作品タイトル不明
街の中の帰り道
ハクトは掲示板の前に戻った。
南門前外縁の依頼札は、もう外されている。
代わりに、街中の小さな依頼がいくつか並んでいた。
『西倉庫への案内補助』
『内容:荷札を持った職人を西倉庫まで案内』
『報酬:8リル』
『染物通りの場所確認』
『内容:仕立て屋から染物通りまでの経路確認』
『報酬:6リル』
『東門前広場の掲示写し』
『内容:案内板の変更点確認』
『報酬:7リル』
外へ出る依頼ではない。
魔物も出ない。
けれど、地図を広げるにはちょうどいい。
ハクトは少し迷ってから、1枚目の依頼札を見た。
西倉庫。
まだ詳しく歩いたことのない区画だ。
「西倉庫への案内補助を受けたいです。」
受付の女性は札を確認して、ハクトを見た。
「西倉庫ですね。職人の方が荷札を持っています。重い荷物は運びません。案内だけです。」
「はい。」
「西倉庫は、工房通りの奥にあります。ただ、今は水路沿いの道で荷車が止まっているので、遠回りになるかもしれません。」
「迂回が必要なんですね。」
「そうです。経路を確認しながら進んでください。必要なら、迂回路も記録しておくとよいでしょう。」
手続きが終わると、表示が浮かんだ。
『西倉庫への案内補助を受けました』
『内容:荷札を持った職人を西倉庫まで案内』
『報酬:8リル』
表示が消える。
ハクトは地図を開いた。
工房通りは、以前に少し歩いている。
けれど、西倉庫のあたりはまだ空白が多い。
そこへ向かうというだけで、地図の余白が少し気になった。
依頼人は、詰所の外で待っていた。
灰色の作業着を着た男性で、手には小さな木札を持っている。
荷物は持っていない。
けれど、少し急いでいるように見えた。
「案内人か?」
「はい、ハクトです。」
「西倉庫まで頼む。道はだいたい知ってるんだが、荷車が詰まってるらしくてな。」
「確認しながら行きます。」
「助かる。」
ハクトはまず、現在地を地図で確かめた。
冒険者詰所、工房通り、水路沿い、西倉庫。
普段なら、工房通りをまっすぐ進めばよさそうだ。
けれど、受付の女性は水路沿いの道で荷車が止まっていると言っていた。
その道を避けるなら、少し北側を回ることになる。
「遠回りになりますが、北側から回ります。」
「まっすぐ行かないのか?」
「水路沿いで荷車が止まっているそうです。近くまで行って引き返すより、最初から避けた方が早いと思います。」
「なるほどな。じゃあ、それで頼む。」
2人は歩き出した。
街の中は安全だ。
それでも、案内となると見えるものが変わる。
人の流れ、荷車の向き、店の前に置かれた木箱、曲がり角の広さ。
通れる道と、通りにくい道。
ただ歩いているだけでは気づかなかったものが、少しずつ目に入る。
ハクトは工房通りの手前で足を止めた。
前方から、大きな木材を運ぶ職人たちが歩いてくる。
道幅はある。
けれど、すれ違うには少し狭い。
「ここは少し待ちます。」
「急いでるんだが。」
「今進むと、あの木材とぶつかりそうです。数秒待った方が安全です。」
「……そうか。」
職人たちが通り過ぎる。
そのあとで進むと、道はすぐに空いた。
依頼人の男性が小さく息を吐く。
「急いでると、そういうことを見落とすな。」
「俺も、案内している時の方が気づきやすいです。」
「それが仕事ってことか。」
「たぶん、そうです。」
北側の道に入る。
石畳は少し古く、ところどころ段差があった。
ハクトは地図に短く書き込む。
『北側迂回路』
『段差あり』
『荷車少なめ』
書き込んだ文字が、地図の線に沿って残る。
その時、胸の奥で小さな感覚があった。
来た道の形が、少しだけ意識しやすい。
曲がった場所、目印になった古い井戸、工房通りへ戻れる分かれ道。
頭の中で、道がほどけずにつながっている。
《帰路確認》。
これが、さっき覚えたスキルなのかもしれない。
道が光るわけでも矢印が出るわけでもない。
けれど、どこから来たのかが曖昧になりにくい。
それだけで、少し安心できる。
「どうした?」
「いえ。道を確認していました。」
「迷いそうか?」
「今のところは大丈夫です。戻る道も確認できています。」
「戻る道?」
「はい。進む道だけ見ていると、引き返す時に困るので。」
男性は少しだけ笑った。
「若いのに慎重だな。」
「慎重なくらいが、たぶん合っています。」
西倉庫は、工房通りの奥にあった。
大きな扉の前に、荷車が2台止まっている。
扉の横には、倉庫番らしい男性が立っていた。
「荷札を持ってきた。」
「おう、遅かったな!」
「水路沿いが詰まってるって聞いて、案内人に回ってもらった。」
「正解だったな。あっちはまだ動いてないぞ。」
倉庫番はハクトを見る。
「案内、ご苦労だったな!」
「はい。」
依頼人の男性が木札を渡す。
確認が終わると、表示が浮かんだ。
『西倉庫への案内補助を達成しました』
『報酬:8リル』
続けて、もう1つ表示が出る。
『案内人経験値を獲得しました』
『案内人 Lv.3:0/120 → 10/120』
ハクトは表示を見て、小さく息を吐いた。
大きな経験値ではない。
けれど、確かに積み重なっている。
Lv.3になったあとも、案内人としての仕事は続く。
それが当たり前のことのようで、少し嬉しかった。
報酬を受け取ったあと、ハクトはすぐに戻らず、西倉庫の周りを少しだけ見た。
倉庫の裏には細い道がある。
けれど、荷車は通れなさそうだ。
人が歩くなら近道になるかもしれないが、案内に使うには確認が必要だ。
『西倉庫裏道』
『人は通れそう』
『未確認』
地図にそう書いて、ハクトは顔を上げた。
戻る道は、頭の中に残っている。
古い井戸まで戻り、北側の道から工房通りへ出る。
そのまま冒険者詰所へ戻れる。
今なら、それが前よりはっきりわかった。
ハクトは来た道を戻り始めた。
途中、古い井戸のそばで足を止める。
ここは目印になる。
西倉庫から戻る時だけではない。
別の区画へ向かう時にも使えるかもしれない。
『古い井戸』
『西倉庫への目印』
『北側迂回路の分岐』
地図の空白が、少しずつ埋まっていく。
それを見ていると、戦っていなくても進んでいる気がした。
詰所へ戻る途中、ハクトは掲示板のことを思い出した。
染物通りの場所確認。
東門前広場の掲示写し。
まだ時間はある。
リクと合流するのは、今日ではない。
それなら、もう少しだけ動ける。
ただし、無理はしない。
外には出ない、道を広げすぎない。
戻れる範囲で、街の中を確かめる。
ハクトは詰所に戻り、次の依頼札を手に取った。
『染物通りの場所確認』
『内容:仕立て屋から染物通りまでの経路確認』
『報酬:6リル』
仕立て屋。
染物通り。
どちらも、今の地図ではまだつながりが薄い。
けれど、西倉庫から戻る道で、工房通りの北側は少しわかった。
そこからなら、無理なく確認できるかもしれない。
「染物通りの場所確認も受けたいです。」
受付の女性は少しだけ目を細めた。
「続けて受けるのですね。」
「はい。」
「無理に外へ出ないなら大丈夫です。疲れを感じたら、そこで終わりにしてください。」
「わかりました。」
手続きが終わる。
『染物通りの場所確認を受けました』
『内容:仕立て屋から染物通りまでの経路確認』
『報酬:6リル』
仕立て屋は、市場通りの奥にあった。
布が吊るされた店先から、女性が顔を出す。
「案内人さん?」
「はい。染物通りまでの経路確認です。」
「助かるわ。新しい染め布を取りに行きたいんだけど、いつもの通りが工事中でね。」
「工事中なんですね。」
「ええ。遠回りになると思うけど、危なくない道を見てほしいの。」
ハクトはうなずいた。
危なくない道。
街の中でも、それは大事だ。
狭すぎる道、荷物が多い道、人が多すぎる道、工事中の道。
外の危険とは違う。
でも、案内するなら見落とせない。
ハクトは仕立て屋の前で地図を開いた。
「まず、工事中の道を避けます。市場通りを戻ってから、北側へ回ってみます。」
「お願いね。」
今度は依頼人を連れて歩くのではなく、経路を確認して戻る依頼だった。
ハクトは1人で市場通りを歩く。
買い物客の声、商人の呼び込み、布を運ぶ人、子どもを連れた親。
ただ歩くだけなら楽しい道だ。
けれど、案内に使うには少し混みすぎている。
『市場通り』
『人多め』
『荷物ありなら通りにくい』
市場通りを抜け、北側へ回る。
さっきの古い井戸が見えた。
西倉庫の依頼で確認した場所だ。
ハクトは少しだけ安心する。
知っている目印が1つ増えるだけで、知らない道の不安が減る。
古い井戸から東へ進むと、布を干した家が並ぶ通りに出た。
風に揺れる布が、淡い色を重ねている。
赤、青、薄い黄色。
水路の匂いと、染料の少し独特な匂いが混ざっていた。
「ここが染物通りか。」
ハクトは小さくつぶやいた。
通りの入口に、染物通りと書かれた小さな木札がある。
地図に場所を書き込む。
『染物通り』
『古い井戸から東』
『布を干した家が多い』
『水路沿い』
帰り道を確認する。
染物通り、古い井戸、市場通りの入口、仕立て屋。
頭の中で、道が順番につながる。
《帰路確認》の感覚が、また静かに働いている気がした。
ハクトは仕立て屋へ戻った。
遠回りではある。
けれど、市場通りの混雑を避けるなら、悪くない道だ。
「戻りました。」
「どうだった?」
「工事中の道は避けられます。市場通りを少し戻って、古い井戸のところから東に進むと染物通りに出ます。荷物が多い時は、その道の方が通りやすいと思います。」
「古い井戸ね。わかりやすいわ。」
「ただ、水路沿いなので、雨の日は少し足元に注意した方がいいかもしれません。」
「そこまで見てくれたのね!ありがとう!」
表示が浮かぶ。
『染物通りの場所確認を達成しました』
『報酬:6リル』
続けて、経験値の表示も出た。
『案内人経験値を獲得しました』
『案内人 Lv.3:10/120 → 18/120』
ハクトは報酬を受け取った。
今日だけで、少しリルが増えた。
リクなら、ここからどう管理するだろうか。
そんなことを考えて、ハクトは少し笑った。
仕立て屋を出ると、空の色が少し変わり始めていた。
まだ夕方には早い。
けれど、1日中歩き回れば疲れは出る。
外に出た時ほどではない。
それでも、判断が鈍る前に終わるべきだ。
ハクトは東門前広場の依頼札を思い出した。
報酬は7リル。
できないことはなさそうだ。
けれど、今日はもう2件こなしている。
Lv.3になったばかりで、気持ちも少し浮いている。
そういう時こそ、無理に詰め込まない方がいい。
「今日は、ここまでにしよう。」
小さく口に出す。
その言葉だけで、少し区切りがついた。
進む理由はいくらでもある。
もう1件できそうだと思う理由もある。
けれど、戻る理由もある。
疲れたこと、地図を整理したいこと、明日も動くこと。
リクと合流した時に、落ち着いて話せるようにしておきたいこと。
ハクトは冒険者詰所へ戻り、空いている机を借りた。
地図を広げる。
南門前外縁、西倉庫、古い井戸、染物通り。
今日増えた線と文字が、少しだけ街を広くしていた。
地図に残っているのは、行った場所だけではない。
どこで待ったか。
どこを避けたか。
どこを目印にしたか。
どこから戻れるか。
それが、案内人の地図なのだと思う。
ハクトは今日の報酬を確認した。
南門前外縁で6リル。
西倉庫で8リル。
染物通りで6リル。
合わせて20リル。
大きな金額ではない。
けれど、自分の仕事で得たリルだ。
「少しは、次につながったかな。」
リクは今ごろ、商人として動いているはずだ。
荷物を整理して、小さな売買をして。
自分とは違うやり方で、リルと経験を積んでいるはずだ。
次に会った時、リクはどんな顔で話すだろう。
少し楽しみだった。
ハクトは地図を丸める。
宿へ戻る前に、もう1度だけ掲示板を見た。
東門前広場の掲示写し。
これは、明日でもいい。
急がなくていい。
今日の自分には、今日の終わり方がある。
ハクトは冒険者詰所を出た。
街の音が、少しずつ夕方のものに変わっている。
店じまいの準備をする音、夕食の匂い、水路を流れる水の音。
同じ街なのに、朝とは違う道に見える。
宿へ向かう道を歩きながら、ハクトは自然と帰り道を確認していた。
今いる場所、曲がる角、赤い屋根の目印、宿の看板。
その全部が、頭の中でゆっくりつながる。
《帰路確認》は、派手なスキルではない。
けれど、ハクトにはそれでよかった。
進むためではなく、戻るためのスキル。
案内人らしいと、少しだけ思えた。
宿の入口が見えた時、ハクトは小さく息を吐いた。
今日は、外にも出た。
街も歩いた、人を案内した。
戻る道も、少しだけ増えた。
明日は、リクも戻ってくるだろう。
その時には、自分の地図を広げた話ができる。
ハクトは宿の扉を開けた。
安全な場所へ戻ってきた感覚が、足元からゆっくり広がっていく。
戻ってこられた。
だから、また次へ行ける。
そう思いながら、ハクトは今日の記録を整理することにした。