作品タイトル不明
73話
感情的に逃げ出してしまったからか、緊張気味に見えるミリヤを連れて戻ってくると、キャンプ地の前にはダオンだけではなく、何故かエリーとその母親も一緒に居た。
エリーはこちらに気づくと、元気よく手を振りながら駆け寄ってくる。……どうしてここにこの二人がいるのだろう。
「初めまして、猫のお姉ちゃん! わたし、エリー! お姉ちゃんは?」
「あたしはミリヤ……」
「よろしくね、ミリヤお姉ちゃん!」
「う、うん……よろしく」
この少女はとても明るくて人懐っこい。ノエルとも仲が良く、獣人差別なんて微塵もしないだろう。先ほどまで暴言者の冒険者を見ていたせいか、ほっこりと安心する。
ミリヤもこの少女の朗らかさには少し戸惑いつつも悪い気はしていない様子だ。普段から差別されてきたのであれば、そういう気持ちにもなるだろう。
「エリー。冒険者さんはダオンさんとお話があるんだから、もう少し待ってなさい」
「はーい! ミリヤお姉ちゃん、お仕事の話が終わったらわたしともお話してね! 冒険者さんの話聞きたいんだー!」
「うん、分かった。あとでね」
どうやらエリーは冒険者に興味があってここにきてしまったらしい。母親は心配でついてきたのだろう。だが、幼い子供が明るく声をかけてくれたおかげで、ミリヤの緊張は少し解けたようだ。
小さく「よし」と気合いを入れるように呟いた彼女は、ダオンの前に立つとぺこりと頭を下げた。
「驚かせてごめんなさい。あたし、昔あなたに助けられて……恩返ししたいし、役に立ちたいと思って志願したの。冒険者としてちゃんと働くので、滞在を許可してもらえませんか」
「いや、私も気付けなくてすまなかった。……ずいぶん立派になったな。正直に言えばこちらは猫の手も借りたい状況だ、共に戦ってくれれば助かる」
「! ……はい!」
獣人というのは感情が分かりやすい種族で、気持ちが耳や尻尾に勝手に出てしまい、そして隠せるものではないという。ノエルがそれを恥ずかしがっていたので、ミリヤもまた感情が獣部分に現れているはずだ。
ピンと立った尻尾は小刻みに震えているように見えるけれど、どんな感情を表しているのだろう。ノエルの尻尾はおおよそ理解できるようになったけれど、獣人でも動物の種類が違うと感情表現も違うらしい。
「よかった。ミリヤさん、すごく喜んでる」
(あ、あれ喜んでるんだ。ノエルが尻尾振ってる時の猫バージョンなのかな……)
ひとまずダオンとミリヤの誤解は解けたので、残るは彼女が何処に住むかという問題だ。村内に空き家はなく、ダオンの家に住むというのも――双方に結婚の意志がないならよくないだろう。ミリヤはともかく、ダオンにはその気がないように見える。
やはり私がどこかに彼女の住む場所を作ってあげるべきだろうか。女性一人ならばそこまで広い空間も必要ないし、たいして手間でもない。すぐにやってあげようと思っていたら、住む場所を考え込んでいる二人の元にエリーが駆け寄っていった。
「ミリヤお姉ちゃん、住むところ探してるならうちに住もうよ! お母さんもいいって言ってるから!」
これは予想外の話だ。驚いてエリーの母親を見てみると、彼女も微笑んで頷いていた。どうやら本当に許可が出ているらしい。
「……あたし獣人だけど、いいの?」
「もちろんだよ! うちはわたしとお母さんだけだから、にぎやかな方が嬉しいな」
その言葉で、そういえばエリーの父親がいないことを思い出した。誰もそれに触れないので詳しくはないが、狂暴な魔物がいるこの世界の死亡率はそこそこ高そうだし、おそらくはそういうことだろう。
まったく危険な魔物ばかりで、人間にとっても脅威の多い恐ろしい世界だ。凶悪な魔物がはびこる世界で弱い存在は怯えて暮らすしかない。……私や人間が脅かされることなく平和に暮らせるような世界になってほしい。
「それにね、うちはダオンおじさんの家の隣だよ!」
「これからお世話になります」
無邪気な笑顔と共に放たれた、おそらく善意の塊であろうその発言にミリヤは深々と頭を下げて、ダオンは面食らったような顔になっていた。
この少女は純粋に他人の恋を応援していて、人種の壁など全く分かっていないし、感じていないのかもしれない。……差別がない、というのはこういうことなのだろうか。
「私はもう四十で、若い君には釣り合わないだろう。ちゃんとふさわしい相手を……」
「そんなことないよ。あたしは獣人だから、残りの寿命は同じくらいだもん。……だから、最期もそんなに変わらないよ。拒絶されても恨んだり怒ったりしないけど、諦めないつもり」
きっぱりと強い意志の籠った声で告げられて、ダオンの方が言い返せなくなってしまったようだ。こちらに助けを求めるように視線を送られても、私にはどうしようもない。
仕方がなさそうにノエルが彼らのもとに向かったけれど、エリーに手を取られて「ノエルも一緒に応援しようよー」と仲間に引き入れられそうになっていた。……どうやらダオンの味方はいないらしい。
「魔女さま、いつも娘共々お世話になっています」
(あ、エリーのお母さん。……あんまり見かけないけど、元気そうでよかった)
他の皆がわちゃわちゃとやっているからか、輪の中から外れていたエリーの母親が私の傍へとやってきて話しかけてきた。とはいえ会話を代理してくれるノエルはあちら側に居るため、私は頷いて返事することくらいしかできない。
「魔女さまは不思議に思われたでしょう? 私が獣人の女性を家に泊めること……私は普段、エリーにノエルと深く関わらないように言いつけていますから。まあ、あの子はあんまり聞いてはくれないんですけど……」
(そうだったんだ? 知らなかった……)
もしかして、村の中で獣人を良く思っていない人間の中に彼女も含まれていたのだろうか。かといって、彼女が直接ノエルに何か言ったり、ノエルに対して不愛想だったりということはなかったので気づかなかった。……いや、けれどたしかに、彼女はあまり私たちの前には出てこないから、そういうことだったのだろうか。
「エリーは……きっと、ノエルのことが好きなんです」
(えっ、そうなの……!?)
「だから……獣人と過ごすことが、どういうことなのか……ミリヤさんを近くで見ていれば、理解できるかもしれないと思って……下心しかなくて、彼女には申し訳ないです」
(それくらいは親心ってことで許されるよ……私なんて大体の行動が下心でできてるからね……)
彼女は心配そうに、ノエルの手を取ったまま離さない娘を見ていた。私には寿命差による死別の感覚は分からない。私の記憶の中で人の死といえば「花園美咲」の死で、身近な誰かの死を経験したことはないからだ。……私にとって最も身近で強烈な死は、自分のもの。平穏に暮らしたいという願いはここから生まれているのかもしれない。
けれど彼女は違う。愛する相手との離別の悲しさも苦しさも痛いほどに理解しているから、娘の未来も心配しているのだろう。
「……生きる時間が違うことも、ほとんど必ず早い別れが来ることも……それがどんなにつらいかも、あの子はまだ想像できないでしょうから……」
いつか必ず、人には別れが訪れる。それはどんな理由であっても、必ずだ。
マンドラゴラである私の寿命がどれほどかは分からないが、私もいずれはその別れを経験することになるだろう。その時いなくなるのは私か、それとも別の誰かか分からないけれど。別の誰かであればそれは、寿命が短いとされる獣人のノエルなのかもしれない。
(……あんまり想像できないなぁ……ノエルがいない世界って……)
私は一人でも生きていける。けれどそれは、植物としての生き方だ。私がまるで人間のように、人のように生活できるのは、人としての豊かな生活を目指してくれるノエルがいるから。彼が居なくなったら私は――一体、どうなるのだろう。
「魔女さまは……こういう悲しみを、どう受け入れて……っごめんなさい。つい、口が滑りました……」
そういえば私は、五百人の同族を失って一人で弔いをしながら生きてきたことになっているのだ。しかし本当の私は、数か月前に引っこ抜かれてこの世に産声を上げたただのマンドラゴラ。彼女にかける言葉を持っていない。……いやそもそも声はかけられないのだが。
「とにかく、一つずつ目の前のことに向き合って、生きていくしかないですよね。魔女さまだってこうして、笑って過ごされているんですから」
(えっと……あの、本当にただのマンドラゴラでごめんなさい……)
「お話を聞いてくださってありがとうございます。……じゃあ、そろそろ娘とミリヤさんを連れて家に戻りますね」
何故か、どこかすっきりした表情になった彼女はさっとその場を去ってしまった。勘違いではあるが、私の存在が励ましになった、ということだろうか。……それならまあ、よかった。
「生きる」というのはとても大変なことだから、彼女が少しでも希望や明るさが持てたなら、私の設定も無駄ではない。……問題は、希望となってしまったからには正体をバラすわけにはいかないという部分なのだが。
彼女は娘たちに声を掛けて、ミリヤを連れて家まで案内するためか村の方へと歩き出す。それを見送るダオンはどこか困り顔で、エリーに手を振ったノエルはこちらに戻ってきた。
「魔女さま、エリーのお母さんと何を話してたんですか?」
(うん……頑張ってこれからも善良な魔女を続けなきゃって、思う話かな……)
はたして私は最期の時まで魔物であることを隠し通せるだろうか。……というか、私の寿命はどれくらいなのだろう。私を栽培したニコラウスなら知っているかもしれないが、訊く勇気は湧いてこなかった。