軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第017話 魔狼

ゲオルグはその日、ルシェを連れて山を登っていた。

陽は暮れかけている。すぐにも空に赤みが差してくるような時刻だった。

「ルシェ、お前、魔獣についてどういう知識を習った」

「魔族を襲わず人間だけを襲う、なんていうか魔族にとって都合のいい猛獣……みたいな感じかな」

ルシェは、その腰に小さな剣を帯びている。サーベルのような形の片刃剣だ。

直剣は鎧の相手に突き刺したり叩いたりするのには便利だが、毛と肉をそのまま纏っているだけの獣に対しては、少し反りの入った片刃剣のほうが有利だ。

「まあ、その通りだな。魔獣は、魔族の支配域に近づくほどその数が増える。なにせ人間を積極的に襲うもんだから、人間の国ではすぐに討伐されて長生きしない」

魔獣というのは普通の猛獣と違って人間を狙って襲う性質があり、逆に魔族のことは襲わない。

「魔獣がどうやって増えるか知っているか?」

ゲオルグは歩きながら言う。歩いているのは、いつも使っているような 山道(さんどう) ではない。地面は枯れ葉や大きな枝が落ちている、ただの斜面だった。

原生林とは違って倒木などはない。木こりなど、森を仕事の場とする人々が管理している山だからである。

「さあ……普通に胎生か卵生で産むんじゃないの?」

「そういう種類もいるが、 魔狼(ヴァーグ) の場合は人間を狼にするんだ」

「えっ……」

ルシェは立ち止まった。

「どうした。早くしないと日が暮れるぞ。闇の中で戦いたくはないだろう」

「あっ、うん……」

ゲオルグの言葉で、ルシェは再び歩き始めた。

「魔族の中に 魔狼(ヴァーグ) の親のような種族がいるんだ。そいつらに噛まれると、人間は徐々に 魔狼(ヴァーグ) に変化する」

「そうなんだ。人間がそんなんになっちゃうなんてすごいね」

「つまり、お前が今から戦うのは元人間ってことになるな」

「ああ……考えてみればそうだね」

ルシェは嫌そうに言った。

「しかし、元人間といえど放っておけばアリシアのような善良な人々を喰い殺すことになる。魔獣は村落でも平気で襲うし、腹がいっぱいになったら森に帰るということもないからな。やつらは百人でも二百人でも、その場に人がいれば殺せるだけ殺す」

「……うん」

傭兵に倒せない相手ではないが、唐突な襲撃に対応できるほど練度がない連中だと、襲撃が始まった現場の近くにいた一人とか二人が戦いに行き、そして殺され、次に行った数人も殺され、結局全滅してしまうということはよくある。

「そろそろ着くぞ。まあ、やってみることだ」

目の前が開けた。

◇ ◇ ◇

過去に誰かが石切場として利用していたのだろう。小さな断崖の岩肌に、洞窟というほどでもない、岩が少し切り出されただけの窪みがある。

そこが 魔狼(ヴァーグ) の巣だった。

ゲオルグは、昨晩のうちに一度来てこの場所を発見していた。

「いるぞ。剣を構えろ。気を整えろ。お前がやるんだ」

人間の匂いを嗅ぎつけたのだろう。 魔狼(ヴァーグ) はその巨体をむくりとあげて、起き上がった。

筋骨隆々の大の大人を、更に一回り膨れさせたような巨躯が姿を表す。

「……げおるぐ」

その声は小さかった。

「むりかもしんない……」

ルシェを見ると、剣を抜いた手が震えている。

「ルシェ……冷静になれ」ゲオルグは、ルシェの震える肩に手を置いた。「俺を前にして一度でも震えていたか? あの獣は俺よりずっと弱い。だから恐れるな」

「……本当に勝てるの?」

「ああ。勝てる。行ってこい」

最後にゲオルグが背中を押すと、ルシェは二、三歩あるき、すぐに駆け足に転じた。

石切場の前は開けているといってもさほどの広さではない。接敵はすぐだった。

ルシェと比べれば倍近くの身長がある猛獣が、一気に襲いかかる。

ルシェは左右交互に繰り出された 魔狼(ヴァーグ) の爪を避け、練習通り正面から剣で受けることはせず、刃を滑らすようにして腕の肉を断った。

そして一瞬怯んだ隙に足元にスライディングをかけ、股をくぐって潜り込みながら脛を狙う。

だが、体の操作で精一杯なのだろう。腕に力が入っていない手打ちの一撃になってしまった。

持っているのは上等の魔法剣なので、両手で剣を握って体ごと思い切り振り込んでいれば脛を切断することができたはずだが、片刃の剣は骨の上を滑り、ふくらはぎの肉を深く斬り裂いて抜けた。

背中に回ったルシェを 魔狼(ヴァーグ) が追いかけて爪を繰り出す。

感心なことに、ルシェはよく見ていた。すくい上げるような一撃を跳んで避けると、空中で狙われた一撃も胴体を蹴って離れることで避けた。

しかしそのせいで、 魔狼(ヴァーグ) が腕を伸ばして爪が届く不利な間合いになってしまった。

獣特有の迷いのなさで矢継ぎ早に爪を繰り出してくるが、ルシェはそれを全て避け、三回に一回はカウンターで腕を斬り裂いた。二刀流相手の練習が効いている。

「ルシェ、もう後ろがないぞ!」

だが、場はだだっぴろい平原ではなく、少し拓けただけの森だ。 退(ひ) き続けて背後のスペースを使い切ってしまえば、そのうち背中が木にぶつかって爪の餌食になってしまう。

ルシェはもう一度爪をかいくぐると、先程と同じようにスライディングをして後ろに回った。

その時、 魔狼(ヴァーグ) の足が不自然に暴れた。

ゲオルグは、それが先程ルシェに足を斬られた経験から、ともかく刃から逃れようと慌てて足を動かしたのだと瞬間的に察した。来るであろう刃から逃れようとして、結果足がもつれるような格好になっている。

だが、ルシェは一歩引いた場所から眺めているわけではなかった。ルシェは足の動きを注視していた。なんらかの意図の下、厄介なフェイントでもかけているように見えたようだ。

顔に一瞬焦りのような表情が浮かび、不規則な足の動きを注視しながら蹴りを警戒し、攻撃圏内から逃れるのが先決と思ったのか飛び 退(さ) がった。

だが、 魔狼(ヴァーグ) は足の操作に意識など向けていなかった。

飛び 退(さ) がったときには既に腕のスイングが始まっており、ルシェが気づいて両腕でガードをしたときには手遅れだった。

ルシェの小さな体が木っ端のように吹っ飛んだ。

「………」

軽く五メートルほどは飛び、地面を一回バウンドすると、拓けた土地の反対側で木にぶつかって止まった。

魔狼(ヴァーグ) はルシェを追撃せず、近くで腕を組んで見ているゲオルグのほうに犬のような顔を向けた。

「……やれやれ」

どうしたものか。と近寄ってくる 魔狼(ヴァーグ) を見ながら少し考える。

といっても、ルシェがああなってしまった以上片付けてしまうしかない。そろそろ本格的に暗くなってしまう。

聖剣の鯉口を切ろうとした瞬間、

「おい!」

という声がした。見ると、森の向こうでルシェが両腕をついて立ち上がろうとしていた。

服の中に籠手代わりに通していた鋼の板が効いたのだろう。前腕の二本の骨が骨折していると腕がぐにゃりと曲がるので、ああいうことはできない。

「まだ終わってないようだぞ」

ルシェはよろよろと起きて剣を構えた。

足までガクついているようならこっちで処理してしまおうかと思っていたが、立って剣を構えた姿はしっかりしている。

成長途中で体が軽かったのが幸いしてか、派手に飛ばされた割にダメージは少なかったようだ。

魔狼(ヴァーグ) はルシェのほうを見た。

「カ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ウ゛ッ!!!」

始めて吠えると、一向に倒れない面倒な子供の息の根を止めるために走り出した。

すぐに接敵すると、剣闘士がやるような小刻みな腕の動きでルシェを攻撃し始めた。今までのような力づくの方法では痛い目を見ると学習したのだろう。

魔狼(ヴァーグ) も無傷ではない。ルシェにさんざんに切り裂かれ、かすり傷程度ではない深い傷を腕や足に無数に負っている。

動く度に血が飛び散り、最初は乾いた土色をした地面が、今はまだらのように湿った色をしていた。

腕は矢継ぎ早に繰り出される。

ルシェはそれを五回防ぐと、一瞬刃で腕を受けようとした。

魔狼(ヴァーグ) の腕の動きが止まり、刃を避けようとする。その瞬間、ルシェは懐に飛び込んでいた。

まさに 魔狼(ヴァーグ) の胸元で思い切りのよいジャンプをすると、腹の上部にえぐりこむように剣を突き立てる。

魔狼(ヴァーグ) の顎が動く。深々と剣が刺さった腹から子供の腕一本分離れたそこは、噛み付くのに絶好の位置だった。

だが、それは果たせなかった。

ボンッ!!

とくぐもった音がすると、ルシェが突き刺した腹が爆発し、ゲオルグがいるところまで水しぶきのような液体が飛んできた。

ぼでっ、と巨体が地面に倒れ込む音がする。

「ク゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ………」

ルシェの足元には 魔狼(ヴァーグ) が倒れていた。腹がおおきく抉れ、赤黒い内臓が飛び散っている。上半身と下半身は、突き刺したのと反対側の腹の皮で辛うじて繋がっていた。

ほとんど真っ二つだ。

ルシェが持っている剣も刀身がなかった。そんなものは聞いたことがないが、ルシェは刀身を爆発させる魔法剣を作ったらしい。

魔狼(ヴァーグ) の胴体を一撃で千切るなど、およそ付呪装で実現できる威力ではない。刀身ごと爆発させることで一撃必殺を可能にしたのだろう。

おそらく最初から狙ってはいたのだろうが、巨獣の迫力に圧倒されて、攻撃に慣れるまでは懐に突っ込むほどの余裕が生まれてこなかったのかもしれない。

「やった……勝った」

ルシェは呆然としたように佇みながら、言った。

「よくやった。さすがおれの弟子だ」

ゲオルグはルシェに近寄ると、褒めてやった。

「すごい? すごい?」

ルシェは純粋に嬉しそうだ。いつも褒められてもさほど嬉しそうにしないルシェだが、今回ばかりは達成感と相まって、心の底から嬉しさが湧き出してきて嬉しくて仕方がないといった様子だ。

まるで普通の子供のようにニコニコと笑っていた。

「ああ。凄いよ、お前は」

実際大したものなので、そう褒めてやると、ルシェは嬉しそうにはにかんだ。

「さ、幼獣を殺して帰るか」

ゲオルグは石切場のほうに向かった。そこには、木の枝と葉っぱを積んだような巣があり、真っ黒い子犬のような 魔狼(ヴァーグ) の幼獣が七匹もいた。

「は?」

ルシェは訝しげな声をあげた。

「赤ちゃんいるじゃん」

「ああ、駆除していかないとな」

今はまだ無害だが、放っておけば狂獣のような存在になる。殺していかないという選択肢はない。

「いや、人間が噛まれてなるんじゃないの?」

ああ、そうだった。

「あれは嘘だ」

「えっ、なんで嘘ついたの?」

さすがに少し不満げである。

「お前、自分に才能があるか知りたがってただろう」

「うん」

「剣士にとっての才能ってのは色々あるが、俺が考える一番の才能は、ちゃんと人を殺せることだ。いつも手加減できるほど敵が弱ければいいが、いつかは実力が拮抗する敵と真剣勝負をする時が来る。そのときに敵を討つのをためらっていたら、必ずお前は死ぬ」

「……まあ、それはそうかもしれないけど」

「お前は戦争のない国から来たし、心も優しいから人殺しを避けたいと考えるだろう。それは悪いことじゃない。だが、どうしても避けられない戦いからは逃げるな。それは、お互い絶対に譲れないものを懸けた戦いだ。その時に容赦のない剣を振るうことができないなら、剣を学ぶ意味がない」

「それが嘘をついた理由?」

「まあ、こいつらは人間とは程遠い相手だが、人が変化したものだと思っていれば少しは予行演習になるかと思ってな。本当なら死罪人でも殺させるのがいいんだろうが、さすがにな」

「……それはちょっと嫌かな」

必要のない殺人をさせるのもよくない。人を殺せるようになれとは思うが、それは無抵抗の人間でも躊躇なく殺せるようになれ、という意味ではない。

戦争であまりに人を殺しすぎたために、酒場の諍い程度のことで簡単に殺人を犯すようになってしまい、人の世界で生きられなくなった者の話は本当によく聞く。

「もう一つの才能は、格上の相手に対しても腰を引かずに戦えることだが、そっちのほうはちゃんと出来ていたな。おそらく、この世の殆どの人間はあれと対面したら震えて尻もちをつくのが精一杯だろう。お前はちゃんと戦えていた。お前には戦いの才能がある」

「そう……ならよかった。試験は合格?」

「もちろんだ。さ、日が暮れる前に帰るぞ」

ゲオルグは杖入れから 五本のツララ(ソークローデュ) を取り出して、幼獣に向けて連続して三発放った。

七匹の幼獣は絶命の悲鳴をあげながら、なすすべもなく十五本のツララで串刺しになった。

巣には血まみれのツララが突き立っている。

「ウ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――ッ!!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!」

と、そこで耳をつんざくような雄叫びが聞こえた。

ルシェも疲れているだろうし、明日にでも一人で森に入って始末しておこうと思ったのだが、夫の叫びを隣山かどこかで聞いて駆けつけて来たのかもしれない。

それにしても、よりにもよって子が殺された瞬間に到着するとは、なんとも哀れである。

「ルシェ、もう一回やるか?」

ゲオルグは冗談を言った。

「無理。無理無理無理無理」

ルシェは青ざめた顔で、首を猛烈な勢いで振った。

魔狼(ヴァーグ) は、オスよりメスのほうが圧倒的に体がでかい。

体長にして三メートル近い凶獣は、背中を丸めていても二メートルをゆうに越している。上腕に至っては丸太ほどもあり、背中は筋肉の盛り上がりが長い毛の上からでも分かる。オスのほうはまだ人間に例えられるレベルだが、こちらはそういう範疇にはいない。普通の人間なら戦おうという発想すら起こらないだろう。

「だろうな。安心しろ、俺がやる」

「大丈夫なの?」

「あのサイズになると素手では厳しいが、剣があればな。まあ、ちょっと見ていろ」

ゲオルグは聖剣を抜くと、メスの 魔狼(ヴァーグ) のほうに向かって歩きはじめた。

魔狼(ヴァーグ) はまだ生きている子供が残っていると思っていたのか、威嚇するだけで攻めて来なかったが、ゲオルグが巣から離れるやいなや、四足で地を蹴って猛烈な勢いで駆けてきた。

ゲオルグは突進の勢いのまま上から振り下ろされた一撃を、徒歩の歩みから後ろに飛ぶことで機を外して避けた。そして、間髪入れずに来た下から掬い上げるような一撃に、右足を合わせた。

軽くジャンプして 踵(かかと) で一撃で踏むと、勢いに乗りながら膝を曲げ、そのまま蹴り込むように飛ぶ。方向を調整することで肩の上を抜け、すれ違いざまに野太い首に剣を合わせて一瞬だけ魔力を込めた。

とんでもない膂力に勢いをつけられた体は天高く飛ばされ、空中から眼下に目をやると、跳ね飛んだ 魔狼(ヴァーグ) の首が宙に踊るのが見えた。

空中で体勢を整え、膝を使いながら地面に降りる。膝をいたわるため、無理をせず地面で一回転しながら落下の勢いを殺した。

ゲオルグは服をはたいて埃を落としながら少し戻って、怒気に顔を歪ませたまま固まった、巨大な首の毛を掴んで持ち上げた。

このサイズになるとさすがに重い。

「ルシェ。お前のほうの首は自分で持て。これで切断しろ」

ゲオルグは聖剣の柄をルシェに向けた。

「――えっ?」

ルシェはぼーっとしていて聞いていなかったようだ。

「どうした?」

「い、いや……やっぱりゲオルグは凄いなって。おれはあんなに苦戦したのに、あんなふうに勝てちゃうんだ」

「お前も戦いに慣れて、体の使い方を学べばあのくらいできるようになる」

「ほんとっ!?」

ルシェは前のめりになって言った。

「俺もお前と同い年の時、調子に乗って 魔狼(ヴァーグ) と戦ったんだ。まあ、俺の場合は良く研いだ剣一本だったが、その時はお前よりずっと苦戦したよ。体中傷だらけの半死半生の有り様でな、今も傷痕が残ってる」

「すごいね。ゲオルグは魔法剣なしで勝ったんだ……」

「いや、お前よりずっと長い間鍛えてたからな。それより、ほら。日が暮れる前に山を降りるぞ」

ゲオルグは剣の柄をルシェに持たせた。

「えっ?」

「これで首を斬れ。村まで持っていく」

「持っていくの? なんで?」

「酒場の主人に証拠を見せないと、アリシアが仕事を辞めて家事をする者がいなくなるだろ」

持っていくのは面倒だが、口で説明するより証拠を見せたほうが遥かに手っ取り早い。

「それもそうだね……でも、借りてもいいの?」

「ああ。お前はもう剣士だからな」

「……ありがと」

ルシェは嬉しそうに剣を受け取った。