作品タイトル不明
戻るための案内
「案内できるんですか?」
短い剣を腰に下げた少年が、少し驚いたように聞いた。
ハクトはうなずき、答える。
「全部ではありません。南門から見える範囲と、街道側に入らないこと。その確認ならできます。」
「それ、かなり助かるかも!」
「でも、勝手に外へ出るのはだめです。受けるなら、受付で確認してからです。」
杖を持った少女が、掲示板の札をもう1度見た。
「要許可って書いてありますもんね。」
「はい。南門は、依頼や確認がある時だけ外縁部まで出られます。」
「じゃあ、先に受付ですね!」
少年はすぐにうなずいた。
少し勢いはある。
けれど、無理に外へ行こうとしているわけではない。
ハクトは少しだけ安心した。
「俺、トウマ。剣士です!」
「私はエナです。薬師です。」
「ハクトです。案内人です。」
トウマは、ハクトの職業を聞いて少し目を丸くした。
「案内人って、実際にいるんだ!」
「……います。」
「いや、悪い意味じゃなくて。βの動画でもあんまり見なかったから。」
「俺も、まだよくわかっていないことが多いです。」
そう言うと、エナが小さく笑った。
「でも、ちゃんと案内しようとしてくれてます。」
「それは、そうしたいです。」
ハクトは依頼札を見る。
『南門前外縁・植生調査補助』
『許可範囲:南門から見える外縁部まで』
『内容:指定植物の確認、簡易記録』
『街道側への立ち入り不可』
『要許可』
『報酬:18リル』
植生調査。
指定植物の確認。
簡易記録。
戦うための依頼ではない。
けれど、外に出る依頼だ。
怖さは、まだある。
前に草の影から魔物が出たことを、体が覚えている。
だからこそ、怖さをなかったことにしてはいけない。
ハクトは札から目を離し、2人を見る。
「受付で確認しましょう。」
「おう!」
「はい!」
3人で受付へ向かう。
受付の女性は札を確認し、ハクトたちを順に見た。
「南門前外縁の植生調査補助ですね。」
「はい。」
「確認します。許可範囲は南門から見える外縁部までです。街道側へは進めません。草地の奥にも入りません。」
「わかりました。」
「指定植物は、銀縁草です。葉のふちが白く見える低い草ですね。見つけたら位置を簡単に記録してください。採取は見本用に1本までです。」
「1本までですね。」
「はい。必要以上に採らないでください。今回は採集依頼ではなく、確認依頼です。」
エナが少し背筋を伸ばす。
「確認と記録が中心なんですね。」
「そうです。薬師なら、葉の形も見ておくといいでしょう。ただし、しゃがみ込む時は周囲を見てからにしてください。」
「はい。」
受付の女性は、次にトウマを見た。
「剣士の方は、魔物が見えても追わないでください。」
「え、追わないんですか?」
「追いません。今回は植生調査です。戦闘依頼ではありません。」
「はい。」
「護衛役のつもりで前へ出すぎるのも危険です。案内人の指示を聞いて、許可範囲内で動いてください。」
「……わかりました。」
トウマは少しだけ気まずそうに返事をした。
悪い人ではない。
ただ、剣士だから戦えると思っている。
その気持ちが、外では危ないのかもしれない。
受付の女性は最後にハクトへ視線を戻した。
「あなたは案内人として、範囲確認と移動補助を担当してください。」
「はい。」
「無理だと思ったら、調査を切り上げて戻ってください。植物が見つからなくても、戻る判断を優先して構いません。」
「わかりました。」
「南門の門番にも、許可範囲を確認してください。」
手続きが終わる。
すぐに、目の前に表示が浮かんだ。
『南門前外縁・植生調査補助を受けました』
『許可範囲:南門から見える外縁部まで』
『内容:指定植物の確認、簡易記録』
『街道側への立ち入り不可』
『報酬:18リル』
表示が消える。
ハクトは地図を開いた。
南門前外縁には、前に歩いた道が薄く残っている。
その端に、ハクトが書いた文字があった。
『草が高い』
『小型魔物の出現あり』
『街道側へ進まない』
《経路記録》に残った、確認済みの危険情報だ。
ただのメモではない。
次にその場所を見る時、注意として思い出せる形で残っている。
ハクトはその文字を見て、息を吐いた。
「先に言っておきます。」
「ん?」
「俺は、危ないと思ったら戻ります。」
「おう。」
「植物が見つからなくても、時間がかかりそうでも、草地の奥には入りません。」
「了解。」
「トウマさんが戦えそうだと思っても、今日は戦いません。」
「……そこまで言う?」
「言います。」
「わかったよ。ちゃんと聞く。」
トウマは少しだけ苦笑した。
エナは安心したようにうなずく。
「その方が助かります。私、薬草は見たいですけど、魔物と戦いたいわけではないので。」
「俺も戦いたいわけじゃないってば!」
「さっき少し目が輝いてたよ?」
「いや、それは外に出られると思ったからで!」
2人のやり取りに、ハクトは少しだけ笑った。
緊張はある。
でも、1人で抱え込むよりは少し楽だった。
南門へ向かう道を歩きながら、ハクトは地図を確認する。
前にガルドとリクと歩いた時のこと。
草の音。
魔物の気配。
戻る判断。
その全部が、今の足取りに影響している。
知らないまま進むより、知っている怖さを持って進む方がいい。
ハクトはそう思った。
南門の前には、衛兵のダレスが立っていた。
ハクトたちが近づくと、ダレスはすぐに視線を向ける。
「植生調査か?」
「はい、依頼を受けました。」
「案内役はお前だな。」
「はい。」
「範囲は門から見える外縁部まで。街道側には近づくな。草地の奥にも入るな。魔物を見たら戻れ。」
「わかりました。」
「調査対象は銀縁草だ。見つけたら場所を記録しろ。採取は見本用に1本までだ。」
「はい。」
「剣士。」
「はい!」
「剣を抜く前に、案内人の判断を聞け。」
「わかりました!」
「薬師。」
「はい!」
「植物を見る時に、下ばかり見るな。外では、足元より先に周りを見ろ。」
「はい!」
ダレスは3人を見回した。
「外に出るなら、戻るところまで考えろ。調べることより、戻ることを先に忘れるな。」
「はい。」
ハクトは短く返事をした。
戻るところまで考える。
前にも聞いた言葉だ。
でも、今日は少し違って聞こえる。
自分だけではない、トウマとエナも戻さなければならない。
門が開く。
街の音が、少し遠くなる。
南門の外には、明るい草地が広がっていた。
風が吹くたび、草の先が揺れる。
空は広い。
けれど、足元は街の中とは違う。
石畳ではなく、土と草だ。
少し歩くだけで、靴の裏に柔らかい感触が伝わる。
「本当に外だ!」
「はい。」
「思ったより、門から近いところでも雰囲気違いますね……。」
エナが杖を握り直しながら言った。
ハクトはうなずく。
「まず、門が見える範囲から離れないようにします。」
「銀縁草って、どのあたりにありそうなんだ?」
「受付では、低い草と言っていました。草の高いところに入る必要はないと思います。」
「じゃあ、低いところを探せばいいんですね。」
「はい。ただ、しゃがむ前に周りを確認しましょう。」
ハクトは地図を開いた。
前に記録した場所。
草が高い場所。
小型魔物が出たあたり。
門から見える範囲。
それを、今立っている場所に重ねる。
「まず、あの低い石の近くまで行きます。そこから左右を見て、見つからなければ戻りながら確認しましょう。」
「奥に進まないんですね。」
「進みません。」
「了解!」
3人はゆっくり歩き出した。
ハクトは先頭ではなく、少し斜め前を歩いた。
前に出すぎると、後ろが見えない。
後ろに下がりすぎると、道を示しにくい。
トウマとエナの動きが見える位置。
門も見える位置。
その位置を意識しながら歩く。
低い石のそばまで来ると、ハクトは足を止めた。
門は見えている。
人の声も、まだ届く。
ここなら戻れる。
「ここで1度確認します。」
「了解!周り見てるな!」
「エナさん、草を見るならこの辺りからお願いします。」
「はい。」
エナはしゃがむ前に、周囲を見た。
それから、低い草の間をゆっくり確認する。
トウマは剣に手をかけず、少し離れた場所で周りを見ている。
ハクトは地図に短く書き込んだ。
『門が見える』
『草低め』
『調査開始地点』
文字が地図の上で整い、経路の情報として残る。
少し前なら、ただ書くだけだった。
今は、その情報が道の上に乗る感覚がある。
案内のための記録。
戻るための記録。
「ありました。」
エナが小さく声を上げた。
ハクトとトウマが近づきすぎないようにしながら、視線を向ける。
エナの指先の先に、低い草があった。
葉のふちが、うっすら白く見える。
「これが銀縁草?」
「たぶん。葉のふちが白いです。」
「受付で聞いた特徴と合っています。」
「見本用に1本だけ、ですよね。」
「はい。」
エナは慎重に1本だけ採取した。
それから、周囲に同じ草が何本かあることを確認する。
ハクトは地図に書き込んだ。
『銀縁草あり』
『低い石の東側』
『採取1本』
文字が地図の上に残る。
その時、草地の奥で何かが揺れた。
風ではない。
ハクトはすぐに顔を上げる。
「……止まってください。」
トウマとエナが動きを止めた。
「魔物?」
「まだわかりません。でも、奥で草が動きました。」
「見に行く?」
「行きません。」
「……だよな!」
トウマは言いかけて、すぐに口を閉じた。
エナは採取した銀縁草をしまい、ゆっくり立ち上がる。
ハクトは門の位置を確認した。
戻れる。
まだ距離は近い。
でも、これ以上探す必要はない。
指定植物は確認した。
見本も採取した。
簡易記録もできた。
ここで戻る理由は、十分にある。
「戻ります。」
「もう?」
「目的は達成しています。奥の動きも確認しました。続ける理由より、戻る理由の方が強いです。」
「……わかった!」
「はい。」
トウマは少し名残惜しそうだったが、うなずいた。
エナもすぐに従った。
ハクトは来た道を戻る。
走らない。
けれど、立ち止まらない。
門を見失わない。
トウマが後ろを気にしすぎないように、ハクトは短く声をかける。
「門を見てください。草の奥は見すぎなくて大丈夫です。」
「わかった!」
「エナさん、足元に気をつけてください。」
「はい!」
門が近づく。
街の音が、少しずつ戻ってくる。
ダレスの姿がはっきり見えた時、ハクトはようやく息を吐いた。
「戻ったな。」
「はい。銀縁草を確認しました。見本を1本採取しています。草地の奥で動きがあったので、そこで戻りました。」
「近づいたか?」
「いいえ。」
「それでいい。」
ダレスはうなずいた。
その一言で、ハクトの肩の力が少し抜けた。
トウマが大きく息を吐く。
「思ったより、戻る判断って緊張するな……。」
「進むより、難しい時があります。」
「ハクト、けっこうはっきり止めるんだな!」
「止めないといけない時は、止めるつもりです。」
「それ、案内人っぽいな!」
その言葉に、ハクトは少しだけ返事に迷った。
案内人っぽい。
そう言われると、嬉しい。
でも、まだ胸を張るには早い気がする。
「少しずつ、そうなれたらいいと思っています。」
エナが採取した銀縁草を見せる。
「私は、すごく助かりました。外に出るだけでも不安だったので。」
「確認できてよかったです。」
「はい。あと、下を見る前に周りを見るのは大事ですね。1人だったら、たぶん植物ばかり見てました……。」
「俺も、たぶん奥まで行こうとしてた。」
「言わなくてもわかるよ。」
「……エナ、厳しくない?」
「事実でしょ?」
2人の会話に、ハクトは少し笑った。
詰所へ戻ると、受付の女性が報告を聞いてくれた。
ハクトは地図を開き、確認した場所を示す。
低い石の東側、銀縁草の位置、採取した数、草地の奥で動きがあったこと。
そこで調査を切り上げたこと。
エナは見本の銀縁草を提出し、トウマは戻る判断に従ったことを説明した。
受付の女性は記録を取りながら、何度かうなずいた。
「問題ありません。依頼達成です。」
「ありがとうございます。」
「指定植物の確認、見本採取、危険情報の報告。どれも依頼内容に合っています。」
「よかったです。」
「奥の動きが魔物だったかは、こちらで別途確認します。そこで戻った判断も適切です。」
ハクトは小さく息を吐いた。
自分の判断が間違っていなかった。
それだけで、少し安心する。
受付の女性は、報酬を用意した。
「報酬は18リルです。今回は3人での達成ですので、分け方は相談してください。」
「あ。」
ハクトはそこで少し固まった。
依頼の報酬は18リル。
3人で分けるなら、6リルずつ分けるのが自然だろう。
でも、自分は案内役として声をかけた。
どう分けるべきか、一瞬迷う。
すると、トウマが先に言った。
「普通に6リルずつでいいよな?」
「うん、それでいいと思う!」
「ハクトもそれでいい?」
「はい、大丈夫です。」
3人で報酬を分ける。
ハクトの手元に、6リルが入った。
大きな額ではない。
けれど、自分で案内して得た報酬だ。
その重みは、金額より少し大きく感じた。
その直後、表示が浮かんだ。
『案内人経験値を獲得しました』
『案内人 Lv.2:70/100 → 100/100』
続けて、別の表示が重なる。
『案内人の職業レベルが上がりました』
『案内人 Lv.3 になりました』
ハクトは思わず息を止めた。
レベルが上がった。
戦ったからではない。
遠くへ進んだからでもない。
案内して、確認して、戻ったからだ。
さらに表示が続く。
『新しい案内人スキルを習得しました』
『《帰路確認》を習得しました』
帰路確認。
ハクトはその文字をじっと見た。
最後に確認した安全な場所までの戻り道を、意識しやすくなるスキル。
道が勝手に光るわけではない。
地図が全部埋まるわけでもない。
それでも、今のハクトには、その名前だけで十分だった。
戻るところまでが探索。
その言葉が、少しだけ自分の中に根づいた気がした。
「どうした?」
トウマが首をかしげる。
ハクトは顔を上げた。
「職業レベルが上がりました。」
「おお!」
「すごいです、おめでとうございます!」
「ありがとうございます。」
嬉しい。
けれど、浮かれすぎないようにする。
Lv.3になったからといって、急に強くなったわけではない。
南門の外で、魔物を倒せるようになったわけでもない。
ただ、戻る道を意識する力が少し増えた。
それだけだ。
でも、案内人には、その少しが大事なのかもしれない。
受付の女性も、少しだけ表情をやわらげた。
「案内人としての経験が認められたのでしょう。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
ハクトは小さく頭を下げた。
トウマとエナは、もう1度掲示板を見に行くらしい。
今度は、街中の依頼にするようだった。
「今日は外はもういいかな。」
「賛成!」
「ハクト、また案内頼むかも!」
「その時は、できる範囲で。」
「うん。その返事、安心するな!」
トウマが笑い、エナも軽く頭を下げた。
2人と別れたあと、ハクトは詰所の外に出た。
赤い屋根の街が、午後の光の中で少し明るく見える。
リクは今ごろ、どこかで商売をしているはずだ。
向こうも、何かを得ているだろうか。
次に合流した時、話すことが増えている気がした。
ハクトは地図を開く。
南門前外縁に、新しい記録が残っている。
低い石、銀縁草の位置、草地の奥の動き、戻った道。
その線を見ていると、ただの地図が少し違って見えた。
行った場所の記録ではない。
戻ってこられた道の記録だ。
ハクトは地図をそっと閉じた。
橋の先へ行く日は、まだ少し先だ。
でも、そのために必要なものは、少しずつ増えている。
リル、情報、道具、経験。
そして、戻るための道。
リクは今ごろ、別の場所で商売をしているはずだ。
同じ街の中で、別々の仕事をしている。
それが少し不思議で、少し心強かった。
次に会った時、自分はどんなことを話せるだろう。
ハクトはもう一度、掲示板の方を見た。
外へ出る依頼だけが、案内人の仕事ではない。
街の中にも、まだ知らない道がある。
リクと合流するまでに、もう少しだけ。
自分の地図を広げてみよう。
そう決めて、ハクトは次の依頼札を探し始めた。