作品タイトル不明
43.症状
「トレイト伯爵……これは、一体どういうことなのですか?」
静まり返った部屋で口を開いたのは、ロザンお父様だった。抑えた声の奥に、驚きと戸惑いが滲んでいる。その問いに、トレイト伯爵はわずかに目を伏せ、神妙な表情で答えた。
「ある日、突然こうなった。前触れもなく、だ」
短い言葉だったが、その裏に積み重なった時間の重さが感じられる。
「原因は分からない。どこから、何が引き金になったのか……いまだに掴めていない」
原因不明。つまり、何の対処も出来ないまま、娘さんはこんな状態に陥ったということだ。
「医師にも、薬師にも、鑑定士にも診せた。だが、体が少しずつ衰弱していっていることぐらいしか分からない」
トレイト伯爵は淡々と告げるが、その声はわずかに硬い。
「誰一人として原因を特定できなかった。ただ症状を見て首を振るだけだ」
「……そんなことが……」
ロザンお父様の口から、かすれた声が漏れる。
積み上げられてきた知識と技術、そのすべてをもってしても辿り着けなかった答え。この状況が、いかに深刻で、そして追い詰められているかが、痛いほど伝わってきた。
重苦しい沈黙が、部屋を支配する。その静けさを破ったのは、トレイト伯爵だった。
「……そこで、だ」
伯爵はゆっくりと顔を上げ、視線を私へと向ける。その瞳には、先ほどまでの慎重さとは別の切実な色が宿っていた。
「君の錬金術で、この病を治すことは出来るのか?」
真正面から投げかけられた問い。それは試すための言葉ではなく、藁にもすがる思いが滲んだ、父としての問いだった。
私は一瞬、言葉を失う。
出来る、出来ない。そのどちらを軽々しく口に出来る状況ではない。けれど、目の前にあるのは、確かに救いを必要としている命だった。
私は小さく息を吸い込み、静かに答える。
「……正直に言えば、まだ断言は出来ません」
トレイト伯爵の表情が、わずかに引き締まる。
「ですが錬金術師として、原因を探ることは出来ます。ですから、まずは……」
少女の方へと視線を向け、はっきりと告げる。
「とりあえず、診させてください」
そう言って、私は椅子に座る少女へと近づいた。すると、少女がビクリと体を震わせた。
「触らない方がいいです。もし、うつってしまったら……」
そう言って、怯えた様子だった。私は安心させるように微笑みかけた。
「分かりました。では、少し離れたところから診させてください」
私は一定の距離を保ったまま、少女に鑑定をかけた。
・状態:毒性侵蝕
・原因:アズルヴェノムの毒
・進行度:中度(継続進行中)
・主症状:
体力・魔力の緩やかな低下
血管および魔力経路の変質(青色化)
侵蝕部位の感覚鈍化
・特記事項:
毒は極めて微量だが、体内で分解されず蓄積する性質を持つ
時間経過とともに全身へ拡散し、最終的には生命活動を阻害する
魔物の毒。私の鑑定がそれを導き出してくれた。私は視線を上げ、トレイト伯爵を見る。
「原因は分かりました」
「なん、だと……」
その一言に、部屋の空気がぴんと張り詰めた。
「この症状は、アズルヴェノムという魔物の毒によるものです。少量ずつ体内に蓄積され、時間をかけて衰弱させる毒です」
「魔物の毒!? それは本当か!?」
私の言葉にトレイト伯爵は驚いた声を上げた。
「では、その毒をどうにかすればいいんだな?」
「はい。毒の解毒が済めば元に戻る可能性があります」
「では、すぐに解毒薬を! ……すまない、焦ってしまった。錬金術で解決出来るものか?」
「やらせてください。錬金術が人々の役に立つことを証明したいのです」
私の言葉に、部屋は再び静まり返った。
トレイト伯爵はしばらく何も言わず、ただ私を見つめている。その視線は鋭く、しかし先ほどまでの疑念や警戒とは違う。目の奥で、何かを量り、覚悟を測っているようだった。
やがて、伯爵はゆっくりと息を吐く。
「……君は、怖くはないのか?」
不意に投げかけられた問いだった。
「相手は原因不明とされてきた症状だ。失敗すれば、娘の命はさらに危険に晒される。それでもなお、引き受けると言うのか」
その言葉に、私は一歩前へ出る。逃げないし、目も逸らさない。
「怖くないと言えば、嘘になります」
正直な気持ちだった。相手は伯爵の娘であり、しかも命に関わる状況だ。失敗の重さは、十分すぎるほど理解している。
それでも――。
「ですが、目の前で苦しんでいる人がいて、原因が分かっているのに、何もしない選択は出来ません」
少女の、青く侵蝕された体が脳裏に浮かぶ。
「錬金術は、研究や理論のためだけの技術じゃありません。誰かを救うために使ってこそ、意味があるものだと……私は思っています」
言葉にすると、胸の奥が熱くなる。
「だから、やります。成功するよう、全力を尽くします」
はっきりと告げた瞬間、トレイト伯爵の目がわずかに見開かれた。数秒の沈黙。
そして、伯爵は静かに目を閉じて次の瞬間、深く頭を下げた。
「……頼む」
その姿に、ロザンお父様が息を呑む。
「父として、これ以上出来ることがない。だから……娘を、君に託したい」
貴族としてではない。伯爵としてでもない。ただ一人の父親としての言葉だった。
私はその重みを、しっかりと受け止める。
「必ず、助けます」
そう答えると、トレイト伯爵はゆっくりと顔を上げ、小さく頷いた。
「分かった。必要なものはあるか?」
「素材の事を分かる本があると助かるのですが……」
「だったら、薬師協会にある資料室を使うといい。あそこには、様々な素材の情報が載った本が沢山ある」
薬師協会が管理する資料室? そこだったら、色んな素材の情報が分かりそうだ。
「ありがとうございます。必ず、役立てます」
そう答えると、伯爵は一度だけ深く頷いた。
「薬師協会へは、私の名で話を通そう。資料室の利用も、制限なく許可されるはずだ」
「……本当に、そこまでしていただいていいのですか?」
「娘の命が懸かっている。躊躇する理由はない」
その一言に、父としての強さと、切実な想いが滲んでいた。
私は改めて少女へと視線を向ける。ヴェールの奥から覗く不安げな瞳は、まだ怯えを隠しきれていなかったが。その中に、わずかな期待の光も確かに宿っているように見えた。
「必ず戻ってきます。その時には……きっと、良い知らせを持って」
原因は分かった。道筋も、見えている。あとは、錬金術師としての私が、その答えを形にするだけだ。
確かな決意を胸に、私は次なる一歩、薬師協会の資料室へと向かうのだった。