作品タイトル不明
閑話 16
ユニバンス王国・王城内馬房
軍馬の管理は嫌われる傾向の仕事だ。臭いし汚い。
『そんな物は下男がする仕事だ』と言って貴族出身者が多い騎士たちはみんな逃げ出す。
だからこそ本当に下男と呼ばれる者たちが扱うことが多いのだが、そんな下男たちの中にちょこまかと動き回る少年のような背丈の人物が居た。
名はメッツェ。下級貴族のエバーヘッケ家の者である。
そんな彼は一応騎士ではあるが、鎧を作業着に着替えて馬房の掃除をしていた。
寝藁を掃除し新しく藁を敷く。糞なども一緒に掻き出して……と熟練の作業員かと思うほどに手慣れている。
何を隠そう彼の実家は馬の飼育と育成でこの国でも有名な一族なのだ。それも彼は後継ぎ息子でもある。
せっせと馬房を掃除し、額に浮かぶ汗を拭う。
暑い季節に馬の糞尿の相手はとにかく辛い。でも不満を口にせず彼は働く。
何故ならば婚約し、将来を誓い合った相手が居るからだ。
彼女を苦労させないように確りと働いて食べさせていくと……胸に誓い仕事に勤しむ。
そんな彼女は国で有数な危険な仕事をする部隊に所属し、その隊の副隊長をしている。ぶっちゃければ彼よりも彼女の方が収入は多いのだ。
「お~。何か見たことのある馬面が居る」
「……」
不意に掛けられた声に反応しかけたメッツェは耐えた。全力で我慢した。
何故なら声の主を良く知っているからだ。反応したら最後……間違いなく不幸になる。
「あっちも国に買われてんだね~。賢そうな顔をしてたもんね」
相手の声に内心で頷く。きっと声の主が言っているのはあの栗毛馬だろう。
あの馬は王都に来る前に父親と言い争いになってでも、無理して予定していた牡馬と別の馬と交配させたのだ。結果として父親の血を引き立派な栗毛馬が誕生した。骨も太く肩幅も広い。胸板も厚く尻も大きい。何より賢くてどこに出しても恥ずかしくない馬に育った。
「で、馬鹿な弟よ? 姉を無視するとはいい度胸してるわね?」
自己申告からやって来た掃除の邪魔は自称姉らしい。
本当の姉は昔、野生の獣に襲われて死んだと聞く。墓も存在している。つまり偉そうに踏ん反り返っているあの小さな生物は姉ではない。
「ウチに姉は居ませんが?」
「良し! その喧嘩買った」
背後から飛んで来る馬糞攻撃をメッツェは必死に回避し反撃した。
「何が悲しくて実家を出て王都に来てまで馬の世話をするのかね~」
「実家でしているから苦じゃないしね。一から学ぶのなら辛いだろうけど……僕はいずれ家を継いで馬を育てるんだから何も変わらないよ」
「それで良いのかね~」
放馬場と呼ばれる木の柵で囲まれた砂地の上を数頭の馬が駆けまわっている。
2人はその様子を見ながら……メッツェは柵に寄りかかり、自称姉は柵を椅子代わりに座っていた。
「男だったら出世して将軍ぐらい目指しなよ~」
「無理だよ。剣を振るうぐらいなら箒の方が良い」
「か~。真面目か?」
「どこぞの家出娘よりかは遥かにね」
自称姉らしい存在は、その言葉にカラカラと笑う。
彼女は馬の世話を嫌がり家を出た……とメッツェは親から聞いている。
「まあ私は馬の世話よりか今の仕事の方が性に合ってるけどね」
「異動したんだって?」
「そ。また近衛の団長付に戻された」
「対ドラゴン遊撃隊は人気部署なのに……何したの?」
「全部未遂だね。しようとしたら邪魔が入る」
「……本当に何しようとしてたの?」
だからだろう。馬房で自称姉と馬糞を投げ合っていたら、上司が出て来て涙ながらに放馬場へと移動するように命じられた。
何でもあの 自称姉(いきもの) を若い下男たちの傍に居させたくないとのことだ。何かあって彼らが使い物にならなくなることを上司は心底怖れていた。
「でも馬貴族と蔑まれていたエバーヘッケ家から近衛騎士が誕生するとはね」
「褒め給えよ弟! 姉は偉大なのだよ!」
「嫌だよ。おかげで我が家は周りからどれほど嫌われていることか」
「何おう? 私が何をしたという?」
「王都で有名な売れ残りでしょう?」
「良し! 今日をお前の命日にしてやる!」
柵の上に立って襲い掛かって来た自称姉からメッツェは全力で逃げ出す。
普段からきつい仕事を苦もなくこなす彼は、基礎体力は並の騎士よりもある。ただその能力の全てを馬の管理育成に傾けてしまうので全く目立つことは無いが。
暫く走り回り……2人は一息つくことにした。
「で、売れ残りさんはどうしてここに?」
「本当にイラっとする弟だな?」
何処からか拝借して来た水筒を手に自称姉は憤慨する。
「ちょいと厄介な仕事を受けてしばらく国を出ることになってね……渡りに船だったんだけどさ」
「何か悪いことでもしたの?」
「私じゃない。私はむしろ被害者だ~」
突然泣き出す自称姉は……ある意味で通常運転だ。
大変落ち着いた面持ちでメッツェは泣き続ける存在を見つめた。
「それで何したの?」
「したことが前提? 今回は本当に被害者なんだよ」
『涙は何処に消えたのか?』とツッコミを入れた来るほど、自称姉は平然とため息を吐く。
「どっかの馬鹿な前上司が余計なことをしてくれてね……厄介な男に追われてる」
「前上司? アルグスタ様は良い人じゃないか?」
あんなに癖は強いが優しい上司をメッツェは知らない。
何より彼は自分の伴侶となる予定の最愛の女性と出会う機会を作ってくれた人だ。感謝こそすれ嫌うことは未来永劫あり得ない。
「あれほど厄介な人間は居ないよ」
『けっ』と唾を吐いて自称姉はまた柵の上に立った。
「この国一の問題児。その気になれば王家転覆も簡単に実行できる厄介者……それがアルグスタ・フォン・ドラグナイトという人物だよ」
「そうかな? 普段はここに来て『馬って良いよね~。ずっと腰を振ってられて』とか言ってるけど?」
「何を言ってるの? あの人は?」
ただ話を聞く限りあれはそんなことを言う人間ではあると、自称姉は理解していた。
「まあ気を付けなね。あれはたぶん化け物の類だから」
「そうかな?」
「全く……胸のデカい女を紹介されたぐらいで腰抜けにされるなって」
柵から飛び降り弟の腰をパンと叩く。
「こっちを使うのはちゃんと結婚してからにしなよ」
「売れ残りに言われてもね」
「本気で喧嘩売ってるんなら買うよ? 家族割引で?」
バキバキと指を鳴らす自称姉にメッツェは両手を上げて降参した。
「本当にちゃんとしなね」
「分かってるよ」
「それなら良いけどさ」
昔から変わらず屈託のない笑みを見せるのは……やはり姉らしい存在だった。
「そっちも気を付けてね?」
「あはは。私が死ぬ時は男の腹の上でと決めているから」
「つまり永遠に死ねないと?」
「そろそろお前がぶら下げている物を引き抜いてやろうか?」
「冗談が過ぎました」
冗談が通じそうにない姉の表情にメッツェは深々と頭を下げた。
「そうそう。途中で実家に寄るけど何か伝えることはある?」
「寄るの?」
「ええ。ちょっとあの親父を亡き者にする理由が出来て」
「まだ殺さないでよ。もうしばらくは王都に居たいから」
「か~。そんなに胸のデカい女が良いか?」
「もう。ルッテの良さは胸じゃないよ? あれは彼女のおまけだよ」
弟の驚愕的な発言に……自称姉はかの正気を疑った。
「あれがおまけ? これが?」
手を動かして胸の大きさを表現する。けれど弟の表情は動じない。
「彼女の良さは元気で明るく優しい所だよ」
「おっおう。目がマジだ……」
弟の様子に自称姉は逃げ腰になった。
「で、どうして実家に寄るの?」
普段なら実家を避けて通る姉だ。馬の売り込み以外は滅多に足を向けない。
「馬鹿親を始末するのと……」
ふっと彼女は遠くを見つめた。
「墓参りかな」
「そっか」
納得しメッツェは軽く頷いた。
「なら父さんを始末しないで、あと花を供えておいてくれるかな。お墓に」
「分かった」
話はおしまいとばかりに自称姉は弟に背を見せ歩き出す。
そんな人物を見つめ……メッツェは軽く笑った。
「頼んだよ。ミシュエラ姉さん!」
「お~」
背を向けたまま自称……ミシュは弟に向け軽く手を振った。
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