作品タイトル不明
EP 9
夜想曲(ノクターン) と、時空を超える『執念』
ポポロ村に、静寂な夜が訪れていた。
昼間の凄惨な戦闘や、ラビークによる大地を揺るがす破壊の痕跡は、マッドサイエンティスト・ガジェットの超技術(空間修復システム)によって跡形もなく隠蔽されている。
路地裏の『鬼龍』は、暖簾を下げ、【BARの刻】へとその姿を変えていた。
薄暗い間接照明が、磨き抜かれた白木のカウンターを照らし出す。
店内に静かに流れているのは、ショパンの『 夜想曲(ノクターン) 第20番 嬰ハ短調 遺作』。
物悲しくも美しいピアノの旋律が、夜の空気に溶け込んでいた。
カラン、とドアベルが鳴る。
「よぅ、龍魔呂。やってるか?」
「……いらっしゃい。カイト、それにポチも」
麦わら帽子にドテラ姿のS級農民・カイトと、その肩に乗った小さな竜(ルナイーツの保温バッグ付き)が店に入ってきた。
「昼間はフェンリルの野郎を急速冷凍庫にして箱詰めしてたからな、喉が渇いちまった」
「オ、オレも初配達で神経使ったから疲れたぜ……マスター、いつものやつ頼む!」
カウンターの奥で、ワインレッドのタートルネックを着た龍魔呂が静かに頷く。
彼はカイトにキンキンに冷えたエールを出し、ポチの前には、美しいクリスタルグラスに【角砂糖】を山盛りに積み上げて差し出した。
「おっ! これこれ! やっぱり仕事の後はこれに限るぜ!」
ボリボリボリッ。
かつて世界を滅ぼしかけた始祖竜クロノは、小さな前足で角砂糖を掴み、幸せそうに咀嚼している。
龍魔呂はグラスを拭きながら、懐から『マルボロ赤』を取り出し、真鍮製のオイルライターで火を点けた。
——カチッ。
昼間は「死の合図」だったその音が、今はただ、夜の静寂を切り取るように響く。
紫煙を細く吐き出し、龍魔呂は角砂糖を頬張るポチを、ひどく真剣な、そして熱を帯びた漆黒の瞳で見つめた。
「……ポチ。お前にはいつか、最高の 状態(ピーク) に仕上げてもらうぞ」
「んぁ? 最高の状態? ウーバーの配達スピードの話か?」
ポチが首を傾げる。
「違う」
龍魔呂の低い声が、ショパンの旋律を切り裂いた。
「俺がこのポポロ村(異世界)にいる理由だ。……俺は、ルチアナ(世界神)に【地獄のゲート】をこじ開けさせる」
「……地獄のゲート?」
カイトがエールのジョッキを置き、黙って龍魔呂の顔を見る。
「あぁ。俺の弟・ユウは、理不尽に殺され、俺と一緒にゴミ捨て場に捨てられた。俺は地獄の底まで乗り込んで、ユウの魂を必ず取り戻す」
「なるほどな、死者蘇生か。マスターの腕っぷしなら、地獄の悪魔どもを全滅させて魂を引っ張り出すくらいやりそうだが……」
ポチが角砂糖を齧りながら言うと、龍魔呂は首を横に振った。
「生き返らせるだけじゃ、ダメなんだ」
「……どういうことだ?」
龍魔呂はカウンターに両手をつき、ポチの目を真っ直ぐに射抜いた。
その瞳の奥には、狂気的なまでの『弟への執着と愛』がドロドロと渦巻いていた。
「生き返ったとしても、ユウが『殺された時の痛み』や『地獄の底で味わった恐怖』の記憶は残る。俺は……ユウが死んだ未来があることなんて、絶対に許さない。ユウが死んだという『事実そのもの』が存在する宇宙を、俺は認めない」
ポチの顔から、余裕が消えた。
始祖竜の本能が、目の前の男の語る「恐るべき野望」を理解し始めたのだ。
「ルチアナに地獄を開かせ、ユウを取り戻す。……そして、そこから先が、お前の【時を操る権能】の出番だ、ポチ」
龍魔呂はタバコを灰皿に押し付け、静かに、だが絶対の意志を持って告げた。
「お前の力で、時間を巻き戻し、世界を改変しろ。ユウが地獄に行ったことも、そもそも死んだという過去も、全て【無かったこと】にする。……それが、俺の真の目的だ」
しぃぃぃぃん……。
BARの空間が、凍りついた。
「な……ッ!?」
ポチの口から、角砂糖がポロリとこぼれ落ちた。
「お、おい正気か!? 死者の魂を奪還するだけでも重罪なのに、宇宙の 因果律(タイムライン) そのものを改変して『死を無かったことにする』だと!? そんな真似したら、ルチアナどころか、宇宙神のユニーバ様や神界の全軍が黙っちゃいねぇぞ!!」
かつて神々を敵に回した始祖竜ですら震え上がる、途方もない神への反逆。
だが、龍魔呂は一切悪びれず、冷たく笑った。
「神界がどうなろうと知ったことか。神が邪魔をするなら、俺が神を殺す。ユウが笑って生きられるなら、俺は世界の 理(ことわり) ごと、この両手で引き裂いてやる」
絶対的な決意。
それは、英雄の正義などではない。ただ一人の弟のためだけに宇宙の法則すら捻じ曲げようとする、エゴイスティックで、最高に美しく、狂おしいほどの『純愛』であった。
あまりのスケールのデカさと、龍魔呂の背負う重すぎる闇に、ポチは完全に言葉を失い、ゴクリと唾を飲み込んだ。
……だが。
この壮大でシリアスな復讐と愛の誓いを、カウンターの端で黙って聞いていた『麦わら帽子の男』が、ゆっくりと口を開いた。
「……なるほどな」
S級農民・カイト。
彼の【農業特化のサイコパスフィルター】が、この重すぎる空気を一刀両断する瞬間が、すぐそこまで迫っていた——。