作品タイトル不明
閑話 19
「にゃんっ」
「あら?」
少しうとうととしていた歌姫は、元気な声に目を覚ました。
寝ていた猫が起きたのだ。
「にゃ~ん」
「元気そうな声ね」
「にゃん」
伸びて来た手に自ら頭を差し出し、柔らかく撫でてくれる感触に猫……ファシーは前髪で隠れている目を細めた。
毒を浴びてからずっと続いていた不調がようやく消えた。
確認しないでも自分の調子が良いのが分かる。だったらこのままの勢いで……視線を巡らせたら首の後ろを歌姫に捕まれた。
「いやん」
頭を覆うフードが外れ素顔が飛び出してしまう。
慌てて両手で顔を隠し、フードを元の位置へと戻した。
「な、に?」
「ダメでしょう」
振り返り歌姫を確認すれば、彼女は普段通り柔らかな表情を浮かべていた。
「みんなで決めたでしょう? 宝玉が回復するまではお休みって」
「……」
「だから外に出ちゃダメよ」
「で、も」
せっかく体調も回復した。このまま外に出て彼に甘えたい。頭を撫でて欲しいし、顎の下をくすぐって欲しい。背中を撫でられるのも好きだ。キスしてくれるのも良い。そのまま相手を押し倒して馬乗りになって存分に暴れたい。必要なら噛みついて離れない。大丈夫。リグの魔法の効果は把握している。傷が残らない程度に傷つけることなど簡単だ。それにリグだって魔法を使えばその気になって彼に跨る。2人して楽しめるのだから協力してくれるはずだ。絶対に協力するはずだ。もし協力しないなら……その気になるまで皮膚に傷をつけ続ければ良い。ホリーが良くそうしている。ただ自分が真似すると相手がバラバラになってしまっている。その原因は良く分からないけど。
「うふふ……うふっ」
「ファシー!」
色々と想像していたら歌姫が抱き着いて来た。
普段とは違いギュッと抱きしめられるのは少し苦しい。でも相手はいつも通りに柔らかで温かい。若干ヌルヌルするのは何故だろう?
「大丈夫? 落ち着いた?」
「は、い?」
落ち着いたという意味が分からない。
ただ自分は彼に甘えることを考えていたのだが……抱きしめている歌姫が腕を緩めてくれた。
何故か彼女の頬に横に走る傷が出来ていた。そこから血液が溢れている。
「どう、したの?」
「……」
そっと手を伸ばし傷に触れる。
真新しい傷からの出血はもう止まりかけている。よくよく見れば歌姫の体には無数の傷が。
「わた、し?」
「ええ。でも大丈夫よ」
今度は優しく抱きしめてくれる。背中を撫でてくれる。
「昔のファシーならもっと酷かったから」
「……ごめ、ん」
「ええ。それに謝れるようにもなったし」
「……ごめんな、さい」
「大丈夫よ」
良し良しと撫でられ、ファシーはポロポロと溢れる涙を止められなかった。
「それに泣く時に笑わない場合も増えたしね。貴女のここはちゃんと成長してる」
小さくて薄い胸に歌姫の手が置かれる。
「貴女の壊れた心はちゃんと育っている。だから今は我慢せずに自由に振る舞いなさい」
「いい、の?」
「ええ。でもみんなで決めたことは守りなさい。ファシーは良い子だからできるわよね?」
「は、い」
「うん。お母さんも嬉しい」
またキュッと抱きしめられた。
自分のことを『母』と呼ぶ歌姫とはそんなに齢は離れていないが、でも彼女ほどその名が相応しい人は居ないとファシーは思っている。
こうしていくらでも甘えさせてくれる。
物語で読んだ母親特有の無償の愛と思わせるほどに歌姫は優しくて暖かい。
「かあ、さん」
「何かしら?」
「お母さん」
ギュッと抱き着いて相手の胸に顔を押し付けた。
普段砂嵐でも宿っているのかと思うほどに荒れている胸の中がこうしているととても穏やかになる。穏やかになって暖かくなる。
「かあさん」
「まあまあ」
小さなファシーの手が胸元の服を引き下げるのを歌姫は笑みを浮かべて受け入れ。
乳飲み子のように胸に吸い付く様子は……本当に自分の子供のようにすら思えて愛おしくなる。
「恋しいのね。お母さんが」
何も答えず甘える猫を、歌姫は優しく抱きしめその背をポンポンと優しく叩く。
「大丈夫よファシー。貴女はもう孤独じゃないんだから」
外に出れば無償の愛を注いでくれる彼も居る。純粋に好意を寄せる妹も居る。
もうファシーが孤独に苛まれることはない。怯える必要もない。
「それに私も居るから……」
思いもせずに母親となった自分のことを考え、歌姫セシリーンはそっと猫の背を撫でる。
「ファシーもいつか母親になる日が来るかもしれないのだしね」
「……い、や」
「ファシー?」
口を放し拒絶する猫にセシリーンは小さく首を傾げる。
彼女の心は……恐怖に満ちていた。
「私はダメ。母親になれない。絶対にダメ」
「どうして?」
「……分からない。どうしたら良いか分からない」
ガタガタと震える猫をセシリーンは優しく抱きしめる。
「私には母親が居ない。父親が居ない。家族が分からない。だからダメ。絶対にダメ。生まれた子供が私のようになったら……なったら……」
「ならないわよ」
悪夢にうなされる子供をセシリーンは抱きしめる。
そっと相手の顔を上げさせ……手の感触だけで前髪を退かす。
また涙で頬を濡らしている相手の額にセシリーンはキスをした。
「大丈夫。ファシーにはたくさんの家族が居るのだから」
「でも」
「それに私が居るから平気よ」
「……」
胸を張りセシリーンは抱きしめている存在に宣言する。
「私が纏めて全員の子供の子守りをする」
「全員?」
「そう」
それはセシリーンが決めたことだ。
自身が妊娠したと知ってから考えていたことだ。
「彼の子供に私の子守唄を聞かせるの」
決定事項だ。それは変わることのないセシリーンの自分自身への誓いだ。
「最初はノイエの子供だけだと思ってた。でも今は違う。私たちが妊娠できるなら彼の子供はたくさん増える。だったらその子供たち全員に私は子守唄を捧げたい」
「……」
そっと歌姫はファシーを抱き寄せる。
胸を枕にした猫は、その目で優しい母親の姿をジッと見つめる。
「私はファシーたちと違い戦うことで彼に貢献は出来ない。でもそれだったら私が出来ることで彼の不安を取り除きたい。私が絶対に全員子供を守る。ノイエと一緒に消滅する日が来るまで絶対に守り切る。それに子供たちには寂しい思いをさせない。私がお母さんとしてちゃんと全員に愛情を注ぐ」
「……寂しくならない?」
「ならないんじゃない。させないの」
「……」
ギュッと歌姫の胸に顔を押し付けファシーは静かに泣く。
もし自分がもっと早くにこの人と出会っていたら……分かっている。それがただの我が儘だと分かっている。けれど今は違う。歌姫は居るのだ。
自分が抱きしめることのできる距離に居る。何よりこうして抱きしめることが出来る。
「……本当は」
「なに?」
「……本当は、産みたい。私も」
「そう」
心の中の恐怖を払い甘えて来る猫を歌姫は優しくその背を撫でる。
「なら産みなさい」
「良い、の?」
「ええ。大丈夫。ファシーがどうしていいのか分からないなら私がちゃんと育ててあげるから」
「本当、に?」
「ええ」
「……優しい、子に?」
「大丈夫よ。ファシーがこんなにも優しいのだから、その子だって優しい子になるわ」
「……」
何も告げずにただファシーは甘えて来る。
それを受け入れるように……セシリーンは抱きしめ返し、出入り口からこちらを覗いている馬鹿どもをとりあえず無視することにした。
「シュシュさん。聞きましたか?」
「レニーラさん。聞きましたか?」
2人して踊り、そして互いに抱きしめ合う。
「これで子守りは」
「歌姫に~」
「丸投げだね!」
「だぞ~」
ダメ親の代表格がここに居た。
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