作品タイトル不明
音が集めるもの
翌日、南門詰所の前は、昨日までと少し違っていた。
机は出ている。
相談用の地図もある。
けれど、並んでいる人の雰囲気が違った。
初心者だけではない。
革鎧の上から金属の留め具を増やした冒険者、使い込まれた盾を背負った冒険者、短い槍を持ち、地図を覗き込む前から周囲の足場を見ている冒険者。
ただ、その人たちの多くは、南門側の道を知っているわけではなかった。
むしろ、知らないから来ている。
掲示板の前で、2人の冒険者が話していた。
「南門って、外に出られるのか?」
「さあ?東門しか見てなかった。」
「掲示が増えてるって聞いて来たんだよ。」
「新しい狩場なら見ておきたいな。」
ハクトはその言葉を聞いて、地図を持つ手に少し力を入れた。
南門、橋、入口、入口奥。
ハクトたちが少しずつ見てきた場所は、ほかのプレイヤーにとっては、まだ名前も形もない場所だった。
ただ、掲示が増えた。
詰所の前に机が出た。
それだけで、何かがあると考える人たちが集まり始めている。
ハクトは、詰所前の音が増えていることにも気づいた。
話し声、装備の金具が鳴る音、盾を地面に置く音、誰かが笑う声、足で土を踏み直す音。
昨日までは、南門前には静けさがあった。
今は違う。
人が増えたぶん、音も増えていた。
リクは帳面を開きながら、小さく言った。
「昨日より、人が多いですね。」
「はい。初心者だけじゃなさそうです。」
ダレスが詰所の前へ出てきた。
いつもより声が低い。
「討伐依頼はまだ出ていない。入口奥への無断進入は禁止だ。噂を聞いて来たなら、まず掲示と地図を見ろ。」
何人かが掲示板へ目を向ける。
そこには、昨日までより大きく書かれた注意が貼られていた。
『入口奥:一時封鎖』
『主の縄張り推定』
『討伐依頼準備中』
『無断進入禁止』
掲示の横には、相談机で使う簡易地図が置かれていた。
ハクトが昨日までに清書した、南門から入口手前までの地図だ。
橋手前、橋周辺、入口手前には、それぞれ注意書きが足されている。
入口奥だけは赤い線で区切られ、詳しい地図は置かれていない。
ハクトは机の横に立った。
リクは小分けの袋と帳面を整える。
最初に来たのは、短い槍を持った冒険者だった。
初心者というより、中級者くらいに見える。
装備は派手ではないが、動きに迷いが少ない。
「橋手前までの確認を見たい。いくらだ?」
「相談と地図確認で3リルです。案内が必要な場合は、詰所の許可が別になります。」
「奥は?」
「入口奥は一時封鎖です。討伐依頼の準備対象なので、今は入れません。」
槍の冒険者は少しだけ眉を上げた。
「橋手前なら戦えるのか?」
「戦闘は起きると思います。ただ、橋側と入口側を塞がない位置でお願いします。」
「戦うな、じゃないんだな。」
「はい。戦う場所と、空ける場所を分ける必要があります。」
槍の冒険者は、少しだけハクトを見直したような顔をした。
「案内人か?」
「はい。」
リクが横から帳面に書き込む。
相談料3リル。
橋手前確認。
戦闘位置注意。
次に来た冒険者は、盾を持っていた。
「東門と同じ感じで狩れるか?」
「同じではないと思います。」
「魔物の強さか?」
「強さだけではなく、足場と戻り道です。橋前は音で魔物が寄る可能性があります。戦うなら、後ろを空けた方がいいです。」
「後ろ?」
「戻る道です。」
盾の冒険者は黙った。
それから、掲示板の地図を見た。
「……なるほどな。」
相談机の周りの声が増える。
リクは料金を受け取り、必要な人には小袋を出した。
ただ売るだけではない。
採取用か、手当て布用か、水辺に近づくかで、使う袋を分けて説明していた。
ハクトは地図を示しながら、何度も同じ言葉を言った。
「橋側は空けてください。」
「入口正面には立たないでください。」
「音が増えると魔物が寄るかもしれません。」
「追うなら、戻る道を見てからにしてください。」
言いながら、ハクトは少しずつ不思議な気持ちになった。
昨日までは、戻るために自分へ言い聞かせていた言葉だった。
今日は、それを他の冒険者に伝えている。
相談が一段落したところで、ダレスが掲示板の前に集まった冒険者たちを見た。
「橋手前までの確認希望者は、ここで待て。外縁の入口まで出る。そこから先は、詰所の指示なしに進むな。」
槍の冒険者と盾の冒険者が前に出た。
若い剣士も少し遅れて続く。
ハクトとリクは顔を見合わせた。
「相談記録を持ってこい。」
ダレスに言われ、ハクトは地図を持った。
リクも帳面と小袋をまとめる。
南門を出ても、すぐに橋があるわけではない。
まずは古い石標へ向かう道があり、その先に橋手前の草地がある。
今日は、その手前だけを見る。
戦いに行くのではなく、どこまで音が届くか、どこで待つかを確かめるためだ。
門を出ると、音が変わった。
街の音が背中側へ遠ざかる。
代わりに、足音と装備の音が前に出る。
ハクトはそこで気づいた。
相談机の前にいた時より、音がまとまって聞こえる。
金具、盾、靴底、槍の石突き。
その時、草むらが揺れた。
ハクトは足を止めた。
南門から少し離れた、古い石標へ向かう道の横。
背の低い草の中で、何かが走った。
最初に飛び出したのは、細い体の獣だった。
犬に似ている。
けれど、耳が短く、口元には小さな牙が並んでいる。
草の中を低く走り、足元へ飛び込むように動く。
視界の端に、薄い表示が浮かんだ。
『魔物情報:未確認』
名前は出ない。
少なくとも、ハクトの地図にはまだ載っていない魔物だった。
「何だ、あれ。」
「犬か?」
「いや、違うだろ。」
近くの冒険者たちも、すぐに名前を出せなかった。
見慣れた敵ではない。
少なくとも、ここにいるプレイヤーにとっては初めて見る魔物だった。
続いて、水たまりの方から泥が跳ねた。
丸い蛙のような魔物が、泥をまとって飛び出す。
跳ねた泥が、前に出ようとした冒険者の足元へ飛んだ。
『魔物情報:未確認』
「こっちにもいる!」
「水たまりから出たぞ!」
名前より先に、声だけが増える。
その声に、草むらがまた揺れた。
ハクトは外縁の入口を見た。
今日は、人が多い。
話し声も多い。
金具の音も、盾を置く音も、足で土を踏み直す音もある。
自分たちが少人数で歩いていた時は、ここまで魔物は出なかった。
橋の近くまで行っても、何度も戦闘になるわけではなかった。
でも今日は違う。
もしかして、音に寄っている。
そう思った瞬間、細い獣がもう1匹、草むらの奥から顔を出した。
剣を抜く音が、あちこちで重なった。
慣れた冒険者ほど、反応が早い。
けれど、南門の外縁は広くない。
細い獣が足元を狙って走る。
泥をまとった蛙が跳ねる。
音が増える。
剣を抜く音、誰かが一歩下がる音、盾が地面をこする音。
音が増えれば、さらに寄ってくるかもしれない。
ハクトは、橋へ続く道を見た。
まだ橋手前ではない。
けれど、このまま人が前へ詰めれば、古い石標側の道が塞がる。
「橋へ向かう道を空けてください!」
ハクトは声を出した。
「戦う人は右側へ。荷物を持っている人は石標の左へ下がってください。道の真ん中を空けてください!」
槍の冒険者がすぐ反応した。
右へ動き、細い獣の進路を止める。
「こっちか。」
「はい、そこなら戻る道が塞がりません。」
盾の冒険者も前へ出た。
けれど、真ん中ではなく、少し右に構える。
泥をまとった蛙が跳ねた。
泥が飛ぶ。
盾の冒険者は受けたが、足元がぬかるむ。
「足元、滑ります!」
リクが声を上げた。
「後ろの人、詰めないでください!」
その声で、後ろの冒険者が止まった。
若い剣士も、剣に手をかけたまま前へは出なかった。
昨日より少し落ち着いている。
細い獣が槍の横を抜けようとした。
槍の冒険者が柄で進路をずらす。
獣は地面を蹴って向きを変えた。
その瞬間、表示が変わった。
『魔物名:草牙犬』
『詳細情報:未登録』
草牙犬、草むらから飛び出し、足元を狙う魔物。
ハクトは名前だけを頭に入れた。
詳しいことは、まだわからない。
けれど、今見た動きは記録できる。
そこへシアが入り、短く斬った。
草牙犬が地面に倒れる。
泥をまとった蛙はもう1匹跳ねた。
泥がリクの近くまで飛ぶ。
リクは一歩下がったが、鞄は開けたままだった。
蛙が盾にぶつかり、足元へ泥を落とす。
『魔物名:泥蛙』
『詳細情報:未登録』
泥蛙、水たまりから跳ね、泥で足場を悪くする魔物。
「手当て布も水袋もだせるよ!」
「まだ大丈夫です。」
ハクトは答えた。
「でも、泥で足元が悪いです。荷物は後ろへ寄せましょう。」
リクはうなずき、持っていた小袋を鞄の中へ戻した。
足元に置かない。
泥が跳ねる場所に荷物を増やさない。
戦闘は長く続かなかった。
槍の冒険者と盾の冒険者が前を押さえ、シアが横から動きを止める。
泥蛙は最後に大きく跳ねたが、盾で受けられ、槍の石突きで地面へ押さえられた。
終わってみれば、大きな怪我はない。
けれど、南門外縁の入口には、泥の跡と、草が踏まれた跡が残っていた。
ダレスがゆっくり前へ出た。
「これが南門側だ。」
誰も軽く返事をしなかった。
「戦うなとは言わん。だが、ここは東門じゃない。勝っても、戻る道を塞げば失敗だ。」
槍の冒険者が、倒れた草牙犬を見てから、ハクトの方を見た。
「音に寄ったのか?」
「たぶん、そうだと思います。人が増えて、音も増えました。」
「東門ならこのくらい普通の音だぞ。」
「南門では違うと思います。」
盾の冒険者が泥のついた靴を見下ろした。
「泥を飛ばす蛙がいるなら、橋前はもっと面倒だな。」
「はい。足場が悪い場所で出ると危ないと思います。」
ダレスは倒れた草牙犬を見た。
「草牙犬、草むらから足元を狙う。強い魔物じゃないが、足場の悪い場所では面倒だ。」
次に、泥の跡を見る。
「泥蛙、水たまりやぬかるみに潜む。倒すより、足場を崩されるのが厄介なやつだ。」
ハクトの地図に、表示が重なる。
『草牙犬:足元狙い。草むらから接近』
『泥蛙:泥跳ね。足場悪化』
ハクトはその名前を地図の端に書き込んだ。
草牙犬、泥蛙。
どちらも、南門側で初めて名前を知った魔物だった。
「戻るぞ、確認はここまでだ。」
ダレスの声で、冒険者たちは詰所へ戻り始めた。
槍の冒険者は倒れた草牙犬の方をもう一度見たが、追うことはしなかった。
盾の冒険者は泥のついた靴を気にしながら、道の中央を空けて歩いた。
ハクトは地図を開いたまま、戻り道を見た。
古い石標、草むら、水たまり、南門。
行きよりも、戻る時の方が目に入るものが増えていた。
詰所へ戻ると、ハクトは相談机の横で地図を広げた。
さっきの位置を確認する。
そこに、新しく書き込む。
『南門前:人が増えると音が増える』
『草牙犬:草むらから足元を狙う』
『泥蛙:水たまり、泥跳ね。足場悪化』
『戦闘時:道の中央を空ける』
『荷物、相談机は後ろへ下げる』
リクが隣で帳面に書いた。
『外縁入口:戦闘時の荷物位置を変更』
『泥対策:布袋は地面に直置きしない』
『手当て布:未使用』
『水袋:未使用』
ハクトはその文字を見た。
戦闘は起きた。
でも、戦わせないための記録ではない。
戦えるようにするための記録だった。
槍の冒険者が、3リルを机の上に置いた。
「追加で払う。今の位置取り、助かった。」
「いえ、最初の相談に含まれています。」
「そうか。なら、次に橋手前まで見る時に頼む。」
ハクトは少し驚いた。
リクがすぐに帳面を開く。
「橋手前の案内は、詰所の許可が必要です。」
「わかってる。許可を取る。」
槍の冒険者は掲示板へ向かった。
盾の冒険者も、泥を落としながら地図を見直している。
ハクトは、南門の方を見た。
人が増えている、音も増えている、魔物も寄る。
でも、それは南門側が危なくなっただけではない。
人がこの道を見始めたということでもある。
戦闘が起きる場所になっていく。
ただし、ただ戦えばいい場所ではない。
足場、橋、入口、落石、帰る道、詰所の指示。
全部が重なっている。
ダレスがハクトの地図を覗いた。
「書いたか。」
「はい。」
「なら、相談机の横に出せ。今日から必要になる。」
ハクトはうなずいた。
リクが紙を1枚取り出し、見出しを書いた。
『南門前で戦闘が起きた時』
ハクトは少し考えてから、その下に書いた。
『戦う場所を決める』
『戻る道を空ける』
『荷物を下げる』
『音が増えたら周囲を見る』
『東門と同じと思わない』
書き終えた紙を、相談机の横に置く。
それを見た若い剣士が、小さく笑った。
「戦うな、じゃないんだな。」
「はい。」
「戦う場所を考えろ、か。」
「たぶん、その方が南門らしいです。」
若い剣士はうなずいた。
「なら、俺も次は考える。」
ハクトは南門の外を見た。
白い場所は、少しずつ色を持っていく。
けれど、色がつくほど危険も増える。
それでも、道は戻り始めていた。
人が来る、音が増える、魔物が寄る、戦闘が起きる。
だからこそ、戻る道を空けておく必要がある。
ハクトは地図の端に、もう一つ書き足した。
『南門側:戦闘は起きる』
『戦闘中も、帰路を消さない』