軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

35:照れ隠しではない

「朝風呂しようとしたら他の宿泊客の方が先に入ってて、俺が入った途端溺れました」

「だろうな」

ほんのりと染まる頬は湯上がりだからだろう。

他の客を溺れさせておいてちゃっかり温泉を満喫するあたり、見た目に反して図太いのだ。

珍しく薄着のまま部屋で座るリゼルは、まだ微かに湯気の昇る髪をふるりと振った。熱気が籠って暑いらしい。

いきなり貴族にしか見えない男に入って来られた客に同情したジルは、今日は逆上せなかったようで何よりだと溜息をついた。

昨日は湯から出た瞬間実は逆上せていたことが発覚したリゼルだが、その経験から学んで今日は健やかに温泉を堪能したようだ。

イレヴンはまだ昨晩カードゲームでジルから勝ち取った一番端のベッドで寝ている。

別に急ぐような予定もない為に放置だ。このまま寝ているようだったらジルとリゼルだけで朝食を食べに行く事になるだろう。昨晩早速夜遊びに出掛けたイレヴンは到底起きそうにない。

リゼルはまだ多少湿った髪を梳いて、はふっと息を吐いた。

「ふぅ、ちょっと涼しくなりました」

「そりゃ良かった」

一つだけ開けていたボタンを閉じて、リゼルは普段通りの服を着込んでいく。

もちろん依頼で外に行くようなフル装備よりは軽装だが決してラフな格好では無い。

ジルやイレヴンなどは風呂上がりに上を着ていることの方が稀だが、リゼルは割といつもきっちりとした格好をしている。

暑くねぇの、と一度聞いたら慣れだと言われた。まあ今更リゼルが半裸で歩いているほうが驚くが。

「朝食、食べに行きましょう。イレヴンは何時頃帰って来てました?」

「明け方かそこらじゃねぇの、酒の匂いもしてたし起きねぇよ」

うつ伏せで枕に顔を押し付けて寝ている姿を、苦しくないのだろうかと思いながら見る。

流石働く男の国らしく、この 魔鉱国(カヴァーナ) は酒の種類が豊富だ。

昨晩の夕食でもジルと一緒に店の酒を網羅する気かと言わんばかりに飲んでいたはずだが、まだ飲み足りなかったのかとリゼルはいっそ感心した。

あれ程酔っぱらったイレヴンは初めて見た。思わず夜の外出も止めようと思ったぐらいだ。

ジルも普段から結構飲むが、全然酔わないのであまり浴びる様に飲んでいるイメージは無い。

「朝食付きの宿って楽ですね、何が出ると思います?」

「肉があれば良い」

静かに扉を閉めて、二人は部屋の中から姿を消した。

「昼だし……」

ブスリと頬を膨らませてイレヴンは朝食兼昼食を貪っていた。

午前中に専門書探しを満喫したリゼルは苦笑し、良い地酒探しで銘酒を手に入れたジルは呆れたようにそれを見ている。

結局今の今まで寝続けた彼は、折角の観光をもっとそれらしく過ごしたかったようだ。

ひたすら食べ続けているピラフは実に五皿目にもなる。これで体は細身なのだから不思議だ。

「起きねぇ方が悪いんだろうが」

「別に今日帰ろうって訳じゃないんですし、明日からは起こしてあげますよ」

「観光初日は今日しかねぇじゃん! おかわり!」

自分勝手な理論を堂々と主張しながらイレヴンは横を通り過ぎる店員に注文を追加した。

それで気が済むなら好きなだけ食べれば良い、とリゼルは止めない。ジルはもう知らんと言わんばかりに我関せずと出された水を飲んでいる。

ひたすら食べ続けるイレヴンを横目に、さてとリゼルはいつの間にか手に入れたこの街の案内図を取り出した。この街に来たいと思っていたのはただ知らない場所を見てみたいという好奇心だけではないのだ。

机の上に広げたそれを、ジルは肘を付きながら見下ろした。

「で、何処が本命だ」

「考え中です。出来れば坑道内の地図も欲しかったんですけど、流石に手に入りませんでした」

うーん、と地図を見下ろすリゼルに片眉を上げる。

この 魔鉱国(カヴァーナ) に来ておきながら目的地は考え中、未だ不明というのはどういう事か。

基本的にリゼルが自ら行動を起こす時は既に全ての準備を済ませた時だとジルは思っている。結果までの道筋がすでにリゼルの中で作り上げられた後。

此方に都合の良い出来事の数々もリゼルの天性の運などではなく、自ら都合の良い展開を作り上げているだけに過ぎないのだと。

そんなリゼルが決めかねているなど面倒なものに興味を持っていなければ良いが、と嘆息しながら続けて何枚かの地図を出している様子を見る。

共通するのはどれも地形に秀でている正確な地図だということ。観光客用の観光地案内は少ない。

魔鉱国は国の三分の一が洞窟となっている。

山をくり抜くように造られた街並みは崩れ落ちないように土木関係の最先端技術が惜しみなく使われていた。

国を広げる為には城壁を広げるより山を削った方が楽だという作業員ならではの考え方だろう。

奥へ奥へと掘り続ける為に必要になったというのもあるが、安全面を考えるとこれ以上は広がらないというギリギリまで広い洞窟の街並みが造られている。

唯人がそこに住むのは困難だが、 小人族(ドワーフ) やモグラの獣人など特殊な種族特性を持つ彼らは難なく自らの住居としているのだ。

今では立派な観光名所となっている。

「迷宮が何処まで何でもありかっていうのもあるんですけど、午前中にもちょっと確認はしたし……」

「何がッスか」

「ん? 今日はどうしようかなって話です」

プハッと水を一気に飲み干したイレヴンが何やらブツブツ考えているリゼルを不思議そうに見る。

どうやら腹が膨れて気は晴れたらしいとリゼルは自らの水を差し出してやった。それも飲みほして、イレヴンはリゼルが見下ろす内の地図の一枚を手に取る。

観光案内のそれを笑みを浮かべながら見る様子は、機嫌が良さそうにも見えた。

気分屋な、と微笑みながらリゼルは机の上に広げた地図を片付ける。

「行きたい所、ありますか」

「リーダーは?」

「俺ですか? そうですね、とりあえず有名所には行ってみたいと思ってます」

「じゃあ俺も」

我儘放題かと思いきや従順。良いのかと思いながらリゼルは観光案内の地図を受け取った。

洞窟内の“洞窟商店街”、発掘体験、魔道具製作の見学に、職人通り。中にはアクセサリー製作体験や美肌温泉巡りなど、武骨な国のイメージに反して女性向けスポットも多い。

リゼルの言う有名所は名所のことなので、体験系に手を出す事は無いだろう。

国内一の巨大歯車を使用した魔道具、更には職人の技術の結晶である魔石加工などは見たい気がする。

いずれもこの世界の技術レベルを計るには丁度良い。

「ジルはどこか有名なところ知ってます?」

「あー……ギルドが洞窟ん中で石造り」

「どうして君はギルドしか行かないんですか。イレヴンは?」

「そうッスね。此処の裏オークションとか結構良いもん出るッスよ!」

「夜しかやらねぇけど」と付け加えるイレヴンに、この二人は基本的に普通の観光とかしないのかとリゼルは苦笑した。

夜しか出歩かないイレヴンはまだしも、ジルも少しぐらい余所の土地に来てハメを外せば良いものを。

目的が観光という名の監査であるリゼルは自分を棚に上げてそう思いながら地図を畳んだ。とりあえず目に付いたところに寄れば良いだろう。

先程までジルと話していた目的も急いでどうにかなるものでも無ければ、無ければならないものでもないのだから。

「とりあえず目に付く所を一通り回ってみましょうか」

「歩いてりゃ何かあるだろ」

「ッスね」

そうしてリゼル達は席を立った。

机の上に残された積み上がる大量の皿に、周りに居た観光客はまるで新たな観光名所を見るような視線を向けていた事をリゼル達は知らない。

「集まれ魔鉱国の力自慢共! 優勝者には売れば金貨5枚は下らない豪華景品が待っているぞ!」

昼食を終え、腹ごなしに工房が立ち並ぶ職人通りを歩いていたリゼル達へと突如届いた声。

わずかに先に見える通りの終わりにある広場は人に溢れていた。

そもそもそういう場所なのだろう。様々なイベントが行われるらしい其処には周囲から一段高い舞台があり、その上から先程の大声は聞こえて来ていた。

観光客向けのパフォーマンスかと思いきや、この国では普段からこういったイベントが多いらしい。

力自慢、体力自慢、働く男達がその手を止めて自ら鍛え上げた肉体を競い合うのだ。

細工物を見ていたリゼルが何があるのかとそちらを見て、周囲が今日は何だと楽しそうに少し離れた舞台を覗く。

気に入った細工物があったのか、その瞬間に慣れた手つきで露店に並べられた品をひとつ盗ろうと手を動かしたイレヴンは、次の瞬間ジルに脳天を叩かれて撃沈した。

長年の習慣が抜けないのか度々やらかすイレヴンは、叩かれた痛みに悶えながら“そういや駄目だった”と遅れながらも再確認するのだ。リゼル達がいない所で何をしようと知らないが、共にいる時の不用意な行いをジルは認めない。

一瞬大声に意識を奪われたリゼルが振り返る頃にはイレヴンも飄々として笑っているので、その悪癖は多分ばれていないだろう。

「やっぱりこういう街だと競争ごとが増えますね、そういった気性の方が多いでしょうし」

「喧嘩上等な脳筋ばっかだし。ちょっと煽れば馬鹿みたいに乗って来て面白ぇッスよ」

「常々思ってたけど、イレヴンは時々物騒ですよね」

「へ?」

流石元盗賊と納得して、リゼルは少し覗いてみようかと広場へと向かう。

舞台の上には机がひとつ。そして力自慢募集と来たらもう一つしかないだろう。

人だかりの向こう側に見える“腕相撲大会”と大きく書かれた看板に、やっぱりと思いながらも興味は無いなと隣に立つジルを見た。

確実に優勝出来るだろう男はこういった大会に出て見世物になるのを嫌がると知っている。

弱い者を返り討ちにして優越感を持つでもなければ、例え苦戦する相手に出会おうと戦いでもない腕相撲では何の意味も無いのだから。

「ニィサン知ってると茶番だよなァ」

「優勝者に賛美の心を持てませんからね」

まだ始まってもいない優勝者の力が確実にジルより下だと確信した二人の会話は、幸いにも周囲には聞こえなかった。

聞こえていたら参加しろだの何だのと喧嘩を売られるに違いない。

ジルは眉間に皺を寄せながらスッと視線を逸らした。返事の仕様が無い。

じゃあ次の場所に、とリゼルが大会から興味を失った時だった。

「さあ参加者はもう居ないのか! 景品はなんと大盤振る舞い金貨五枚相当の古文書だぞ!」

「ジル」

「嫌だ」

失った興味が急激に復活した。

もはや大会に対する興味ではない。リゼルの視線はただ一点、司会者が持つ一冊の本に向かっている。

その本が見えた途端ジルは即行でこの場を離脱しようとしたが、しかしリゼルも同時にその存在を確認してジルの腕を掴んでいた。普段はどちらかと云えばゆったりしているリゼルが何とも素早いとイレヴンは思わず感心し、ジルは盛大に舌を打つ。

即座の却下を聞かなかったことにし、リゼルは握った手の平の力を僅かに強めた。

「お願いします、どうしても欲しいんです」

「どっかで似たようなもん手に入んだろ」

「あの本が欲しいんです」

「俺には関係ねぇ」

「駄目ですか?」

「駄目だ」

リゼルはじっとジルを見上げていた。

しかしジルは此方を見ない。ただひたすら視線を逸らしながら広場の出口に視線を向けている。

凄ぇリーダーが駄々こねてると思わず見守っていたイレヴンだが、年下相手にはあまり発揮されないだけでリゼルは割と結構我儘を言っている。その印象と言い方から我儘にみえないだけだ。

顔を顰めるジルにこれはもう無理かと思いながら、イレヴンはリゼルの顔を覗き込んだ。

「リーダー、別にニィサンに頼まなくても優勝した奴からすぐ買い取れば良いじゃねッスか。金額ちょい上乗せすりゃラクショーっしょ」

「嫌です」

珍しく不満気な声、何かに不満を持っても表に出さない男が珍しいと目を瞬かせる。

普段ならば真っ先にイレヴンの言った手段をとるはずのリゼルが即座にジルを頼った事も疑問だろう。

大会に思う所が無いのは本が景品だと知らされる前の態度で分かり切っている。

何がそんなに嫌なのか、と疑問を露わに此方を見るイレヴンに、リゼルは心なしか拗ねたような顔で視線を向けた。

「最初から本を金としか見てない人達の金儲けに手を貸すつもりはありません。あの本に金貨五枚の価値を付けるのは勝手ですけど、金貨五枚集めればあの本が書ける訳じゃないのに」

つまり本好きの琴線に触れたのだろう。

リゼルは何故か平然と「そこまでじゃないですよー」と言うが、誰がどう見てもリゼルは本が好きだ。

知識中毒と言っても良いかもしれない。その媒体に本を好んでいるだけらしいが、好みだの何だの書店の店主と語っている姿を見るとただ知識を増やすだけの行為とはとても思えない。

ジルは重々それを承知しているし、イレヴンも最近それに気付きつつある。そして今完全に気付いた。

リゼルはまごう事無き本マニアだ。

「だから、駄目ですか?」

ジルは苦々しげな顔で、頑なに逸らしていた視線をリゼルへと向けた。

口の回るリゼルにしてはただ願うだけの言葉は、彼がジルと対等であろうとするが故なのだろう。

生まれながらに人を動かす立場に居たからこそ、周囲からすれば当たり前のやり取りこそが時折手探りになる。

周囲から常に学び溶け込もうと学習するリゼルだからこその気遣いだろうが、ジルにはそれが気に入らなかった。

命令すれば良い。ジルはふっと目を細める。

対等であると言葉で貰おうともリゼルが命じればジルは迷いもせずに動いて見せるだろう。

それは対等を望まないのではなく、対等で自由であるが故に自ら選びうる行動で。例え矛盾して見えようと、真にリゼルの存在を望む同類だけが理解出来る関係。

言葉で懇願しようと、瞳で命じれば良い。彼自身恐らく無意識なそれを不快に思う事など決してないのだから。

常のしかめっ面から不満の色を見つけたリゼルは、「あれ、此れは嫌だったか」と窺う姿勢を解いた。

人を固めるな、冒険者らしくない、そう言う割にはジルはリゼルが周囲を真似して接しようとすると嫌がるのだから。可笑しそうに笑い、掴んだ腕を離す。

そしていつもの様に、乞うのではなく意思を伝える為だけに唇を開いた。

「あの本が読みたいです」

些細な希望を口に出すだけ。

願うでも下手に出るでもない言葉に、ようやくジルは溜息をひとつ零した。

そもそも簡単に振り払える腕を振り払わず、引き摺って歩けるはずの足を止めていた時点で答えなど決まっているのだ。

ジルは正面から視線を合わせる様に、相変わらず甘い瞳を見下ろした。

「……一回だけだ」

「充分です」

結局こうなるのだが、しかしイレヴンはジルに感心すらしていた。

彼ならば一発で了承を返してしまうリゼルの“お願い”を此処まで拒否した上に、条件までつける余裕があるのだから。

加えて何が凄いかといえば、これで本当にリゼルに害のある事柄ならばどれだけ頼まれようと拒否を撤回しない所だろう。イレヴン達年下は確実に押し切られる確信がある。

だからこそリゼルは彼らに簡単な頼み事はしても、無茶なお願いはしないのだが。

「一回って、本当の一回ッスか? 大会ってトーナメント勝ち抜きじゃねぇの?」

「仕方無いです、ジルがそれ以上はイヤって言いますし」

「見世物になる趣味はねぇ」

リゼルはまぁとりあえず見ていましょうと舞台を見上げた。

丁度参加者が集まった所らしく、司会者が大会の開催を高らかに宣言している。

見るからに筋骨隆々な男達が集まっており、見た目だけで言えばジルより体格が良いものも少なくない。

しかしその程度でリゼル達が不安を感じる訳が無く、ただ観客のように大会の進行を楽しんでいた。

この手のイベントは受けが良いらしい、観光客以上に魔鉱国民が大盛り上がりを見せている。

「イレヴンだったらどうでしょう、勝てそうですか?」

「やー、純粋な勝負じゃ半分ぐらいには負けんじゃねッスか。手に毒仕込めば訳ねぇけど」

「大衆の面前でするにはリスク高いですね」

「でっしょ」

互いに頷いている二人が割と物凄いことを話している間に、ついに腕相撲大会は決勝戦を迎えていた。

一試合一試合が短いので大会自体はさくさくと進んでいるようだ。

机に手を付き、左手で出っ張りを握り、右手を組み合わせる。開始の合図もまだだというのに大柄な男二人の互いの腕には既に盛り上がった力コブが浮かび上がっている。

進行兼審判が組み合った両手に手を乗せ、位置の微調整を行うと一切の動きが止まった。

「レディ…」

「ん?」

「ゴッ!」

激しい始まりの合図と共に両者から熱気が立ち上った。

何かを呟いたリゼルを隣に立った二人が何かあったのかと訝しげに見る。

それに何でも無いと小さく首を振り、リゼルはゆるりと微笑んだ。

同時に一人の男の手の甲が机へと押し付けられ、大会の優勝者が決まる。

「ちょっと前に行きましょう」

歓声を上げる観客達を掻き分け、リゼル達は舞台の真下へと辿り着いた。

舞台の上ではチャンピオンと持て囃される男が、司会から箱に入れられた古文書を受け取っている。

ジャッジではないし多少距離があるので確信は無いが、これまで無数の本を見てきたリゼルはそれが本物だと満足気に頷いた。

内容は流石に分からないので本当に金貨五枚の価値があるのかは分からないが、本物の古文書というだけで金貨に及ぶ価値は十分にある。

チャンピオンがそれを掲げ、観客が称える様に歓声を高める。それが収まるのを確認し、司会者が大会の閉会を宣言しようとした時だった。

「相場の二倍で買います」

この場には不釣り合いとも思える、穏やかで静かな声がそれを遮る。

集まる視線を一身に受け、リゼルは舞台の上に立つチャンピオンへと微笑んだ。

「おっと豪気な買取交渉が早くも始まったようだ! しかしそれは大会が終わった後に……」

「盛り上がりに水を差したい訳じゃないんです。そうですね、むしろ火に油を注ごうと思いまして」

舞台と言えど高く作られている訳ではない。膝ほどの高さの舞台は上がろうと思えば簡単に上がれる。

リゼルはひょい、と舞台の上に足を踏み入れた。

唯一ある机の前で脅すような表情で此方を見下ろすチャンピオンを平然と見返す。

突然の展開に興奮しざわめく観客の視線を浴びながら、リゼルは空間魔法へとゆっくりと手を入れた。

取り出したそれをトン、トンと机に並べて行く。

「エキシビジョンマッチ、しませんか? 貴方が勝てばこの値段で買い取りましょう」

チャンピオンが瞠目しながら並べられた金貨を見た。

金貨十枚の柱が五本。相場の十倍にも及ぶ金貨は通常目にするような金額では無い。

それを簡単に並べて見せた男に対して普通ならば警戒が湧くはずだが、しかし貴族然とした姿がそれを抱かせる事をさせなかった。

大金という非日常が観客を煽り、盛り上がりは大会以上に加速を見せている。

「その代わり、此方が勝てば本は無料で頂きますけど」

「相手はてめぇじゃねぇだろうな」

「意外と慎重なんですね? チャンピオンなら相手が誰だろうと受けて立つと思ったんですが」

不思議そうに言われた皮肉に、男の額に青筋が浮かぶ。

より凶悪になった様相に怯みもせず、リゼルはすっと手で舞台の下を示した。

その腕を辿る様に集まる注目にジルが嫌そうに舌を打つ。隣にいる派手な男のおかげで視線が二分されてはいるが、集まった観客の数は結構な数になる。

以前から視線を集める人物ではあったが、興味本位に向けられる事は無かった為に慣れていないのだろう。

ガラの悪い顔を一層顰めて此方を見るジルに、リゼルはいつも通り平然と笑みを返した。

「俺の信頼するパーティメンバーです」

「冒険者ぁ? その金貨ニセモンじゃねぇだろうな」

「正真正銘、本物の金貨ですよ」

一枚手に取り、手の中で遊びながらリゼルはチャンピオンを見た。

男は睨むようにジルを見下ろしているが、ジルは我関せずと言わんばかりにイレヴンと何か話している。

「ほら、いい加減諦めて上がって来て下さい」

「ニィサン、呼ばれてるッスよ」

「煩ぇ」

嫌そうに壇上へと上がるジルと、付いて来たイレヴン。

基本的に目立ちたがりなイレヴンなので、彼は楽しそうに観客を見下ろしている。

リゼルはさて、とチャンピオンへと向き合った。

「自信が無いなら止めておきますか? 受けて貰えないなら最初の通り相場の二倍で買い取りますけど」

「あ゛?」

「まぁ、そんな事は無いでしょう?」

チラリとリゼルは観客を見た。

誰しも勝負が行われると信じて疑わない。それ以外を許さない。

何故ならこの国の男ならば売られた喧嘩は買って当たり前なのだ。

ましてや体格を比べるならジルよりも大柄な男、しかも 冒険者風情(・・・・・) を避けて無難に落ち着くなどあれば周囲の評価は下がりに下がる。しばらくは不名誉な噂に纏わりつかれるだろう。

魔鉱国では、冒険者より余程屈強だと声高に叫ぶ発掘員に溢れているのだから。

ちゃっかりと冒険者であることを公表したリゼルは知っているのかいないのか。

先程から彼にしては露骨な挑発は、チャンピオンに向ける以上に観客へと向けられていた。

力では敵いそうにないリゼルが言うからこそ盛り上がる。誰もが目を引かれる。

筋骨隆々な男相手に欠片も恐れず、むしろ煽ってみせているのだから誰もが予想を出来ない先を期待してこの場から離れられない。それはチャンピオンを囲む檻となる。

リゼルは穏やかな瞳をすっと細めて笑みを浮かべ、何かを考える様に口元に手を当てる。

「こういう時、貴方達の言葉を借りるなら“逃げるなら今の内だぜ×××野郎”とでも言うんでしたっけ」

歓声が爆発したと同時に、ブチブチと何かが千切れる音がした。

明確に叩きつけられた挑戦状にチャンピオンの理性が千切れ飛んだらしい。

今にも拳を振り上げようとする男を司会者がしきりに落ち着かせている。

リゼルの後ろでは挑発が上手くなったもんだと呆れたジルが、しかしジャッジが聞いていたら泣いていただろうと思いながら隣を見た。

両手で顔を覆ったイレヴンがいる。こいつもか。

「誰がやらねぇって言ったんだぁ! 好き勝手吠えやがって冒険者風情が!」

「じゃあ、勝負してもらえるんですね」

「後悔すんなよ優男!」

吠える男に司会者は仕方なさそうに肩を竦めた。

この大会の開催者として、チャンピオンが他国の冒険者に負けたなんて事態は望まないだろう。

しかし服の上からでも筋肉の躍動が分かるチャンピオンと、一見ただ長身なだけのジルを比べて大番狂わせは無いと思っているらしい。一転、観客を盛り上げんばかりにエキシビジョンマッチの開催を宣言している。

リゼルは嫌そうに机に向かうジルの腕を送り出すようにポンッと叩いた。

そのまま服を引き、眉を顰めながら顔を下げたジルの耳元に唇を寄せ、何かを囁く。

「……問題は?」

「ねぇ」

流石、と机の前に立つジルを見送った。

勝負の準備も済み、観客の盛り上がりも最高潮。それを見逃す司会者ではなく、拡声器を手に観客へと高らかに声を上げ始めた。

イレヴンがすすす、とリゼルに近付く。

「さっき、何言ったんスか?」

「秘密です。イレヴンこそ、さっきは何で顔を覆ってたんですか?」

「何か耐えきれ……や、秘密ッス」

「勇敢か無謀か! 大会史上初の波乱の展開! エキシビジョンマッチが始まるぞ! 片や大会チャンピオン! ここ三年誰にも王者の座を明け渡してはいない男!」

顔を引き攣らせるイレヴンに首を傾げ、リゼルはそういえばと盛り上げる司会者へと近付いた。

「片や冒険者! この国の男を舐めて貰っちゃ困るぜ! 例え魔物を倒した数は劣ろうとその力は、」

「司会者さん」

何かを伝えたリゼルに、司会者の目が見開かれた。

しかし一瞬途切れた言葉に観客がどよめくのを見て、無理矢理言葉を続ける。

元の位置に下がったリゼルはひどく満足気にその様子を見ていた。

「ッ挑戦者である冒険者! 何と彼は噂に名高い“一刀”だ! 一太刀で死なない魔物はおらず、その強さはSランクパーティでさえ下に置く! 最強のソロと名高い冒険者がチャンピオンに挑むぞ!」

冒険者内では知名度の高いジルだが、一般の誰しも知っているとまでは行かない。

しかし司会者は知っていたらしく、“一刀”としか伝えなかったリゼルだが親切に補足を入れてまで紹介してくれた。

余計な事を、という空気がひしひしとジルから伝わるが、リゼルとしてみれば盛り上げられるなら盛り上げたほうが良いという親切心からの行動だ。一度水を差している事に対する詫びだろう。

司会者は机の前に立ち、向き合う二人に手を組むよう指示を出した。

「その肘逆に曲がるようにしてやるよ……!」

「男の手なんざ握る趣味はねぇ、さっさと終わらせろ」

面倒そうな様子を隠そうともしないジルに、チャンピオンがギチリと奥歯を噛み締めた。

両者手を組んだ直後まるで握り潰さんと言わんばかりに力を込めるが、ジルは痛みを感じる様子を欠片も見せない。なかなかやる、と男が笑みを浮かべた。

そう、なかなかやる程度では男の勝利は揺るがないのだ。

添えられた司会者の両手、ゆるりと流れ込んで来る魔力と漲る力にチャンピオンは勝利を確信した。

「レディ、」

「ぶっ壊す!」

「ゴッ!」

バキッッッッ!!!

チャンピオンの怒号と、司会者の開始の合図。

そしてけたたましい音と共に机が割れたのは同時だった。

誰もが、司会者さえ言葉を無くして今起こった出来事を理解しようと必死であった。

ただ三人、舞台上のリゼル達だけは予想の出来た展開に平然としている。

「おい、離せ」

「な、ぁ……」

チャンピオンは呆然と己の拳を見ていた。

果てしない強さで机へと叩きつけられ、甲から木の机へとめり込み、そしてその勢いのまま机を抉った自らの拳を。

骨が砕けてもおかしくない。肘が逆に折れてもおかしくない。そんな圧倒的な力を前に無事だったのは、偏に勝負直前のあれがあったからだ。

握りしめたまま硬直する武骨な手にジルは不快そうに舌打ちし、ギリ、と軽く手の平に力を込める。

握り潰されると錯覚さえ起こしそうな力に男が恐怖し手の平を離すのを見て、ジルは嘲るように鼻で笑った。

「では、エキシビジョンマッチはうちのジルの勝ちです。皆さん拍手ー」

いつの間にか拡声器を持っているリゼルが勝負の終了を告げた。

観客は目の前で起こった信じがたい出来事に呆然としていたが、しかし直ぐにそれは興奮へと変わる。

促されるままに歓声を上げ手を打ち鳴らす人々にリゼルは微笑み、未だ茫然としている司会者へと拡声器を返した。

無意識に受け取った司会者に、拍手で掻き消えそうになる声で告げる。

「強化魔法、お上手ですね」

「な……ッ!」

「おかげで彼の腕は無事です。まぁジルが本気を出してたら強化されていようと砕けてたでしょうけど」

決して机の事ではない。相手の腕の事だ。

パクパクと何か言いたげに口を開閉させる姿を放って、リゼルはすっと横に置かれた箱を手に取る。

蓋を開け、中身を確認し、愛でるようにその背表紙を撫でて再び箱へと仕舞い込んだ。

歓声を上げる観衆にひらひらと手を振り、促すように司会者を見る。

「言いませんよ。その代わり、気持ちよく大会の終わりを宣言してください」

参加費は稼いだでしょう、と笑みを浮かべたリゼルに司会者は必死に頷いた。

不正は暴かない、参加者たちから集めた金も返せとは言わない、その代わり何事も無かったかのように大会を締めろ。楽しむ観客達への配慮だろう。

その裏側にはリゼル達への恨みを持つなという意味も含んでいるが、それはあっても無くても同じかもしれない。

チャンピオンである男は徹底的に戦意を折られているのだから。

無理矢理浮かべたような笑みで大会の終わりを告げる声を背に、リゼル達は早々に広場を後にした。

新しい本を手に入れて上機嫌なリゼルに、事の顛末を聞いてへーで済ませたイレヴンが「良かったッスね!」と笑いかける。

早速箱から本を取り出したリゼルがちらりとジルを見た。

「ありがとう、ジル」

「どうも」

そっけない返答に、リゼルはゆったりと微笑んだ。

ちなみに照れ隠し照れ隠しと騒いだイレヴンは頭を叩かれている。

「どっか入るぞ」

「何で? まだ腹減ってないッスよ」

「読むだろうが」

ん、と顎で示されてイレヴンはリゼルを見た。

もはや歩きながら表紙を捲り、パラパラと簡単に目を通し始めている。

恐らくどの分野に対する本か確認するだけ、1ページだけ、と思いながら開いたものの当然のようにそれだけでは済まなかったのだろう。本当に確認だけで切り上げることも出来る癖にしなかったのは、今は本を優先しても問題ないと思ったのか。

それが二人への信頼からくるのかは分からないが、二人の前以外では歩きながら読み続けるような真似などしない事は確かだ。

自分達のように何かしながら歩いても人にぶつからない、なんて事出来ないくせにとイレヴンは呆れてジルに同意した。

「リーダー、読むなら店入ってからにしろって」

「あ、読んで良いんですか? イレヴン、観光は?」

「俺おやつタイム」

「ジルは?」

「分かってて聞くんじゃねぇ」

苦々しげに言ったジルに、しかしリゼルは嬉しそうに笑って本を閉じた。