軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

36:あながち間違ってない

じぃ、とイレヴンの目がリゼルの瞳を見つめていた。

感情の揺らぎを見つけるように向けられた視線に、しかしリゼルは欠片も動揺することなく微笑んで見せる。

伸ばされた細く長い指を見る事無く微笑み続けるリゼルに、イレヴンは思わず舌打ちした。

掲げられたそれを指でなぞろうが爪ではじこうが、少しの反応も見せない様子は此方の指先ひとつで全てが終わる状況で異常な程の冷静さを保ったままだ。

「ほら、早く」

促され、眉を寄せてちらりと横でこちらを眺めるジルを見た。

一足先に終えてしまった彼は、それ以上手を出す事無く事の成り行きを見守っている。

少しは手伝ってくれれば目の前の余裕を崩せるものを、と内心で思ってみるが手助けは無いと確信も持っている。何故なら、どちらかといえば彼はリゼルの味方だ。

此方が不審な様子を見せれば、射るような視線をもって牽制をかけてくる。

イレヴンはまだ微かに濡れた髪を掻き混ぜ、諦める様にリゼルの手の中からカードを引きぬいた。

「あーあ」

「引きますよ」

「ちょ、待……」

「あがり、です」

今までずっと裏を向いていたカードを、輝くような笑みと共に向けられる。

揃ったエースの数字にイレヴンは負けを悟り、持っていたジョーカーを落としてベッドへと倒れ込んだ。

床の上にひらひらと落ちたジョーカーを拾い上げ、リゼルは手の中で纏めたカードをシャッフルする。

「ニィサンが余計なことすっから!」

「イカサマする方が悪ィんだろうが」

「俺じゃされても分からないので、助かりました」

「分かんねぇ方が悪ぃんじゃん、リーダーと一対一に持ち込んだ時点で勝てるはずだったのにー」

全力で拗ねるイレヴンは自分がカードゲームで負けたことが余程悔しいらしい。

一通りのギャンブルを経験している彼は、その腕もさることながらペテンの方も素晴らしく優れている。

非合法な賭博場に行っては荒稼ぎし、絶対イカサマをしていると分かっていようと手管が分からず負けていく者をあざ笑い、逆上して殴りかかって来た相手を返り討ちにしてきたことも数知れず。

引きの強さもありベッド争奪戦の際にはズルせず端のベッドを勝ち取ったイレヴンだが、今回は見破られてしまった。

だから唯一イカサマを見破れるジルを先に上がらせたのは良かったが、その後も口を出された為に久々の敗北を経験したようだ。

ゴロゴロとベッドの上を転がるイレヴンをしばらく拗ねているらしい、と判断してリゼルはトランプのシャッフルを止める。

机代わりのベッドでジルの前に五枚のカードを配るとその意図に気付いたらしい。手に持ち、その名の通りポーカーフェイスで手札を確認している。

リゼルも無作為に上から五枚抜きとり、残ったカードを二人の丁度真ん中へと置いた。

何も無いのはつまらないと銀貨を二十枚程横に用意すると、ジルも溜息をついて同じ枚数取り出す。大金をやり取りしても同じパーティ内では然程意味のある行為ではないので銀貨で充分だ。

もちろん他の人々から見れば簡単に失える金額ではないが、見栄えが良いという理由だけで銀貨を選んだリゼルは気にしていない。

「どうぞ」

「ビット、5」

「レイズ、7」

「ドロー、2」

「はい。俺はそのままで……ん?」

「あ、俺」

響いたノックの音にカードから視線を上げたリゼルを制するように手を上げ、イレヴンがベッドから起き上がった。

旅行先で誰かが部屋を訪ねて来るなど滅多にないし、当然のように扉へと向かったイレヴンに精鋭の人達だろうと当たりをつけて何かあったのかと窺う。

欠片の警戒もなく扉を開ける様子に、扉越しに誰が来たのか分かるジルやイレヴンが若干羨ましいとつくづく思う。

会話している様子に危機感は無く、なら良いかとリゼルは再びカードへと向き合った。

「ビット」

「コール」

「リーダー、ちょい良いスか?」

今まさに手札を見せんというタイミングで、扉を閉めたイレヴンが声をかけた。

ひらひらと何かの紙束を振るイレヴンは先程までの拗ね切った表情から一転、何やら企んだ表情でニヤニヤと笑っている。

リゼルが持っていた手札をベッドへと伏せると、イレヴンはじゃんっと持っていた紙束を見せつけた。

裏面の真っ白とした面を見せられて不思議そうに此方を見上げる表情に満足気に笑い、くるんと用紙を裏返してみせる。

「プ・レ・ゼ・ン・ト。朝欲しいっつってたっしょ?」

「聞こえてたんですか? ありがとうございます」

渡された 魔鉱国(カヴァーナ) の数ある坑道内の地図は分厚い。

集めて回ったのは精鋭達だろうが、イレヴンの指示である事は明白だ。

リゼルは嬉しそうに微笑み、地図を膝へと置いて褒める様にイレヴンの頬を撫でた。

鱗を覆う温かい感触に擦り寄る様に頬を寄せ、イレヴンはだらしなく緩みそうになる口元を引き締めながら得意げに笑って見せる。

リゼルはじゃあ早速、と地図を手に持ち腰かけていたジルのベッドから自らのベッドへと移った。

「ちょっと交代です」

「今度こそ勝つッスよー。うわ、何この手札」

まともな机の無い部屋なので、リゼルはベッドの上に手に持った地図を並べる。

坑道の数に比例して地図の数も多い。全てに目を通すとなると時間がかかりそうだ。

地図と向き合ったリゼルと入れ替わるかのように向かいへと座って胡坐をかいたイレヴンに、ジルは溜息をついた。

案の定遅くまで地図を眺めていたリゼルだが、しかし感じた違和感に目が覚めた。

外はまだ暗そうだ。元々山のふもとにある街だけあって朝焼けを見るまでのタイムラグがあるため、他の街だったならすでに薄ら明るくなっている時間帯だろう。

カタカタと小さく揺れる窓に今日は風が強いらしいと思いながら、リゼルは寝返りを打つように隣で眠る二人を見た。どちらもまだ寝ているようだ。

ならば違和感を感じたのは自分だけ、とそう内心考えながら上体を起こす。

感じるのはぴりぴりと肌がざわめく感覚。

微かな布擦れをも過敏に感じてしまうほど、感覚が鋭敏化している。

自分だけが違和感を感じている状況といえばつい先日の鈴の音を思い出すが、それとは無関係だろうと結論を下した。

あちらの世界と繋がる感覚は忘れるはずもなく覚えている。今回のこれは似ても似つかない。

寝起きでぼんやりとする頭で、面倒だし二度寝してしまおうかと枕を見つめるがそれは叶わなかった。

然程眠気を感じない状態では、それよりも違和感の方を強く感じてしまう。

何となく危機に繋がるような違和感ではないと思っている為、焦りは無い。

少し外で体を動かしてみるかとリゼルは立ちあがった。どうせなら早朝動き始める瞬間の魔道具たちも見てみたい。

それよりも先にジル達に異常がないか確認をとった方が良いかと思うが、ぐっすり寝ている所を起こすのは忍びない。違和感を覚えれば彼らはリゼルより前に勝手に起きている。

危険がないならそれで良い、とリゼルが静かに扉に手をかけてゆっくりと開いた時だった。

「わ、」

ぶわり、と体中に鳥肌がたった。

部屋に気付かない程の空気が流れ込んだだけにも拘らず、薄い何かに包まれたような感覚はより肌をざわめかせる。

思わず小さく呟いた声にあっと思った瞬間、腕が掴まれたと思いきやぐっと後ろへと追いやられた。

後退するように二、三歩たたらを踏みながら顔を上げると、視界を遮るのは鮮やかな赤色。

扉からリゼルを遮る様に剣を片手に立ち塞がったのは今この瞬間まで確かに寝ていたはずのイレヴンで、んーと眠そうに唸りながら扉の向こう側に何も無いのを確認している。

そして振り返り、リゼルを上から下まで異常が無い事を観察し、くぁっと欠伸を零した。

「ごめんなさい、起こしましたね」

「何もねぇなら、いー……」

目にかかる前髪を避けてやると、気持ち良さそうに目を細めた。

そのままふらふらとベッドへと向かい倒れ込むように再び寝始める。

相変わらずうつ伏せなのに苦しくないのだろうか、と思いながら隣のベッドへと視線を移した。

「……寝ぼけんなよ」

「ジルも。まだ寝てて下さい」

「いや、」

いつの間にか上体を起こしていたジルが、呆れたように眠りに就いたイレヴンを見ていた。

気配でも匂いでも誰もいない事など分かるだろうに、とでも思っているのだろう。

彼からしてみれば素晴らしい瞬発力もただ寝ぼけただけらしい。イレヴンもそれに同意するだろうが。

ジルは喉をそらし長く息を吐いた。そのまま視線をリゼルへと向ける。

「どうした」

「特別どうしたって訳でもないんですけど、」

毛布から足を抜き、ベッドに腰かけた姿に苦笑する。

話を聞く体勢をとったジルはもう二度寝するつもりはないらしい、とリゼルもその隣へと腰かけた。

目の前には死んだように眠るイレヴンが背中丸出しで寝ている。

少しも上下しない背中に、もう何度か見ているにも拘らず息が出来ているのか疑問を覚える。

「なんだか、肌がピリピリします」

「あ?」

「こう、すぐ近くで手を翳されているような感じで」

リゼルが触るか触らないかの距離まで手の平をジルの腕へと近付けた。

成程、確かにピリピリ、言い方を変えればぞわぞわした感覚を感じる。決して気分の良いものではない。

これを全身に感じているなど結構な不快感ではないかと思うが、リゼルは平然としている。

熱でもあるのではとジルが手の甲を額にあてると、リゼルは可笑しそうに笑った。

「子供じゃないんですし、体調不良の説明をした訳じゃないんですけど」

「似たようなもんだろ」

額から頬へ、そして首へと手を滑らせる。

手の平で首を覆う様に確認しても、鋭敏になった所為かくすぐったがるように小さく首をすくめるリゼルの体温は平熱と変わらない。言うならば寝起きの所為で少し高い気もするが、それだけだ。

熱の所為ではないなら何なのか、リゼルはぽすんとベッドへと背中を倒した。

一瞬だけぞわっと強く駆けあがった感覚は、しかしベッドと触れあった部分だけ消え去る。

「あ、今背中だけ楽です」

「ベッド触ってんのにか」

見下ろすジルの視線に微笑み、何かに触れていると良いのかと思考を巡らす。

相変わらず強い風が窓をカタカタ揺らしている。

木枠の窓はきちんとした造りをしているが、軽い為に強風相手だと微かな隙間で揺れてしまうのだろう。

わずかに喉を反らすようにそれを確認し、逸れ始めた思考を察したジルが片膝を揺らし隣にあるリゼルの足へと促すように当てた。

真面目に考えます、と苦笑した瞬間にふとリゼルはある仮定へと行きつく。

「ジル、俺のポーチとって下さい」

「おら」

寝転がったままのリゼルに横着するなとは言わない。

体調が悪いわけでは無いが、気味の悪い違和感が背中だけとはいえ楽な姿勢ならば仕方無いという考えの上だ。

しかしこれがイレヴン相手なら臆すことなく口に出し、自分で取らせるだろう。

受け取ったリゼルがごそりとポーチを漁り、数枚の地図を取り出す。

それは此の街周辺の地形図で、昨晩熱心に見ていた坑道内の地図とは違うものだ。

「ジル、此処って」

「寝てろ」

地図を見せようとしたのか、体を起こそうとしたリゼルを押し留める。

ただ肌がピリピリしているだけでそこまでする程では無いのだがとリゼルは苦笑し、体の力を抜いた。

後ろ手に手をつき覗き込むジルへと地図を差し出してみせる。

カヴァーナの後ろに存在する広大な山脈、森に覆われたその近辺を指差して見せた。

「ここら辺って“スポット”あります?」

「スポット?」

「魔力溜まりです。高濃度魔力が密集していて、近寄れない場所」

魔力溜まり、通称“スポット”。

あまりにも空気中の魔力濃度が高く、人が近寄れば間違い無く魔力中毒で命に関わる場所だ。

多すぎる酸素が毒になる様に、魔力もまた多すぎると人体にとって毒となる。

濃度の高い魔力は時として霧として知覚出来る程にもなり、しかしその場は溢れる魔力の影響を受けた鉱物や豊富な食料に溢れている。

魔鉱国(カヴァーナ) の豊富な鉱石もこの魔力溜まりがゆっくりと地下に溜まり、普通の石を魔石に変えているおかげだ。

リゼルは本で読んではいたが、その場所までは知らなかった。

「あー……確かそこら辺だったか。高レベルの魔物討伐依頼でその手前まで行った事がある」

「ここら辺でした?」

「いや、俺が行ったのはこの方向」

スポットは豊富な資源を持ちながら立ち入れない地として知られているが、立ち入れない理由はそれだけではない。

豊富な魔力はそこにいる魔物も強化するのだ。

周囲の魔物から一線を画する魔物がそこには生息しているが、豊富な魔力で育った魔物は同じく豊富な魔力の中でしか生きられない。

それゆえその地から離れる事は無いが、時々はぐれた魔物がスポットの外まで足を運ぶことがある。

あまり長くスポットから離れられる訳ではないが、脅威には違いないのでこの街では度々高ランク依頼にそれらの魔物の討伐が並ぶようだ。もちろん城壁は山側にもあるので心配は無いが、必要な木材の採取に森に入る者もいる為だろう。

「風でその魔力が流れてきてるのかもしれませんね、その影響かも。ベッドに触れてるのに楽なんじゃなくて、空気に触れてないから楽な気がします」

「お前だけか」

「俺も特別多い方じゃないですけど、保有魔力が多い人程影響は受けやすいんです。出る影響は人それぞれみたいですよ」

リゼルは今回初めて経験しているが、過去に同じような状態になった人々は見た事がある。

やけにムラムラして欲求不満になる者、無性に走り出したくなる者、何でも良いからとにかく魔法をブチかましたくなる者、魔力溢れる場所に立つと様々な影響が表れていた。

その点リゼルはただの敏感肌。なんとも平和で良かったと言えるだろう。

そう説明するリゼルにジルも思わず納得してしまう程だ。例に上げられた三点どれが発症しても困る。

「じゃあ今日は部屋にいるか」

「いえ、出掛けます。どうせ……あ、でもどうしよう」

リゼルは困ったように笑って更に数枚の地図を取り出した。

最初に取り出した地形図、昨晩手に入れた坑道内の地図、そしていつか地底竜へと対峙する直前に手に入れた迷宮品の地図。

それらを見比べ、うーんと考え、ちらりとジルを見上げる。

「行きたい場所、どうやら“スポット”みたいなんです」

「は?」

まずとある区画の坑道内の地図と、迷宮品として手に入れた地図。

迷宮品の地図では森の中に走っている道が、坑道の道と見事に一致している。余分な線が多少増えたり減ったりはしているが、まず間違いは無いだろう。

地図一杯に描かれた森は何処の森かも分からなかったが、しかしその中を走る道にリゼルは常々疑問を覚えていた。森に走る道としては形がどうもおかしい。

どちらかと云えば人が掘る坑道のような分岐に、リゼルは一通り洞窟系の迷宮の地図を買って確かめたが一致せず、このカヴァーナへと目を付けたのだ。

他国の坑道も持ちだすと無数にあるが、これが迷宮品だと思えば事情は変わる。

観光客がパーティでも無いのに一斉に入れたり、パーティ入りを望んだイレヴンが同行出来たり、入る人数ごとに扉の数を変えたりと配慮に事欠かない迷宮が全く未知の土地の地図をリゼルに寄こすだろうか。

そうだったら諦めるしかないが、しかしそうでないならリゼルが行ける範囲の坑道は魔鉱国に限定される。

賭けに勝ったといえばそれだけだが、その結論に至るまで調べ尽くしたリゼルの努力の賜物だろう。

「この迷宮品の地図のバツ印がある所、ちょうどスポットだと思います」

「リスクに見合ったもんがあるとは限らねぇ」

「そうでも無いと思います。迷宮がこれだけ配慮してくれてるなら、此処にあるのは俺が本当に欲しいものか、俺にとって必要になるものですから」

本当に欲しいもの、その言葉にジルはぴくりと片眉を上げてリゼルを見下ろした。

思い出すのは路地裏でのリゼルの姿。聞いた事もない 希(こいねが) うような声。

姿を現した銀の髪を持つ生まれながらの王者に向けられた視線は幸せそうに甘く染まっていた。

願っているのだろうか、かの人物が待つ世界への帰り道を。あの後イレヴンとジルの二人で交わした会話の中で離れたくないと零したイレヴンとは違い、ジルは自分の本心すら掴めないでいた。

もし其処にあるのが帰り道だったのなら。思考に沈みそうになったジルを引きとめたのは穏やかな声だった。

「ジル?」

「、」

ふっと現実へと戻った思考と、無意識の行動にジルは自嘲する。

視線の先では自分の体重を支えて後ろに付いていたはずの手が、まるで縫い止めるようにシーツへと散らばるリゼルの髪を押さえていた。

痛みも何も感じないそれにリゼルは気付いているのかいないのか、ただ呼びかけたままに真っ直ぐに此方を見上げている。見慣れないジルの表情に何を思っているかは穏やかな顔からは分からない。

地図を覗き込むような体勢を起こしてさり気なく離した手の平で、感触を振り払うようにシーツを握り締めた。

「ジル、」

「何でもねぇ。お前は何があって欲しいんだ」

どうかしたのか、と尋ねる声を遮ってジルが言う。

リゼルは微かに空気の変わったジルをじっと見て、そして何事も無かったように微笑んだ。

そうですね、と地図を畳みながら考える。

「一番当たりで、空間魔法使いです。でも場所的にそれは無いかな」

「は?」

「だって確実に結構な魔力を使用する魔法ですよ、空間魔法。そんな人たちがスポットで影響を受けずに暮らせるわけがありません」

楽しそうに言うリゼルをジルは怪訝そうな顔で見る。

元の世界に帰りたくないのか、自分の一番に置いた人物と会いたくないのか。

これ程空気を読むことを確信している迷宮相手に、元の世界に戻る方法は流石に無茶すぎると考えている訳ではないだろう。

「だから、俺に必要になるものかなって思ってます」

「……元の世界に帰る為に必要になるってことか」

「え、違いますけど」

考えてもいない、そんな態度だ。

本心を包み隠すことに秀でたリゼルだがジル相手にそうする事は少ない。

それはジルも確信しているし、だからこそリゼルの言葉を疑ってはいない。

リゼルの本心が分からず眉を寄せるジルを、考えている事も疑問に思っている事も見透かすような視線のままリゼルはゆるりと微笑んでみせた。

「俺がわざわざ望まなくても、陛下が帰すと言ったのなら帰れるんでしょう」

「お前が望んだ方が早く帰れるんじゃねぇの」

「最初に言ったでしょう? 休暇だと思ってって」

早く終わりたい休暇なんて無いですよ、となんて事ないように言ったリゼルにジルは思わず溜息をついた。

そういえばこういう男なのだ。親愛する相手に帰還を望まれようと、命令じゃなければそれはそれ。

リゼルは良く元教え子の手綱が握れないと楽しそうに言うが、手綱を握らせないのはそちらじゃ無いのかと思ってしまう。彼の世界の人間は常識人ぶった非常識人に知らず苦労していることだろう。

ジルはリゼルと同じように背中からベッドへと倒れ込んだ。

両手で顔を覆い、珍しく声を上げて笑っているジルにリゼルは可笑しそうに問いかける。

「ご機嫌ですね?」

「オカゲサマで」

全てを馬鹿にしたような笑みは、しかし晴れ晴れとして見える。

先程まであった歪な空気を散らしたジルに、リゼルはゆったりと微笑んだ。

「必要なのは、坑道の精確な尺度と“スポット”での行動を可能にする方法です」

「坑道は実際潜れば良いから簡単じゃねッスか」

「ん? 勝手な出入りは出来ないはずですけど」

「んなもんどうにでもなるっしょ」

どうにでもなるらしい。

それが実力行使では無いと良いのだが、と思いながらリゼルはそれじゃあとそちらの調べをイレヴンへと一任した。

機嫌良さそうに頷いた姿に不穏な様子は欠片もないが、まあ合法とはいかないだろう。

結果オーライならば良し、と考えるリゼルも大概だ。しかし一応元の世界では非合法に手を出す事はあまりなかったとだけ付け足しておく。

「方法っつーのは?」

「正直、俺一人だけなら準備のいらない方法があるんですけど……」

「止めろ」

「魔物も強ぇし、正直リーダーだけはきついッスよ」

「ですよね」

リゼルが言うのは転移魔術で自分の周囲だけ充満する魔力を無くす方法だが、やったとしても数分が限度だろう。

さらに強化された魔物に加え、高濃度で霧状になったスポットの中では見通しが悪い。

リゼルの銃との相性は最悪なので、ジル達の意見も尤もだ。

素直に頷いたリゼルに、突拍子もない事を言い出す事が度々ある為に本気じゃないかと思っていた二人は密かに安堵した。

「昨日、それに使えそうな魔道具を開発してる所を何個か調べておきました」

「最初からスポット行く気だったんスか」

「いえ、行き先がスポットだったらどうしようと思っただけで、まさか本当に地図がそこを示しているとは思って無かったです」

偶然、と頷いたリゼルに本当に偶然か思わず怪しんでしまうのは仕方無い。

全ての可能性に対して備えをしているなどリゼルらしいとは思うが、時々本当は全て知っているのではと思ってしまう程に物事を見通しているからだ。

じとっと見て来るイレヴンの視線をスルーして、リゼルはジルを見た。

魔道具をあたるのは一人で充分だし、イレヴンの方も手伝いはいらないだろう。使える手足は連れてきている。

「ジルは買い物をお願いします。はい」

「……これが必要か」

「一応です、一応。備えあれば憂い無し、ですよ」

清廉な微笑みは早朝の日の光に輝いて見えたが、ジルは渡された買い物メモの内容もあり不審なものにしか思えなかった。

まぁ良いと溜息をつき、渡されたメモをポケットへと捻じ込んで踵を返す。

それじゃあと手を振り去って行くイレヴンも見送り、リゼルも行動を開始した。

ジルが黙々とメモに書かれた品を調達しつつ時折横道に逸れて好みの酒を買い漁り、リゼルが魔道具開発者を希少な素材で釣って目的のものを作って貰っている間に本屋巡りをしている頃。

イレヴンはフンフンと鼻歌を歌いながらカヴァーナの裏道を歩いていた。

裏道といっても多少治安が悪いだけで、命の危険を感じるような場所では無い。

元々鉱員などガラが悪いものが大半なので殆どのカヴァーナ民は平気で使う道だ。

「×××組合……みっけ」

カヴァーナで組合といえば発掘組合のことだ。

坑道を掘るのも全くの自由では無く、組合ごとに割り振られた区画を掘って行くこととなる。

鉱員は全員何処かの発掘組合へと所属しており、イレヴンが精鋭を遣って探させたこの組合も多数の鉱員を抱える結構な規模の発掘組合だ。

そして此の組合が、リゼルが知りたがっている坑道を担当している組合でもある。

全員が出払って盗掘を防ぐための見張りだけになった坑道ならまだしも、こんな朝から全員総出で働いている坑道になど忍び込むのは面倒だ。

イレヴンは大きな扉の前に立ち、ノックなど知らないとばかりに扉を開いた。

「ちょーっと入りたい坑道あんだけど、担当者どこ?」

「……誰だ?」

広い事務所を行きかう人々が一斉に突然現れたイレヴンを見た。

どうみても鉱員では無い姿は見覚えがあるはずもなく、完全な部外者だろう。

事務員とはいえ荒くれを纏めるだけあって肉体派の人間が多く、何人かの用心棒らしき男が立ち上がった。

発掘組合は別の組合とのイザコザなど日常茶飯事だ。その為の人員は常に事務所に待機している。

慣れたように威嚇しながら近付く男たちに、しかしイレヴンは挑発するように笑って扉へと凭れかかる。

「んの用だてめぇ」

「は? さっき言ったっつの。三秒前のことも忘れる脳筋に興味ネんだわ退け雑ァ魚」

「……喧嘩売る相手を間違ったなぁガキ」

男が1、2発殴って外に放り出そうと拳を振り上げた。

イレヴンは楽しそうに笑って振り下ろされる拳を眺める。

誰もが細い体格の青年が殴られ追い出されるだろうと当然のように思っていたにも拘らず、しかし男の拳はイレヴンへと届くことなく落ちた。

拳だけでない。男は全身で床へと崩れ落ち、時折痙攣するように体を震わせる以外の身動きをとらない。他に近付いていた用心棒達は異様な光景に思わず数歩後ずさる。

「俺も優しくなったからさァ死んでねぇよ、動けねぇだけ」

「テメ……ッ」

「全員で来る? どーぞ。ただ俺ニィサンと違って手加減ヘタだから、全員死ぬかもだけど」

べぇ、と舌を出したイレヴンに思わず全員踏みとどまった。

ただの戯言ではない、毒々しいほど赤い舌と異様な雰囲気に全員呑まれている。

イレヴンは動かなくなった周囲に不快さを示すように舌打ちしてみせた。思わず肩を跳ねさせた人間は喧嘩慣れしてない、謂わば現場の人間ではない人種だろう。

坑道の管理をしているならそういう人種だとビクビクしている人間から目を通していく。

そして一人の男に目を止め、愉快さを隠しきれないとばかりに唇を吊り上げた。

「すーっげ、あの人って何処まで引き強ぇの。つか最初から関係者の弱み握る目的もあったっぽい」

ゆっくりと歩を進めるイレヴンを誰も止めない。

そう、ガラが悪い程度で止められる人間では無いのだ。

元フォーキ団の首領、誰もが恐れる盗賊達の頂点で下剋上の考えを持つ気慨すら奪い取っていた男。

腕が立つだけでは決して立てない位置に立っていたイレヴンの纏う空気は、裏の世界を知れば知るほど異様も威容も思い知るだけなのだから。

「昨日ぶりィ」

「……ッ」

机に手を置き、ゆっくりとした口調で笑うイレヴンに、そこに座っていた 司会者(・・・) はざっと顔色を無くした。

昨日行われたばかりの腕相撲大会、そこで意気揚々と司会を務め、虎視眈眈と目当ての男を優勝させた司会者の姿が其処にはあった。

そもそも大会は司会者の男が所属するこの組合のアピールの為の大会だった。

チャンピオンである男はこの組合所属の鉱員で、目の前の男が司会者に抜擢されたのは当然強化魔法を使えるから。つまり組合単位でのヤラセ行為だったのだろう。

イレヴンも勉強は出来ないが頭は回る。すぐさまその可能性へと行きついた。

「ニィサンに負けたヒト元気? ま、強化して貰ってその上腕ブチ折られたら鍛えた意味ねぇけど」

「!」

事務所にいる全ての人間が息を呑んだ。

ビンゴ、と唇に舌を這わせる姿は、まさに捕食する瞬間の蛇を彷彿とさせる。

組合のアピールの為の大会で冒険者に負け、他の組合に鉱員の面汚しだと下に見られるようになっただろう。

此処で更に強化魔法を使っていたなどと広まったら。個人で開催した大会ならともかく、事務所主催の大会だと大々的に知られている為に故意である事はバレてしまうはずだ。

そうなればもはや組合の立場など脆いものだ。この魔鉱国での居場所は消え去るだろう。

「俺、入りたい坑道あんだけど」

「は……は、い」

つまり、そういう事。

脅す手段など幾らでも持っているが、成程。下準備しておくと一言で済んでしまうのだからこれは楽だ。

イレヴンは準備しておいてくれたリゼルに心で感謝し、青い顔で差し出された通行証を受け取る。組合役員用のそれは、見せるだけで坑道に入れるものらしい。

イレヴンは満足げに笑い、手の中で通行証を放り投げて受け取りながらぐるりと周囲を見た。

警戒か、恐怖か。様々な視線が投げられる中、イレヴンはリゼルを思い出してにっこりと笑って見せた。

それは穏やかさなど欠片も無い、人懐っこさの中にナイフの刃が露骨に見え隠れするような笑みだった。

「観光終わったら出てくし、ここは仲良くしようぜ」

仲良く、言葉は綺麗だが内容は違う。

言い触らさない代わりに、滞在中は変な真似をするな。そういう意味だ。

返って来ない反応に了承を得たと判断し、イレヴンは通行証を手の中で遊びながら事務所を出る。

手を出すことなく言葉だけで目的を達成し、非を向こうに示して理不尽な恨みを買う事無く、握った弱みのお陰で此方に手は出されない。

イレヴンなら手を出されても返り討ちにすれば良いが、そうはいかないリゼルにとっては絶好の手だろう。

恐らくイレヴンが出来ると立候補しなければ、自分で此処に赴いて穏やかだろうが似たような手をとっていたはずだ。つまりその為の下準備。

「やっぱリーダー最ッ高」

楽しそうに笑い、与えられた役目を完遂するかと機嫌良く歩みを速めた。

「リーダーリーダー! 俺ちゃんとリーダーの筋書き通り脅迫、や、違ぇな……脅し……これか、ゆすって調べて来たッスよ!」

「お前んな事考えてたのか」

「いえ、俺はもうちょっと平和的な…」