作品タイトル不明
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テレンスは自分で計画していたように「平民」となった。
卒業式の後、彼は帰宅した途端に父と兄に家から追い出されるという形は彼の計画にはなかったが。
しかも卒業式のパーティも「場にふさわしくない」と王太子殿下付きの近衛騎士に追い出された。
彼を可愛がり――信頼してた母は家の奥に。息子の卒業式にすら参加しなかった、いや、できなかった。
彼女は息子が寄り親の侯爵家に気に入られ、上手くやっているという言葉を信じていたことを後悔して臥せっていたのだ。一ヶ月前に婚約解消したときからだ。
息子が自分から平民となると言ったからだ。
どうして子爵家に婿入りできるのに、わざわざ……息子がわからない。クロエに申しわけない。
彼女は後の義娘としてクロエに会って親しくしていたから、余計にだ。
そう、クロエがある意味のんびりと、婚約解消となると思っていなかったのはテレンスはともかくこのピートル子爵家の皆さまが良くしてくださり、良好な関係を結んでいたからだ。婚約者としてテレンスがクロエのドレスを発注する際も、気前良く代金を支払ってくれていたほどに。
……クロエが紺色のドレスばかりを望んでいるという息子の言い分を信じてしまったのも。クロエに紺色があまりにも似合っていたばかりに。
ピートル夫人は子爵 夫人(・・) としてより、当主として立たねばならないクロエに自分などでは何か教えることはできないから勉強の邪魔をしてはならないと遠慮していた。自分と関わるより今は侯爵家がご用意なさった家庭教師さまこそ優先にしてもらおうと。そんな自分を後回しにできる優しい義母……に、なるはずだった。
その親の気遣いを息子はなんにもわかっていなかった。息子も彼女の助けになるために領地管理科目を受けているはずだと、安心していたのが。
自分が遠慮していたのがまた、クロエを気にかける身内がいないなど、息子を誤解させたのかもしれない。
そんな後悔ばかりだ。
彼はそれを知らず明るい未来ばかり夢みていた。目がくらんだままに。
家の敷居すら踏ませてもらえなかったテレンスは、通すわけには行かないと使用人たちと壁をつくる兄に食ってかかっていた。
自分は悪くないと、ここまできても。
卒業式にて明らかになったクロエの実力と、その後のパーティでさらに明らかになった――クロエの価値を突きつけられても。
「俺は、ずっと我慢して……」
クロエが背が高いのが、すべて悪い。
そう兄に訴えた。
まさか家に一歩も入れさせてもらえないとは思わなかったから。部屋の中にはメアリーとの暮らしのために必要な荷物のあれこれがある。
お気に入りの服もネクタイピンなどの装飾品も。そうだ幼い頃に祖父にもらった螺鈿細工の万年筆も。
それらも持ち出しを禁止されて。
唯一、パーティに合わせた今着ている服だけは許された。下着で歩きまわれるのはさすがに――顔立ちが似ている兄がちょっと、いやかなり嫌だったからだ。
そしてその服はピートル子爵家が用意できるレベルの代物ではない。きっと彼がこれから「雇われる」約束をしているというマイン伯爵家が用意してくれたものだろう。
「雇われる」である。
新たな婚約をテレンスはまだ結んでいない。
貴族の婚約は家と家の契約のようなもの。
先ほど学園を卒業するまでは、一応は「ピートル子爵家の次男」であったテレンスは貴族だったから。
ピートル子爵家は「婚約を解消したばかりだから」として、テレンスとマイン伯爵令嬢の婚約を認めていなかった。
マイン伯爵家からその一ヶ月前に話が来たときにそう返事をして、卒業式後に改めてとしたらあちらも確かに外聞が悪いと帰っていった。
……本当に商売に評判上手なマイン伯爵家なのだろうかと疑わしい。
何か詐欺にでも巻き込まれているのではないかとピートル子爵は思ったのだが。
――詐欺の方がマシだった。
ネージェン侯爵家からの真相を聞いて、息子のしたことに彼らは情けなさとクロエへの申しわけなさで、泣いた。
だけれどもネージェン侯爵家から一ヶ月は息子を夢見させたままに。そうさせろと指示が。
すでに尻を叩くどころか一文無しで放り出す気だったのだがこういうことかと――息子たちが立てていた計画。クロエを一人で入場させようとする辱めを――逆に息子たちの目の前でクロエの真価を見せつけてやる。
その為にピートル子爵家では一ヶ月、テレンスを叱りつけるのを我慢した。
それが一番、家族の彼らへの罰だった。
本当にテレンスは情けないし、恥ずかしいし――そう育ててしまった自分たちも。
自分たちはこれからはさらに律して行かなければ、と……――。
ネージェン侯爵家はこうして許したことで、ネージェン侯爵家とグラフティー子爵家へ忠誠をさらに誓う家を増やしたともいえる。
――これが貴族のやり方だ。
兄は弟と同じ蜂蜜みたいな髪をかきあげてため息をついた。
「確かにお前はからかわれて可哀想だったかもだけど」
「かもじゃない! 実際に俺は――」
「お前だけじゃあないだろう?」
「え」
「からかわれたのはクロエ嬢もだろう?」
「……え?」
「しかもクロエ嬢はお前から、婚約者からも嫌がらせをされて。どっちがかわいそうだ?」
クロエもからかわれていた。
その背の高さを。
「女の子だぞ。かわいそうだろう?」
しかも護るはずの婚約者こそが、一番の敵。
「お、俺は……」
言葉失うテレンスに、兄は悲しいとまたさらにため息を重ねる。それは後悔のため息だ。
「お前をクロエ嬢の婚約者にするのではなかった。侯爵家からの良い話だと喜んでしまって。ああ、辞退すれば良かった……お前が小さかったことを見抜けなかった俺たちも悪かった」
「な……お、俺の身長は平均です! 小さくなんて――」
それはテレンスが一番触れられたくないところで。兄と並んでも変わらない背丈ではないかと掴みかかりかけて。
「ああ、いや、背の話じゃなくてな――器の話だ」
使用人たちに止められる前に、それはテレンスへと突き刺さった。
「お前がそんなにも小さな了見しかない弟だと解った俺も辛い」
「そんな……」
「その代わりにクロエ嬢は大きい」
「……は?」
「背の話じゃないからな。お前とは婚約解消だからと許してくださった」
蔑ろにされていたことも。
卒業の一ヶ月前に解消などという酷いことも。
「何より、お前に辛い思いをさせてしまったと、彼女の方が謝ってくださったほどなんだぞ!?」
父と兄は涙が出るほど――情けなかった。
テレンスの小ささが。
その、器のあまりにも小ささが。
「……彼女はお前のドレスに感謝していたからと……」
すべてはテレンスのセンスが良かったから、と。クロエは許してくれたのだ。
なんて、優しい。
互いの納得しての解消だから、互いに慰謝料などもなく。ピートル子爵家にもお咎めがなかった。
本当は自分の期待を裏切ったと、ネージェン侯爵当主であるデリックの静かな怒りは凄まじかったのだが。
クロエだ。
亡き親友の忘れ形見が、怒らないでほしいと鎮めてくれたのだ。
実のところネージェン侯爵より夫人の怒りの方がさらに恐ろしかったのを誰が知ろうか。女の方が怒りや恨みは深い。
けれども亡き親友と同じ瞳に頼まれて、その怒りをまた鎮めた。ピートル夫人はそのおかげで社交界よりしめ出されなかったと。ますますクロエに謝罪を捧げるばかり。
すべては。
紺色のドレス。
彼の影にされたドレス。
その御礼で。
そしてもしやクロエが我慢をしてしまったことがテレンスの増長となったのならば、また申しわけなかったと――本当に器の差だ。
テレンスが自ら平民となると言ったのもある。解消ならばこれ以上は過剰な罰となるからだ。テレンスは知らず自らで家族の首を救っていた。
クロエにかけたドレスの代金などの返金もなしで手打ちになった。クロエからお返しに頂戴していたものの返還も不要と言われていたが、そこは同額のなにかお返しできるものを考えねば。
もしくは――グラフティー子爵家に何が起きたら、真っ先に駆けつけお助けすることを子々孫々まで誓わせねば。
ピートル子爵家が貴族でいられるのは、すべてすべて――グラフティー子爵家のおかげであると。
兄は侯爵家から何もないのは、またクロエが止めてくれたから、彼女が許してくれたからだともきちんと理解していた。
あんな立派な婚約者に対して、己の弟の情けなさよ。
「……お前、なんでこんなぎりぎりまで婚約解消を言わなかったんだ?」
すべては、それ。
「お前が一言、きちんとクロエ嬢に……クロエ嬢に、婚約を解消すると、もっと早くに言えば良かったんだ」
三年前からずっと、婚約解消は簡単だった。
寄親貴族からの紹介ではあるが、クロエは同じ子爵位にある。クロエとは対等なのだ。
テレンスはそこではじめて、クロエには自分以外にも婚約者の候補がたくさんいたことを聞いた。テレンスが断ればすぐに別の相手が。
それはそうだ。
爵位を持たない次男や三男、それ以外にも裕福な商家の息子など。
子爵位がほしい男はたくさんいた。
けれどもクロエはテレンスを選び続けてくれた。
はじめに決まった婚約者の彼が、クロエに「俺しか相手が」などと、彼自身が婚約を続ける素振りをみせていたからだ。そして彼がそうクロエに暗示のように言い続けてしまったことで、またクロエも「自分なんか」と背を丸めた。
だからテレンスがもっと早くにきちんとお断りの言葉を、あのようにカフェでのやりとりをきちんと早くにしていたら。
すべてはテレンスが小狡い天秤を考えていたから。
本当に、器の小さい――天秤を。
家族としては三年前に時間が戻ってほしい。
弟がこのように「自分から」平民に落ちる道を選ぶのを――……いや、この小狡いのはまた別のことをからかわれても、きっと同じようなことをしただろう。むしろ 行く当て(・・・・) がある今の結末の方が良かったのか。グラフティー子爵となるクロエとの関係は、ピートル子爵家としては切られなかった。
そう、グラフティー子爵――ネージェン侯爵家の次期夫人と。
寄り親貴族であるネージェン侯爵家との御縁を切られなかった。
クロエの器の大きさに彼らはひたすら感謝し、終生の忠誠を改めて誓うのだった。
兄は弟がマイン伯爵令嬢を頼って力なく歩いて行く姿に、またため息をついた。
弟はそこでようやく現実をみることができるだろう……――。
――そのマイン伯爵家でも。