軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

37:馬は平和に休憩中

全ての準備を終え、スポットへと突入したのが三日前。

色々あったが、リゼル達はごく普通に 魔鉱国(カヴァーナ) の観光を続けていた。

今日は王都に居るスタッドとジャッジへお土産を買おうとリゼルの先導で街中を歩いている。

前回 商業国(マルケイド) へと向かった時には依頼として訪れていたので不謹慎かと買う機会の無かったお土産だが、今回はただの観光だ。

普段から世話になっている二人にリゼルは是非とも買って行きたいと思っている。

洞窟商店街を時々横道へと逸れながら歩いて行く。

ランタンで照らされた洞窟は決して土臭くなく、洞窟特有の埃っぽさもない。

その外観を損ねないよう石を積み、壁を彫り、彫刻すら入れて何とも武骨ながら美しい通りとなっている。流石技術者が多い国だけあるだろう。

安売りを宣伝する声や呼び込みを聞き流しながらリゼルは迷うことなく歩を進めていた。

「何買うんスか?」

「消え物が良いかと思ったけどそれも寂しいので、折角だから魔鉱国っぽいものにしようと思います」

正直消え物にした方が良いのでは、とジルは密かに思った。

何せ色々やりとりしてはいるものの、初めてのリゼルからの正式な贈り物。

リゼルに心底心酔しているあの二人に何か渡せば、家宝として祀り上げるのではと危惧してしまう。

リゼルが楽しそうなので取り敢えず見ていようと口には出さないが。

「この前歩いてて見つけたんですけど、無難に実用性のあるものとかどうかなって」

「あー、良いんじゃねッスか」

「渡す時お前が使えって言えば使うだろうしな」

「あ、ここです」

いつの間にか賑やかな並びを通り過ぎ、より洗練された空間へと足を踏み入れていた。

並ぶ店は魔鉱国ならではの名産品が多く、宝石や希少鉱石、精密な魔道具や繊細なインテリアなど、高価な品を扱う店が連なっている。

土産を買うような場所じゃ無いと疑問を浮かべる二人を後ろに連れながらリゼルはある店舗へと足を踏み入れた。

並ぶのは時計、時計、時計。柱時計から壁掛け時計、そして最も多いのがショーケースにならぶ腕時計だろう。

どれにしようか、とそれらを覗き込むリゼルをジル達は慣れ切ったように諦め半分で眺めた。

「確かに実用品っちゃー実用品ッスけどね」

「普通は土産に選ばねぇぞ」

リゼルの元いた世界でも此の世界でも時間の概念は変わらない。

秒・分・時と基準としては定められているが、しかし住人達が意識して生活するのは一時間単位ぐらいだ。

1時間おきに鳴らされる鐘の音を目安として利用するぐらいで、日常生活において秒や分が求められることはまずない。しかも村のような規模ではそれすら使用されないのが普通だ。

よって時計も実用品というよりは装飾品としての意味合いが強く、またかなり精密な造りのそれは気安く買えるものではない。

当然のように持っている人間は限られていた。

リゼルが時計を実用品だと認識しているのは、偏に彼が貴族だからだろう。

時には分刻みのスケジュールで行動し、限られた時間の面会をこなし、また時計を持つことが当たり前の世界では当然のように分単位で議会の時間が指定される事もある。

リゼルも当然持っているが、世界を跨いだ初日に身につけていたら目立つという理由で取っ払っていた。

しかし冒険者が持っていては異質でも、商店の主やギルドの職員ならば然程違和感はないだろう。

勿論時間に縛られる生活をさせようと思っている訳ではない。それこそ装飾品として身につけておいて、いざという時にあれば便利だろうという理由に過ぎない。

「良いじゃないですか、お土産でも。あの二人って時計似合うと思うんです」

「ジャッジとか持ってねぇんスか」

「商品としてなら持ってますけど、彼用のものは無いようなので」

土産、という言葉に立っていた店員は思わず顔が引きつりそうになった。

まさか魔鉱国の技術の結晶である腕時計を、ただの“無難な土産”と認識されるとは思わなかったのだ。

リゼルが貴族だと判断されているから批難は口に出さないが、これが在り来たりな冒険者三人組だったら丁重にお引き取り願っている。

「こういうのって好みがあるから、難しいですね」

「お前が選んだならあいつらは心底喜ぶだろ」

「そうですか? じゃあスタッド君はシンプルで細身の……あ、ちょっと色味はあった方が似合うかな。ジャッジ君はアンティークっぽいのとか」

「ジャッジはタッパあるしゴツイ方が良いッスよ。氷人間はメタリックっぽくても意外とあり。あ、このフレームに色ガラス嵌めこんだのとかどッスか」

楽しそうに選ぶ様子をジルは後ろから見ていた。選ぶ気は無い。

店員はいつもならオススメなど語りかけに行くが、怒涛の勢いで喋るイレヴンに押されている。

こういう場面で妥協をしないのがリゼルとイレヴンだ。某子爵へのラッピングや、装備への溢れんばかりの条件付けを見れば分かるだろう。

ジルは実用性さえあれば良いので役には立たない。

「これ色違いねぇの? ついでにこっちのモデルって最新じゃねぇっしょ。新しいのあれば出して」

「原動力ってネジですか? 魔石? いえ、どっちも見せて欲しいんですが」

そうして妥協を許さなかった結果、納得のいくものが手に入ったらしい。

確認のため見せに来たリゼルに、確かにあの二人のイメージに合っているのではないかとジルも頷く。

正直どれでも良いと思ったのは満足そうなリゼルには秘密だ。

よし、と頷いてラッピングを頼みに行った様子に、もう少しかかりそうだと溜息をついた。こういう時、いつだってリゼルは最後まで手を抜かない。

「てめぇはもう良いのか」

「俺はモノさえ貰えりゃ良い派なんで、包装とか興味ねーッス。勿論リーダーが俺のために選んでくれんなら別だけど」

店員とあれこれ話し合いを続けるリゼルとは別に、イレヴンは時計を選んだだけで満足したらしい。

少し不満そうなのは、自分がリゼルから何か贈り物をされた事が無いからか。

別にパーティ入り許して貰ってるし良いもーん、と勝手に言い訳しだした姿を呆れながら見ていた時だ。

不意に店の外がざわめくのを感じ、二人はふっと口を閉じて外の気配を探る。

「こっちの箱はリボン……あ、布じゃなくて紐の方で。こっちはそのデザイン入りの箱を黒のテープで留めて、あ、紙袋はそれとそれ。いえ、そっちの小さいの」

注文付け過ぎ。

ジルは内心呟きながら警戒を解いた。イレヴンも同様だ。

騒ぎは思ったより大きそうだしやけに緊迫した雰囲気も感じるが、殺気立っている訳ではなさそうなので今すぐ此方に影響がある訳ではないだろう。

一応把握はしておくか、と扉近くに凭れかかった二人は耳を澄ます。

途切れ途切れに聞こえる声は興奮しきったように焦った口調で聞き取りづらい。

「マルケイド……、……、襲われ…」

「侵攻は……、……魔物の大群………此処は……、……?」

ジルとイレヴンはちらりと視線を交わした。

店内へ入って来ない騒動にリゼルは変わらず並べられた箱に目を通している。

思ったより大事のようだしリゼルに知らせるべきか、と思った二人の考えは一致した。

大事だが関係ないといえば関係がないし、二人にとってそれはリゼルの包装選びを邪魔するまでの出来事ではない。彼らの優先順位はどんな状況であっても変わらないのだ。

そうして二人はのんびりとリゼルが終えるのを待った。

「知らせてくれても良かったのに」

「お前は選ぶのに真剣だっただろ」

「急ぐくらいはします」

それでも選ぶのを止めないあたり、ジル達の判断はさして間違っていなかったらしい。

マルケイドが魔物の大群に襲われている、そう聞いても穏やかな歩みを急かさないリゼルもまた優先順位がはっきりした人種なのだ。

周囲では今度はカヴァーナにも魔物が押し寄せるのではないか、と戦々恐々とした人々で溢れている。

情報は欲しいものの錯綜する情報に興味は無いのか、リゼル達はそこかしこの騒ぎを聞き流しながら宿へと向かっていた。

魔物の大侵攻というのは度々ある。

例外も勿論あるが、あまりにも放置された迷宮が存在を主張しようと門を開きっぱなしにして魔物を放出する場合が一番多い。

既存の迷宮を長く放置することはまず無いので大抵は新しく出現した迷宮に誰も気づかなかった時などに起こる現象だが、こればかりは誰の所為でもない。

度々といってもあり得ない事ではない、というだけで滅多に起こる事では無いのだが。

起こった場合、近場にいる冒険者はギルドに集合の後討伐へ向かうが、リゼル達はゆったりと土産を選んでいたら見事にタイミングを逃した。

「つかリーダー正直行くの? 冒険者の義務っつってもそんなん関係ねーっしょ」

タイミングを逃さずとも、イレヴンにはリゼルがわざわざマルケイドに行くとは思えなかった。

基本的に自分から騒動に顔を突っ込む人間とは到底思えないからだ。

隣の席で喧嘩が起ころうと傍観。道のど真ん中で誰かが剣を振り回してようと素通り。挙句の果てには貴族の冒険者がいるという根も葉もない情報に踊らされて自分が貴族だとホラを吹いた冒険者が好き放題やっていても笑って見ているだけ。

直接自分に被害が無ければ首を突っ込むタイプではない。

「誰も知り合いがいないならそれでも良いけど、子爵に頼まれてる人とジャッジ君のお爺さんがいるので考え中です」

「頼まれてる人? あー、美中年の暗い方?」

「それ誰に聞いたんですか?」

「ニィサン。ついでに王都にいるのは美中年の明るい方」

可笑しそうに笑いながらリゼルがジルを見た。

ちなみにジルは全くそんな事を言った事がない。イレヴンに貴族の知り合いって誰と聞かれた際、どんな人だったと問われ“テンション高いのと、根暗そうなの”と答えただけだ。

イレヴンの言い方もあながち的外れではないので、はっきりとは否定しづらい。

舌打ちをしながら視線を逸らしたジルに微笑み、リゼルは到着した宿の扉をくぐった。

「ただの大侵攻なら興味無いです。問題無く解決するでしょうから」

「まあそうッスね。点数稼ぎしたい冒険者は張り切って行くけど、リーダーは関係ねぇし」

マルケイド程大型の都市になると、しっかりと防衛拠点としても働くように出来ている。

リゼルが前回見た限りポスターなどが貼られまくっていたものの城壁は機能に問題なさそうだし、憲兵も規律立って動いていた。

憲兵が街の警護、冒険者が魔物の討伐を務めれば問題なく事態は収束するだろう。

「普通の大侵攻なら、ですけど」

「あー…深層とかボスとかも出てきてたらヤベェッスもんね。SかAランク何組かいねぇと詰む」

「人海戦術が通用するのは中層までだからな」

宿の部屋へと戻って来て、三人はそれぞれの場所に向かい合うように腰を下ろした。

ジルはベッドに、イレヴンは床に。リゼルは椅子に座りながら「あるいは、」と内心呟いた。

魔物の大侵攻、元の世界でもあったがそれは全て自然発生だった訳ではない。人為的発生が歴史を紐解くと三回程あった。何百年か何千年かの記録の中でたったそれだけだし、リゼルが書物でしか知らない通り滅多にあることでは無かったが。

それは通常の大侵攻と比べると異質で、そして従来の通りの対応しか取らなかったら万が一の事態もありうる。

リゼルが此方の本で読んだ限り人為的な大侵攻は一回のみ。もうあり得ないと高をくくってもおかしくない。

「事態は進行していますが、焦っても良いことは無いでしょう。情報が無ければ対策も打てません」

「上に立つヒトの言葉ッスねー。俺そゆの好き」

ケラケラと笑ったイレヴンが芝居がかった仕草でパチンッと指を鳴らす。

ふっと空気が揺らいだと思った時には、いつの間にか開かれた窓にイレヴンの精鋭の内の一人が待機していた。

これがリゼル達が宿に戻って来た理由だ。正確で詳細な情報を集めるだけ集めさせた際、それを受け取る場所が必要になる。

「今の段階で分かっていることだけで充分ですよ。規模だけでも知れると嬉しいです」

「……発生は早朝。侵攻速度的に現在マルケイドの包囲が完了した頃。規模は従来の大侵攻のものと変わらず。マルケイド側の被害は軽微」

「うーん、魔物の被害は軽微でも流通が滞るのはあそこにとって致命的でしょう。マルケイド側はどう動いてますか」

「……情報不足。大々的に攻勢に出たという話は無し」

ダンッとナイフが精鋭が手をつく窓枠へと刺さった。

勿論誰の仕業かなど言うまでも無く、手の中で次に飛ばすだろうナイフをクルクルと回しているイレヴンがいる。

「適当な仕事してんなよなァ。誰にモノ聞かれてると思ってんだよ」

「イレヴン、元々充分に調べる時間なんてないんですし」

「リーダーはすーぐ甘やかす。こいつら言っとくけど俺より盗賊歴長い奴ばっかッスよ? マトモそうに見えて頭ん中ブッ壊れてんだからこんくらいやんねぇと」

タンッと二本目が再び窓枠へと突き刺さる。

そのナイフが手の甲を壁に縫い付けずに済んでいるのは、偏にリゼルがいるおかげだろう。

その証拠にリゼルが気付かないようにナイフは器用に盗賊の薄皮だけを切り裂いていく。いっそスッパリいってくれた方が痛くない。血が多少滲む程度の切り傷はいつまでも地味に痛いのだ。

まるでダーツをやっている様な詰まらなそうな表情を浮かべるイレヴンに、リゼルは仕方なさそうに苦笑した。

「そろそろ続きが聞きたいです。あと、宿に勝手に穴を開けないように」

「はぁーい」

取り出しかけたナイフを大人しく片付ける。

ジルが心底呆れたように溜息をついた。イレヴンは自分では“優しくなった”だの“ぬるくなった”だの言うが欠片も変わっていない。

唯一それを直せるはずのリゼルが放置ぎみなので仕方ないが。

「マルケイドを包囲って言ってたけど、魔物にしては動きが組織だっていますね」

「……上位の魔物が下位を率いているグループが多数。恐らく最下層クラスの魔物も出現」

「そうですか……」

普段は手を組むことが無い魔物が何故大侵攻にはそうなるのかは不明だが、魔物が魔物を率いることはあり得ないことではない。

有象無象が集まって攻めて来るのを迎え撃つのは此方も数を揃えれば難しくないが、それが統率されているとなると話は変わる。統率といってもやはり魔物なので大したことはないが、今回は周囲を包囲する程度の知能を見せていることもあり、難易度は跳ね上がるだろう。

リゼルはうーん、と質問を止めて何かを考え込んでいる。

「今ここらへんに高ランクいたっけ」

「Aは何組かいるんじゃねぇの。前に商業国で絡まれた」

「名前が売れてると大変ッスねー」

「目立った覚えはねぇ」

「派手には動いてねぇけど派手な事はしてんじゃねぇスか。それにニィサン覚えやすいッスもん。黒いし、ッいって!」

マルケイドの現状を思えば余りにも呑気な会話だろう。

もしリゼルが一人マルケイドにいるならば二人は何の途中であっても投げ出して向かうだろうが、隣にいるのだから危機感は無い。最下層クラスがいてもヤバイヤバイと笑い話で済んでしまうのだ。

基本的にやりたい事をやる。そんな二人が人の為にと動くことなどあり得ない事だろう。

しかし、それも唯一リゼルが動くのならば違う。

「マルケイド、行きましょうか」

「馬用意。東門で良いッスか」

「いえ、北にします。あと精鋭の方も連れて行きたいんですけど、良いですか?」

「俺のもんはリーダーのもんッスよ。どーぞ」

「今何人いますっけ……八人? じゃあ全員でお願いします。準備が済んだら北門へ」

向けられた微笑みに、精鋭はひとつ頷いて姿を消した。

同時に幾つかの気配も消えたが、気付いたのはジルとイレヴンだけだ。他にも聞いていた人間がいたならばそれ程時間がかからず集まるだろう。

「気になることでもあんのか」

「折角なので、冒険者の義務を果たそうかと。最下層級がいるのに“一刀”が出ないとか勿体無いでしょう?」

「嘘くせぇ……」

Aランク冒険者のパーティだろうと、下層の魔物相手で無傷で済むことなど無い。

それをソロで行えるジルとイレヴンが傍観しているなど、確かにリゼルの言う通り勿体無いとしか言いようが無いだろう。

しかしジルはそれが真実の目的では無いことを察していた。冒険者の義務がどうとかいうのなら、今頃すでにギルドへと行ってマルケイドへ出発しているのだから。

やりたい事があるならそれで良い、と溜息をついて腰の剣を確認する。

「あ、甘いモン買い忘れた。リーダー途中どっか寄って良い?」

「良いですよ。俺もインサイさんにお土産買って行こうかな。ジル、何が良いと思います?」

「ジジ臭ぇモンで良いんじゃねぇの」

行くなら急げよ、そう声をかける人間は何処にもいなかった。

少年は息を切らせて人波を逆走していた。

悲鳴を上げながら門の中へと逃げる大人たちの足に蹴飛ばされ、罵声を浴びせられ、全身を傷だらけにしても必死に足を動かし続けている。

先程までしっかりと握っていた柔らかい手が無い。それだけの理由。だがそれ程の理由で。

幼い妹は間違いなく門の外に残っている。ただその可愛らしい笑みを想いながら同じく幼い少年は一度潜った門から飛び出した。

呼び止める憲兵の声を振り切り、人がまばらになった外へと駆け抜ける。

「おにいちゃん……ッ」

「ッニナ!」

地面に這いつくばった妹のすぐ後ろまで魔物が迫っていた。

誰かに突き飛ばされたのか、足が痛いと泣く妹を抱き上げる。

早く逃げなければとフラつく脚で立ち上がり、顔を上げた先にあった光景に少年は歯を食いしばった。

閉じられていく門、その向こう側では半狂乱になった母親が憲兵に引きとめられながら必死に此方に手を伸ばしている。

もはや魔物の大群はすぐそこまで迫っているのだ。子供二人を助ける為に門を広げておく余裕などないのだろう。

急げと無責任に叫ぶ大人たちに漏れそうになる悪態を呑み込み、少年は駆けだした。

徐々に狭まる門に急かされ、すぐ後ろから聞こえる魔物の息遣いに急かされ、もはや限界だと訴える体を鞭打つように足を動かす。

間に合わない、と幼い頭が弾きだしたのは奇跡なのだろう。

走る速さと、門までの後僅かな距離、ギリギリ間に合わないという事実を察したのは勿論計算などではなく、妹を守ろうとする少年の本能だった。

彼は考えるのを止め、その本能に突き動かされるまま、腕の中に抱えた愛しい妹を押し出した。

「おにいちゃ……?」

門の向こうに消える妹の、何が起こったのか分からない声を聞いて少年はこんな時だというのに笑いが込み上げそうになった。

もう足は動かない。妹を守るために限界を超えて動かしていた足は、彼女が助かったと確信した途端動かなくなった。

元より間に合わないと分かっていた。無理に動かす必要はないのだと思うと、少年はいっそ安堵すら感じていた。

泣き叫ぶ母親と、幼い妹が閉じる門の最後の隙間から見たものは、助かって良かったと笑う少年の顔とその背後で禍々しい口内を晒して肉を引きちぎろうと大口を開ける魔物の姿だった。

「ジル」

タァンッと鋭い音に誰しも肩を跳ねあげる。

そのまま門が閉じ切る。誰もがそう確信していた時に波紋の様に響いたのは穏やかな声だった。

一センチ程の隙間は閉まり切らず、ただ一人の人物の腕で支えられている。

十人がかりで押さえようとその動きを止められないはずの門が止まった事実に、憲兵は誰もが唖然として状況を見守ることしか出来なかった。

おそらく大衆の中で、誰より状況を把握していたのは少年の母と妹だろう。

僅かな隙間、誰よりも視線を離さず惨劇を見てしまうだろう二人だからこそ、少年の後ろに迫っていた魔物が鋭い音と共に後ろへと弾き飛ばされるのを見ていたのだから。

「急いで下さい、警戒で一旦下がりましたがまた襲われます」

「分かってる」

「イレヴン、魔物を侵入させないように」

「ッス」

姿を現した人物に誰もが息を呑んだ。

石造りの巨大な門を片手でこじ開ける漆黒の男、止めようと近付く憲兵を牽制するように剣を抜く鮮やかな赤毛の男、そして開いた門からゆっくりと足を踏み出した高貴な空気を纏った男。

魔物が蔓延る外界への門が開いたにも拘らず、先程まで逃げ惑っていたはずの人々は呆然と彼らを見ているしか出来ない。この状況下で正確な判断力を奪われる程の存在。

少年へと近付く後ろ姿に陶然と目を奪われる。

「ぇ、」

立ちつくした少年もまた、呆然と近付いて来る姿を見上げていた。

先程まで感じていた安堵も、次第に湧き上がる恐怖も、全てを忘れて穏やかな微笑みに見入っている。

警戒を露わに唸る魔物が近くに居ようと穏やかなまま、伸ばされた両手が少年の両脇を通った。

戸惑う程優しく抱き上げられ、抱えられ、背を撫でる手に知らず忘れていた震えが呼び覚まされる。

少年はぼんやりと綺麗な服を汚してしまうなんて考えたが、震える喉を堪えるようにその肩に顔を埋め、両手は縋りつくようにその服を握りしめていた。

徐々に正常さを取り戻していく頭が周囲から聞こえる魔物の唸り声を捉えて、更に震えが増すのが分かった。

「怯えないで」

ゆっくりと頭を撫でる感覚と、耳元で囁かれた声。

ふっと体の力が抜けるのを感じ、肩に伏せていた顔をゆるゆると上げた。

一斉に此方を襲い来る魔物が視界一杯に映ったが、もう怖くは無かった。

「君の行いは誰より正しい」

ヒュウン、と風が渦巻いた。

それは魔物がまさに喰いつこうとする瞬間吹き荒れ、その肉を斬り裂く。

しかしその中心に居る少年が感じるのはそよ風のみ。周囲に広がる魔物の死骸を見て、ようやくそれが魔法なのだと気付いた。

穏やかな男がゆっくりと門へと歩を進める。

先程少年を切り捨てた冷たい石の門は、未だに閉まろうとしているが一人の男にそれを阻まれていた。

閉まる門が人々の選択なのだと、世界の選択なのだとそう思っていたのに、それがたった一人の男に妨害されている姿は少年にとって何処か滑稽な光景だった。

「ただ、本当に守るということは守り抜くこと。それは生き抜く事と同義です」

強くなりなさい、と優しく諭されて少年は小さく頷いた。

守り抜かなくては守ったことにはならないのかと、ストンと胸に落ちた言葉は少年をひどく納得させた。

強く、というのが腕力では無いことぐらい少年にも理解出来る。どうすれば良いのかは分からないが、強くなろうと決意するキッカケとなるには充分だった。

褒める様に背を撫でる手に照れくささなど感じず、ただただ喜びを噛み締める。

「閉めるぞ」

「お願いします」

押さえられていた扉がゆっくりと閉まって行く。

吹き飛ばされた魔物が此方に向かっているが当然間に合わないだろう。

少年は温かな肩越しにその様子を見ていた。しかし閉じ行く門にもう絶望を感じることはない。

重い音をたてて門が閉まったと同時に駆けて来る小さな足音に、少年は笑みを浮かべて振り返った。

パァンッととてつもなく良い音を立てて腕の中の柔らかな頬が叩かれるのを、リゼルは目を瞬かせて見ていた。

そして苦笑する。彼自身は覚えが無いので分からないが、母の愛は時に痛いほど強いのだろう。

目の前で妹である少女を抱きしめ号泣する母親とは違い、妹は無邪気に笑いながら兄へと手を伸ばしている。

リゼルは抱いていた少年をゆっくりと地面へ降ろした。

見上げる大きな瞳を覆う様に頭を撫で、もうしばらく安堵と憤りと喜びの続きそうな母親を見る。

その視線に気づき、目を腫らしたまま頭を下げる姿にふるりと首を振った。

「彼が動かなければ、俺は多分妹さんを見捨てました。無茶は叱って良いと思いますが、何より誇ってあげて下さい」

「は、はい……!」

何度も礼を言う姿に微笑み、リゼルは纏わりつく視線を振り払う様にジル達の元へと足を進めた。

事態の収束に、ようやく憲兵が門の内側にいる人々の誘導を始めている。

何故これ程門を閉じるのが遅れているのかと思ったが、どうやら今回は門の再開閉らしい。

一度門を閉めたが事情を知らずマルケイドを訪れる人々も多く、補給も無しに帰れるはずも無いと立ち往生する人々をこの西門へと集めたようだ。

そして援護を行いながら短時間だけ門を開けたのが今だった。

しかしリゼル達はその手段をとってマルケイドへと入った訳ではない。

馬を飛ばすこと四時間あまり、リゼル達が利用したのは以前地図を発見した地下通路だ。国の外と中を繋ぐ通路もいくつかあり、それをリゼルが覚えていた為に特に目立たず門の中へ入る事が出来た。

門の内側すぐに人目を避ける様に通じていた通路のお陰で先程の騒動を目撃した為に手を出したのだが、多少目立ってしまったか。

ちなみに精鋭達は既に役目を与えられた為にこの場にいない。

ふとジルとイレヴンを見ると、近くに立つ憲兵に何かを言われている。

面倒そうに無視しているが、どうしたのだろうと近付いてみると何やら文句をつけられているらしい。

良くイレヴンが手を出さないでいる、と思いながらそちらを見ると、剣へと手をかけたイレヴンをさり気なく剣の柄を握ってジルが押さえこんでいた。

不満そうな顔はその所為か、と苦笑して声をかける。

「ちょっと寄り道しましたね、行きましょう」

「待て!」

リゼルの声に城壁へと凭れかかっていた二人が背を浮かした。

それを止める様にかかった声に、さて何を言われるかと振り返る。

言われる内容は想像がつくが。

「一人を助ける為に何人危険にさらしたと思っている……お前達の行いは正義でも何でもないぞ!」

「晒さないようにイレヴンを置いておいたじゃないですか。それに片手は塞がっていてもジルもいたし、例え地底竜が並んで来ようと門は越えられませんよ」

「それでも万が一があるだろう!」

しらっと言い放つリゼルに、恐らく憲兵長であろう男は憤る。

憲兵長の地位に立つ人間は皆こう真面目なのだろうか、と思いはするものの腐っているよりはマシだ。

ふとリゼルがその男の後ろを見ると、どこかで見た憲兵がいた。前回マルケイドを訪れた際、リゼルに喧嘩を売った新米憲兵の青年だ。

気付いたのを知らせる様にひらりと手を振ると、居心地悪そうに視線が逸らされた。

まさか優男にしか見えない男が、手段は分からないものの門の僅かな隙間から魔物を吹き飛ばし、一斉にかかって来たそれらを迎え撃てる実力があるとは思わなかったのだろう。

「おい、聞いているのか」

「聞いてますよ。互いにこんな言い合いをしている暇は無いんじゃないですか?」

「それは……ッしかし、今後同じ行いをされることが無いよう、」

「するかもしれませんね、まず無いとは思いますけど」

すっとリゼルは目を細めて微笑んだ。

離れていく集団を見送る様にそちらを向くと、あの少年が何度も此方を振り返っている。

母親とはぐれでもしたら大変だと前を向くように指で示すと、最後に大きく手を振って前へと向き直った。

「一人の為に大勢を危険に晒したのも、状況だけ見れば悪化させたといえなくも無いことも、勿論充分に理解はしています」

「ならば!」

「その上で行動したんです。俺達が正義だと、いつ勘違いしました?」

ぱかり、と憲兵長の口が開いたまま止まった。

リゼルはにこりと笑って唇を開く。

「大勢よりあの子をとっただけ。自分が助かる為に子供を押し退けて進む大人たちと、妹を助けようとそれらに立ち向かい身を呈して救い出した少年。生き残って欲しいのはどっちかなんて、考えずとも分かるでしょう?」

大多数の価値なんて数だけですよ、と言い残してリゼルは踵を返した。

清廉な青年から出た言葉は彼の言う通り正義でも何でもなく、その衝撃を受け止めるのに憲兵達は精一杯だった。

ジルが固まった憲兵らを一瞥して続き、イレヴンがケラケラ笑いながら横切る。

彼らには理解出来ないだろう。その大多数を守るよう徹底されている“憲兵”なのだから。

しかし彼らを悪と咎めるには実際に行った救出劇はまさに正しく美しく、憲兵達はただその後ろ姿を眺めることしか出来なかった。

「ガキ一人守れねぇぐらい実力がねぇことを俺らの所為にすんじゃねぇっつの雑ァ魚」

「イレヴン」

「はいはぁい」

振り返って馬鹿にする様に出された舌に、反論を言える人間など勿論何処にもいない。