軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第292話 腹心の天幕

俺はディミトリが指揮をしている天幕に直接白暮を降ろした。

周辺にいる兵たちは大慌てで場所を開け、とんでもなく非常識な真似をする馬鹿野郎に憤った顔をしていたが、俺の姿を確認すると態度を改めた。

俺は抗束帯を脱ぎ捨てるように解くと、白暮から飛び降りて天幕の中に踏み入った。

「ユーリ閣下!」

俺の姿を見たディミトリが、喜色を顔に出して言った。大きな裁量を任されているとはいえ、さすがに指示を仰ぎたかったのだろう。

「ディミトリ、時間がない。これから言うことをよく聞いて指示に従え」

「ハッ!」

ディミトリの目の前にあるテーブルの上には地図類が雑多に置かれており、その上には俺が見た紙切れもあった。中身も既に読んでいるだろう。

「リャオ・ルベが反乱を起こしたってのは、こちらを混乱させるための虚報じゃない。ミャロからも連絡が来た」

「………」

ディミトリは緊迫した顔をした。

「だから、撤退する。全軍総撤退だ」

「了解しました。では――」

「待て、話を最後まで聞け。一字一句漏らさずにな。大事なことだ」

「は――?」

ディミトリは怪訝そうな顔をした。

「まず、撤退に使うルートだが、昨日話した連絡線を使うと、絶対に上手くいかない。こちらに致命的な損害が発生する罠が、必ずどこかに潜んでいる。その結果、俺たちは戦力の多くを喪って、その場で殲滅されるか、あるいはリャオ・ルベの反乱軍と戦えないほどに弱体化するだろう。そうなると、戻ったところでシビャクは取り返せないし、根拠地を離れて戦力の再建をするのも困難を極める。つまり、俺たちは破滅することになる。これは絶対にそうなるからな」

俺の予言めいた物言いに、ディミトリはぽかんとしたのち、表情を険しくした。

「なぜ、そうなると? 情報が入ってきたのですか?」

「リャオ・ルベが反乱を起こせたのはなぜだ? 四ヶ月前にキエン・ルベが死んだからだろーが」

キエンが死んでいなければ、当然だが、リャオはルベ家の頭領に収まることはできなかった。したがってルベ家の全軍を自由に動かせる立場にもなれなかったし、軍権を握っていない状態では反乱などできるわけがない。

ディミトリは唖然した顔をすると、

「あの時から――? では、敵はただキエン殿を殺すためだけに、攻勢を行ったと?」

「ああ。分の悪い賭けだったはずだが、連中は虎の子の神殿騎士団を一つ使い捨ててまでやったんだ」

単にキエンを殺すためなら、スパイを潜り込ませて暗殺してもよかったはずだ。

そのほうが、何十倍も安く殺せただろう。なんせ、キエンはほとんどシャン人しかいない半島の向こう側に引っ込んでいたのではなく、こちら側に駐留していたのだ。

だが、連中はあえて戦争を仕掛け、戦闘中に殺した。もし別の方法で暗殺されていたなら、それが事故死を装うものだったとしても、俺は微に入り細を穿って事件を調べただろう。

目的は何で、誰が受益者だったのか。もちろんリャオなどは真っ先に疑われるし、反乱の準備も格段に難しくなったはずだ。

しかし、戦場で殺されたら疑えない。今思えば、敵が本陣を一直線に狙ったのは、キエンを確実に殺すためだったのだろうが、敵の指揮所を狙うというのは奇策でもなんでもない。むしろ王道に分類される戦術だから、結果キエンが重傷を負ったところで、それが不思議だとは誰も思わなかった。

キエンの殺害に疑いを持たせない、ただそのためだけに、敵は飛び抜けてコストのかかる方法を、あえて選択したのだ。

「俺たちはその策略にまんまとハマッている。そんで、あらかじめ用意した連絡線を使って撤退するってのは、敵の想定の中ではド真ん中もド真ん中の行動だよな。ここまでやった連中を相手にしてんだ。連絡線を使って撤退できました、いやー危なかったな、なんて結果になるわけないだろ」

端的に言えば、向こうはテーブルをひっくり返して 主導権(イニシアチブ) をもぎ取っていったのだ。

それを取り返そうにも、こちらは敵地の奥深くにいて、選択肢が狭められている。まともなやり方では、向こうの考えた通りにしか動けない。

こちらが用意した連絡線など、最初からアルフレッドと組んでいたなら、その裏をかく仕掛けの一つや二つ作るのは難しい仕事ではない。

俺がかつてやったように、橋のような構造物を壊してもいいし、あるいは上流で簡易造成した堰を決壊させ、通行できない一帯を作ってもいい。もしくは二万くらいの敵軍がどこかに潜んでいて、連絡線のどこかを強襲して、防衛容易な城塞を一つ確保するかもしれない。こちらは鈍重な砲を牽いて撤退などできないから、城塞の攻略は難しい。その間にアンジェリカを潰した軍が追ってきて、こちらは挟み撃ちになる。

「……ですが、連絡線を使わないと言っても、ならどうやって撤退するつもりですか?」

それを今から伝えなきゃならん。

「いいからちょっと聞け。お前にこれから軍の全権を預けるから、もし俺が死んだらこう動けという道筋を予め伝えておく」

「は――? 死ぬ?」

「聞けって。まず、俺が死んだら連絡線を使うしかないが、その場合は北に抜けようとせずシャンティニオンを目指せ。できるだけ敵の裏をかいてな。非効率な奇策に思えてもどんどんやれ。敵の手のひらの中で動いているほうが、ずっと損害が大きくなる」

「了解しました」

「そんで、もし兵をある程度温存して戻れたとしても、リャオ・ルベとは戦うな。お前の心情的には難しいかもしれないが、これは絶対に守れ」

「はっ? 簒奪者を許して、軍門に下るのですか? それは――ッ」

想像しただけでカッと頭に血が上ったのか、ディミトリは怒りの感情をあらわにした。

控えめに言っても簒奪者であるリャオから、尻尾を巻いて逃げるというのは、ホウ家の家臣にとっては耐え難い恥辱だ。勝つにせよ負けるにせよ、まずは一戦交えてからすべてが始まる、そういう考えなのだろう。

だが、それでは困るのだ。

「リャオ・ルベは俺の政権下で生きることが耐えられなかっただけで、別に売国奴ってわけじゃない。放っといても国を売ったりなんざしないだろ。擦り減った軍でリャオ・ルベと一戦を交えて、負けた上にリャオの戦力まで減らしたら、それこそ向こうの思う壺だ。リャオごとあいつらの餌食になっちまう」

「ですが――」

「戦わずに、シュリカを抱えて海を渡れ。これは命令だ。分かったな」

シュリカが逃げられていたら、だが。

こういう敵国の中枢を奇襲的に攻略する戦法を 斬首作戦(デカピテイション) と言うが、シュリカを鷲に乗せて脱出させる暇もないほどの速度で、ギロチンの刃を落とすように王城全体を把握するというのは、いくらなんでも困難を極めるだろう。王城には近衛軍も一定数残してあるし、シュリカは王剣が警護している。

俺の言葉の意味を噛み砕いているのか、ディミトリは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「お前を説得してる時間はねえんだ。とにかく了承しろ」

「……分かりました」

「じゃあ、今からお前に全軍の指揮権を移譲する。俺が出ていってから――そうだな、四十分経つまでは、拠点の村を背にして防戦に専念しろ。帰ってこなかったら、南西に向かって撤退を開始するんだ。いいな。復唱しろ、ディミトリ・ダズ」

「……了解しました。四十分間、拠点の村を固守し、その後は撤退に移ります」

「よし。じゃあな」

俺は席を立った。

ついでに入り口近くに纏めてある、鷲に伝令を伝える信号旗から真っ白い一枚を抜き取った。