作品タイトル不明
8.痛み止め
「イザベルお母様、今、大丈夫?」
そっと扉を開けて、問いかける。すると、ベッドの上で横になっていたお母様が目を開き、ゆっくりとこちらを見た。
「……えぇ、大丈夫よ」
穏やかな表情で頷いた。了承を得ると、私は部屋に入り、ベッドの脇に設置してある椅子に座る。
「体の調子はいい?」
「もちろん、絶好調よ。飛び跳ねられるくらいには元気みたい」
「もう、嘘ばっかり……」
そんな元気がないと分かっているのに、イザベルお母様は心配をかけまいと気丈に振舞っている。その優しさに癒されつつも、やっぱり悲しい気持ちが生まれた。
「昨日はいつも通りに森に行っていたの?」
「うん、そうだよ。イザベルお母様の薬の素材を探していたんだ。そしたら、アマリアお姉様に会って、手伝ってもらっちゃった」
「なんとなく想像がつくわ。もう……あの子もルイ離れをして欲しいのに」
「ルイ離れって何?」
イザベルお母様が変なことを言って、自然と笑ってしまう。あの様子を見る限り、妹離れはずっと先になりそうだ。
「それでね、お母様の痛み止めが完成したの!」
「それは、本当?」
「うん、これを見て!」
私はすり潰したロキニン草を見せた。すると、お母様は不思議そうな顔をした。
「すり潰した薬草?」
「そうだよ! この形のほうが痛み止めの成分が十分にあるの。それだけじゃなくて、錬金術を使って苦味も取り除いたから、そのまま口に入れても大丈夫なんだよ!」
「そうなの。ルイは色々と考えてくれたのね、ありがとう」
必死になって説明すると、イザベルお母様は穏やかに笑って、私の頭を撫でてくれた。
「本当に、本当に効くからね! 体の痛みなんてなくなるくらいに!」
「それは期待しないとだわ。じゃあ、早速頂こうかしら」
「うん! 早く飲んでみて!」
私はイザベルお母様の体を支えて、起き上がらせた。そして、容器とスプーンを手渡す。
「これがルイの作ってくれたお薬……。ルイがお薬を作ってくれる日が来るなんて……」
手元の薬を見て、イザベルお母様が感極まっている。今にも泣きだしそうな雰囲気で、少しだけ居心地が悪い。
「私だってもう十二歳だよ。お薬だって作れるよ。だって、錬金術師だから!」
「いつのまにかこんなに成長して……。もっと、近くでその成長を見たかったけれど……」
私が薬を作ったことにイザベルお母様は感動しているみたいだ。そして、寂しそうに笑う。
いつもベッドで寝たきりだったから、普段の私を見てこれなかった寂しさがあるのだろう。その横顔はとても悔しそうに見えた。
「大丈夫。私が錬金術師になったからには、イザベルお母様の病気なんか治っちゃうんだから。この薬がその第一歩だよ」
「そう……これがルイの第一歩」
しみじみと呟いて、嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、頂くわね」
そう言って、イザベルお母様はスプーンで薬草をすくうと口の中に入れた。すると、すぐに驚くように目を見開く。
「……苦くない。これ、本当に同じ薬草なの?」
「ほら、大丈夫でしょ? はい、お水」
「ありがとう」
口に入れた薬草を水で流し込む。ゴクリと喉がなると、薬草が体の中に入った。
「イザベルお母様、どう?」
「そんなにすぐに効くわけが……あ、あら?」
「効いてきた?」
「そ、そんな嘘でしょ……痛みが……」
イザベルお母様は驚いたように体を見た。そして、手で口元を押さえる。
「ずっとあった、痛みが……消えていくっ……」
震える声でそう呟きながら、イザベルお母様はゆっくりと両手を握ったり、開いたりした。いつもなら、その些細な動きだけで顔を歪めていたはずなのに――今は、眉一つ動かさない。
「嘘……でしょう……?」
次に、体を動かす。きしむはずの体が、拒絶するはずの痛みが、そこにはなかった。
「あぁ……」
息を吸い、吐く。胸に手を当て、背中を伸ばす。
「痛みが……ない……」
その瞬間、張り詰めていたものが切れたように、イザベルお母様の目に大粒の涙が浮かんだ。
「お、お母様……?」
私が声をかけるより早く、イザベルお母様は顔を覆い、肩を震わせ始めた。
「……ごめんなさい……っ」
「え……?」
「嬉しくて……っ、あまりにも……嬉しくて……!」
ぽろぽろと、止めどなく涙がこぼれ落ちる。
「ずっと……ずっと、痛みと一緒だったの。朝も、夜も……息をするだけで。それが……それが……」
言葉にならず、嗚咽に変わる。
「……なくなったわ。ルイ、あなたが消してくれたのね……」
次の瞬間、イザベルお母様は私を強く、強く抱きしめた。
「ありがとう。ありがとう、ルイ! 私の……私の可愛い娘……! こんな奇跡を……希望を……!」
胸に顔を埋められ、温かい涙が肩に染み込んでくる。その震えが、喜びから来るものだと分かって、私の胸もぎゅっと締め付けられた。
「……よかった。本当によかった……!」
気づけば、私もイザベルお母様を抱きしめ返し、声を押し殺して泣いていた。
「これで……もう、痛くないんだよね?」
「えぇ……今は、痛くないわ。久しぶりに、こんなに楽……」
その言葉に、私はほっと息を吐きかけて――そして、引っかかった。
「……今は?」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「今、だけなの……?」
「え、えぇ……。だって、これは生の薬草をすり潰しただけのお薬でしょう? 作りたてだから効いているけれど……」
優しく言おうとしたのだろう。けれど、その言葉は、容赦なく現実を突きつけてきた。
「保存には適さないわ」
頭の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
そうだ。これは生の薬草をすり潰し、不要な成分を消しただけの即席の薬。放っておけば劣化する。保存もできない。痛い時に、すぐに使えない薬は――薬じゃない。
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……ごめん、イザベルお母様」
絞り出すように、そう言った。
「これは……失敗だよ」
「え……? どうして?」
自分の言葉が、胸に突き刺さる。
「今、痛みを消せても……必要な時に使えない。そんなの薬としては、欠陥品だ……」
一瞬、部屋の空気が重く沈んだ。
せっかく、あんなに喜んでくれたのに。やっと、痛みが消えたのに。それが、今だけだなんて。
悔しくて、情けなくて、奥歯を強く噛みしめる。
「……ルイ」
イザベルお母様が、何か言いかけた。私は、それを遮るように顔を上げた。
泣いていたはずなのに、胸の奥で別の火が灯っていた。
「でも、分かったんだ」
立ち上がる。足は少し震えていたけれど、それでも前を向く。
「ロキニン草は、生で使えば、ちゃんと痛みを消せる。苦味は、錬金術で消せる。あとは、保存できる形にするだけ」
拳を、ぎゅっと握りしめる。
「だから、私は諦めない。必ず改良する。使いたい時に、いつでも使える本物の薬にしてみせる!」
絶望した。でも、立ち止まらない。
これは失敗なんかじゃない。次へ進むための、確かな一歩だ。
私はもう一度、強く決意を胸に刻んだ。