作品タイトル不明
両巨頭
「入るぞ」
「なんだ、お前か……」
遠慮無くズケズケと自らの執務室へと入り込んでくる男の顔を目にすると、ヤルム公爵は呆れたように溜め息を吐いた。
「なんだはないだろ、なんだは。少しは客をもてなす気遣いくらい欲しいものだが?」
「わしが望んでいる相手にだったらそうするがな。ノックも無くズカズカと部屋に入って来る品のない軍人相手に、どうして気遣いが必要かね?」
ヤルムはラインバーグの姿をチラリと目にしたきり、興味を失ったかのように手元の書類へと視線を落とす。
「おいおい、急に訪問したことは詫びるが、ノックならしたぞ。どうせ書類の世界にでも埋没しておったのだろう」
「ふん。こっちは軍人の戯言を聞いとる暇など無い程忙しいのだ。要件くらいは聞いてやるから、手短に話せ」
無駄な会話をする気のないヤルムは、疲れた表情を浮かべながらラインバーグに向かって簡潔にそう告げる。
「要件はわかっているだろう? 当然、先日の話だ」
「レムリアックの件か」
「ああ」
ヤルムの端的な返答に対し、ラインバーグは一度頷いて肯定を示す。
「それで、お前はわしに何を言いに来たんじゃ?」
「幼馴染としては、今回の貴族院の干渉に対し、お前がどう考えておるのか興味があってな」
ラインバーグのその発言は、内務省の内諾を受けること無く、ブラウを始めとする貴族院の面々が、ユイに対して内政上の約束を行ったことを指していた。
本来、クラリスの内政上の政策決定権は、内務省の管轄事項である。そうであるにも関わらず、なんの実権も持たぬ貴族院が勝手な約定をユイと行ったことに、内務省の人間は少なからぬ反発を見せていた。
そしてそれは、内務省の長であるヤルムも同様である。それ故、ラインバーグのその発言を耳にすると、不機嫌な顔を隠すこと無く目の前の書類から視線をあげた。
「素直にイスターツのことが心配と言えばいいのに、もったいぶりおって」
「……わかるか」
「当たり前だ、何年の付き合いだと思うておる」
図星だとばかりに苦笑するラインバーグに対し、ヤルムは呆れた表情を浮かべそう口にする。
「それで、一体どうするつもりだ?」
「どうするも何も、エリーゼ様が皆の前で認める方向で発言をされてしまわれたしな……就任したばかりの女王に発言を撤回させるわけにもいかん。今回はブラウと貴族院の独断をほぼ丸呑みするさ。もちろんいくつかの点はイスターツの奴と調整が必要だがな」
ヤルムは苦虫を噛み潰した表情を浮かべると、忌々しげにそう答える。
「しかしそれでは、宰相の権限に貴族院が介入したに等しいぞ。悪い先例となるのではないか?」
「別に構わんさ……それにおそらく奴にとっていいお灸になるだろう」
「お灸?」
聞きなれない単語を耳にしたラインバーグは、訝しげな表情を浮かべながらヤルムに聞き返す。
「そんなことも知らんのか? 東方の治療の一種だよ。だから脳味噌まで筋肉に汚染されとる男と話すと本当に疲れる……ともかく、今回の計画が奴個人の勝手に言い出した話じゃったら、全力で跳ねつけてやるところだ。だが、今回はあのイスターツが言い出した話だからな。おそらく何か裏があるのだろう」
「ほう……お前もなかなかユイのことを買っているじゃないか」
「お前程ではないわ。ともかく内務省の管轄事項に手を突っ込もうとした貴族院の連中には、それ相応の報いは受けてもらわんとな」
そう口にして、ヤルムはニヤリと口の端を釣り上げる。その仕草を目にしたラインバーグは、思わず声を出して笑ってしまった。
「はは、お前もなかなか性格の悪い」
「まあ、今回に限ってはイスターツの背中を押してやる。あのヒヒ爺いめ、今に見ておれ」
ブラウ公の嫌らしい顔を脳裏に浮かべ、毛嫌いしていることを隠すこと無くヤルムは心の底からそう毒づいた。
「それでこそ闘う宰相だな。先日は大人しくしておったから、なにか考えておるとは思ってはいたがな」
「ふん。先日は面白くなりそうであったから、口を挟まず見守っておっただけだ。しかし奴のことを思いだすだけでも腹立たしい。貴族院の連中は内務省をなんだと思っているのだ、まったく」
「それに関してはうちも同じだな。連中の軍務省への干渉も収まるところを知らん。残念ながら奴らが次官ポストを押さえているから、人事権を好きに弄ばれておる」
ラインバーグは思うように軍政改革が進まない苛立ちを吐露すると、ヤルムは彼に向かって手厳しい一言を放つ。
「それはお前が情けないからじゃろ。うちの内務省はまだ独立独歩は維持しておるぞ」
「ふん、貴族院の連中に勝手に政策を決められおったくせに」
ラインバーグは自分が痛いところを突かれたためか、わずかに皮肉っぽくそう言い返した。
「あれはエリーゼ様の決定だよ、表向きはな。まったく、そうやって人の揚げ足を取ろうとする癖は変わらんな。いつまでも成長しない奴だ」
「ふん、もうお互いただのジジイさ。成長なんかこれ以上せんわ」
「お前相手だからこの際はっきり言っておくが、内務省の長として判断するならば、あの時イスターツの提案はとても飲めるものではない。まぁ、あの場でそのことに気づいたものは、少数であったようだがな」
ヤルムは先日の会場の反応を思い出しながら、ラインバーグの目を直視すると、真面目な表情でそう口にする。すると、ラインバーグは疑問を隠す事ができず、額に思わずしわを寄せる。
「……どういうことだ?」
「やはり脳筋でさえ気づきもせんかったか……もし奴の提案を丸呑みして、さらにとある条件が加わったら、あのただの口約束は馬鹿にならん話となる。普通ではその前提条件を整えることが、どだい無理な話ではあるのだがな。しかしあの男なら万が一も起こりえると思っておる。もし成功させたとしたら、奴の国家への貢献に対するわしからの贈り物だな」
「あいつがただ急場凌ぎの提案を口にしたようにしか、わしには思えんかったがな……」
ラインバーグは税減免を願い出るために、十年後の負担増を言い出したユイの発言を思い出すと思わず首を捻る。
「まぁ、脳筋はそれで良い。お前にはお前にしかできんことがあるだろ、それをやっておけばいい。この分野はわしにまかせておけ。まあ、今回の事がイスターツの思うように運べば、ブラウのさんざん悔しがる顔が見られるだろうて」
「ふむ、ならばそれを楽しみにさせてもらうとしようかな。いや、期待していた以上に有意義な話を聞くことができた。では、そろそろ私は失礼しようか」
ラインバーグはそう口にすると、腰掛けていた椅子からゆっくりと立ち上がる。
「なんだ、突然やってきて突然去る気か。ちゃんと茶菓子くらい出してやるから、少しくらいはゆっくりしていけ」
「すまんな。この後、ユイたちと会議をすることになっておるのだ。その前にちょっとお前の元に立ち寄ってみただけでな」
「わしはあやつらのついでというわけか。まぁいい、ならばお前のほうからもイスターツの奴に釘は刺しておいてくれ。先日のことは、場の流れであったとはいえ、次は無いぞとな。今回は認めるが、特例など国家にとってろくなものでないからな」
「わかった、伝えておこう」
ヤルムの忠告を耳にするなり、ラインバーグは一度大きく頷く。その動作を目にしていたヤルムは、やや名残惜しそうな表情を浮かべつつ口を開いた。
「うむ……ではまたな軍人。遠慮せずに、もう少し遊びに来いよ。次は最初から茶菓子くらいは出してやるからな」
「ああ、覚えておこう。ではな」
別れの言葉を口にすると、ラインバーグはまっすぐに入り口のドアへと歩み寄る。そして後ろを振り返ることなく、彼は退室して行った。
その消え去っていった後ろ姿を、寂しそうな表情を浮かべながら見ていたヤルムは視線を宙に漂わせると、誰に聞かせるともなく独り言を呟く。
「ふむ……あのラインバーグでさえも完全には気づいておらんか。あの場でイスターツの正確な意図を読み取ったのは、一体幾人おったものかな……だが、これもブラウが自ら蒔いた種じゃ。せいぜい後で吠え面をかくが良い」