作品タイトル不明
第291話 ティーフラント会戦
連れてきた白暮に乗って空から見てみると、両軍の布陣は対称的に見えた。
敵軍は、アンジェリカ軍と教皇領が密接に絡み合うようにして布陣している。対してこちらは、道を挟んで距離を取って布陣していた。
それはそのまま、友軍との信頼関係の差を表しているようだった。
こちらの軍は、真ん中に隙間がある。そこは一見して弱点のように見えるが、後ろに大量の予備隊が展開していて、穴を突破しようとする敵に対する備えができている。加えてその奥には砲兵陣地もあり、強力な援護砲撃が期待できる。ここを突破口にしようとすれば、敵軍は大怪我をするだろう。
その思惑通りというか、教皇領は敵陣の真ん中に布陣しており、中央突破してやるという意気込みを感じる。
アンジェリカとアルフレッドの兄妹の軍は、お互いに睨み合うように対峙していた。どう見ても、この二人はタイマンを張る形でぶつかるだろう。
こちら側の相手は、教皇領軍とその他、ティレルメ地域の隣国であるフリューシャ王国と、海軍が壊滅させられた海洋国家であるユーフォス連邦の陸上軍になる。
敵は自信満々に両翼を広げ、包み込むようにしてこちらを圧倒しようとしているように見えた。
だが、勝つのはこちらだ。数は少なくとも、兵器の質と戦術が違う。
◇ ◇ ◇
地上に降りると、俺は教会の近くに白暮を繋ぎ、教会の鐘楼に登った。
この村は、高台といっても周囲から五メートルほどしか高くなっていない。
それでもあるとないとでは雲泥の違いがあり、そこからさらに鐘楼に登ると戦場全体を見渡せた。
水害を恐れてか、いつも冠水する水位以下にある場所には村は作られていない。
十字路のところには、床を高くした大きな宿屋が一軒ある。今は誰もいないだろう。あそこは混戦の中でもみくちゃになるはずだから、小さな市街戦のような戦いが展開されることになるかもしれない。
その他の場所は放牧地になっているようだった。冠水するといっても、湿地帯のように常時濡れている場所ではないので、牧草はよく生えるのだろう。
アンジェリカ勢の陣営を飛び越してはるか向こうになると、そこまでは冠水しないようで、脱穀していない積み藁の山が見えた。
もしここで時計の針を一週間ほど戻せば、そこには平和で牧歌的な風景が広がっているのだろう。
だが、今は今日、殺人をするために集まった十万を超える男たちによって踏みにじられていた。一日後には、地に彼らの血が染み込み、硝煙の臭いが充満しているだろう。
そんなことを想像しながら戦場の空気に身を浸していると、敵軍が動き出した。こちらに向かって整然と歩を進めてくる。
集成軍のためどうしても足並みが揃わない部分はあるようだが、陣形は大きく崩れてはいない。全体で六万から七万にのぼる兵たちが、一つの殺人機械となって一斉に動きだすのは圧巻だった。
こちらは防衛する側であり、砲兵陣地のカヴァー範囲から離れたくないので、敵を待ち受ける格好になる。じりじりと両軍が近づき、敵軍が両軍を区切る街道を横切った。フリューシャ王国に気の早い隊がいたのか、発砲が始まり、咎められたのかすぐに止んだ。
いよいよ弾丸の殺傷距離に近づき、交戦が始まった。甲高い火薬の爆ぜる音が断続的に聞こえ、戦場音楽が奏で始められる。
しかし、その煙の立ち昇った場所は、思いもよらない所だった。
アンジェリカ軍の陣地と、教皇領の陣地の間から発砲煙が立ち昇っている。間というか、教皇領が一方的にアンジェリカ軍を攻撃しているようだ。
双眼鏡を構えて見ると、歩兵が衝突しているだけでなく、教皇領の騎兵がアンジェリカ軍の無防備な背後を衝いているのが見えた。
「奴ら、同士討ちをしているぞ!」
近くで、歓喜を帯びた声が耳を打った。
同士討ち?
言葉の意味を理解するのに、わずかに時間がかかった。同士討ち。確かに、字義的には合っている。これ以上はないというほど、その通りの状態だ。
連中は、同士討ちしている。
「アルフレッドが裏切りました! こちらを攻撃しています」
別方向を観測していた観測手が叫んだ。そちらを見ると、至近距離でアルフレッド軍がこちらに発砲していた。
こちらも当然それは警戒していたので、あらかじめ即座にアルフレッド軍に対応できるよう、側面を担当させる軍には方向転換の訓練を徹底させている。なので即座に対応できている。
どういうことだ?
一瞬で、カオスな状況に放り込まれてしまった。
アルフレッドが裏切るのは、まあ予想の範囲内だ。だが、教皇領がアンジェリカを裏切るとは思っていなかった。
このままだと、アンジェリカ軍は瓦解する。まったく警戒していなかった教皇領軍に側背を襲われたのだから、当然ながら大打撃だし、それに加えて、どうやらアルフレッド軍からも攻撃を受けている。というか、アルフレッド軍はこちらへの攻撃は気持ち程度……というより、恐らく共謀していた教皇領への義理としてやっている程度で、本気でやっているようには見えない。本気なのは、アンジェリカ軍への攻撃だ。
これでは、アンジェリカ軍は早々に瓦解してしまう。あれで持ちこたえられるわけがない。
アンジェリカを戦場に連れてきて、徹底的に潰すことが狙いだったのか?
だが、アンジェリカを叩こうと思えば、俺たちに側面や背中を晒すことになる。
それでもアルフレッドと教皇領連合軍、二体一の状況を作れば勝てるとでも……?
こういった混沌とした状況で勝ちを拾うには、即断即決で混沌を処理し、正しい判断を下し続ける能力が必要だ。
向こうの将軍、おそらくガートルート・エヴァンスとかいうあのデブは、そこに絶対の自信があって、カオスな状況に持ち込めば俺に勝てると思ったのか……?
「ユーリ閣下! 砲撃目標は?」
「最初の予定通り、フリューシャ王国軍に向けて放て」
「ハッ!」
すぐさま鐘楼の下に命令が伝えられ、数秒後に砲火が炸裂した。ここにいても耳をつんざくような轟音が響き、砲弾が曲線を描いて敵陣に着弾するのが見えた。
観測手から誤差の修正数値が伝えられ、再装填と並行して照準作業が行われる。すぐさま次弾が発砲され、六つの砲弾が更に送り込まれる。
それによって、敵陣は明らかに動揺していた。
いや、勝てるだろ。
どう考えても、勝てない戦とは思えない。一斉に攻撃命令を下せば、フリューシャ王国軍を打通することは難しくない。
敵集成騎兵団は脅威だが、爆撃で阻止すればこちらの騎兵で止められる。
アルフレッド軍に対しても……二正面作戦をしているのは、あちらも同じだ。崩すのはそう難しくもない。ホウ家軍を指揮しているディミトリにそれを命令すれば、心得たとばかりに遂行してくれるだろう。
その決断をするべきか?
そうすれば、目の前にいる敵軍を、一気呵成に総崩れにすることも可能かもしれない。
「閣下! ただちに中央突破の号令を出すべきです。フリューシャ王国軍は混乱しております」
鐘楼に詰めている参謀の一人が言った。
確かに、それはその通りだ。普通なら、すぐに号令を出すべきだ。平凡な表現をすれば、絶好の好機、というやつだった。
だが、それを作ったのは誰だ?
俺は、何度もこういった好機をモノにしてきた。しかし、それらは全て、俺自身が計画的に作り出したものだった。その過程でいくつかの偶然が味方したとしても、計画の最中に好機が訪れたというだけで、計画自体がなかったことは一度もない。
なら、まったくの偶然に好機が訪れたのか?
偶然のものだとしても、その機に乗じることはできるだろう。それをためらうのは愚かなのかもしれない。
だが、敵は大砲の存在を知っている……この程度の仕事をこなせないと思うほど、こちらを過小評価しているとは思えない。
それなのに、こんなに上手いこと”偶然”とやらが転がり込んでくるものなのだろうか……。
「……待て」
「ッ――ですがっ」
俺が一言を発した瞬間、即座に飛び出せるよう身構えてまでいた参謀は、判断の遅い上司に歯がゆさを見せる部下のような表情をした。
「待て。もう少し見極めてからでも遅くない」
「しかし、アンジェリカ軍が崩壊してしまったら、敵はこちらに専念できます! 今が千載一遇の好機ですよ!」
「んなもん、解っている」
だが、どうしても違和感を拭えない。決断を下すのが大いなる間違いであるような気がしてしまう。
あるいは、敵はこの迷いを狙って作戦を立ててきているのだろうか?
いや、そんな不確定な要素を見込んで軍の命運を託すなんて、いくらなんでも非常識だ。
一体、何を狙っている。
「お前は、ジーノ・トガのところに急行して、勝手に攻勢を始めないよう念を押してこい」
「――分かりましたっ」
不承不承を顔に出した参謀は、そう言って階段を駆け降りていった。
そこから三十秒ほど考えていると、空から雪のような白いものがはらりと落ちてきた。それは風に乗って鐘楼の中に入ってきて、しゅるりと下向きの曲線を描きながら床に落ちた。
なんだ? 紙片……?
拾い上げてぺらりとめくると、
”リャオ・ルベ率イル
ルベ家軍
反旗翻エシ
シビャク占領”
と、手のひらに収まるほどのサイズに印刷してあった。
ぞわっ、と背中に鳥肌が立ち、手すりから身を乗り出して空を見た。
空から撒いているのか。鷲を使って――。
この嘘の情報を使って、こちらを撹乱させようとしているのか。
もちろん前線で戦闘中の兵は、紙を拾って読むことなどできない。だが、全ての兵が今まさに戦っているわけではない。むしろ全体を見れば、戦闘中でない兵のほうが多いのだ。彼らがこの紙を拾って読めば、不安に駆られて戦闘継続は難しくなるだろう。
――厄介な手を考えてくれる。
しかし、敵はどうやって鷲を確保したんだ。まさか造反した者がいるわけではないだろうし、捕虜にした鷲乗りをどうにかした上で、こちらの領域内で鷲を買って持ち帰って、こちらの技術を盗んだ印刷技術を使って印刷して撒いたのか?
分からないが、とにかく命令を出さねばならない。風説を否定して混乱を収め、兵を鼓舞しなければ。
具体的な方策を考えはじめて三十秒ほどしたとき、一羽の鷲が降りてきた。
その鷲はとんでもなく疲弊している様子で、ほとんど墜落に近い形で教会の側に降りた。当然ながら、これは緊急でなければ厳罰の対象となる違反行為だ。
そして地面から、滑車によって繋がれている桶に伝書筒を入れた。桶は、釣瓶をたぐるようにしてカラカラと鐘楼まで運ばれてくる。
俺が大急ぎでその筒を空けると、
「ルベ家謀反。シビャクを強襲し、占領しつつあり。見抜けませんでした。申し訳ありません」
と、走り書きの文章が書かれていて、末尾にはミャロ・ギュダンヴィエルのサインと、ギュダンヴィエル家の印章が捺されていた。
よほど焦って捺したのか、印章は掠れて滲んでいる。しかし、サインは間違いなくミャロのものだった。
「……やってくれるじゃねえか」
気づけば口元に笑みをつくっていた。
あの野郎。まさかこんな馬鹿げた真似をする勇気があるとはな。
「おい」
「ハッ!」
俺の表情から何かを察したのか、緊張した面持ちになっていた男が敬礼をした。
「貴様、ここで指揮を預かれ」
「えっ、ですが――」
「簡単だ。フリューシャ王国軍に集中している砲撃を全方向に分散させろ。もう突破口を作る必要はない。そのくらいできるだろ。できなくてもやれ。適任者を見つけて再度命令をする暇がない」
「ハッ! 了解しました!」
「俺はディミトリのところに行く。しっかりやれよ」
俺は男の肩を叩いてそう言い残すと、階段を走り下りていった。