの動作チェックに付き合うほど、俺たちは安くない」

「な、何よそれ……っ! 完璧なシステムだってパパも社員の人も言ってるわよ! 負け惜しみばっかり言わないで!」

「負け惜しみか、それともただの事実に基づいた予測か。……今夜、すべてがハッキリするさ」

俺はそれ以上相手にせず、華の手を引いて美咲の横を通り過ぎた。後ろから「なによぉー!」という美咲のヒステリックな叫び声が響いたが、俺の意識はすでに、数時間後に始まる『世界の歯車』の噛み合わせへと向いていた。

前世で、俺の介入によって防がれたあの事件に向けて……。

◆◆◆

午後十九時。駅前のシビックホール。

高橋システム開発の発表会は、バブルの名残を感じさせる華やかな演出で幕を開けていた。スーツ姿のビジネスマンたちが席を埋め、壇上では美咲の父親である高橋社長が、自慢げに胸を張ってマイクを握っている。

「我が社が開発したこの新型ネットワーク管理システムこそ、これからの日本のインターネットインフラを支える、完璧なソリューションであります!」

会場から大きな拍手が湧き起こる。最前列の家族席に座る美咲は、周囲の大人たちに「社長令嬢の美咲お嬢様ですか、素晴らしいお父上ですね」と追従を並べ立てられ、最高潮の万能感に浸っていた。

(ほら見なさい! 佐藤の言ったことなんて全部嘘じゃない! パパの会社はこんなにすごくて、みんなに拍手されて――)

美咲がそう確信し、勝ち誇った笑みを浮かべた、まさにその瞬間だった。

ステージ上の巨大なスクリーンに映し出されていた、デモンストレーション用のシステム画面が、唐突に激しく明滅を始めた。

『――ッ!?』

スピーカーから不快なノイズが響き渡り、緑色だった画面が一瞬にして真っ赤な警告色へと染まる。

「お、おい、技術班! これはどういう演出だ!?」

高橋社長が慌てて舞台袖に怒鳴るが、マイクがその声を拾って会場全体に拡散してしまう。

舞台袖からは、インカムをつけた社員たちが顔面蒼白で飛び出してきた。

「しゃ、社長! ダメです! 発表会のアクセス負荷に耐えきれず、サーバーがハングアップしました! メモリリークが止まりません!」

「何を言っている! 再起動しろ!」

「何度も試していますが、コードの根本的な構造に欠陥があって、外部ネットワークからのわずかなシグナルでデータが無限ループを起こしています! 復旧の目処が立ちません!」

「それでもなんとかして治すんだ!」

「社長、このままだと地域のネットワークにも大規模な影響が発生する可能性が!!」

「くそっ、何でこんなことに……」

会場は一瞬にして騒然となった。

美咲の目の前で、日本のビジネスマンたちが「おい、なんだこの欠陥品は」「誇大広告じゃないか」「我が社のシステムを任せるわけにはいかないな」と、一斉に席を立ち始め、冷酷な非難の声を浴びせかける。

「パ、パパ……? どうしたの……? 完璧じゃなかったの……?」

美咲の顔から、一瞬で血の気が引いていく。

そして、パニックに陥る会場のスクリーンに、さらなる致命的なログが上書きされた。

ハングアップして真っ赤に染まっていたはずの画面が、強制的に外部からのプログラムによって書き換えられたのだ。

そこに映し出されたのは、無機質なエラーメッセージではなかった。

息を呑むほどに美しい、透明感のある色彩を纏った『青い髪の少女』のイラスト。

世界中のエンジニアを虜にしている、白雪華が描いたあのマスコットキャラクターだった。

そして、そのキャラクターの隣には、流暢な英語と日本語で、こうメッセージが表示されていた。

『お困りのようですから、我が社のセキュリティ・プロトコルが自動で引き継ぎ、安全にシャットダウンしました』

システムの最下部に刻まれていた署名は――【R.S & H.S PROJECT】。

佐藤蓮と、白雪華のイニシャルだった。

「あ……あ、ああ……」

美咲は、その画面を見上げて、完全に言葉を失った。

一九九五年の最先端を気取っていた父親の会社が、自分たちが「変な趣味」「ゴミ箱行き」と嘲笑っていた、あの白雪華の絵が描かれたシステムによって、文字通り子供のようにあしらわれ、完全に管理されてしまったのだ。

「う、嘘よ……なんであいつらの絵が、パパのパソコンの中に……なんで……っ!」

美咲は頭を抱え、その場に崩れ落ちた。

◇◇◇

同じ頃、源さんの秘密基地。

ブラウン管の画面で発表会会場のサーバーの「強制デバッグ完了」のログを確認した俺は、静かにキーボードから手を離した。

「よし、これで終わりだ。高橋さんの実家のシステム、仕様が杜撰すぎて、こちらからハッキングして修正プログラムをあてておかないと、地域のネットワークごと巻き連れて大停電を起こすところだったよ」

「ははは! 蓮、お前、相変わらず容赦ないな! 向こうの社長、今頃腰を抜かして泡吹いてるぞ!」

源さんがコーラを片手に大爆笑している。

俺の隣に座っていた華は、画面に映る自分の描いたキャラクターを見つめながら、ぎゅっと自分の胸の前に手を組んだ。

「佐藤くん……私の描いた女の子、ちゃんと、お仕事の役に立てたんだね。……高橋さんの会社の人たちを、助けられたのかな……?」

「ああ、助けたさ。彼らがこれから市場でどう評価されるかは別として、致命的なネットワーククラッシュからは救ってあげたんだ。白雪さんの絵が、世界を守るためのシステムの『顔』として、完璧に機能した証拠だよ」

俺が穏やかに微笑んで彼女の頭を優しく撫でると、華はとても嬉しそうに目を細め、サクラ色の頬をさらに赤く染めて俺を見上げた。

「うん……っ! 私、佐藤くんと一緒に、この世界に本物の『価値』を届けることができて、本当に幸せ、だよ……っ」

おどおどした過去を完全に消し去り、本物のプロとしての誇りを手に入れた華。

美咲の実家の安っぽい砂の城が音を立てて崩れ去る中で、俺たちは世界の中心へ向けて、着実に近づいていた。