作品タイトル不明
調査協力依頼
詰所へ戻ってからも、南門前のざわめきはすぐには消えなかった。
草牙犬、泥蛙。
どちらも、ほとんどのプレイヤーにとって初めて見る魔物だった。
ハクトは相談机の横で地図を開いたまま、さっき書き足した文字を見直していた。
南門外縁の入口、古い石標へ向かう道の横、草むら、水たまり。
そこに、魔物が出た。
『南門側:戦闘は起きる』
『戦闘中も、帰路を消さない』
その2行は、書いたばかりなのに、もう前より重く見えた。
リクは帳面を閉じずに、周りの声を聞いていた。
相談に来る人は、さっきまでと少し違う。
新しい場所を見たいという声だけではなく、どう動けばいいのかを知りたい声が増えていた。
「橋手前って、今の感じなら戦えるのか?」
「水たまりから出るなら、水辺も危ないよな?」
「橋の下は見たのか?」
「入口まで行かなくても、橋周辺だけ確認したいんだけど。」
ハクトは順番に答えた。
「橋の上と入口手前までは見ています。
「でも、水辺や橋下は、まだ確認できていません。」
「確認するなら、詰所の指示が必要です。」
「勝手に行ける場所ではありません。」
言いながら、ハクトは自分の地図を見た。
橋は描いてある。
橋の上を歩いた時の感覚も書いてある。
入口手前の目印もある。
けれど、橋の下は白い。
水辺も白い。
草牙犬と泥蛙が出たことで、その白さが前よりも気になる。
短い槍を持った冒険者が、地図の端を指さした。
「橋の下が白いのは、見てないからか?」
「はい。」
「なら、そこを見ればいいだろ。」
ハクトはすぐにはうなずかなかった。
見たい。
でも、見たいから行く、で済む場所ではない。
「僕たちだけで行くなら、許可と護衛が必要です。」
盾を持った冒険者が腕を組んだ。
「護衛か。」
「はい。前に橋へ行った時も、護衛をお願いしました。」
「じゃあ、俺たちが一緒ならどうだ?」
その問いに、ハクトは答えられなかった。
一緒に行くプレイヤーが増えれば、戦闘には対応しやすいかもしれない。
でも、人数が増えれば、音も増える。
さっき見たばかりだ。
リクが帳面を見ながら言った。
「参加する人が増えれば、費用は分けられるかもしれないね。でも、詰所が確認してほしいなら、依頼になると思う。」
「僕たちだけで確認するなら、申請して許可をもらう形だと思う。」
ハクトは言ってから、ダレスの方を見た。
ダレスは少し離れた場所で、草牙犬と泥蛙の記録を確認していた。
シアも横に立ち、泥のついた地面を見ている。
ダレスが顔を上げた。
「今の話、聞こえている。」
ハクトは背筋を伸ばした。
「はい。」
「橋周辺と水辺は、詰所としても確認が必要になった。」
周りのプレイヤーが静かになった。
ダレスは掲示板の方を見てから、ハクトの地図に視線を落とす。
「南門外縁で戦闘が起きた、草牙犬と泥蛙が出た。水たまりから魔物が出るなら、橋下と水辺を放っておくわけにはいかん。」
「調査に行きますか?」
ハクトが聞くと、ダレスは短くうなずいた。
「ああ、詰所からの調査協力として出す。」
その言葉で、短い槍を持った冒険者が少し前に出た。
「俺も行ける。」
「俺もだ。」
盾を持った冒険者も続いた。
若い剣士は少し迷ってから、手を上げた。
「橋手前までなら、俺も見たいです。」
ダレスは3人を見た。
それから、周囲の集まったプレイヤー全員に聞こえるように言った。
「行きたい奴を全員連れていくわけじゃない。確認範囲はこちらで決める。勝手に橋を渡るな、水辺に降りるな、魔物が出ても追うな。指示を聞けない奴は連れていかん。」
誰も軽く返事をしなかった。
さっき戦闘を見たばかりだからだ。
ダレスはハクトとリクを見る。
「ハクトは地図。」
「はい。」
「リクは記録と荷物の整理。」
「はい。」
「2人とも戦闘役じゃない。前に出るな。」
リクはすぐにうなずいた。
「わかりました!」
ハクトも続いてうなずく。
「はい。」
ダレスはシアへ視線を移した。
「シア、同行しろ。前へ出すぎる奴を止めろ。」
「了解。」
シアは軽く肩を回した。
いつものように明るい声ではあるが、目は南門の外を見ている。
「見るだけの日だね。」
「そうだ。」
ダレスは言い切った。
「見るだけだ。」
短い槍の冒険者が聞いた。
「戦闘が起きたら?」
「戦う。」
「追うのは?」
「追わない。」
「橋下に何か見えたら?」
「水辺へは降りない。位置と様子を記録する。」
盾の冒険者がうなずいた。
「わかった。」
若い剣士は少しだけ唇を結んでいた。
前に出たい気持ちはあるのだろう。
でも、今回は自分から何も言わなかった。
リクが帳面を開く。
「参加者の確認をします。お名前をお願いします。」
短い槍を持った冒険者が先に答えた。
「カザミだ。」
盾を持った冒険者が続く。
「オウガ。」
若い剣士は少し遅れて口を開いた。
「ナオです。」
少し後ろにいた女性プレイヤーが手を上げた。
腰に小さな採取袋を下げている。
「ミサキです。水辺を見たいです。採取できるかどうかだけでも。」
「水辺には降りません。それでもいいですか?」
ミサキはすぐにうなずいた。
「はい、見るだけで大丈夫です。」
ダレスは少し考えたあと、シアを見た。
シアはミサキの装備を見てから、軽くうなずく。
「走る感じじゃないし、指示を聞けるならいいんじゃない。」
「よし、参加を認める。」
リクは帳面に書いた。
『調査協力参加者』
『カザミ:短槍』
『オウガ:盾』
『ナオ:剣』
『ミサキ:採取確認』
『ハクト:地図』
『リク:記録、荷物』
『シア:同行、制止』
ハクトは自分の地図の端に、別の項目を作った。
『今回の確認』
『橋手前』
『橋周辺』
『水辺』
『橋下の見える範囲』
『水辺へ降りない』
『橋を渡り切らない』
『魔物を追わない』
書いてから、ハクトは少しだけ息を吐いた。
行く場所よりも、行かない場所の方が多い。
でも、それでいい。
リクが小袋を並べ直した。
ただ売るためではない、誰が何を持つかを確認するためだ。
「泥がついたものを入れる袋は、採取物用とは分けた方がいいです。手当て布はすぐ出せる場所へ。濡らしたくないものは、鞄の内側に入れておいてください。」
ミサキが、小袋を1つ手に取った。
「これはいくら?」
「5リルです。採取物用です。でも、泥のついたものを入れるなら別の袋の方がいいです。」
「じゃあ、こっちも。」
「ありがとうございます。」
リクは代金を受け取り、帳面に書き込んだ。
その動きは、前より少し早い。
ただ売るのではなく、目的に合わせて選んでいる。
カザミが、自分の腰袋を見た。
「俺は袋はいらないな。」
「手当て布は持っていますか?」
「ある。」
「泥で濡れたら、すぐ出せない場所だと困るかもしれません。」
「……上に移すか。」
カザミは腰袋の位置を変えた。
リクはそれを見て、帳面に小さく書き足す。
『手当て布:外側、すぐ出せる位置』
ハクトはその文字を見て、少し感心した。
リクの記録も、地図とは違う形で道を作っている。
ダレスが手を叩いた。
「確認を始める前に、もう一度言う。」
全員が顔を上げた。
「これは詰所からの調査協力だ。自由探索ではない。報酬は出す。ただし、勝手に進んだ者、指示を無視した者は対象外だ。危険が増えた時点で戻る。」
ナオが聞いた。
「戻る判断は、誰がするんですか?」
ダレスはすぐには答えず、ハクトを見た。
「ハクトだ。」
「僕ですか?」
「戻る道を見ているのはお前だ。今回は戦う依頼じゃない。確認して戻る依頼だ。」
シアが横から軽く手を上げた。
「ハクトが戻るって言ったら、あたしが通すよ。危ない時は、こっちからも止める。」
「……わかりました。」
ナオは少し驚いた顔をしたが、うなずいた。
ダレスは続けた。
「違和感があれば言え、戦闘中でもだ。」
「はい。」
「遠慮するな。戻る判断が遅れたら、地図は役に立たん。」
「わかりました。」
ハクトは地図を閉じずに、持ちやすいようにたたみ直した。
全部を開いたまま歩くわけにはいかない、必要な場所だけ見えるようにする。
リクは帳面を片手で開けるように持ち替えた。
鞄の口は閉める、小袋は出しっぱなしにしない。
シアが参加者を見回した。
「音、気をつけてね。」
「話すなってことか?」
カザミが聞いた。
「必要なことは話す。でも、騒がない。さっきのでわかったでしょ。」
「……わかった。」
オウガは自分の盾の留め具を押さえた。
金具の鳴る音が少し小さくなる。
ハクトはその動きを見て、地図の端に書き足した。
『音:装備の金具、盾、足音』
『出発前に確認』
リクがそれを見て、うなずく。
「装備の音も、準備に入るんだね。」
「うん。たぶん、南門では。」
シアが少し笑った。
「いいね。そういうの、助かる。」
ハクトは少しだけ頬が熱くなった。
褒められたからではない。
地図に書いたことが、実際に誰かの動きに変わったからだ。
ダレスが南門の方へ歩き出した。
「行くぞ。」
シアが前に出る。
その後ろに、カザミとオウガ。
少し離れてナオ。
ミサキはリクの近くに立った。
ハクトは地図を持ち、リクは帳面を持つ。
門を出る前に、ハクトは一度だけ振り返った。
相談机、掲示板、詰所。
そこに残る人たち。
今までは、ハクトたちが南門側を少しずつ見ていた。
今日は違う。
南門を知らなかったプレイヤーたちも、一緒に見る。
ただし、進むためではない。
確認するためだ。
南門を出ると、空気が少し変わった。
街の音が後ろへ下がる。
前には、草と土と水の匂いがある。
それから、抑えた足音。
前回より人数は多い。
でも、さっきよりは静かだった。
ハクトは耳を澄ませた。
金具の音、盾の音、靴底が土を踏む音、小袋が鞄の中で揺れる音。
全部が、地図には描けない音だった。
でも、南門側では、それも道の一部になる。
古い石標が見えてきた。
その手前で、シアが片手を上げる。
「ここで一度止まるよ。」
全員が止まった。
ナオだけが半歩遅れて止まり、少し気まずそうに足を戻した。
ハクトは地図を開いた。
南門、古い石標、草むら、水たまり。
その先に、橋手前。
まだ橋は遠い。
でも、ここからもう確認は始まっている。
『調査協力開始』
『人数が増える時、音も増える』
『確認範囲:橋手前、水辺、橋下の見える範囲』
『勝手に進まない』
『戻る道を先に見る』
ハクトはそこまで書いて、顔を上げた。
橋の下は、まだ見えていない。
水辺も、まだ白い。
けれど今日は、その白い場所を見るための役割がある。
戦う人がいる、止める人がいる、記録する人がいる、荷物を見る人がいる。
ハクトは地図の端を指で押さえた。
次に見るのは、橋の周りだ。
そして、戻ってこられる形のまま、それを見る。