作品タイトル不明
13
「……お前のせいで!」
マイン伯爵令嬢のメアリーは生まれて初めて母に頬を叩かれて呆然としていた。
「……え?」
わからずきょとんと、その丸い瞳をさらに丸くして、どうして叩かれたのかと部屋にいた兄や姉たちに答えを求めて――彼らの冷たい視線に後退った。抑えた頬がじわじわと痛くなってくる。
「……ああ」
「お母様、寝室へ……」
二人いる姉たちが母を支えながら部屋から出ていく。嫁いでもずっと末っ子のメアリーを可愛がってくれた姉たちがきつい目でこちらを睨んでから。
メアリーはわからず叩かれた痛みで涙が出てきた瞳を潤ませながら部屋に残った父と兄をみる。メアリーのヘーゼル色の瞳は兄姉たちとお揃いだ。赤味ある金髪に似合う色だと互いに誇っていたし、テレンスにも気に入られている色だ。
テレンスの瞳が赤味あるオレンジだから、自分たちは並んで立つとなんて美しくお似合いなのだろうかと。
クロエはやはり影――だと、今日まで思っていたけれど。
パーティでのことを思い出したら悔しくてまた涙が。
有り物のドレスで一人で恥ずかしく登場するはずだったクロエが――……あんなに格好良くて、ダンスも上手くて。しかも可愛い男の子にずっと好きでしたなんて、素敵に告白までされて。
ずるい。
私もあんな風に告白されてみたい。テレンスにも自分ばかりが好き好き言っているから――……。
兄姉たちはいつもこうしてメアリーが泣いていたら慰めてくれるのに。
そこに肩を落とした祖父が帰宅して来た。
「……やはり、許してもらえなかった」
祖父はソファーに腰かけるとそのまま頭を抱えてしまった。
「お祖父様、どうなさったの?」
あまりの様子に元気付けようとメアリーは声をかけた。このマイン家では明るく振る舞うのがメアリーの役割だったから。
むしろメアリーが明るく笑い、皆に甘えることで家が平和だった。
だからメアリーは母に叩かれて痛い頬を我慢したのに。
きっとお母様に何かあったのだろう。姉たちも何か様子がおかしかったから。珍しいこともあるけどきっとすぐにごめんなさいと謝ってもらえるはず。
今日はこれからメアリーの卒業祝いだからだ。
もうすぐしたら一度家に帰ったテレンスもご家族と来てくれる。そして卒業式のあとにとなっていた婚約話を進めることになる。少し前に父と話に行ったときには「婚約解消したばかりなのにすぐ新しい話は外聞が悪いから」そう言われて断られてしまった。
こちらが伯爵位で上なのにと父は少し怒ったけれども、言われた内容には「確かに」と頷くしかなく。口約束だけはしてきただけで。
だけどかわいい末っ子が学園に入ってからの恋を実らせたと家族は喜んでいて、その相手のテレンスのことを歓迎してくれていた。
卒業式の揃いの衣装も。
国で今一番流行りのデザイナーに頼みたかったけれど、そちらは忙しいと断られた。相手は自分たちの後輩にあたるまだ学生だというし、王家とフランター伯爵家に囲われているというから、あきらめはつく。
代わりに自分のマイン家お抱えのお店に注文して。そうそう、こういうときに「看板」になるのも雇い側の役割なのよ――と。
数ヶ月前はそんな話で姉たちときゃっきゃっして。そう、婚家から彼女たちはその為に帰宅しているのでは?
メアリーは知らなかった。
彼女が卒業式のパーティに参加するために出かけた直後に。マイン家にネージェン侯爵家、そしてコーデリアからの通達が届けられたのを。
「ね、お祖父様! 卒業したら頂けることになっていたお店なんだけど、やっぱり宝石のお店がいいわ! ダメなら今回のドレスのお店とか!」
明るくお強請りする末っ子に、父も兄も冷たい目を向けた。
いつもなら末っ子のお強請りに「仕方がないなぁ」とデレデレと甘い顔をする彼らが。
「その店はもうないよ」
項垂れながらも祖父はメアリーに返事をした。
「……え?」
「もう、私たちの店は……私名義の、少しだけだ」
「名義?」
名義ってなんだっけ?
あ、お店のお名前よね? それもまた愛しいテレンスと考えなきゃ!
メアリーがふわふわしていることを捨て置き、父と兄が祖父に詰め寄っている。
「そ、そんな……クラリスがいらないと言う話で、私が継ぐことになりましたよね?」
父が愕然としている。
クラリスとは祖父の姪にあたり、本来はこのマイン家の跡取りになるはずの女性だったらしい。
マイン家は、実は祖父の姉のコーデリアが当主だ。
祖父ではない。
祖父は代理とか、管理人とか、そういう役職にあったらしい。
マイン家は商人上りの家系だ。
祖父はその才能が無く、その姉が家を継いだのだという。祖父ではせっかく上がった子爵位を維持できる甲斐性がないという現実で。
実際、コーデリアが当主だから伯爵位までまた上がったのだから。
けれどもコーデリアの跡継ぎであった彼女の娘のクラリスは連れ合いに不幸に遭った。それ故にクラリスもマイン家を――様々な商会を継ぐ気力がなく。
そういうことならばと、爵位や諸々はコーデリアの弟の方に移されることになっていたのだが。
今回のことで怒ったコーデリアはそれらを無かったことにした。
商会の、彼女が関わってからの――彼女の名義であったものはすべて、マイン家より切り離し、彼女は独立した。
数十年前にそうするはずであったままに。
「爵位は残してくれるらしいが、私では伯爵位は維持できない……」
それはコーデリアが年の差があるサイモンとの結婚のとき、この弟も応援してくれたからという借りから。メアリーが誤解した「ネージェン侯爵家との借り」の真相は、マイン家側はこういうことだ。
「そんな……」
これまで伯爵令息としての恩恵を受けてきた兄が呆然としている。
「もともとの子爵位も……もしかしたら、男爵がぎりぎりだ……」
姉の温情でマイン家代々の商会は残されたが、それより今や姉が広げた販路の方がマイン家の主戦力だったのだ。
「娘たちに渡した店も返すことになった」
「姉上たちは……」
メアリーの姉たちもメアリーが今回そうする予定であったように、良い店をもらって――婿を取っていた。
彼女らに渡した店はコーデリアから預かっていたものだった。このまま何もなければコーデリアからの遺産として大姪の彼女らに渡っても良いと、コーデリアは思っていてくれたのが。
姉たちは大店の奥様として不自由ない暮らしをできていたのが。夫に上にも下にもおかないで大事にされていたのが、今日からどうなるだろうか。
犯してはならないものが誰にでもある。
それがコーデリアにとっては大切な亡き夫――ネージェン侯爵家である。
そして愛しいその方との愛娘がまた大切にしている存在を虚仮にされた。
許されない。
マイン伯爵たちはテレンスにまさかそんな繋がりがあっただなんてと。
かわいい末っ子がどうしてもあきらめられないという恋しい相手――それだけだと思っていたら。
彼はマイン家に借りがあるネージェン侯爵家の寄り子貴族だし、婚約者とは不仲だし、その婚約者も後見は弱いと――甘く見ていた。
この辺りがマイン家の当主がコーデリアなところでもある。
マイン伯爵たちは頭を抱える。
何もしなくて――いや、姉の稼いできたすべての上に胡座をかいていたツケが回ってきたのだ。
遅かれ早かれ、姉から引き継いだ後はこうなっただろう。
「え、伯爵じゃなくなるの……?」
きょとんとしているメアリーに答える気力もわかない。
彼らは末っ子を甘やかしたのが原因だとわかっているし、自分たちの愚かさも理解したからだ。
「じゃあまた買えば良いんじゃないの?」
苦労をしたことがない人間こそ、軽く言う。
「大伯母さまがそうやって税金たくさん払ったりしたから伯爵になったのよね? 大伯母さまにまた払ってもらえば良いんじゃないの? 大伯母さまの跡継ぎはお祖父様、あ、お父様でしたっけ? しかいないんでしょ?」
メアリーの兄も「そうだった」と妹の言葉に顔を上げているが。その金はどこから入るのか。そして縁を切るとしたコーデリアが再びマイン家に何か遺すはずがない。
マイン伯爵と多少は現実がみえた父は、子たちの考えなしに――また頭を抱えた。
落ちるべくして、落ちるのだろうか――……。
コーデリアの財産はすべて。個人的な商会などは信用ある相手に譲ったりして、現金などに換えて孫であるセオドアに引き継がれることに。
まさに今コーデリアが手続きに取りかかっているところだとマイン家の皆が知るのはそんなに先ではなく。
いずれ宰相とまで王太子に気に入られ目をつけ――目をかけられている孫に、ならば金はどれだけあっても邪魔にはなるまいと。それは商売人としてのカンで。
コーデリアが今回一番マイン家に――メアリーとテレンスにしたことは。彼らの卒業式の計画を潰す一役を。
血族のやらかしの詫びとして。
彼女の伝手で素晴らしい夜明けの空色の最高級の布地をネージェン侯爵家に卸した――むしろ彼女から贈ったことだろう。
「テレンスは文具店を任されているそうよ。結局、平民になって」
テレンスはすぐにも男爵位を購入する気だったろうが、爵位が簡単に買えるはずがない。
マイン家とて長い時間をかけてようやく伯爵にまで上がれたところだったのに。
「落ちるのはあっという間よ……二人は大丈夫だと思うけれど、心しなさいね」
セリーヌは上がってきた情報を茶飲み話としてクロエと、新たに妹分となったスピカに。
一番の「姉弟子」として。
スピカは遅れたウェディングドレスの確認の為に訪れてお茶にも誘われたのだ。
「マイン家は近うちに男爵位に落ちるわ。まぁ、妥当よね」
伯爵位はやはり維持できなかったらしいが、彼らでは子爵位も難しそうらしい。
メアリーの姉たちはやはりコーデリアに店を取り上げられ、元々マイン家がもっていた違う店に移ったりと騒ぎになっていたらしいが。
「一蓮托生やなぁ……」
お茶を啜りながらスピカはそうつぶやくしかない。
「でも文具店ですか……」
「あら、何かあったかしら?」
スピカの考える様子に、姉弟子たちは優しく問いかける。この妹弟子が見た目の可愛らしさ以上にとんでもないとすでに理解だ。
「いや文房具て、なかなかマニアとかいますから……上手いことやったら販売ルートできそうやな、と……」
仲良くなると油断して訛りがでるスピカだが、お二人はスピカが元々は下町育ちの男爵令嬢だとご存知だから「平民の言葉使いかしら」と受け入れて許してくださっている。まあ、あながち間違いではないし。咎めるほどの無礼ではないと懐の深さを。
この国とて地方によっては訛りはあるのだし。
「そう、私のスケッチブックも……私はこのメーカーが好きで愛用してますし……このペンの書き心地も……」
紙質が良いのですよぉ、と。紹介できることが嬉しいと……まさにマニアだ。
「なるほどね……」
テレンスのセンスは良かったのは確か。
彼の代では難しいだろうが。やがていつか本当に――爵位を。
「……聞かなかったことにしましょう。これ以上の手出しは、ね」
クロエが許した以上、罰もこれ以上は。
セリーヌは貴族としての姿を妹弟子たちにみせる。
許すこともまた大切。
今回クロエが許したことでテレンスのピートル子爵家がまた一層の忠誠を誓ったように。
そしてテレンスとメアリーだが。
マイン家の血だろうか。
メアリーはそれでもテレンスを欲した。テレンスも平民となり一文無しでもはや当てがないと、予定とおりメアリーに婿入りしたらしい。
本人はもっと良い店をわけてもらい、すぐに爵位を買う予定であったようだが。
今は必死に、かつての友人たちの家に仕入れた商品を抱えて訪問しているそうだ。
友人たちの忠告を聞いていなかった彼には――今や平民の彼にはとてつもない敷居の高さであるという。
マイン家としては「ピートル子爵の次男」だから婿入りしてほしかったのだろうが……男爵位に落ちる今、末っ子も、何とか兄妹たちでわけた店も好きにしろという気持ちなのだろう。
思えばコーデリアも同じように亡きネージェン侯爵サイモンを惚れ抜いたひとだった。
一度恋に落ちたら一直線か。
その血には確かに商人の血も流れている。
いつか、また……――。