作品タイトル不明
285 報 復 2
エノバ商会は、王都に本店を置き、国内の主要都市に支店を持つ大店である。
なので当然、周辺諸国との取り引きもある。
それら周辺諸国の取引先から、次々と通知が届き始めた。
内容は、既に国内の主要商店から届いているものとほぼ同じであった。
そう、それらの商店もまた、それぞれの国でヤマノ子爵領産の商品を独占販売している新興商家、『女性事業主国際ネットワーク』加盟店から通知を受けたのである。『エノバ商会と取り引きをしている商店とは、一切の取り引きを行わない』と……。
勿論、通常であれば新興の小さな商家ひとつとの取り引きがなくなっても、大した問題ではない。それよりは、隣国の大店との取り引きを継続した方がずっとマシである。
しかし、今回はそういうわけにはいかなかった。
重要な取引先である貴族や王族、その他の有力者達が、現在大評判となっているヤマノ子爵領産の商品を大量に発注してくるのである。それを、『うちでは入手できません』などと言えるわけがなかった。
そんなことを言った瞬間に御用達商人としての立場を切られ、取引先を他の商家に変更されてしまうであろう。
……他に、選択の余地はなかった。
* *
「くそっ、いったい、どうなっておるのだ……」
頭を掻きむしってそう溢すエノバ商会商会主に、ようやく情報を掴んだ番頭のひとりが状況を報告した。
この国の商店も他国の商店も、とある商家からの通告によってこのような態度に出たのだということを……。
「何だと! ラルシア貿易の小娘の仕業だと! ……いや、なぜあんな小娘にそんな力が……」
商会主は、ラルシアを完全に舐めていた。
中規模商家の娘に過ぎず、商店の経営者としては素人同然の、父親以外の後ろ盾は皆無の小娘。
その父親ですら、喧嘩別れのように家を飛び出して勝手に独立したとやらで、折り合いはあまり良くないと聞いている。そして父親の商店など、エノバ商会を敵に回せば簡単に潰される。
……つまり、助けてくれる者は誰もいない。そのはずであった。
なので、少し脅せば簡単に言いなりになる。
そしてこの国におけるヤマノ子爵領産の商品の独占販売権を手に入れ、あの小娘は支店のひとつのお飾り支店長にでもしてやり、愛人として使ってやればいい。
そう考え、吸収合併の話を持ち掛けてやったところ、拒否された。
まあ、まだ若い小娘である。現実というものを知らず、若者特有の無謀な夢を追い求めるという時期もある。
自分が若かった頃のことを少し懐かしく思い出し、少しの間は夢を見させてやってもいいか、と、柄にもなく優しいことを考えた商会主は、最初は普通に取り引きをしてやることにした。
勿論、自分が大きな利益を得るようにして、である。
そしてラルシア貿易に取り引きを持ち掛けたわけであるが……。
持ち掛けた取り引きは、ラルシア貿易が提示する卸し価格の8掛け、つまり2割引での販売要求であった。
即答で断られた。
ミツハは、『女性事業主国際ネットワーク』加盟店に対し、ヤマノ子爵領産の商品の卸し売り価格を相手によって変えることは許可しなかったのである。
ミツハがそういうやり方を嫌っているということもあるが、若い女性が商会主であるため、脅しに近いような強引な値引き交渉をしてくる者が絶対に現れると読んでいたからである。
そのため、そういうのを拒否しやすいようにと、『販売元から、卸価格は厳しく指定されている』ということにしたわけである。
尤(もっと) も、たとえミツハが指示していなかったとしても、ラルシアが自分の判断で拒否していたであろうが……。
仕入れ値に店員や警備員等の人件費、店の家賃や維持管理費、光熱費、接待費、消耗品、税金、その他諸々を含めると、税引き後の純利益など、売上高の2割以下である。(但し、雑貨屋ミツハを除く。)
なので、2割も値切られては赤字になる。
あくまでも常軌を逸した利益率の暴利で荒稼ぎをしているのはミツハであり、『女性事業主国際ネットワーク』加盟店はそこそこの価格で仕入れているのである。
元々優れた商品である上、遠国から船で何カ月もかけて運んでいるという設定であるため、その価格に文句を言う者などひとりもいない。
それでもかなりの稼ぎであり、更にラルシアの歓心を得てヤマノ子爵領産の商品を優先的に回してもらえることを期待して他の一般商品も買ってくれるため、他の商店に較べ圧倒的に有利なのは間違いないが……。
とにかく、引く手 数多(あまた) なのに、何が悲しゅーて赤字で売らなアカンねん、ということである。
……ラルシア貿易が新興の商店であり、しかも商会主が若い女性であることから、舐めてかかり食い物にしようとでもしたのであろう。
それくらいのことは、当然ラルシアにも分かった。
ラルシア貿易が自分の思い通りにならないとなれば、潰して仕入れルートを奪おうとするであろう、と……。
だが、それは安売りとかの商売的な手段で、と思っていたのである。
そして今、ラルシア貿易が想定外の、明らかに許容限度を超えた違法かつ悪質な攻撃を受けたため、牙を剥いて反撃に出た。
各商店に送った手紙には、『六つの商店及びそこと取り引きしている商店及び個人に対し、一切の商取引を行わない』と書いてあるだけである。誰も、そこがラルシア貿易襲撃の犯人だとは言っていない。
そして、商店がどことどのような条件で取り引きしようが、それはその商店の自由である。誰に文句を言われる筋合いもない。
なので、この件に関してエノバ商会がラルシア貿易に対してできることは何もない。
……非合法な行為以外では。
しかし、ラルシア貿易からの通達については、国内及び周辺諸国において多くの者が知っている。今、ラルシア貿易に何かあれば、誰が疑われるかは一目瞭然であり、おかしな真似はできなかった。
エノバ商会の商会主も、若い頃は遣り手の商人であり、『金の虎』などと呼ばれていたこともある。
しかし力を得た今は、自分が仕入れようと思ったものを仕入れられないなどということもなく、価格の操作も自由自在。そして他の商店が自分の要望を無視することなどあり得なかった。
そのため、他の中小商店がラルシア貿易との繋がりを失うことをどれだけ恐れているか、そしてそれをエノバ商会から若干の不興を買うことより優先するということに思い至らなかったのであった。
虎も、歳を取り安穏とした暮らしに慣れ、肥え太り牙をなくせば、犬にも劣る。
そして今、獰猛な雌狼達の群れが、年老いた虎に襲い掛かろうとしていた。