軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

179:皿ダイブはジルが止めた

ジャッジとスタッドの前には、所狭しとテーブルに並べられた料理の数々。

肉、魚介、野菜に果物。揚げ物、焼き物、酢漬けや煮つけ。バリエーションに富んだ食卓は絢爛豪華とはまた違い、気が引けることなく心が浮足立つような彩りであった。

目を輝かせる年下二人に、同じ席に着いたリゼルも微笑ましそうに目元を緩める。

「どうかしら、足りなかったら言ってちょうだいね」

「十分ですよ。想像以上のご馳走で驚きました」

「折角のお客さんだもの。お腹いっぱい食べてもらわないと」

また一皿、料理を運んできた老婦人が上品に笑いながら告げた。

リゼルが手伝おうとするも、「いいのよ」と可笑しそうに断られてしまう。リゼルは、食べられるだろうかと食卓に並ぶ皿を見渡した。大皿、深皿、その隙間を縫うように酒瓶も。

とはいえジャッジもスタッドも働き盛り。この二人は飲みながら食べられるし、むしろ飲みながらだと食欲が増すタイプだ。思った以上に食べるのは、王都で一緒に食事をとる内に知っていた。

「今日はイレヴンと迷宮に行ったんですか?」

「違ぇよ。あいつ魔法陣目当てだろ、未踏破にはついてこねぇ」

更にはジルもいるので、イレヴン不在でも十分に食べきれるだろう。

ちなみにイレヴンは普通に出かけている。一応リゼルもジャッジ達が来ることは伝えていたが、「へー」という返事と共に世間話として終わった。いつものことなので誰も気にしない。

クァトも同じく、今日も元気に冒険者活動中だ。こちらはそろそろ帰ってくるかもしれない。

ジルとて二人を待っていた訳でもなく、普通に食堂で夕食をとるノリでこの場にいるが。

「えっ、ジルさん、まだ踏破してない迷宮があるんですか?」

リゼルの正面に座るジャッジが、いかにも意外そうに隣に座ったジルを見た。

それに対して、ジルは椅子の背凭れに体重をかけながら呆れたように視線を余所に投げる。楽しそうに笑みを零したリゼルが、自身の隣に座るスタッドにグラスを回してやりながら口を開いた。

「厳しい指摘をもらっちゃいましたね、ジル。一流の鑑定士の見立てでは、もう全踏破しててもおかしくないみたいですよ」

「え!?」

「そりゃ失礼。確かに急いじゃなかったな」

「ち、違……っ」

戯れるような会話に、ジャッジは必死で弁解を始めた。

だが向けられた可笑しげに緩んだ眼差しに、あるいは皮肉っぽく歪む口元に、すぐに揶揄われたことに気付いたのだろう。熱くなった顔を俯かせ、肩を丸めて意味のない呻き声を零す。

「今の気分はどうですか愚図」

「埋まりたい……」

更にスタッドにまで追い打ちをかけられた。

「さ、召し上がれ」

そして最後に水瓶を持ってきてくれた老婦人に促され、四人は食事に手を付け始めた。

ジャッジとスタッドは、リゼルたちがいなくなった後の王都の様子をよく話してくれた。

とはいえそれ程長く離れている訳でもない。ギルドで他の冒険者たちから時折「サルスで貴族さん見た」という目撃証言が出たり、道具屋を訪れた客が「最近見ないなぁ」と話していたりなど。

リゼルは元の地位からそういった噂話には慣れているが、ジルは奇妙だと思わずにはいられない。何故に話題に挙がるのか。何が一番奇妙かというと、それらを当たり前のように話すジャッジとスタッドなのだが。

「おう、賑やかだな」

その時だ。

食堂の扉を大きく開けて姿を現したのは、何本もの酒瓶を指に挟んでぶらさげた老輩だった。それを持ち上げ、得意げに歯を見せて笑う姿を見るに差し入れなのだろう。リゼルは微笑んで礼を告げ、ジルは座りながらも酒瓶のラインナップを一瞥して唇の端を持ち上げる。

「誰ですか」

「宿の旦那さんです。元冒険者なんですよ」

スタッドもそちらを一瞥し、リゼルの言葉に一つ頷いた。

老輩が冒険者を引退する頃、スタッドは既にギルドに引き取られていただろう。まだまだ色々なことを勉強していた頃らしく、表に立つこともなかったため、どうやら見覚えはないようだ。

だがジャッジは違ったらしい。驚いたように口を半開きにして、老いてなお頑強な老輩を見上げていた。

「あ、あの、もしかして昔、爺様と」

「あん?」

ジャッジの声にそちらを見下ろした老輩も、ふと眉根を寄せて思案顔を作る。

だがそれも一瞬のこと。老輩は機嫌が良さそうに目を見張り、酒瓶をテーブルに叩きつけるように置きながらジャッジの肩を叩いた。

「おっ、お前アレか。インサイんとこのチビか!」

「ご無沙汰してます……っ」

「おいおいでっかくなっ……、……本当にでけぇな、爺似か!」

挨拶と同時に立ち上がったジャッジに、老輩は喜び半分呆れ半分といった口調で告げる。

だが再会を喜ぶように力強く背中を叩かれ、ジャッジも照れたように眉を下げた。そこでようやく、顔見知りだったのかと眺めるリゼルたちの視線に気付いたのだろう。はしゃいだ姿を恥じるように眉尻を下げ、再び腰かける。

「その、子供の頃に爺様に紹介してもらって……僕が、初めて会った冒険者なんです」

「君が冒険者向けの道具屋をしているのも、その出会いがあったからですか?」

「お、孫も商売人やってんのか」

「そう、とても優秀なんです。鑑定もできて品揃えも良いって評判で」

「冒険者相手にすんにはちょいと弱腰みてぇだけどなぁ」

「実力もあって誠実だから、勢いで押さなくても相手を納得させられるんですよ」

余所のテーブルの椅子にどかりと腰かけて笑う老輩に、リゼルも可笑しそうに話す。

存分に注がれる賞賛に、ジャッジは口も挟めずに緩む唇を引き締めていた。深い喜びと少しの羞恥に顔が熱い。けれど、贈られた言葉を否定も肯定もできない。

これ以上ないほど貰えて嬉しい褒め言葉を、逃げずに受け止めることがこんなに難しいのは何故なのか。どうして、否定も肯定もできないのか。

それはジャッジが常々、リゼルの褒め言葉は他者の評価を必要としないと感じているからだ。その賞賛は美術品を愛でるのに似ていて、リゼル一人の心の内で酷く完結している。

まるで、唯一人きり画廊にいるよう。他の人間の目などない、作品の背景を解説する案内もいない、自分の足音だけが聞こえる静寂に満ちた空間で、心惹かれた絵画に足を止めるように。

対象からのレスポンスを期待せず、柔らかな眼差しで作品を愛でるのだ。

美術品が相手なら口にする必要のない感想を、けれどジャッジには伝えてくれるものだから、それは誰かの言葉を借りたのではない心のままの本心で。否定などできるはずもなく、肯定すら必要とされず、ならば「そんな、リゼルさんのほうが」などという会話の様式美など無粋にしかならない。

結果、ジャッジは嬉しいのを隠しもせず、ふにゃふにゃと笑うことしかできない。

「何を気持ちの悪い顔をしているんですか愚図」

「き、気持ち悪くはない……はず」

ジャッジは熱を持つ頬を、エールを流しこむことで冷まそうとする。

そうしたところで、別の意味で余計に熱を持つことになるのだが。ああ、美術品のように賞賛も靴音も似たようなものだと聞き流せれば良いのだが。

そう思いかけて、いやそれは勿体ないなと思い直す。

「にしても孫は冒険者特化か」

「いえ、そういう訳でもないんですよ。ね、二人とも」

「まぁ何でもあんな」

「必要なものがなかったことはありません」

「だから、冒険者以外にもお客さんが多いみたいです」

三人の言葉に照れるジャッジを尻目に、老輩は「じゃあ冒険者向けってのは何なんだよ」という顔をしていた。店主が自らの店をそう銘打っているのなら、何がどう問題があるという訳でもないのだが。

「これロマネの酒か」

「え、凄い」

「おう、大盤振る舞いだろ。貰いモンだけどな」

老輩の持参した瓶を手に取り、ジルが珍しく感心したように告げ、ジャッジが同意する。

ロマネというのはリゼルも聞いたことがあった。酒好きのジルやイレヴンから時々出てくる国名だ。一度調べたこともあるが、酒造りで有名な国ということしか分からず、解説はむしろ出回っている酒についてのものが多かった覚えがある。

「ロマネ公国、ですよね」

「そうです」

盛り上がるジルたちを尻目に、ひたすら酒と料理を口に運んでいるスタッドへとリゼルは問いかけた。彼は手を止めて、ラベルや瓶から値段以外の価値を看破して解説しているジャッジを一瞥し、あまり興味がなさそうに口を開いた。

「あまり広くはない領地で、城壁の中一面に畑が広がる国だと聞いています」

「スタッド君は行ったことないんですね」

「必要ないので。後は、厳しい入国制限が敷かれていることでも有名です」

「そう言われると行きたくなります」

向けられた視線に、リゼルは冗談っぽく告げた。

冗談には違いない。入国制限が厳しいとなれば冒険者はまず無理だ。国の名前がブランドになるほどの酒造りの聖地、苗木一つ、畑の土ひと掬いであっても門外不出の技術が用いられているだろう。

植物というのは、増やそうと思えば種一つで増やせてしまう。技術や品種の漏洩を防ぐためだと思えば、入国制限にも納得だ。ついでに、外部から変なものを持ち込まれるのも防げる。

「公国なら、どこかに君主国があるんですか?」

「昔はあったらしいですが」

「あ、成程」

名前だけ残っている、というのは珍しいことではない。

本当に“君主を抱く貴族による独立統治”という意味ならば、商業国や魔鉱国のほうがよっぽど意味が近そうだ。あそこは機能を特化することを選んでいる、もとい職人気質が強すぎるので、完全に独立することはないだろうが。

面倒なことは上に丸投げしているともいう。シャドウも大侵攻に怒りこそすれ、その後のサルスとのやりとりは可能な限り王都の上層部に丸投げしていた。賠償関係だけはしっかり通したようだが。

「流石に美味ぇな」

「本当だ、美味しい……!」

「おう、飲め飲め! そっちの行儀良い二人はどうだ!」

「いただきます」

スタッドは酒の味にこだわりはないが、貰えるものは貰う男だ。

リゼルもさりげなくジルを窺ってみたが、希少だという酒を遠慮なく飲みながらも眉を寄せられる。飲むな、と露骨に訴えかけてくるそれに、少しばかり残念に思いながらも諦めた。

「俺は大丈夫です」

「何だ、飲めねぇのか」

「飲みたい、とは思ってるんですけど」

リゼルはいまだに酒の特訓を諦めていない。元の世界では諦めざるを得なかったが、こちらでは貴族の体裁その他もないのだ。ただ、覚えてはいないものの何やら面倒はかけているようなので、後を任せられる相手を確保してからでないと飲めないのが難点だった。

その筆頭であるジルが全く許可をくれない。ならばイレヴンに、とは思うも彼は宿で一人飲みするタイプではなく。店で二人の食事をとりはするも、どうやら外で酔わせる気はないようで、なかなかタイミングが摑めない。

「うちの婆さんも飲まねぇし、魔力が多い奴はなんかあんのかね」

「それは関係ねぇだろ」

「知人にとにかく魔力が多い方がいますけど、お酒は強いですよ」

「私も魔力は平均以上ありますが弱くはありません」

気品を感じる酒瓶たちを囲みながら、そんなことを話していた時だ。

また食堂の扉が開く。覗いた褐色の肌、鈍色の髪と瞳に、リゼルは良いタイミングだと微笑んだ。

「クァト」

見知らぬ顔があるからだろう。

遠慮気味に覗く彼を、リゼルはちょいちょいと手招いた。招かれれば遠慮はしないのか、今度は気が引けることなく食堂に足を踏み入れる。テーブルの上に並べられた豪華な食事を、彼は目を瞬かせて眺めていた。

リゼルは隣に立ったクァトの背に手を当て、スタッドとジャッジに向き直る。

「紹介しますね。さっき話に出た、?」

クァトがやや身構えている。

その視線の先にはスタッド。だがスタッドは我関せずと鈍色の瞳を一瞥していた。

「あ、スタッド君にはもう会ってましたね」

「会った。……会った」

「会話はしました」

スタッドがふと会話を斬る。彼はそのまま視線をクァトからリゼルへと移し、そして。

「指を二本折られました」

「折ってない!!」

「こいつのせいで折れました」

「おっ……っ……折っては、ない……」

全力で言いつけた。

この件で誰が悪いかといえば、初対面の相手を前触れなくぶん殴ったスタッドが悪い。誰がどう見ても悪い。一切の容赦なく全力でぶん殴ったし、ぶん殴る前には命すら狙っていた。

けれど彼はそんなことなどおくびにも出さず、堂々と被害者面をしてリゼルに言いつけた。何故ならスタッドにとっては己の行動は全て無意識でのこと。悪意がなければ咎められはしないだろうと、当たり前のように思っているからだ。

勿論そんなことはない。もしそうなら精鋭らの大半は罪人指定を受けていない。そんな謎の理論だったが、クァトが口喧嘩初心者だったためにゴリ押しで通用しかけていた。

「そうなんですか?」

「そうです」

「俺は、手、出してない……!」

問いかけるリゼルに、淡々としたスタッドと、必死の弁解をするクァト。

ジャッジは何となく事情を察しつつも、スタッドが個人的に暴力という手段をとったことには、何となくリゼル関係で何かあったんだろうなと複雑そうな顔をしている。怯えれば良いのか同意すれば良いのか、そのどちらをどちらに向ければ良いのか分からなくなっている顔だ。

「スタッド君は何か嫌なことをされたと思って手が出たんですか?」

「何もされていませんが殴りました」

ジルと老輩は引いた。

反面、リゼルは苦笑しながら再び問いかける。

「じゃあ、何か言われた?」

「……貴方との出会いを」

スタッドが端的に告げた。

それでリゼルとジルは全てを理解する。詳細までは伝わっていないようで何よりだ。もし全容をスタッドが知れば、休日を使って信者たちの息の根を止めかねない。

サルスに身柄を拘束されているだろう信者たち、その警備は言うまでもなく厳重だろうが、スタッドは昔取った杵柄とばかりにこなしてみせるだろう。本人にしてみれば、昔ほどは動けないとのことだが。

「スタッド、出会いって?」

「俺と会ったころは、ちょっとヤンチャしてたんですよね」

「ヤンチャ、してた」

気になる、と問いかけるジャッジに、リゼルがそつなく返す。

聞いても楽しくはならない話題を、折角の賑やかな席で持ち出すこともないだろう。クァトもすんなりと頷けば、ジャッジは意外そうにリゼルとクァトを見比べる。

すると何かが思い当たったのか、納得したように数度頷いた。

「あ、イレヴンみたいにですか?」

「イレヴンのほうがヤンチャでしたね」

「タチの悪さで言やあっちがダントツだろ」

「悪ヘビは期待を裏切らねぇなぁ」

イレヴンの経歴を知らないジャッジが独断と偏見でイメージしたヤンチャは、実際の悪行と比べると可愛らしいものだった。なにせ仕事でリゼルを誘拐したクァトとは違い、イレヴンは遊びで殺しにかかってきていたのだから。

実害が出たのは前者だけとはいえ、ヤンチャ度合いで言うと圧倒的に後者が強い。

「クァトも一緒に食べますか?」

「食……、んん、夜の迷宮、行きたい」

「あ、良いですね」

良いですね、とは。

そんな視線が集まるなか、リゼルとクァトがのんびりと話していた時だ。追加のパンを運んできた老婦人が、二人の会話を聞いて微笑ましげに口を開く。

「あら、クァトさん迷宮に行くの? じゃあ、これでサンドイッチ作ってあげましょうか」

「食べる!」

「少しサラダとベーコンを分けてちょうだいね」

おい、と手を出しかけた老輩を気にせず、老婦人はテーブルの上からサラダとベーコンステーキの皿を引き寄せた。一緒に持ってきていたナイフでパンを半分に切っていく。

その際、「新しいベーコンを焼いてあげるから拗ねないんですよ」と告げられたジルが、別に拗ねた覚えはないと顔を顰める。多少は目で追ったかもしれないが。

「おい、止めねぇのか」

老輩が自分の言葉の矛盾に気付いているかのように、苦虫を嚙み潰したような顔で告げた。

焼き立てのパンを割る軽い音と共に、香ばしい匂いが漂ってくる。テーブルの上にはチーズもあれば塩漬けの肉、オリーブオイル漬けの野菜もあるので、薄く切ったパンにそれらを載せるのも良いかもしれない。

リゼルはそんなことを考えながら、老夫婦の慣れたようなやり取りを眺めていた。

「いやぁね、自分だって『夜は稼ぎ時だ』なんて迷宮に潜っていたのに」

「一人で潜ったこたぁねぇだろうがよ」

「大丈夫よ、クァトさんなら。疲れて寝ちゃっても問題ないもの」

ねぇ、と茶目っ気のある老婦人の笑みを向けられ、クァトが一度だけ目を瞬かせた。

「ちょっと齧られても、ビックリするだけで済むものね」

リゼルとジルが感心したように老婦人を見つめ、スタッドは心当たりがあったので頷き、ジャッジだけが答えを求めて視線をさ迷わせる。

当のクァト本人はというと、驚いたように口を半開きにしていた。何故なら彼は、戦奴隷らしい姿を老夫婦の前で見せたことはない。アスタルニアで宿主を死ぬほど驚かせて以来、戦いの場以外では刃を出さないほうが良い、というリゼルのアドバイスを律義に守っていたからだ。

「戦奴隷っつっても駆け出しじゃねぇか」

「なら猶更、たくさん失敗しておいたほうが良いわ。まだ若いんですもの」

「つってもよ」

「ほら、クァトさん。気を付けていってらっしゃい」

実力云々の前に、まずソロで夜の迷宮に挑もうとするなと。

そう常識を教え込もうとした老輩は、危険じゃないなら良いじゃない派の老婦人に押し負けた。ジルはほのほの微笑んでいるリゼルを見る。そもそも常識以前の話で、クァトの事実上の指導者はリゼルなのだ。色々と遅い。

「お爺様は彼らを知ってるんですね」

サンドイッチを携えて元気に宿を出発したクァトを見送り、リゼルが問いかける。

その隣では、ジャッジがジルに戦奴隷が何かを質問していた。体から刃物が生える奴ら、という返答に一気に混乱していたが。

魔法かなぁ、と何とか納得しているジャッジに、戦奴隷に魔力はないことをジルは教えない。説明しろと言われてもできないし、何より面倒臭かったからだ。

「群島にいる奴らだろ。俺が知ってる奴よか、随分と喋れるみてぇだけどな」

「言葉が違うんですか?」

「おう。俺らが会ったのが、あいつの爺さん婆さん世代か。半分ぐらい何言ってっか分かんねぇぞ」

本人らに隠れる意図はなくとも、隔絶された地に住んでいれば当然か。

恐らく古代語なのだろうが、古代語といってもとにかく幅が広い。エルフのように音色に意味を込めるのは最も古い言語だと言われている。そこから今の言語に移り変わるまでの、何処かの言葉なのだろう。

「言葉が違うとは」

「あ、そうですね」

パスタを盛りながらスタッドが言う。ジャッジも不思議そうな顔をしていた。

別の言語、という意味そのものがピンと来ないらしい。リゼルもエルフの手紙だという楽譜に出会わなければ考えもしなかったし、元の世界でも極々最近になって研究が始まった分野だ。

恐らく、こちらでも誰かが研究しているだろう。むしろアリムがその筆頭かもしれない。

リゼルはなるべく分かりやすく、できるだけ簡潔に二人に説明した。

「昔は違う言葉を喋ってた、なんて不思議ですね……」

「商人なら話せたほうが有利だと思いますが」

「どうだろ……取引する予定はないし、大丈夫だと思うけど」

リゼルの説明は理解できたが、ジャッジとスタッドには全く現実味がない。

物語の中みたいだ、というのが正直な感想だろう。気持ちは分かる、とリゼルも苦笑した。

そんなジャッジたちの手は、絶えず料理をつつき酒を傾けている。リゼルが微笑ましそうに皿を寄せてやれば、それに礼を告げたジャッジが緩んだままの口元を開いた。

「全然違う言葉が今みたいになってるって、なんだか凄いです」

「ですよね。けど、今も少しずつ変わってるはずですよ」

「何処がですか」

淡々としたスタッドの眼差しに、リゼルは可笑しそうに微笑む。

「アイン君たちが、ヤバイ、で会話しているところを見ると、会話はこれだけ効率化できるんだなぁって感動します」

ジャッジは失神しかけた。

だが、すぐに椅子の脚をジルに蹴られて復活する。多大な手加減はしてもらえたが、現実逃避は許されなかった。今にもリゼルが「俺も使ってみようかな」と言い出しそうなところが現実逃避ポイントだったというのに。

「正確に意味を読み取るにはその場の空気が必須なので、文章では」

「止めてやれ」

「え?」

具体的な活用を示唆してやるなと、ジャッジに同情したジルに止められる。

ジルとて嫌だ。いかにも手探りで「やばい」を使って得意げな顔をするリゼル、というのが容易に想像できてしまうだけに未然に防いでおきたかった。リゼル的には、一言で肯定も否定も共感も拒絶もできるという画期的な発見だったというのに。

ちなみにスタッドは無表情でリゼルを凝視していた。彼が何を思っているかは分からない。

「言葉も進化を止めるべきじゃないと思うんですけど……」

「そこに文句はねぇけどな」

「支配者さんも“停滞と完成は害悪”って言ってましたし」

サラダをフォークに刺しながら告げたリゼルに、驚いたように老輩が中身を飲み干した杯を掲げる。

「何だ、お前らあそこにコネあんのか」

「コネではねぇ」

「何ていうんでしょう。個人的な、顔見知りというか」

「あ?」

本当に何と言えば良いのか。

被害者と加害者、といっては自分達が加害者になってしまう気もする。研究者と被験体というのが一番正しい気もするが、そう言ってはジャッジとスタッドが変な覚醒を果たしてしまうだろう。

二人はリゼルが大侵攻で自らを支配させたことは知れど、その相手が支配者だとは知らないのだ。国が隠したいことを知れば責任を負う。流石に容易に言い触らすことはできない。

その時だ。片眉を上げて怪訝な顔をしていた老輩が、ふと訳知り顔でにやりと笑う。

「ははぁん、お前らか。今時骨のある冒険者がいるじゃねぇかと思ってりゃ、まさかまさかだ」

「あ、ご存じなんですね」

「おう、こっちに来てくれてりゃ、俺も久々に大暴れできたんだがなぁ」

大侵攻のことだろう。そう言って大口を開けて笑う彼は間違いなく元冒険者だった。

大侵攻は、実力のある冒険者にとっては危機ではなく稼ぎ場であり、思う存分に暴れられる遊び場なのかもしれない。そう思いながらリゼルがジルを見れば、何だとばかりに視線を返される。何でもない、と微笑んだ。

呆れたように老輩へと目を向けたジルが、その表情のままの口調で告げる。

「どっから情報漏れてんだよ」

「漏れちゃあいねぇよ。なにせ、国王のおっさんが真っ先に泣きつきに来たからな」

流石に国王が直接訪ねてきた訳ではないだろう。

国王の伝言を携えた使者が早馬で来た、その程度だろうが、それでも冒険者が国の相談役に抜擢されるのは異例でしかない。これには、隠し味が分かりそうで分からないと話していたジャッジたちも老輩を見た。

国王とは、という二人の視線を受けて、老輩は子供の粗相を思い出して笑うかのように口を開く。

「一刀を怒らせたかもしれねぇどうしよう~ってな」

「えっ、ジルさんが怒ると、サルスは困るんですか?……あ、困るかも」

「何処かの国を滅ぼした逸話が探せばありそうではあります」

「ある訳ねぇだろ」

国を亡ぼせること前提で話す年下二人に、ジルは顔を顰めながら返す。

それを見て、老輩は杯に新たな酒を注ぎながら腹から笑う。あんまり邪魔しちゃ駄目よ、と通りがかりに中を覗いた老婦人から声がかかり、彼は片手を挙げて応えた。

「ここはちょいと特別だな。先代の国王が、激怒した冒険者にボッコボコにされてんだ」

「それがお爺さまですか?」

「おっ、何だ。俺が国に喧嘩売るような馬鹿に見えんのか?」

馬鹿ではないけど喧嘩は売りそうだよなぁ、とリゼルたちは思った。

何となく四人揃って無言で老輩を見ていれば、彼は片頬を歪めた。否定も肯定もされない。

「ギルドは大変だったでしょうね」

「あそこの婆さんにド叱られんのは堪えるぞぉ」

「サルスのギルドにも、スタッドみたいな荒事担当がいるのかな」

「荒事担当かは分かりませんが」

スタッドが手でパンを半分に割りながら告げる。

「他のギルド職員から聞いたことがあります。そのギルド職員は、公衆の面前で暴れた冒険者がギルド一家の母親だろう女性にその場でひたすら尻を叩かれているのを目撃したらしいです」

「うわ……」

「駆けつけた憲兵……自警団の前でも叩かれ続けた挙句に『このように躾けておきましたのでどうか寛大な処置を』と本当の母のように頭を下げる女性の姿を見て大体の冒険者は泣くとか」

それは色々な意味で泣きたくなるだろう。

サルスでは行動に特に気を付けようと冒険者であるリゼルとジルは胸に刻み込んだ。開幕で凍らせにかかるスタッドとは違い、仕置きを受けるまでにある程度の猶予がありそうなのが救いだ。その分、些細な乱闘は多そうだが。

「やり口変わってねぇのかよ……」

顔を引き攣らせ、そう口の中で呟いた老輩の言葉は幸いなことに誰にも届かなかった。

「ま、話はズレたが安心しろよ」

「何をだよ」

酒をなみなみと注いだ杯を手に、老輩が立ち上がる。

「俺からは『ほっとけ』っつってある。顔色窺われる程度で済んでんだろ、どうせな」

ああ、とリゼルとジルは納得したように頷いた。

ヒスイから“サルスの国王は放置を選ぶ”と聞いた割には、ちょくちょく探りを入れられたなと思っていたのだ。だが本当にご機嫌伺いだったらしい。大剣を振り回した一刀が突撃してくるのでは、とそれだけを心配していたようだ。

何せ相手は冒険者最強。突撃されては止める術がないと考えたのだろう。

「有名税ですね」

「それで得したことねぇ癖にな」

揶揄うように微笑むリゼルに、ジルは鼻で笑いながらアスパラの肉巻きを口に放り込む。

朝まで飲んでて良いぞ、と言い残して去っていく老輩を見送り、四人は引き続き食事を楽しんだ。

皿を空けた端から老婦人が新しい料理を持ってきてくれたので、食も止まらなければ酒も止まらない。そろそろペースを落としているのはリゼルだけだ。それに気付いたジャッジが、何か取ろうかと控えめに問いかけてくるのに、軽くつまめるものだけ頼む。

「そういえば今日、スタッド君が泥棒を捕まえたんですよ」

「お前は何してたんだよ」

「外でヒスイさんと話してました」

リゼルは褒めるようにスタッドへと微笑んだ。

何せ彼は素手で鎮圧していた。とにかく丈夫な冒険者ならば死にはしないが、他もそうかというと違う。きちんと加減を覚えているのが偉い、と惜しみなく賞賛を向ければ、スタッドの背後で花が飛び交うのが見えた。

「またSランクと交渉したんじゃねぇだろうな」

「違いますよ」

いつかの出来事を思い出し、やや怪訝な顔をするジルに首を振る。

他のパーティが引き受けた依頼をあまり肩代わりするものではない。以前に、叱咤ではなく助言として受けたそれをリゼルはきちんと覚えている。前回も、アスタルニア行きがかかっていなければ恐らく引き受けなかっただろう。

「どうしてもすぐに必要な贈り物があるけど、何を選べば良いか分からないって相談されたんです」

「何でお前に来んだよ」

「女性への贈り物なので」

答えになっていそうでなっていない。だがジルは何となく察した。

ヒスイが必死になって贈り物を選ぶ相手、さらに女となると一人のみ。更に、年下二人といるリゼルが席を外すほどに急を要していた。つまりは贈る切っ掛けも突然訪れたということで。

確かに言い触らすことではないだろう。めでたいことだ、と他人事のように思う。

同時に、ふとランプの明かりが落ちた。

「あ……」

「魔力切れですね」

声を上げるジャッジに、リゼルも壁に備えられたランプを見た。

完全には切れていない。ガラスの中では魔石が薄ぼんやりと光っている。相手を見るにも食事にも困りはしない程度の明るさはあったものだから、全員落ち着いていた。

既に時間は深夜に近い。宿の老夫婦は自室に引き上げているはずだ。勝手に魔力を補充して良いものだろうかと、そう思いながらリゼルが立ち上がりかけた時だ。

「そういえば以前ギルド長が、この程度の明かりの中では怖い話をするのが醍醐味だと職員を集めたことがあります」

リゼルはにこりと笑って着席した。

「醍醐味なら仕方ないですよね」

「リゼルさんがやりたいなら……でも、怖い話ってどういうの?」

「私は参加しなかったので」

「じゃあジル、お願いします」

「何でだよ。あー……」

ガラも悪いし、と考えて促したリゼルは何かがズレている。

ジルは次に飲む酒を選ぼうと、酒瓶のラベルを睨みつけながら考える。怖い話、つまり誰かを怖がらせる話で良いのだろうと当たりをつけ、適当な思い付きで適当な発言を口にした。

「お前ら全員再起不能にすんのに五秒」

「その内の四秒は多分、スタッド君が頑張ってくれたんですよね」

「思ったより評価が高いのが意外です」

「怖いっていうか……そうなんだ、ってちょっと感動しました」

全員ズレていた。

誰一人として趣旨を理解していない。怖い発言と怖い話の区別がついていない。食事の手すら止めないのだから、もはや食卓を彩る話のタネという認識だった。実際、そこそこ盛り上がっている。

「じゃあ次は俺ですね」

ジャッジとスタッドはやや酔っているだろうか。

そんなことを考えながら、リゼルは思い出を振り返るように目を伏せた。怖い話、自らが恐ろしいと感じたこと。いくつかある経験の内の一つ、それを選んだことに大した理由はない。

ただ、少しの懐かしさがあった。

「それは、遠い国にある書庫でのことでした」

柔らかな語り口に、三人の視線がリゼルに集まる。

「とても大きな書庫です。書店が十は入るような広間に、相応の量の本が整然と並んでいました。書庫は地下にも続いていて、無数の本棚がランプの明かりに照らされていました」

食堂の中で明かりが揺れる。

弱った魔石が不安定になっているのだろう。暗くはなっていないが、時折見せる柔い揺らぎが、まるでロウソクの火のようだった。

「俺はそこにいました。本を探していたんです」

相変わらずだな、とジルたちは然して疑問を抱かずに思う。

「隙間なく並ぶ本の背表紙に視線を滑らせていると、ふと、白い影が視界の端を横切りました」

ジャッジが僅かに肩を竦め、ゴクリと息を呑む。

スタッドは変化が窺えない。ジルだけが、何かに気付いて怪訝な表情を浮かべていた。

リゼルは穏やかな声色を変えることなく、話を急くことなくゆっくりと言葉を続ける。

「紙とインクに満ちた空間に一つ、音もなく、浮いて、動いて」

リゼルは伏せていた瞳を持ち上げる。

ジャッジの後ろに彼はいた。いつ現れたか、全く分からない。唯人にはない鋭い歯が、三日月を描いた唇から覗いていた。血の気の薄い肌が、明かりの少ない食堂の中でぼんやりと浮かび上がる。

「それを目で追って、振り返った先には――」

言葉を切って微笑むリゼルを、食い入るように見つめるジャッジの首に、指が巻き付いた。

「ぎ……ッ……!!」

「絞め殺されたニワトリみてぇな声出すじゃん」

もはや恐怖に悲鳴も上げられないジャッジの耳に、見知った声が飛び込んだ。

一気に力が抜けて半泣きのジャッジが振り返れば、そこにはケラケラと笑うイレヴンの姿。何やら怖がっていたし脅かしといた、と悪びれず告げる姿に肩を落とす。

それを尻目に、ジルが呆れたように口を開いた。

「お前それペットの話だろ」

「振り返ったら二匹に増えてたんですよ。俺、一度もあの子たちが増えるのを見たことないんです。どうやって増えてるのか、理屈じゃ考えきれないのは怖くないですか?」

「ペットが増えるんですか」

「イレ、イレヴン、そういうの止めてよ……!」

「何かそんな空気だったし。お、やりィ、すっげぇ飯ある」

スタッドは何も分からないまま問いかけた。

こうして賑やかな席はイレヴンも加えて更に賑やかになり、月もかなり傾いた時間帯まで続いていた。最後はスタッドが寝落ちという名の皿ダイブを決めかけたタイミングでお開きになった。

翌日、頭が重いと唸りながら御者席に座るジャッジと、何の影響も残っていないスッキリとした顔をしたスタッドを、リゼルは老夫婦と一緒に苦笑しつつも見送ることとなる。