作品タイトル不明
第290話 ティレルメ陣中にて
皇歴二三二五年、九月十日。
俺はティレルメ地域中部、ティーフラントという場所に、軍を引き連れてきていた。
総勢三万のシヤルタ王国遠征軍は、おそらくは翌日に迫る決戦を前にして、一種独特の高揚感に包まれている。
陣容はホウ家の軍と近衛軍。それと、ようやく調練が進み仕上がってきたキルヒナ軍だった。キルヒナ軍は、ジーノ・トガが率いている。
近衛軍はガッラとドッラの親子が、ホウ家の軍はディミトリ・ダズが率いる。
そして現在、彼らの副官や参謀も含め、大所帯がイイスス教の聖堂に詰めかけていた。
祈りのために来ているわけではない。拠点にしている村で、一番広い部屋が聖堂だったからだ。 礼拝(ミサ) のときに信者が座る長椅子は動かされ、真ん中に広いスペースが作られている。そこには、運び込まれた酒場の大テーブルが二枚繋がれていた。
おそらく、これは決戦前に落ち着いてやれる最後の軍議になるだろう。明日は慌ただしくなる。
「しかし、戦闘もなく敵国の真ん中まで来るというのは、なんだか不思議な感じがしますな」
ディミトリがのんびりとした口調で言った。
「今までは陣取り合戦だったからな。たしかに変な感じはする。 盤遊戯(ボードゲーム) で、敵の陣地のど真ん中の置いちゃいけない場所に、自分の駒を置いたような感じだ」
「ああ、まさにそれです」
「だが、陣取り合戦は終わりだ。今まではシャンティラ大皇国の故地を取り戻す戦いで、これからは祖国に千年の安寧をもたらす戦いだからな」
おまえの領土を併合させろ、という要求は、国家に対して最も重い要求だ。故地を取り返す戦いでは、その要求をせざるをえなかった。これからはそれをせずともよくなる。ならば、戦争のやり方も変わってくるだろう。
「俺たちは今、鷲や大砲によって有利を得ている。だが、二十年後には鷲を羽虫のように叩き落とす兵器が開発されるかもしれないし、向こうもこちらと同等の大砲を作ってくるかもしれない。今のうちに、子供や孫が平和に暮らせるよう大きな土台を築いとかないといけない。そのために血を流す諸君には、やや申し訳ないがな。まあ、俺と同じ時代に生まれたのが運の尽きだと思って、諦めてくれ」
笑いを交えながらそういうと、諸侯の中から小さく笑い声が起き、場が少し和んだ感じがした。
「さて、話を戻そう。我々は現在、ここにいる」
俺は地図上の赤い✕印を指揮棒で示した。
「敵国のど真ん中だ。青色で示してあるのは諸君が通ってきた道で、こちらで要所要所の拠点を占拠し、退路を確保している。アルフレッド軍は今のところ協力的で、争い事の一つも起きていない。すべての軍で、今までの損耗はゼロだ。アルフレッドは恐怖政治を敷いているため、住民たちは抑えが効いているようだな。いつもの行軍だったら必ず発生する、現地住民との諍いなどもほとんど起こっていない」
アルフレッド統治下の住民は、恐ろしいほど統制されている。なにかにつけ連帯責任で罰せられるため、自己主張の激しいはみ出し者のような輩は、コミュニティ自体が厳しく管理する仕組みになっているらしい。各地を統治している諸侯も、アルフレッドの意に反したことをすれば即座に首が飛ぶ――比喩ではなく、現実の首が飛ぶ、と感じているのだろう。万事に対して協力的で、問題は少しも起こらなかった。
これなら、キルヒナからシャンティニオンに移動する道中のほうがまだトラブルが多い、というくらい平穏な行軍だった。
「現在いる村は、街道が交差する交通の要衝となっている、戦略的な重要地域だ。諸君もここに入った際に確認しているだろうが、この村がすっぽり収まっている場所は、周辺より少しだけ高台になっている。村長に聞いた所、村の周囲一帯は低地となっていて、近くの川が氾濫を起こすと水が流れ込むらしい。そのため、商業的な需要があるにも関わらず、ここに大きな都市が発達することはなかった。まあ、この辺はどうでもいい話だが……重要なのは、周囲に要塞や城塞都市はなく、戦いは間違いなく野戦になるということだ。敵軍はこの地域を奪取するために接近中で、決戦は明日あたりになる」
俺はそこで言葉を区切って、辺りを見回した。会議の参加者はじっと机の上の地図を見ている。
「我々は、この村を拠点として敵軍を待ち受ける。この教会には――諸兄も既に確認していると思うが、幸いにして高い尖塔が付設されているため、それを観測点にして砲兵を運用する。敵の動向については偵察の報告待ちだが、なにか質問は?」
俺がそう言うと、ジーノ・トガが手を挙げた。
「やはり、アルフレッドが裏切った場合のことを考えておくべきだと思うのですが、その場合は来た道を通って撤退することになるのでしょうか?」
まあ、その質問は来るよな。
頭脳派のジーノが言い出したか。
「撤退を決めた場合はそうなるが、アルフレッドごと敵を撃破できそうな場合は、そのまま決戦を継続するかもしれない。その場合は占拠している拠点をそのまま奪取して、そこから占領を進めていく展開になるだろうな」
「ですが、そうはいかない場合も考えられるように思われます。つまり、アルフレッドが裏切り、アンジェリカ、カソリカ派の連合軍、三軍が一斉にこちらに攻撃してくる場合です。戦争の常道は、敵より多くの戦力を用意して当たること。三軍の戦力を結集して、しかも国内の奥深く、退却はし 難(がた) く追撃はし 易(やす) い環境で決戦をする……そうなれば、まさに敵にとって理想の状況では?」
それはそうだ。
戦争というのは、敵より強大な戦力を用意して挑むのが常道だ。兵のぶつかり合いは単純な引き算ではなく、兵を多く用意して一気に揉み潰したほうが損耗も少なく抑えられる。なので敵の戦力が結集しないよう邪魔したり、あるいは各個撃破するように努力する。
ところがアルフレッドが裏切った場合、こちらはわざわざ敵軍が総結集したところに自ら飛び込んで決戦をする形になる。そんな馬鹿な話はない。
「当然の疑問だな。実際、その意見には俺も同意する。そんな可能性がわずかにでもあるなら、危険は冒すべきではない」
俺はその危険性を認めた。
「だが、今回の作戦の大前提には、アルフレッドとアンジェリカの兄妹は、絶対に和約を結ぶことはないし、轡を並べて戦うこともありえないという、俺の至った結論がある。ここに居並ぶ諸兄の中には、この兄妹のこれまでの経緯について疎い者もいるかもしれないから、端的に喩えよう。この兄妹が手を組むってのは、魔女どもに両親と妻を殺された俺が、その魔女に頭を下げて手を組むってのと同じくらい、ありえない話だ」
この部分については、敵中に身を置いているこいつらも不安かもしれない。
もう少し言葉を重ねておいたほうがいいだろう。
「この中には、俺がクラ人のアルフレッドを愚かにも信頼していると勘違いしている者もいるだろうから、あらかじめ言っておく。俺はあいつを一切、信頼していない。だが、妹の関係についてだけは、一時的にしろ手を組むなんてことは考えられないと確信している。そんなことが起こったら――まあ、びっくり仰天だな。俺からしてみりゃ、白狼半島がシビャクもろとも海に沈んで、帰る所がなくなっちまった、ってほうがまだ信じられるね」
俺がそう言うと、ディミトリを始めとした豪胆な連中からささやかな笑いが起きた。
「まあ、そんなところだ。だから、三対一の状況になることは考えなくていい。だが、俺はアンジェリカ軍が来ないという可能性はあるかもしれないと考えている。その場合、教皇領とアルフレッド、両方と戦う二対一の状況にはなり得るかもしれん。まあ――アンジェリカ軍の有無は、偵察によって近々判明するはずだ。そうなった場合、おとなしく陣張りまで待っているつもりはもちろんない。挟み撃ちの状況が整う前に撤退を開始する――こんなところでいいか? ジーノ」
俺はジーノに視線を向けた。メンツを潰したと思われていなければいいが。
「はい。理解しました。考えてみれば、ユーリ閣下は十八の頃には女王陛下にティレルメ地域の内情について進言していたと聞きます。それを考えれば、ここにいる諸将の誰よりも詳しい。その閣下が確信を抱いているというなら、異論はありません」
どこから聞いたんだ、そんなこと。
もはや記憶もおぼろげだが、あれって進言したっていうのか。
「それならよかった。他に質問はあるか? 次は明日朝の点呼の後の会議になるから、そんときゃ忙しいぞ」
しばらく、誰からも手が挙がらなかった。
「すみません」
周囲を取り囲んでいる副官以下の中から声が上がった。
「他にないなら、質問したいのですが」
俺より年下のようにも見える、線の細い男だった。
「いいよ。遠慮なく訊いてくれ」
「今回、竜の出現は見込まれないということでしたが」
「ああ。今のところはな。エンターク竜王国、クルルアーン龍帝国ともに援軍はないことを確認しているが、はぐれ者を連れてこないとも限らない」
「今回から導入された近接航空支援の要請旗ですが、どの程度信頼できるものなのでしょうか」
鷲の爆撃は、高空から人間の感覚で放物線を想像して放り投げる方法だと、狙った目標に命中させるのはどうしても難しい。なので、地面に対して墜落するような角度で急降下しながら投擲することになる。そのため、腕前のよい鷲乗りでないと任せられない。
しかし最近は訓練によって実行可能な鷲乗りが増えてきたので、各々の部隊が信号旗や色付きの発煙弾で緊急に支援を要請できるようにした。
「僕の想像にすぎないのですが、実際の大規模野戦の最中では、どの部隊もてんてこ舞いで火力支援を常に求め、火力を投射する鷲部隊は大忙しで要求に応えられない状況になるのではないでしょうか。つまり、我々はどの程度支援を当てにしてよいのでしょう?」
まあ、そうだよな。
「実際のところ、まったく当てにしないでほしい」
と、俺は現実を言った。
「おそらく、戦場では君の想像通りのことになるだろう。本当に緊急の時に限って要請することになってはいるものの、鷲の航空支援など、金貨と同じでいくらでもあって困るもんじゃないからな。椅子に座っている将官級には既に話したが……」
階級が上の将官級は長椅子に座って机に向かっている。その一段後ろは立っていて、その後ろは長椅子の上に立っている。記念写真のように三段構えで机上を見られるようになっていた。
「……例えば左翼で、ここをやられたら軍全体が崩壊してしまうという攻勢が行われたとき、俺はもちろんそこに支援を注力しろと指示するだろう。また、これから突破するという攻勢地点に火力を集中したいときも、そのように指示をするかもしれない。そのとき君が右翼にいて、苦境に立たされているとする。敵に対してギリギリで踏ん張っているのに、旗を振っても発煙筒を投げても一向に支援が来ない。なにやってんだこの野郎、目の前にユーリ・ホウがいたらぶん殴ってやる、と……まあ、そういう恨み節を言いたくなる状況も訪れるかもな」
俺はそう言っておどけてみせた。その情景が想像できたのか、皆が口元に笑みを浮かべ、声をかき消さないほどの小さな笑いが満ちた。
戦いの前日ってのは、これくらい気楽なほうがいい。
「――まあ、もしそうなっても許してくれ。こっちも最善を尽くしている」
「ありがとうございます。了解しました」
線の細い男は、満足した様子で軽く頭を下げた。
「他に質問は?」
そう言って見回しても、更に質問はなかった。
「では、隊に戻って英気を養ってくれ。通達した通り、兵に配る酒は寝酒程度にな。戦の前に眠れないのは困るが、酔いが明日に残るようではまずい。それでは、解散とする!」
手を大きく叩くと、ディミトリが会議を締め、将たちは各々の率いる兵の元へ戻っていった。