軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

商人の小さな準備

ハクトと別れたあと、リクは市場通りの入口で足を止めた。

人の声が重なっている。

野菜を並べる店、布を広げる店、旅人向けの小物を売る屋台。

同じ市場でも、昨日までとは少し違って見えた。

ハクトなら、きっと道を見る。

曲がり角、目印、戻れる場所、危ない場所。

なら、僕は何を見るべきだろう。

リクは肩から下げた袋を軽く持ち直した。

「値段と、荷物と、人の困りごとかな。」

そうつぶやいて、市場通りへ歩き出す。

まずは買わない。

売らない。

見る。

それが、リクが最初に決めたことだった。

赤屋根パン屋の前では、焼き上がったパンが並んでいた。

店先から、香ばしい匂いが流れてくる。

店番をしていたエマが、リクに気づいて顔を上げた。

「いらっしゃい。今日はパンを買いに来たのかい?」

「今日は買うより、相場の確認かな?」

「相場?」

「商人なので!何がいくらで、どれくらい売れてるのか知っておきたくて!」

エマは少しおかしそうに笑った。

「真面目だねえ。」

「真面目にやらないと、すぐリルがなくなりそうで……!」

冗談半分だった。

でも、半分は本気だった。

橋の先へ進むには、護衛も道具も必要になる。

食事だって必要だ。

ハクトが道を知って、地図を広げている間に、リクはリルの流れを少しでも作っておきたかった。

店先の商品を眺める。

赤屋根パンは5リル。

薄焼きのパンは3リル。

小さな丸パンは2リル。

食べるための商品、持ち歩くための商品。

同じパンでも、買う理由が違う。

そこに商売の種がある気がした。

「赤屋根パンって、朝と夕方で売れ方は違いますか?」

「朝はよく出るね。昼を過ぎると、旅人が買っていくこともあるよ。」

「日持ちするから?」

「そういうこと。」

リクはうなずいた。

買う人には、買う理由がある。

それを知らないまま仕入れても、たぶんうまくいかない。

「ありがとう。今日はまだ買わないけど、参考になりました!」

「はいよ。商人さん!」

商人さん。

そう呼ばれると、少しだけ背筋が伸びた。

リクは市場通りをさらに進んだ。

次に見たのは、道具を扱う屋台だった。

小袋、木札、革ひも、簡単な針と糸、採取用の小さな刃物。

どれも派手ではない。

けれど、街の外へ出る人には必要になりそうなものばかりだった。

リクは値札を見て、頭の中で整理する。

小袋は1つ2リル。

木札は5枚で2リル。

革ひもは2本で3リル。

ばらばらに見える数字が、少しずつまとまっていく。

《簡易精算》のおかげだろう。

買った時、売った時、組み合わせた時、少しだけ手間賃を乗せた時。

損をしない線が、なんとなく見えやすい。

ただし、見えるだけだ。

実際に売れるかどうかは、別の話だった。

リクが屋台の前を離れようとした時、視界の端で2人組の初心者が立ち止まっていた。

革の胸当てをつけた少年と、杖を持った少女。

装備は新しく、動きにも少しぎこちなさがある。

少年が小袋を手に取って、首をかしげた。

「採取って、袋いくついるんだ?」

「依頼品と普通の素材って分けた方がいいのかな?」

「でも、採取道具一式は高いよな〜。」

リクは足を止めた。

困っている。

でも、何に困っているのかは、たぶん本人たちにもはっきりしていない。

リクは少しだけ考えてから、声をかけた。

「あの。」

2人が振り向く。

「何?」

「採取依頼の準備?」

「そう。東門の近くで草を採るやつ。」

「でも、何を買えばいいのかよくわからなくて。」

リクは屋台の商品を見る。

それから、2人の持ち物を見る。

高い道具を買わせる必要はなさそうだった。

「高い道具を買う前に、何を採りに行くか決まってる?」

「青筋草ってやつ。」

「依頼品?」

「うん。」

「なら、最初は小分けできるものがあった方がいいかも。」

少女が首をかしげる。

「小分け?」

「依頼品、自分用、よくわからないもの。最初はその3つに分けられるだけで、だいぶ楽だと思う。」

「よくわからないものって?」

「最初はあるでしょ。これ何だろうってやつ。」

少年は少し考えてから、納得したようにうなずいた。

「……あるかも。」

「でも、ここで全部別々に買うと少し迷うね。」

少女が小袋と木札を見比べる。

「何をどれだけ買えばいいのか、結局わからないかも……。」

その言葉に、リクは小さくうなずいた。

困っているのは、値段だけではない。

何を選べばいいのかわからないこと。

買ったあと、どう使えばいいのかわからないこと。

そこに、商人ができることがある気がした。

「……教えてくれてありがとう。」

「え?」

「いや、こっちの話。採取、頑張ってね!」

「うん。」

リクは屋台を離れた。

頭の中には、小袋と木札と革ひもの組み合わせが残っていた。

採取用に、最初から分けてある小さなセット。

それなら、初めて採取に行く人にも使いやすいかもしれない。

リクは市場通りを抜け、車輪と道具の修理屋へ向かった。

マルタの店には、金属を打つ音が響いていた。

入口の横には、修理済みの道具や余った小物がいくつか並んでいる。

小袋、木札、革ひも、小さな留め具。

思った通り、使えそうなものがあった。

「こんにちは!」

奥からマルタが顔を出す。

「おや。商人の子かい。」

「リクです!」

「覚えてるよ。今日はどうした?」

「ちょっと相談してもいいですか?」

「商人の相談かい?」

「たぶん、そうです。」

リクは店先の小物を指さした。

「初心者向けの採取用小分けセットを作ってみたいんです。小袋と木札と革ひもを、まとめて仕入れられますか?」

マルタは少し目を細めた。

「採取用小分けセット?」

「依頼品用、自分用、不明品用に分けるためのものです。小袋3つ、木札3枚、革ひも1本。最初からまとめておけば、何を買えばいいかわからない人にも使いやすいかなと思って!」

マルタは作業台の上にあった小袋を手に取った。

「なるほどね。余り物を組み合わせるわけか。」

「余り物でも、使う人にとって便利なら商品になると思うんです。」

「いい考えだ。」

その言葉に、リクは少しだけほっとした。

マルタは小物をいくつか並べる。

「1セット分の材料なら5リルで出せる。」

「販売は7リルくらいで考えています。」

「売れれば、1つ2リルの利益か。」

「はい。でも、売れなかったら僕の在庫になります。」

「そこまでわかっているなら、やってみな。」

リクはすぐに数を増やしたい気持ちを抑えた。

たくさん作れば、売れた時の利益は増える。

でも、売れ残れば荷物になる。

持てる量が増えても、動きやすくなるわけではない。

それは、自分のスキルでわかっている。

「まずは3セットだけにします!」

「欲張らないね。」

「売れ残っても持てる数にしたいので……!」

マルタは笑って、小袋と木札と革ひもを出してくれた。

リクはそれを作業台の上に並べる。

小袋3つ、木札3枚、革ひも1本。

それを1組にする。

手に取った瞬間、どれをどこへ入れるべきかが不思議と整理されていく。

《荷物整理》が働いている。

ただ物をまとめるだけではない。

使う順番、見分けやすさ、持ち運びやすさ。

それらが頭の中で小さな箱に分かれていくようだった。

リクは木札に短く印を入れた。

依頼品。

自分用。

不明。

文字が読めなくてもわかるように、印も少し変えた。

「へえ。手つきがいいじゃないか。」

「スキルのおかげかな。」

「それを使えるなら十分さ。」

3セット作り終えたところで、表示が浮かんだ。

『商人経験値を獲得しました』

『商人 Lv.2:32/100 → 43/100』

リクは目を瞬かせた。

まだ、何かを売ったわけではない。

ただ見て、考えて、形にしただけだ。

それでも経験になる。

リクは小分けセットをそっと袋に入れた。

商人は、買う前に見る。

売る前に考える。

それも仕事なのかもしれない。

「マルタさん。」

「何だい?」

「これを売りに行く前に、他に小さな仕事ってありますか?」

「あるよ。ちょうど市場の屋台に届ける留め具と、工房通りへ返す修理道具がある。」

「届け物ですか?」

「そうだね。数は少ないけど、間違えると面倒だ。」

「それ、僕向きかもっ!」

マルタは作業台の奥から、小さな袋を2つ取り出した。

片方には荷車用の留め具。

もう片方には、修理済みの小刀が入っている。

「ついでに、次に必要なものがあるか聞いてきてくれるかい?」

「注文取りも?」

「そう。できればでいい。」

「やってみます!」

マルタはうなずいた。

「届け物と注文取りで、報酬は10リル。」

「わかりました!」

リクは届け物の袋と、小分けセットの袋を分けて持った。

持つ量は増えた。

でも、持ち方を間違えればすぐ動きにくくなる。

《運搬上手》は、荷物を多く持てるスキルだ。

軽やかに動けるスキルではない。

リクは袋の位置を調整し、市場通りへ戻った。

人が多い、呼び込みの声も多い、前から籠を持った人が来る、横から子どもが走ってくる。

リクは無理に進まず、一度足を止めた。

持てる。

でも、すり抜けられるわけではない。

「持てるものと、動ける量は別だね……。」

小さくつぶやいてから、リクは市場の屋台へ向かった。

「すみませんー!マルタさんのところからです!」

屋台の主人が顔を上げる。

「ああ、留め具か。助かった。昨日から外れかけててね。」

リクは届け物の袋から、留め具だけを取り出す。

小分けセットの袋とは混ざっていない。

数も合っている。

屋台の主人は品物を確認し、受け取りの木札に印をつけた。

「他に必要なものってありますか?マルタさんに伝えておきます。」

「そうだな。予備の革ひもが少し欲しい。あと、小さい釘も。」

「革ひもと小さい釘ですね。」

リクは木札の裏に短く書きつける。

注文を聞くのは、ただ言葉を預かるだけではない。

何を、どのくらい、いつ欲しいのか。

そこまで聞かないと、仕事にならない。

「急ぎですか?」

「明日までにあればいい。」

「わかりました。伝えておきます。」

次は工房通りだった。

修理済みの小刀を持って、リクは人の少ない道を選んで歩く。

ハクトがいれば、もっと細かく道を見ただろう。

でも、今は自分で考えるしかない。

荷物を持ったまま、人混みに入ると動きにくい。

なら、少し遠回りでも空いている道を選ぶ。

それも、商人の判断だ。

工房通りの職人は、作業台の前で腕を組んでいた。

「マルタのところから?」

「はい、修理済みの小刀です!」

「おお、これだ。」

リクは袋から小刀を取り出す。

刃には布が巻かれていた。

他の物を傷つけないためだろう。

「助かった。作業が止まってたんだ。」

「次に必要なものがあれば、マルタさんに伝えられます!」

「なら、細い革ひもを頼みたい。道具の持ち手に巻くやつだ。」

「細い革ひも。量は?」

「2束でいい。」

「急ぎですか?」

「明日で大丈夫だ。」

リクはそれも木札に書きつけた。

届ける、聞く、戻す。

単純に見えるけれど、間違える場所はいくつもある。

だからこそ、整理する意味がある。

店へ戻る途中、リクは最初に声をかけた初心者2人を見つけた。

2人はまだ市場の端にいた。

小袋と木札を手にしたまま、結局どれを買うか決めきれていないようだった。

リクは少し迷ってから、袋の中の小分けセットを1つ取り出した。

「さっきの採取の準備、まだ迷ってる?」

少年が顔を上げる。

「あ、さっきの。」

「うん。ちょっと作ってみたんだ。」

リクは小分けセットを見せた。

「小袋3つ、木札3枚、革ひも1本。依頼品、自分用、不明品で分けられる。」

少女が木札を見る。

「これ、印が違う。」

「同じ札だと、急いだ時に間違えるかもしれないから。」

「いくら?」

「1セット7リル。」

少年は少し考えた。

「材料を別々に買うより高い?」

「少しだけ。まとめる手間と、選ぶ手間の分をもらってる。」

リクは正直に言った。

「高い道具を買うよりは安いと思う。でも、自分で選べるなら別々に買った方が安く済む。」

少女は小分けセットを見てから、少年を見た。

「私はこれでいいと思う。何を買えばいいか迷ってたし。」

「俺も。1つずつください。」

「ありがとう。」

リクは2セットを渡し、14リルを受け取った。

3セット作って、2セット売れた。

残りは1セット。

全部売れたわけではない。

でも、それでよかった。

最初から全部うまくいく方が怖い。

リクはマルタの店へ戻った。

「ただいま戻りました。」

「どうだった?」

「届け物は2件完了です。注文も聞いてきました。あと、小分けセットは2つ売れました。」

リクは受け取りの木札と、注文を書いた木札を渡す。

マルタはそれを確認し、満足そうにうなずいた。

「問題なし。注文も使える情報だね。」

「よかった。」

「約束の10リルだ。」

『届け物の報告が完了しました』

『報酬:10リル』

報酬を受け取ると、続けて表示が浮かんだ。

『商人経験値を獲得しました』

『商人 Lv.2:43/100 → 76/100』

リクは表示を見つめた。

一気に数字が伸びている。

ただ運んだだけではない。

届け先を分けた、順番を決めた、荷物を混ぜなかった、注文を聞いた。

それが、商人としての経験になっている。

「……ちゃんと仕事になってるんだ。」

「何か出たのかい?」

「経験値です、けっこう増えました!」

「なら、合ってるってことだね。」

その言葉が、リクには嬉しかった。

売れ残った小分けセットを袋に戻す。

1つだけ残ったそれは、失敗のようで、失敗ではない。

次に売れるかもしれない。

売れなければ、自分たちで使ってもいい。

リクは店先の隅を借りて、木札に小さく価格を書き足した。

採取用小分けセット。

7リル。

依頼品、自分用、不明品に分けられる。

それだけでは足りない気がして、もう1つ書き加えた。

初めての採取向け。

夕方が近づくころ、市場通りの人の流れが少し変わった。

外から戻ってきたらしい初心者たちが、疲れた顔で歩いている。

その中に、さっきの少年と少女がいた。

少女はリクを見つけると、少し駆け寄ってきた。

「あ、いた!」

「どうしたの?」

「それ、もう1つある?」

リクは一瞬、意味がわからなかった。

「小分けセットのこと?」

「うん。途中で別の草も拾ったんだけど、袋が足りなくなって。分けておいてよかったから、もう1つ欲しいなって。」

少年も後ろから来て、照れくさそうに笑った。

「最初、袋3つもいるかと思ったけど、いるな。」

リクの胸の奥が、少しだけ温かくなった。

売れるのは嬉しい。

でも、それ以上に、自分の考えたものが役に立ったことが嬉しかった。

「あるよ、最後の1つ!」

「買います。」

「まいどあり!!」

リクは最後の小分けセットを渡し、7リルを受け取った。

3セット全部売れた。

ただ、売れたことよりも。

使った人が、便利だと思って戻ってきた。

それが、リクには商売として一番大きなことのように思えた。

リクはもう一度マルタの店に戻った。

店先の明かりが少しだけ赤くなっている。

夕方の光が差し込んでいた。

「最後の1つも売れました!」

「おや、早かったね。」

「使った人が、もう1つ欲しいって戻ってきたんです!」

「それはいい売れ方だ。」

「売りつけたんじゃなくて、必要になって戻ってきた感じがしました。」

リクはうなずいた。

その違いは、たぶん大事だ。

店の隅で、リクは今日の収支を整理した。

小分けセットの材料費、販売額、届け物の報酬、注文取り、手元に残ったリル。

数字が頭の中で並んでいく。

《簡易精算》が反応している。

ただの足し算ではなく、今日の動きが1本の流れになって見えた。

何を見たか、何を仕入れたか、どう組み合わせたか、誰に渡したか、いくら残ったか。

その流れの最後に、表示が浮かんだ。

『商人経験値を獲得しました』

『商人 Lv.2:76/100 → 106/100』

続けて、もう1つ表示が重なる。

『商人の職業レベルが上がりました』

『商人 Lv.3 になりました』

リクは小さく息を止めた。

それから、ゆっくり吐いた。

「……上がった!」

「レベルかい?」

「はい、商人 Lv.3です。」

「なら、今日の仕事はちゃんと商人の仕事だったってことだね。」

「そう言われると、けっこう嬉しいです!」

さらに表示が浮かぶ。

『新しい商人スキルを習得しました』

『《小口取引》を習得しました』

小口取引。

リクはその文字をじっと見る。

小さな売買、手数料つきの受け渡し、少額の取引条件。

そういうものを、整理して相手に伝えやすくなるスキルらしい。

大きな商売ではない。

高価な商品を動かすわけでもない。

でも、今のリクにはちょうどいい。

「僕っぽいスキルだね。」

「何を覚えたんだい?」

「《小口取引》です。小さい取引向きみたい。」

「いいじゃないか。小さい取引を雑にしない商人は、信用されるよ。」

信用。

リクはその言葉を心の中で繰り返した。

リルだけではない。

信用も、商人の持ち物なのだ。

夕方の市場通りは、朝より少し落ち着いていた。

店じまいの音、残った商品をしまう音、道を行き交う人の声。

リクは袋を肩にかけ直した。

今日、袋の中身は何度も変わった。

空だった袋に小物が入り。

小物がセットになり。

セットが誰かの手に渡り。

代わりにリルと経験値が残った。

持てる荷物は、少し増えた。

でも、持つべきものは選ばなければならない。

そのことも、今日少しだけわかった。

「持てるものと、持った方がいいものは別、かな。」

そうつぶやいて、リクは市場通りを歩き出した。

ハクトは、今日どんな道を見つけただろう。

どんな目印を地図に書いたのだろう。

どこで戻る判断をしたのだろう。

リクは、今日どんなリルの流れを作っただろう。

どんな小さな商売をしたのだろう。

明日、合流したら話すことがある。

商人 Lv.3になったこと。

《小口取引》を覚えたこと。

採取用小分けセットが全部売れたこと。

それから、次の準備に使えそうな小さな商品を見つけたこと。

リクは少し笑った。

ハクトもきっと、地図の話をするだろう。

それを聞くのが、今から少し楽しみだった。