軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第016話 政治家

三日後、ルシェと庭で稽古をしていると、山道をアリシアともう一人、男が登ってきた。

「ゲオルグさん」

アリシアはなにかホッとしたような顔をしている。

「何かあったのか?」

ゲオルグはルシェに目配せをして稽古を中断すると、男の方に尋ねた。二言三言会話したことのある、酒場の親父である。

「近くの森に 魔獣(まじゅう) が出たらしい。山の中の 杣小屋(そまごや) で一人、木こりがやられた。村の傭兵が狩る話をしているが、用心のため数日俺が送り迎えをしようと思う」

村は最近の治安の悪化を鑑みて、五人組の傭兵を雇った。

本来であれば正規軍が治安維持するべきなのだが、正規軍のほうも忙しく、このような村にいちいち軍を割いてはいられない。そうなると、村としては身銭を割いて自衛するしかない。

「そういうことなら、帰りは俺が送ろう。あんたは酒場のほうが忙しい時間帯だろう」

「それは助かるが……もしずっと狩られなかった場合、仕事を辞めてもらうことも考えている。一人で山道を上り下りするんじゃ、危なくて仕方がないからな。悪く思わないでくれ」

「分かった。家主に伝えておこう」

「頼んだ」

「ちなみに、なぜ魔獣の仕業だと分かったんだ?」

「杣小屋のドアの隙間から惨劇を見ていた奴がいたそうだ。背中を丸めて後ろ足で歩く、見たこともない大きさの狼だったと」

魔狼(ヴァーグ) か。だとすると、酒場の親父の送り迎えなどなんの意味もない。

剣をぶらさげているが、魔法剣でもない剣で切りつけたところで引っかき傷にしかならない。三秒後には二人とも惨殺されているだろう。

まあ 魔狼(ヴァーグ) が真っ昼間から活動するのは稀なので、来る時は大丈夫なはずだ。

「なるほど。分かった。アリシアは責任持って送り届けるから安心してくれ」

「ああ」

酒場の親父はそっけなく言うと、背中を向けて帰っていった。

「アリシア、玄関にルシェが運んできた荷物があるから、仕分けを頼む」

「あっ、はい」

アリシアは小走りに玄関に向かった。

すると、庭に残っているのは二人になった。

ゲオルグは、ルシェのところに戻ると、

「ルシェ、 魔狼(ヴァーグ) はお前が殺すんだ」

と、二人だけに聞こえる声で言った。

「えっ、おれが?」

「いわゆる試験だな。習ったことを全て活かせばやれるはずだ」

「まじ?」

ルシェは正気を疑うような顔をしている。

「お前は、突然何を言ってるんだ、危ないことをさせるな。と思っているのかもしれん。だが、現実の戦いってのは大抵そうだ。夜寝てる時に腕利きの刺客が数人がかりで襲ってくることもあれば、剣一本と杖一本を持って魔王の懐に踊り込まなきゃならん時もある。山道を走っている時に突然襲われないだけ、舞台は整っていると思え」

「それはそうかも知れないけどさ……」

ルシェは少し怯えているようだ。尻込みしているように見える。

「武器はなにで行くの? まさか木刀じゃないよね?」

「流石にそこまで無茶は言わん」

しかし、何でも使っていいとなると、この家には 魔狼(ヴァーグ) 程度なら容易に殺せる武器がいくつもある。遠距離から連射していたら近づく必要もなく殺せてしまいました、では味気ない。

「お前は 付呪(エンチャント) の仕事も習っているんだろう。自分で作った付呪装で戦え。剣は……そうだな、魔法剣を作ったことはあるのか?」

「ないよ。魔法剣はそれ専用の剣じゃないとちゃんとできないんだ。刃がシマシマになってて、 茎(なかご) に 呪紋核(インデックス・コア) を仕込む空間がないと」

「そうだったな」

普通の魔法剣は刃に細かく波打つ縞が入っている。それは切れ味や粘りを重視した刃物鋼の上に魔力を効率的に伝達する特殊鋼を置き、赤熱させて叩き伸ばしたあと、折り返してから改めて叩き伸ばすという工程を何度も踏むからだ。それによって鉄は折り重なったパイ生地のような構造になり、刀身に千以上の魔力を通す層ができる。刃にする部分には更に工夫を凝らして硬くした特殊魔導鋼を挟み込んで鍛える。

「じゃあ、どうするか。魔法剣をすぐに調達するのは難しいな」

そういった剣は鍛冶工房が作り、イーリのような専門職が運営している付呪工房で 装紋(そうもん) という作業をされることで魔法剣としての機能を与えられ、最後に鞘や柄などの拵えを整えられて剣士の手に渡る。

もちろん、装紋前の剣というのはこんな田舎で手に入るようなものではない。

「イーリに言えば本と一緒に運んでもらえると思うけど」

「そうか。じゃあ、そうしろ。だが、イーリには 魔狼(ヴァーグ) のことは話すなよ」

「えっ、秘密にするの?」

「ああ。反対するだろうからな。全て黙っておく」

イーリはルシェのことを息子のように思っているようなので、死ぬかもしれない無謀な試練を課すなどと言ったら強硬に反対するだろう。

少なくとも、弁当を用意してニコニコと送り出してくれるとは思えない。

「おっけー……」

やはりルシェは気が進まないようだ。

「だが、そうなると装備の用意に一週間くらいはかかるか」

「傭兵の人たちも狩ろうとしてるんでしょ? 先に狩られない?」

「まあ、ギリギリってところだな。魔獣は積極的に人間を襲うから、基本的に見つけ出すのに苦労するということはない。だが、傭兵は傭兵でもう少し準備を整えたいところだろう。その間に狩場を変えて 他所(よそ) にいってくれれば万々歳だしな」

魔狼(ヴァーグ) を狩るとなると、あの程度の傭兵どもでは誰かが死ぬ危険がある。

仲間を捨て駒として考えてでも村人の被害を抑えようとする仕事熱心な連中ならすぐ狩りに行って討伐するだろうが、村が雇っている連中はそういう 性質(たち) には見えなかった。一週間程度は準備期間と言って面目が立つ範囲内だし、もしかすると村から解雇されるギリギリまで引き伸ばす可能性もある。

「対策にはとことん付き合ってやる。お前なりに頑張ってみろ」

「うん。じゃあ、先にちょっとイーリに剣をおねだりしてくるね」

おねだり。まあ、間違ってはいないが、なんとも情けない響きである。

◇ ◇ ◇

それから三日後の朝、ゲオルグはルシェを今日も今日とて鍛えていた。

両手に一本ずつ、素振り用の木刀を持ってルシェを叩いている。

右に握った木刀を浴びせると、ルシェは刃を立てた木刀を被せながら体捌きで避けた。すぐに追って放った左の木刀を躱しながら、木刀の腹に断ち切るような一太刀を加える。

「いいぞ。様になってきたじゃないか。さっきのは五十点だ」

魔狼(ヴァーグ) は普段四足で移動するが、戦いでは発達した前二本の足を腕のように使う。その腕は武器を掴めるような形をしていないが、人を八つ裂きにするには十分なほど鋭い爪がついている。

両前足を縦横無尽に振るってくるので、ゲオルグは慣れない二刀流をやって 魔狼(ヴァーグ) 役を務めているわけだ。

先程のルシェの一撃なら、振るった爪を避けつつ、前腕を切り裂いた形になるだろう。カウンターになるのでルシェの小さな力でも深く切り裂ける。

人間相手なら武器の表面を擦っただけで終わる一撃も、 魔狼(ヴァーグ) が相手なら肉を斬ることになる。それは爪の弱みであり、鋼の武器の強みとも言える。

「うーん……」

が、ルシェは腑に落ちない様子だった。

「どうした?」

「でもさあ、腕を幾ら切ったって、 魔狼(ヴァーグ) ってクマみたいな大きさのバケモノなんでしょ。倒しきれるかなぁ……」

「腹や頭への攻撃には付呪装か魔術を使え。別にそっちだけで倒したっていいんだぞ。近寄られた時になんの抵抗もできずに 殺(や) られるんじゃ話にならないから、そのつもりでも防御の訓練はやっておいたほうがいいがな」

「でも魔術って緊張してると出ないことがあるんでしょ」

結局、それが近接戦闘を担当する剣士が付呪装を選ぶ理由であって、駆け出しの戦闘魔術師の死亡率が高い理由なので、ルシェが初戦で魔術に頼ろうとしないのは正解かもしれなかった。いくら強力でも、使おうと思った時に使えないものは実戦では頼りにできない。初陣ではなおのことだ。

「懐に入って心臓を一突きみたいのはやっちゃダメなの?」

「それは悪手だ。 魔狼(ヴァーグ) には大きな口と牙があるからな。正確に心臓を刺したところで数秒は動くから、その間に頭に齧りつかれてお終いだぞ」

「そっかぁ……」

「首を落とすか正確に延髄を断ち切れば、もう体は動かなくなるから一発だが、お前の身長じゃ届かないだろうな」

「分かった。あとで魔法剣のほうを考えてみるよ」

ルシェは再び木刀を握った。

「続けよっか」

「ああ」

ルシェの目はやる気に満ちている。

それから休まず三往復すると、さすがにルシェの腕の力が弱くなってきた。

もう限界のようだ。

「ハァハァハァ……」

「よし、今日は終わりだ」

「ハァ、ハァ……うん。ありがとうございました」

ぺこりと礼をすると、ルシェは小走りで水場のほうに行った。

体力のほうはまだまだだが、あれだけ動いてもまだ軽快に走れるなら、一回戦うくらいはどうにか保つだろう。

さて、暇になってしまった。イーリにもらった小説でも読んで暇を潰すか。と思っていると、ルシェと入れ替わりに歩いてくる影があった。

ネイだ。なんだかふらふらしている。

水場に寄って顔を洗うと、たまにイーリが稽古を眺めるのに使っている屋外用の長椅子に座った。

「ふう……」

一息ついた。休憩だろうか。

「特訓は 捗(はかど) っているか?」

「ああ、ゲオルグさん」

ふいに頭を上げてこちらを見た。

まさか気づいていないとは思わなかった。本当に今気づいたようだ。

「すまんな、つい声をかけてしまった。一人で休みたいなら言ってくれ」

「いえ、大丈夫ですよ。それで、何かおっしゃいましたか?」

「特訓はどんな具合かと思ってな」

「まあまあです。色々考えましたが、得意な分野でいくことにしたので。やっぱり、誰も来れない自分だけの境地に辿り着くには、自分だけの感覚を極めるしかないかと」

ルシェが絶対に辿り着けない部分を持っておきたいのだろうか。と邪推してしまったが、そういうものでもないのかもしれない。

魔術とは理論的で学術めいた体系だが、不思議なことに高度になればなるほど感覚的な部分が大きくなっていくらしい。

難しい魔術になってくると、大魔術師がこと細やかに発現素子の構造やコツなどを本に書き遺しても、後世の人間が誰一人再現できないということが珍しくないと聞く。

感覚的なものなら、自分に合った部分を極めたほうがいいのは道理だろう。

「そうか。まあ、おれは魔術のことはさっぱり分からんからな。大昔、試しに風の魔法の一番初等のやつだけ習ったが、今はもうさっぱりだ」

「ああ、性質変換器と出力器だけのやつですか?」

「たぶんそうだな。おれは才能がないから、たったそれだけで三週間かかった」

「みんなそこを気にしますけど、魔術はどこで引っかかるか分からないので、最初が早かった遅かったというのはあんまり関係ありませんよ。最初のコツを掴むのに時間がかかったというだけの話なので」

お前もルシェが一瞬でできたときはめちゃくちゃショックを受けていた気がするが。とは言わないでおいたほうが良さそうだ。

「それって、イーリ様に教わったんですか?」

「いや、戦場で気が合った腕利きの戦闘魔術師だよ。命を助けた礼をしたいと言うから、せっかくの機会だし一つ腰を据えて教わってみるかと思ってな」

「ああ、なるほど」

「だが、風というのが良くなかったな。火だったら火付けができるし、水だったら喉が渇いたときに水が飲めるのに、風じゃ洗濯物をなびかせるくらいしか使い道がない。日常で使っていれば少しは上達して、次を目指すかって気になっていたかもしれん」

結局、使わなくなって久しい。今はもう使えもしないだろう。

「確かに、ゲオルグさんだとそうなってしまうかもしれませんね。魔術学院だと普通、風が一番日常で使う魔術なので、風から覚える子は羨ましがられるものなんですが」

「あれを一番使うのか?」

皆でスカートをめくりあったりするのだろうか。

「ゲオルグさんは付呪装をお使いだからお忘れかもしれないですが、移動は基本的に大気系の魔法の領分ですからね。通学に使うんですよ」

「ああ、なるほど……というか、魔術学院に通ってたのか」

「はい。ミールーンのですけどね」

魔術といえば魔都ヴァラデウムが研究の中心地として有名だが、もちろんミールーンにも魔術学院はあった。

魔術の世界では、まずは地方の魔術学院で学び、飛び抜けた秀才がヴァラデウムへ行って更に高度な魔術を身につける。という仕組みが一般的なようだ。

国にとってはエリートなので、親や政治家は学が進んだなら早く帰ってこいと急かすわけだが、大抵は戻ってこない。魔術の達人というのはどこへ行っても食うに困らないからだ。

「ミールーンなら付呪具で移動できただろう」

ミールーンは、 母なる大樹(イルミンスール) の 聳(そび) え立つ巨大な幹に、一つの村や街ほどもある足場が何枚も張り付くことで国ができており、その板の上に木で出来た建物が立ち並んでいた。

母なる大樹(イルミンスール) は膨大な魔力を蓄える性質がある木で、ミールーン人は秘術によってその魔力を利用することができた。なので足場は 母なる大樹(イルミンスール) に野太い釘などを打ち込んで固定せずとも、大樹から発散される魔力だけで浮かんでいた。

また階層間の垂直の移動も全て便利な移動床で済ますことができた。あれは一種の付呪具だったらしいのだが、動力となる魔力は木の方から取ってきているので、自分で魔力を注ぐ必要がなく、ボタンを押すだけでスイスイと動くのがなんともおかしな感覚だったことを覚えている。

「片道はそうですけど、登校か下校のどちらかは下りになるじゃないですか。特に魔術学院は二層にあったので、大半の生徒は登校が下りだったんですよ。滑空と減速ができれば飛び降りて登校できますからね。朝の昇降機は混み合いますし、色んな駅を経由して登校に一時間くらいかかるところを三分くらいで通えるんですから、学生にとっては重要技術ですよ。朝起きる時間を一時間も遅くできるんですから」

まあ、それはそうかもしれない。

たしかに、思い返してみれば飛び降りている奴らをちらほら見かける国だった。最初は投身自殺かと思い驚いたものだ。

「まあ、もうありませんけどね」

ネイは楽しそうな雰囲気から一転、沈んだように言った。

楽しかった思い出も、今はもう存在すらしないし永遠に帰ってくることもないと思うと、寂しいものなのだろう。

「俺には分からんが、やっぱりショックなものなんだろうな。木が枯れたというのは」

「それはそうですよ。私達にとって、あの樹は全てだったんですから。徐々に葉がつかなくなって……第二次戦争の前の一年なんかは、ついに昇降機が動かなくなって、有志が直接魔力を注いで動かしていたんです。都市基板も徐々に高度が下がって、一層は下敷きになって潰れて……まあ、魔王軍がもう一度来なくても持たなかったでしょうね」

ミールーンは魔領と接している強力な国家だった。

魔領というのは魔王が出現すると大抵、人間のテリトリーに攻めてくる。その魔王禍は、ミールーンを放置して人界に侵攻しても背後を取られる形になるため、あまり深くは侵攻できないというのが歴史上の通例であった。

そのため、歴代の魔王はミールーンを懐柔しようとしたり、あるいは最初に攻め落とそうとした。

だが、それは成功しなかった。人間の国々が滅ぶのを良しとしないミールーンは懐柔に応じなかったし、攻め落とされもしなかった。

なぜ魔王の軍勢をもってしても攻め落とせなかったのかというと、 母なる大樹(イルミンスール) の魔力は攻撃にも転用できたからだ。

”ミールーンの 雷霆(らいてい) ”と呼ばれる攻撃で軍勢を超遠距離から自由自在に消し飛ばすことができたので、およそ一〇〇キロメートルの範囲には立ち入ることができなかった。

それが山神による定期的なメンテナンスの賜物であったことはミールーンの秘中の秘だったわけだが、山神が来なくなったことで、その国防の要であった機能は失われてしまった。

十五年前に今の魔王が大軍勢を起こし、まず最初にミールーンを攻めた時、国防を 雷霆(らいてい) に頼り切りだったミールーンは絶体絶命の窮地に立たされた。

最初はうんともすんともいわなかったらしいのだが、当時の基幹長だったイーリが山神がやっていたメンテナンスを代行し、敵軍が間近に迫ったタイミングで無理やり起動させると、 母なる大樹(イルミンスール) は唐突に火を吹いた。

その場で見ていたが、目が焼けつくほどの強烈な閃光が走り、再び目の機能が戻ったときには目の前の大地に巨大な穴ができていた。

無理矢理に発動させたため、 母なる大樹(イルミンスール) が蓄えていた、”ミールーンの 雷霆(らいてい) ”数十発分の魔力が一気に放出されてしまったのだ。

その一撃で魔王の大軍勢の七割が消滅し、運良く直撃を免れた魔王は残りを率い前線に出て戦おうとしたが、大怪我を負って後退すると士気が崩壊し、全軍が魔境に撤退していった。

しかしその代償は大きく、 母なる大樹(イルミンスール) はその後徐々に枯れていった。

「もし自分たちが肥料になれば 母なる大樹(イルミンスール) が治ると言われたら、みんな喜んで命を投げ出したと思います。私達はあの樹をそれくらい愛していたんです」

「神族に代わりの苗かなにかをくれるよう頼んだ奴はいなかったのか?」

母なる大樹(イルミンスール) は元々生えていたものではなく、山神が植えたものだと言われている。

魔力を膨大に蓄えるという非常に便利な性質上、同じ種類の樹を自国に植えたいと望む国主は歴史上絶えなかったらしいのだが、世界中をどんなに探しても類似の木は見つからなかった。

ならば神族が独占的に持っている植物なのだろうと考えるのが自然だ。

「そりゃ大勢いますよ。でも、山神様は知っての通り来なくなってしまいましたし、狙って会えるのはあとは剣神くらいしかいません。剣神も、イーリ様からお聞き及びでしょうけれど、ここ二十年は活動を停止していて人界に現れていません。税金を使って世界中で年老いない人を探したりもしたみたいですが、直前で逃げられちゃったのが一件あっただけで、ほかは全部失敗したみたいです」

「ふうむ……まあ、難しいな」

「まあ、でも樹のほうは仕方ありません。私が一番やるせないのはイーリ様の件ですよ。枯れたのはイーリ様のせいだなんて言う人たちのことは、本当に許せません」

ネイの声には怒りが滲んでいた。

「だってそうじゃありませんか? あの一撃がなかったら一度目の戦争でミールーンは滅ぼされていたのに。余計なことをしたとか、調整を失敗したせいで枯れたとか、じゃああなたがやってみなさいって話ですよ。なんの能力もないくせに文句ばかり一人前で。それで結局、イーリ様が用意したクシュヴィの森に今も住んでいるんじゃないですか。イーリ様も、なんであんな人たちを庇うんだか……」

たとえ最善の行動を取ったとしても、発生した現象に怒りを覚える者がいれば、責任という形でそれをかぶる者が求められる。それは当時の責任者であり実行者だったイーリしかいない。

イーリは樹を枯らした責任を追及されて失脚し、基幹長の地位を追われたと聞いている。

一度目の戦争のあと政治家を失職する形になったイーリだったが、綺麗さっぱり政治家をやめて経営者や魔術研究に精を出したわけではなく、個人的に国のためになる行動をしていた。

私財の大半を費やしてクシュヴィの森という西の果ての森を購入し、もしもの時に国ごと亡命できるよう現地の国家と話をつけていたのだ。

三年前、再編された魔王軍が再度侵攻すると、弱体化したミールーンはなすすべもなく滅びたが、敗北を予期していたイーリが退路を確保していたのでかなりの数の国民が助かった。

そのお陰で亡国の民は今でも居場所だけはある。

「まあ、そういう怒りの矛先の刺され役が政治家って職業だからな。イーリもそのへんが良く解ってるんだろう」

「……そうかもしれませんが、気持ちの問題は別でしょう? あんな風に扱われてまで、イーリ様があの人たちを悪く思わないのは純粋に不思議です。私だったらすぐにでも見限って、他の国にでも行ってしまいますよ。イーリ様の能力があればどこでだって仕事はできるし、なんなら一生仕事をしなくても贅沢に暮らしていけるお金はあるんですから」

まあ、確かにそれは不思議である。

命を張って前線で戦ってまで国のために働き、精一杯努力した結果、皆に酷く叩かれて失脚する。今までの功績も名誉も尊重してくれる者はなく、石を投げられる。それでイーリは何も思わなかったのだろうか。

少しでも恨みに思ったり、拗ねる気持ちになったのであれば、 更迭(こうてつ) されたあとも国のために動き、私財をはたいてクシュヴィの森を買っておくなどという行動はしなかったはずだ。

イーリはクシュヴィの森の使用料などは一切取っていないらしいので、将来金が帰ってくる投資というわけでもない。

「おれにも分からんが、あいつは昔から自分は貴族だとよく言っていたな。貴族だから努力をするのだ、貴族だから礼節を守るのだ、ってな。前線に出て戦うときも、私は貴族だから国を守る義務があるとか言っていた。まあ、おれは貴族の生まれではないからそのへんの感覚は一生分からんのかもしれん」

「私は 貴族(シュラフタ) の家の生まれですが、ぜんぜん分かりませんよ」

「そうなのか?」

てっきり、才能がありそうな孤児を引き取ったのだと思っていた。

「はい。私はイーリ様の親友だった官吏の家の子なので、大したことはないですが」

すると、その両親は二度目の戦争で亡くなったのかもしれない。

ミールーンには五年前と三年前に行ったが、イーリの近くにネイの姿はなかった。

「なら、イーリ独特の考え方なんだろうな」

「うーん……私としては、もうミールーンからは離れて心穏やかに暮らしてくださると助かるんですが」

「まあ、無理だろうな。まだ衰えを感じるような歳じゃないだろう。老婆のような年齢なら隠居もいいだろうが、余生が長すぎれば退屈だ」

「そうですよね……」

ネイは 母なる大樹(イルミンスール) については思い入れがあるようだが、どうもミールーンという国に対しては相当失望しているようだ。

「ルシェの教育によほど面白みを覚えたら、教師のほうが面白いと思うようになるかもしれないが、望みは薄いだろうな」

「ルシェは剣士になりたいんじゃないですか? 剣の修行ばかりしてるじゃないですか」

「どうだろうな……まあ、才能があるかどうか、近々見極めてみるつもりだ。才能がないようなら剣を教えるのもやめようと思っている」

「えっ――」

ネイは相当驚いたのか、ぎょっとしたような顔をした。

「剣をやめさせるんですか?」

「そりゃそうだろう。趣味として絵かなにかを教えてるのなら別だが、剣は戦うための技術だからな。才能のない奴が半端に覚えても、下手を打って死ぬ未来が待っているだけだ。それだったらキッパリ諦めさせて、魔術を極めたほうが有意義だ。そっちの才能はあるんだから」

「見極めるって、どんなことをするつもりなんですか?」

「それは秘密だが、まあ……ちょっとした度胸試しみたいなものだ」

ゲオルグはかなり表現を和らげた。まさか 魔狼(ヴァーグ) を単体で討伐させるとは言えない。ネイがイーリに口を滑らせたらえらいことになってしまう。

「あんまり無茶なことはさせないでくださいね。ルシェはまだ子供なんですから」

ネイは心配そうな顔をして言った。

意外だった。ネイはルシェのことを嫌っているのではなかったのか。

「――さて、私も休憩はおしまいにします。頑張らないと」

ネイは長椅子から腰を上げた。

「ありがとうございました。いい気分転換になったみたいです」

ぺこりと頭を下げ、修行に戻っていった。