軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

178:ブローチは誇らしげに胸で輝く

リゼルは一人、馬車の待合所にあるベンチにのんびりと腰かけていた。

その手には一枚の手紙。穏やかに微笑みながら文面を眺めるリゼルを、昼時の暇そうな御者らが遠巻きに眺めている。やや騒めいているのは“普段は専属の馬車に乗っているから乗合馬車の乗り方が分からないのでは……”という疑惑からだ。

その疑惑も、今までに一度だけリゼルを乗せたことのある御者がいたお陰で晴れていたが。

「(そろそろかな……)」

リゼルは紙面から視線を持ち上げ、大きく開かれた門の向こう側を眺める。

やや雲の多い青空。こんな日の馬車旅は気持ちが良いだろう。手元の手紙の差出人はジャッジで、“三日後に行くから”と書かれていた。記載されていた日付から三日後というのがまさに今日。

店を閉めてから出発する、と書いてあったので、野営を挟んでの到着ならばそろそろだ。スタッドも同行すると書かれていたので、まず間違いなく何事もなくサルスまで来られるだろう。

「(思ったより早く来てくれたな)」

微かに笑みを零す。

リゼルがサルスに移ってから、それほど時は経っていない。アスタルニアとは違い、出発のタイミングによっては野営もなくたどり着ける国だ。ちょっと遊びに、といった感覚で来られるのだろう。

馬車の音が近付いてくる。リゼルが待合所に着いてから三度目の音。

一度目と二度目と同じように視線を流し、そして今までと違い微笑みながら腰を上げる。御者席で慣れたように門番とやりとりを交わす姿を眺めていれば、ふと同じく見知った顔が馬車の後部から姿を現した。

彼はじっとこちらを見つめ、そして淀みない足取りで近づいてくる。堂々とした足取りに御者席から慌てたような声が上がり、門番はといえば必要な確認事項を立て板に水のごとく淡々と告げられ唖然としている。

そして必要な手続きは済んだとばかりに堂々と目の前に立つ姿に、リゼルは歓迎するように目元を緩めた。

「馬車旅お疲れ様でした、スタッド君」

「お久しぶりです」

「ちょ、スタッド待って……っお久しぶりです、リゼルさん!」

無事に通行許可が下りたのか、馬を操りながらやってきたジャッジにも、リゼルは再会を喜ぶように笑みを浮かべたのだった。

乗合馬車でなく、店の馬車で訪れたジャッジが馬と馬車を預けた後。

昼時だし、と三人は食事がとれる店へと歩を進めていた。街中を歩くジャッジとスタッドは、何度かサルスを訪れたことがあるらしく特に物珍しげな様子を見せない。むしろジャッジなどリゼルより余程サルスの店に詳しいので、今向かっているのも彼が提案したレストランだった。

「馬車に乗りっぱなしで疲れてませんか?」

「いえ、野営も挟んだし、半日くらいなら大丈夫です」

「ジャッジ君は馬車旅に慣れてますしね。スタッド君は?」

「疲れは全く」

ふにゃふにゃと照れたように笑うジャッジも、無感情に告げるスタッドも私服だ。

いかにも遊びにきてくれた感じが新鮮で良いな、とリゼルも頬を緩める。王都でも同じように過ごしたことはあったが、他国で二人と過ごすというのは思いのほか新鮮だった。

ジャッジに先導されるまま石畳を踏んで歩く。三人分の靴音が水路に落ちていた。

「そういえばこの間、インサイさんが来てたんですよ」

「えっ、リゼルさんに会いに……じゃないですよね……?」

「商談だと思います。俺もたまたま同席したんですけど、紳士然とした老齢の男性と」

「あ、そっか」

納得いったようにジャッジが声を上げた。

老紳士のことはジャッジも知っているらしい。当然か。インサイと真っ当に取引を交わしていた老紳士だ。それについてリゼルが老紳士に何かを尋ねたことはないが、サルスを代表するような大商会のトップであるに違いない。

「ジャッジ君の仕入れ先の一つですか?」

「いえ、確かに爺さまの伝手で顔合わせはしたし、あちらもいつでも頼ってくれって言ってくれるんですけど、その、気が引けちゃって……」

気まずげに口ごもるジャッジへと、リゼルとスタッドはふと視線を向ける。

王都の中心街にある高級店さえお得意様にしているジャッジが何を気が引けるのか。まさか相手の商会の規模ではないだろう。インサイという、その手の商売人としては頭抜けた祖父を持っているのだ。特に気後れするという訳でもないはずだが。

二人の視線に気付き、ジャッジが慌てたように弁解を口にしようとする。だがその直前、すかさずスタッドが口を挟んだ。

「ようはただ苦手なだけだと」

「いや、でも、サルスに来る度に挨拶はしてるし……」

「仕事相手としては苦手だと」

「それは、だって、爺さまも取引先として紹介してくれた訳じゃないみたいだし」

「つまり」

「ちょっと苦手だけど……っ」

言い負かされて丸まったジャッジの背を、リゼルは苦笑を零しながら撫でてやる。

別に商売人同士だからといって、必ずしも仕事相手になる必要はないのだ。仕事を抜きにして仲良くできているなら良いだろうに。スタッドも特に責めているつもりはなく、それ故にリゼルに撫でられているジャッジを気に入らなそうに見ている。

「商売のことは俺には分かりませんけど、彼は深くて広い見識を持つ素敵な方ですよね」

「あ、はい、そうなんです。落ち着いてて」

「俺も杖を持ったことがありますけど、彼ほど似合う自信はありません」

「杖」

スタッドが無表情にリゼルを向いた。

「どうしました?」

「杖を持った魔法使いがいないのは何故かと依頼人から質問されたことがあります」

「冒険者が、杖?」

ジャッジも質問の意図が分からない、と不思議そうだ。

それに対しリゼルには心当たりが一つ。それを口にする前に、とスタッドへ問いかけた。

「スタッド君は何て答えたんですか?」

「杖よりナイフなどのほうが取り回しが良いからではないかと」

「戦う用の杖ってどういうのだろ……細い棍棒とかかな。迷宮品であったっけ」

まごうことなく現場を知るギルド職員の意見と、冒険者を相手にする道具屋の意見だ。

リゼルはそれに可笑しそうに笑い、成程と頷いた。リゼルとてアスタルニアでそういう意見を聞く前ならば同じようなことを口にしただろう。

「依頼人の方、きっとアスタルニア出身だったんですね。あちらの絵本では、魔法使いは杖を持って魔法を使うみたいですよ」

「魔法使いなのに魔法を使わず殴り殺すんですか」

「いえ、鈍器として使う訳じゃなくて」

「悪路が苦手な人が多い、とかですか?」

「足腰に不安がある訳でもないんです」

アスタルニアの魔法使いへの熱い風評被害。

ただでさえアスタルニアでは他国より更に少数派の魔法使いたち。そんな彼らにそれ以上の不遇を味わわせる訳にはいかない。リゼルは年下二人の至極真っ当な意見をすぐさま修正した。

とはいえリゼルも明確な理由を知っている訳ではない。そういうものだと思っていたと、とある機会にナハスとアリムから聞いただけだ。何と答えれば良いのだろうかと考えながら、路地から吹き抜けた風に乱れた髪を耳にかける。

「発動の時に拳に力が込もりがちで、手を傷つけないように握る冒険者がモデルとか」

「納得しました」

「そういえば、魔法は気合って聞いたことあります」

リゼルも真剣に答えを追い求めたがこれしか出なかった。

だがジャッジたちはすっきり解決したような顔をしているので結果オーライ。いかにもあり得そう、と納得されるだけのイメージが冒険者にはあるのだ。普段から「魔法のコツ? 気合と根性」と言っているからこうなる。

こうして杖の真実は闇に葬られた。リゼルの説が真実である可能性もゼロではないが。

「あ、ここ、右です」

「あまり来たことのない方向ですね」

「首都、あまり行きませんか?」

広い水路に突き当たり、ジャッジの声に促されるように三人は右に足を向ける。

水路を時折流れていく小舟は、荷運びであったり物売り船であったりと目に楽しい。前者はのんびりと櫂を漕ぎ、後者は目立つひさしの下で店主がのんびりと座っている。仕事でなくとも、芝生で寛ぐのと同じように小舟に寝転がって揺られている者もいた。

「有名だっていう国王の像は見に行ったんですけど」

「あれ、意外と小さいですよね」

「思ったより等身大でした」

可笑しそうに肩を竦めたジャッジに、リゼルも笑いながら何となしに水路を眺める。

ふと、本を顔に伏せて寝転ぶ見覚えのある白衣が見えた気がした。小舟に揺られながら考え事だろうか、とそれを見送る。

「スタッド君はサルスに来たことがあるんですか?」

「あります。冒険者ギルド以外に足を向けたことはないですが」

真っすぐに冒険者ギルドに向かい、真っすぐに帰っていくスタッドが目に見えるようだ。

折角来たのだから観光を、などという考えはスタッドには一切ない。王都に愛着がある訳でも、帰るべき家だと考えている訳でもない。やるべきことをやったら用はないと、当たり前のようにそうするだけだった。

そんな彼が遊びに来てくれたのだ、とリゼルは甘く目元を緩めてスタッドを見る。

「なら、今日は色々なところに行きましょうか」

「ぜひ」

淡々と頷いたスタッドは、これでも花が飛んで見えるほど浮かれている。

「それなら、スタッド君はサルスのギルド職員さんを知ってるんですね」

「知っているというほど親しくはありませんが」

「そういえば僕、王都の人しか知らないかも……何か違ったりするんですか?」

「ここ、職員が全員女性なんです」

リゼルの言葉にスタッドが頷き、ジャッジが意外そうに目を瞬いた。

冒険者とほどほどに関わるとはいえ、ジャッジの冒険者観は他の一般国民と変わらない。変な冒険者に絡まれた、と愚痴を零す女性の姿も度々見ている。王都の冒険者ギルドしか知らないとはいえ、それが珍しいことだというのは予想がつくのだろう。

特に、乱闘する冒険者を強制的に黙らせるスタッドを見てきているのだから猶更のこと。女だらけの空間に仕事とはいえ突撃したスタッドが想像できなかったのか、ジャッジは思わずといったように口を開いた。

「スタッド、そんなギルドに行ったんだ……」

「一人でですか?」

「はい」

ちなみにスタッドが訪れた際、サルスのギルド職員一同は騒めいた。

無表情かつ無感情だろうと若い男。普段は荒くれている冒険者とばかり接している彼女たちは、ぱっと見は荒事より事務仕事のほうが得意そうなスタッドに浮足立った。実際はそこらの冒険者よりよっぽど手が出るのが早いのだが、彼女たちはそんなことなど知る由もない。

一ミリも動かない表情も、久々に目にする異性職員という属性の前では“ミステリアス”という非常にポジティブな捉え方をされた。王都メンバーが知ればメンタルを心配するだろう。

とはいえ彼女たちもプロの職員。“仕事中に発情しない”という座右の銘のもと、きっちりと公私を分けて冷静に業務を終わらせた。その後にギルド同士の交流を兼ねたお食事でも、と声をかけようとしたのだが。

「必要な署名を終わらせてすぐに王都に戻ったのであまり覚えていませんが」

即行姿を消したスタッドに当時の彼女たちは崩れ落ちた。

「女の人ばかりの場所って、ちょっと居にくいよね……」

「イレヴンは平気そうですよ。そういうチョコレート店とかよく行ってますし」

「私も気になりません」

「皆、強いなぁ……リゼルさんは、その」

「意識はしますけど、気が引けるとかはないです」

リゼルは緩やかなアーチを描く橋に足を踏み入れながら、思案するように返した。

女性ばかりの場、という環境に合わせて多少は振舞いを変えるも、それほど居づらいという感覚はない。けれどジャッジの言うことも理解できた。場違い感とまではいかないが、何となく周囲の目が気になってしまうのだろう。

「こればかりは慣れるしかないですね」

「ですよね……」

慰めるように告げたリゼルに、ジャッジも諦めたように笑った。

卸し先にそういう店があるのだろうか。そんなことをリゼルが考えていると、ふと見知った顔が対岸から走ってくる。

「あ……」

「こんにちは」

「こ、んにちは」

先日、空間魔法が暴発しないようにと、教授を通して魔石を渡した少年だ。

彼はリゼルを見つけると歩調を緩めた。リゼルが立ち止まると、ジャッジたちも足を止める。少年は少し気まずそうにジャッジやスタッドを見て、けれど観念したようにリゼルへと向き合った。

「その、先生見てたらって思って」

「教授なら、さっき流れていきましたよ」

「やっぱりだ……!」

少年はぎゅっと眉を寄せて水路を見回した。

欄干にしがみつき、小舟を一つ一つ睨みつけて、目当ての姿がないと分かれば再び駆け出そうとする。だが直後、前かがみになりかけた体を急停止しながら起こした。

その拍子に、首元にかけられた真っ黒い魔石のネックレスが揺れる。あ、とジャッジが小さく声を零した。

「えっと、これ……あっ、先生のこと教えてくれたのも、ありがとう」

「いえ、どちらも偶然みたいなものなので。魔石の使い方は教えてもらいましたか?」

「うん。……友達の前で吐いたらどうしよう」

恥じるように、深刻そうに告げる少年をリゼルは微笑ましげに見た。

この年頃の子供にとっては、友人の目の前で吐いてしまうのも、国が吹き飛びかねない暴発も似たようなものなのだろう。むしろ後者については現実味がなく、前者のほうがよっぽど深刻な問題のようだ。吐くといっても魔力なのだが。

指で魔石を弄りながら俯く少年に、リゼルは諭すように声をかける。

「不要な魔力を出すだけなんだから恥ずかしくないですよ」

「……変だって言われるかも」

「君は、目の前で未知の魔法を見れたらどう思いますか?」

リゼルの言葉に、少年は勢いよく顔を上げた。

そこに先程までの不安はない。だが別の危機感がありありと浮かんでいた。

「質問攻めにされる……!」

流石は魔法学院の子供たち。むしろ大人研究者たちの質問攻めも受けかねない。

少年も現役の空間魔法使いと話ができたようなので、きっとコントロールのコツも聞いているだろう。それを身に付けることさえできれば、質問攻めにより三日三晩の寝食が犠牲になることはないはずだ。

何せ事情を知る教授でさえ守ってくれるかは五分五分だった。何故なら彼こそ、率先して質問攻めに加わりかねないのだから。

「絶っ対コントロールする!」

「はい、頑張って」

「うん、ありがとう!」

やる気が出たなら何よりだ。

力強く宣言して走り去っていく少年が、無事に教授と合流できると良いのだが。そんなことを思いながら見送り、歩みを再開したリゼルの隣からすぐさまスタッドが問いかける。

「誰ですか」

「魔法学院の生徒さんです。魔法を使う冒険者から講演を、っていう依頼を受けて」

「騎士学校の依頼のようにですか」

「あそこよりは和気藹々としてましたね」

納得したのか、スタッドは一つ頷いて口を閉じる。

裏腹に、ジャッジは感心したように少年を振り返っていた。

「あんな小さい頃から通うものなんですね……」

「貴方から見れば大抵の相手が小さいのでは」

「そ、そうじゃなくて」

「年齢は関係ないみたいですよ。知りたいことがありすぎて気付いたら突撃してた、そんな子が多いみたいです」

凄いなぁ、とジャッジから感嘆の声が漏れる。

それにリゼルは可笑しそうに目を細めた。ジャッジとて少年と同じような年から、冒険者ギルドに鑑定に訪れていただろうに。正確無比な鑑定で、ギルド所属の鑑定士と全く同じようなことをしていたのだ。それだって他人から見れば十分に凄いことだろう。

比べるようなことではないが、それにしても自分のことは気付かないものだ。そうリゼルは微笑ましく思う。それが自身を棚に上げてのことであると、それを突っ込める者はこの場にいなかった。

「あの子も、何か知りたかったんですか?」

「魔力中毒について興味があるみたいですよ。ご両親が大変だったからって」

「あ、そっか、サルスはそういうのがあるんですよね」

今思い出した、とばかりにジャッジが二度、三度と瞬きを零す。

三人は橋を渡りきり、道の真ん中にポツンとある小さな噴水を横目に、少し広めの通りへと足を踏み入れた。噴水は今は動いていないのか、通りすがる人もスカートを揺らしながらすぐ隣をすれ違う。

あれは何ていう名前の噴水なんだろうか、と考えていたリゼルは、ふと少しばかり不満そうな雰囲気を出すスタッドに気が付いた。もしかして、と問いかける。

「スタッド君、魔力中毒になったことがあるんですか?」

「あります」

端的な言葉には、少しの不服が隠れていた。

確かにスタッドの魔力量を思えば、魔力中毒に全く縁がないことはないだろう。王都にいればまず心配はないだろうが、魔鉱国の冒険者ギルドを訪れたことも何度かあるはずだ。

「へぇ、……どんな感じだった?」

「静電気が酷かったです」

少しばかりの好奇心を滲ませたジャッジは、まさかの回答に一気に混乱した。

「何を触ってもバチバチ言うので鬱陶しすぎて何度か凍らせました」

「な、何を?」

「手ですが」

「手を……?」

対処法としては強ち間違っていないのでコメントしづらい。

そんなジャッジがしきりに自身とスタッドを見比べているのを見て、リゼルは「ああ」と納得する。ジャッジも仕入れなどで様々な場所を訪れているとはいえ、基本は生粋のパルテダール国民パルテダ在住。魔力中毒に詳しくなくても不思議ではない。

「ジャッジ君、魔力中毒の症状は人それぞれなんです」

「あ、そうなんですね、良かった……」

ジャッジが安堵したように吐息を零す。

彼は一瞬で静電気に苛まれるリゼルを想像し、その対策として使える品を脳内で厳選していたところだった。厳選し終えた品はスタッドに薦めてみよう、とすぐさま思考を切り替えるあたりが生粋の商売人だろう。

「じゃあ、リゼルさんは、その」

「お、兄ちゃん大きいなぁ」

「えっ、あ、すみません……っ」

「褒めとるんだて」

すれ違い様に声をかけられて慌てるジャッジに、気の良さそうな老人は笑いながら去っていく。

リゼルがこの国を訪れてからまだ日は浅いが、サルス国民は懐っこい人が多い印象だった。ただ時折、それがネガティブに働く者もいる。イレヴンが鼻につくという魔法重視の者であったり、やや冤罪の可能性も出てきたが魔力中毒を表に出すなという懐古主義者であったり、それらも個人の主義主張を他人に求めてしまうからこそのトラブルなのだろう。

それは少数派だが、周りの感じが良いだけに印象に残りやすい。別にサルスに限ったことではないが。他国あるあるだな、と国を跨ぐ冒険者らしいことを考えてリゼルは微笑んだ。

「俺の魔力中毒ですか?」

「あ、はいっ、なったことがあれば、ですけど」

照れたように栗色の髪を触るジャッジに、リゼルが話の続きを口にする。

「ありますよ。俺は敏感肌になります」

「そ、そんなに症状って差があるんですね……」

「俺とスタッド君は似てるほうですよ。ね」

「はい」

スタッドは心なしか満足げだ。

やや雲の多い青空は、歩いていても汗ばむことなく気持ちが良い。水路の水面も眩しすぎずに透き通っている。そんな散歩日和を、三人は久しぶりの雑談に花を咲かせながら楽しんでいた。

ジャッジが案内した店は首都にあるレストランだった。

歴史はあるが敷居は高くない。歴史というのも、地元民に愛されて長く続いているというだけ。飽き性なオーナーの意向で度々サルス内を移転するも、外観や内装は変われども雰囲気は変わらないという少し不思議なレストランだった。

常連客は店の場所が変わる度、「またか」と笑いながら足を伸ばす。自宅から近くなれば喜んで、遠くなればやれやれと苦笑を浮かべながら。

ジャッジも何度か訪れている、お気に入りのレストランだ。だがその店内で今、彼はどうすることもできずにいた。

「それはレプリカらしいので盗んでも割に合わないのでは」

「な、なんだお前は!」

「ちょっと、レプリカってどういうこと……?」

リゼルが席を外して数分で何故こんなに場が荒れるのかと、ジャッジは窓越しに見えるリゼルを振り返りながら切実にその帰還を願っていた。

事の始まりは、三人が店の定番であるサルスの郷土料理を堪能していた時のこと。

ジャッジのついた席は、ちょうど向かいの席が見える角度だった。そのテーブルには男女の二人組。何かの記念日なのか、男がブローチを女に渡し、女は喜びに頬を染めて男に何度も感謝を口にする。

あまり見るものではないと思うが、自然と目に入ってくるのは仕方がない。ジャッジは幸せそうな光景に頬を緩め、久しぶりのサルスの味と、久しぶりのリゼルとの食事に至福の時間を過ごしていた。

「これは湖でとれるものなんですか?」

「ええ、専門の 潜湖士(せんこし) により今朝水揚げされたばかりのものです」

和やかに給仕と一言二言の会話を楽しむリゼルに、ジャッジはすぐに解けそうになる口元を引き絞りながら咀嚼する。今まさに説明を受けたばかりの貝は美味で、リゼルの隣に座ったスタッドも次々と食事を口に運んでいた。

ちなみに席の取り合いは二人の間では起きない。ジャッジはリゼルの正面の席を好み、スタッドはリゼルの隣の席を好むからだ。争うと負けるジャッジにとっては、何より幸せな解釈違いだった。

「潜湖士っていう職があるんですね。ジャッジ君は知ってましたか?」

「はい、僕は食品はあんまり扱わないんですけど、爺さまが確か契約してたはずです」

「泳ぐのと潜るのとは何か違うんですか」

「泳げれば少しは潜れますけど、深く潜るのは相当な技術が必要だと思います」

スタッドは泳いだことがないようだが、それはジャッジとて同じく。

むしろリゼルが泳げるような発言をしたことが二人は地味に衝撃だった。その姿を想像してみたが上手くいかず、一体どこで泳ぎなど覚えたのかと問いかけてみようとした時のこと。

「あ」

ふとリゼルが顔を上げた。

ジャッジの正面にあるのが他の席なら、リゼルの正面にあるのは大きなガラス窓。ジャッジも釣られるように振り返ってみれば、そこには翡翠色をした冒険者が一人立っていた。

ひらりと上げられた手に、リゼルもひらりと手を振った。だが冒険者は不貞腐れたような顔で困ったように視線を流し、再びリゼルを見据えると、持ち上げていた手の指先を折るように手招く。

スタッドが真顔でリゼルを見た。リゼルが弱ったように苦笑を零してそれを見返す。

「少しだけ良いですか?」

「嫌です」

「彼、どうしても話がしたいみたいなんです。長話にはならないので」

「Sランクが貴方に何の用ですか」

盛大に駄々をこねるスタッドを、ジャッジが諫めることはなかった。

心情的には同じだからだ。久々に会えた機会で、他を優先されたくはない。けれどジャッジたちがそう思うことを知っているからこそリゼルも遠慮気味だし、そういうスタッドを知っているからこそ冒険者もガラスの向こうで待っているのだろう。

もう一度チラリと振り返れば、据わりが悪そうにうなじを掻く相手と目が合った。細い翡翠色の下から覗く、粗雑ながらも自信と渇望に満ちた冒険者らしい瞳。悩むように伏せられていたそれが、微かに眉を寄せながら持ち上げられてジャッジを捉える。

萎縮しそうになるも、すぐに詫びるように片手が上げられた。それに安堵する。Sランクと言っていたし、ジルと同じく“面と向かうと萎縮してしまうが話せばきちんと聞いてくれる人”なのだろう。

高ランクの冒険者は総じて、強者ゆえの独特の雰囲気がある。同時に、ある種の安心感もひと匙。低ランクほど相手に威圧的な態度になりがちなので、変に絡まれることはないという確信からの安心感かもしれないが。

「じゃあスタッド君も一緒に行きましょうか」

「……」

リゼルの指先が、フォークを握ったままテーブルに置かれたスタッドの手をつつく。

判断を促すように、誘い出すように、そしてほんの少しだけ甘えるように。それが随分と意外でジャッジは目を見張る。同時に、スタッドはリゼルの要望を受け入れざるを得ないだろうなと決着を悟った。

今まで甘やかされる一方だったスタッドだ。予想だにしないリゼルの言動にふいをつかれ、その真意を探るのに頭がいっぱいになっているに違いない。ジャッジだってそうなのだから。

「私は、Sランクに用はありません」

結局、自分が行ってどうなるのかという結論だけは出たのだろう。

ほぼ無意識にそう口にしたスタッドに、リゼルは誠実さを感じさせる声色で問いかけた。

「なら、一人だけ席を外すこと。許してくれますか?」

「…………はい」

「ジャッジ君は?」

「ぇ、あ、待ってます!」

渋々と頷いたスタッドに、咄嗟に頷いたジャッジに、リゼルが褒めるように目元を緩めながらも立ち上がる。そんな必要なんて何処にもないのに、そもそもジャッジらの許可なんて必要ないのに、感謝を告げながら扉へと歩いていく姿をジャッジは呆然と見送った。

店員に少し席を外す旨を告げて、リゼルが扉の向こうへと姿を消す。とはいえ消えた姿も、すぐに窓枠に収まる待ち人に合流したことで店内から窺えるのだが。

「……リゼルさんって交渉上手だよね」

「今更では」

「そうなんだけど」

窓を凝視するスタッドの圧力に押されるように、ジャッジもリゼルのほうを振り返る。

翡翠髪の冒険者と話していたリゼルがふと、こちらを向いた。偶然なのか、それとも視線に気付いたのか。どちらにせよ気に掛けられているのが嬉しくて、向けられた優しい微笑みに更に口元が緩みそうになる。

照れたように笑って、同時に向けられた冒険者の視線に慌てて前へと向き直った。相変わらず堂々とリゼルたちの姿を凝視しているスタッドは強い。盗み見を全く悪びれない。

「Sランクの人、久しぶりに見た」

「今のパルテダールにSランクはいません」

「あ、だよね。昔、爺さまの知り合いっていう人に会ったことあるけど」

ほんのりと酸味を感じる水を飲み、ジャッジはまだ幼い頃に出会った冒険者を思い出す。

冒険者というものを全身で体現しているような剛毅な人だった。筋骨隆々、大きな口を開けて大声で笑って、グラスに注ぐのも面倒くさいと瓶ごと酒を呷るような大酒のみ。武骨で巨大な剣は曖昧にしか思い出せず、時を超えての鑑定とはならなかったが、恐らく特異な迷宮品などではなかったはずだ。

大きな掌は硬くて傷だらけで、力強く撫でてくる手の温度をやけに覚えている。

「リゼルさんと真反対の人だったかも」

「同軸に立つ冒険者は存在しないのでは」

「そうかも……。もう一人、新しく貴族っぽい人が冒険者になったらどうする?」

「二人目ともなれば然して面白みもないでしょう」

面白み、という単語がスタッドから出たことに驚くも、他の冒険者のことかと思い至る。

確かにリゼルという前例ができてしまっているのだから、それほど冒険者も騒ぎ立てることはなさそうだ。なにせ数多の国を股にかけ、数多の迷宮の無茶ぶりに応えるのが冒険者。その順応性は非常に高い。

そんな彼らの意表をつくように、あるがまま行動するだけで振り回せるリゼルが特殊なのだろう。

「うん。王都の人たち、特にリゼルさんに慣れたし」

「迷宮とあの方が同列に語られるのも慣れた結果ですか」

「……あ、“迷宮だから仕方ない”のこと?」

どうだろう、とジャッジも思わず口ごもる。肯定するのも複雑だが否定もできない。

真顔でリゼルをガン見し続けるスタッドに、何と応えれば良いのかと必死に考えていたジャッジの視界に、ふと顔を真っ青にして周囲を見回す女の姿が掠めた。

先程、向かい合う男からブローチを贈られていた人だ。慌てたようにテーブルの下を覗き込み、スカートを掻き分け、必死に何かを探す様子にどうしたのだろうと心配になる。

「どうしよう、何で、ブローチがないの……!」

必死に紡がれた小声は震えていて、それには同席していた男も目を丸くする。

大切そうにテーブルに置かれていたらしい箱の、中身だけが忽然と消えたという。あまりにも奇妙な状況に、ひとまず落ちてはいないかと男も足元を探し、己のポケットへと手を突っ込んだ。

それを見て、ジャッジもさりげなく自身のいるテーブルの下を覗き込む。

「スタッド、ブローチとか落ちてない?」

「銅貨しか落ちていませんが」

「あ、本当だ……後でお店の人に知らせておくね」

男女に聞こえないよう、囁いた声には普通の声量が返ってきた。

それに気付いた男女が同時に顔を上げ、恥ずかしげに、申し訳なさそうに曖昧に笑う。ジャッジも盗み聞きしていたような後ろめたさを感じて、大丈夫だと伝えるように慌てて首を振った。

「どのようなブローチですか」

「スタッド、声小さく……っ、えっと」

男女がブローチの捜索に戻るのを確認し、ジャッジは少しスタッドへと身を乗り出して声を潜める。スタッドが興味のない話題に確認を重ねるなんて珍しいなと、僅かばかり不思議だった。

「夕日石のレプリカ……ゆらゆらした橙色の石がついたブローチなんだけど」

弁解だが、ジャッジはそれほどまじまじと男女二人を眺めていた訳ではない。

鑑定士の性か、視界に入ったそれを見て無意識に「あ、夕日石……のレプリカかな?」と思ってしまっただけだ。とはいえ他人に勝手にそんなことを思われていては嫌だろう、その自覚のあるジャッジも極力小声でスタッドへと伝えている。

「分かりました」

「え、何が……」

ジャッジが問いかける間にもスタッドは立ち上がる。

一体どうしたのかと見上げるジャッジの前で、彼は至って平然と席を離れて隣のテーブルで足を止めた。そこではいつの間にか入店していた男性客が一人、食事を待っているところだった。もしや彼の足元にブローチを見つけたのだろうかと、スタッドの突然の行動に申し訳なさを感じながら見守っていた時だ。

男性客に向かってスタッドが口を開く。

「それはレプリカらしいので盗んでも割に合わないのでは」

「うわー!」

ジャッジは身を乗り出すようにスタッドの腕を鷲掴みにした。

鬱陶しそうに見られるも、それどころではない。責めるでもなく、声を張り上げるでもなく、まるで道を尋ねるかのように平静に口にされた盗難の事実に誰もついていけなかった。

ジャッジはもはや遅いものの反射でスタッドを引き留め、男女はぽかんと口を開けて男性客ではなくスタッドを見ている。そして当の男性客はといえば、こちらも唖然と盗人疑惑をかけてきた相手を見上げていたが、すぐに狼狽えたように声を上げた。

「な、なんだお前は!」

「スタッド、待って、え、何で!?」

あらゆる意味を孕んだジャッジの問いかけに、スタッドが何を分かりきったことをと言わんばかりの声色で告げる。

「あの方が戻ってきた時にゆっくり食事ができない事態は避けるべきでしょう」

「それは、そうだけど……」

「あの方に集まる視線を利用して盗みを働くような真似は正直不快です」

「それなら、まぁ、そうなんだけど……っ」

「普通に盗んでいくところは見ていたので」

「じゃあその時に言ってよ……!」

スタッドがいつ、ブローチを盗む瞬間を見たのか。

それはリゼルが店を出ていく時だ。誰もがその姿を追った時、当然ながらスタッドもそちらを凝視していたのだが、座っている位置が位置だったので視界に入った。リゼルと入れ替わるように入店した男性客が、男女のテーブルへとすれ違い様に手を伸ばしたのを。

その時は特に何も思わず流した。何故ならリゼルを見送るのに忙しかったから。けれど落ち着いて考えてみれば、ブローチの紛失が大事になるとリゼルとの食事の弊害になるので。

「さっさとブローチを返して憲兵にでも出頭してください」

「スタッド、サルスは憲兵じゃなくて自警団……」

「なら自警団に出頭してください」

いやそういう問題じゃない、とジャッジは自分で自分に突っ込んだ。

憤ったように男性客が立ち上がる。勢いのついた椅子がテーブルの脚にぶつかる音が心臓を震わせる。思わず肩を竦め、スタッドから手を離してしまった。

あ、と思った時にはもう遅い。

「言いがかりだ、もう良い、どけ!」

動揺も露わに声を荒らげた男性客がスタッドを突き飛ばそうと手を伸ばす。

けれど、叶うはずもなく。その手は一瞥したスタッドにぞんざいに払われ、空を掻いた。スタッドの手元に冷気が舞う。けれど彼は、何かを思ったのか掌を握り締めて魔力を散らし、倒れていく男性客を見もせずにただ窓の外を眺めていた。

人一人が倒れ込む鈍い音。その合間に聞こえた呻き声に、ジャッジは強張った肩から力を抜く。

「良かった……」

ジャッジにとって、死とは身近なものではない。

けれど、スタッドならやりかねないと思っていたものだから。そう安堵の声が漏れたのは無意識のことだった。咄嗟に腕を掴んだのもそのためだ。

「あ、そうだ、ブローチ……!」

何事もなかったかのように席についてしまったスタッドと入れ替わるように、ジャッジは立ち上がった。男女を見れば、男が庇うように女の前に立ったまま固まってしまっている。

床に倒れた男性客が、その隙に逃げ出そうと足掻いた。ジャッジが慌ててスタッドに声をかける前に、厨房にいた店員が追い付いて取り押さえてくれる。そこでようやく、男性客は抵抗を諦めたようだった。

「ちょっと、レプリカってどういうこと……?」

だが直後、騒動の余韻がいまだ残る店内に震えた声が落ちる。

しまった、とジャッジの口元が引き攣った。どうやら男側はそれを隠していたらしい。

「貴方、これ本物だって言ったのに」

「いや、それは……っ」

「ち、違うんです!」

盛大に言い澱み、狼狽える男にジャッジは咄嗟に口を挟んだ。

「それ、とても良い品で! 細工も、同じ工房のジャーニーマンが丁寧に仕上げてくれてて本物と遜色ないし、夕日石もレプリカの中で最上のものを……!」

「やっぱりレプリカなんじゃない!」

「そ、そうじゃないんです……っ」

言いたいことが上手く伝えられない。むしろレプリカとしての説得力を上げてしまった。

ジャッジは混乱と申し訳なさで気を失いたかったし、男のほうも本物だと見栄を張ってしまったのは確かなので反論できない。店員も男性客もどうすることもできず、件のブローチを手に困ったように男女を窺っている。

事態は悪化の一途を辿っていた。

「っ悪かったな、レプリカで」

「なんで貴方がそんなこと言うの!」

平常心なのはスタッドだけだ。彼は我関せずと皿に盛り付けられたサラダを頬張っている。

ジャッジはもはやどうすることもできず、ただ呆然と立ち尽くすのみ。けれどそんな彼に救いの手が伸ばされた。

「大丈夫ですか?」

柔らかな温度と、優しく撫でられるのを背中に感じて、半泣きで振り返る。

「リゼルさん……っ」

「スタッド君も。泥棒退治、上手にできましたね」

「最大限加減しました」

自分も褒めろとばかりに凝視するスタッドの頭をリゼルが撫でる。

ジャッジが窓のほうを見れば、先程まで見えた翡翠色が何処にもなかった。どうやら話を中断させてしまった訳ではなく、きちんと話し終えてから戻ってきてくれたらしい。

ようやく心から安心できた気がして、リゼルの掌に促されるままに自らの席に着く。

「どうか二人とも落ち着いて。お店の人が困ってしまいますよ」

リゼルが男女二人に声をかけた。

逸らずゆったりとした声色。けれど間延びしないので聞き取りやすい。柔らかな話し方は決して気弱でなく、伝えたいことを過不足なく伝えられるのだろう。一言二言で、そう納得させるような声だった。

そんなリゼルに、男女もようやく沈着する。興奮状態の時、真横からいかにも貴族然とした男に声をかけられて一気に状況把握ができなくなったともいう。ともあれ落ち着いたのだから結果オーライだ。

「あ、ごめんなさい……その、お食事の邪魔をしてしまって」

「邪魔とかではないですよ。大丈夫です」

リゼルは穏やかに微笑んだ。

「けど、あの子の言葉は信じてあげてくれませんか? とても優秀な鑑定士なんです」

流されたリゼルの視線に釣られて此方を見た男女に、ジャッジは慌てて背筋を伸ばす。

褒められたのが嬉しくて、熱くなる頬を隠すように顔は俯けた。直後、気に入らないとばかりにテーブルの下でスタッドの爪先に攻撃され、痛みに悶える羽目となったが。

「彼が言うなら、ブローチは本当に良いものですよ。レプリカというのも偽物ではありません。手の届かないものに少しでも触れられるように、そう願われて丁寧に作られたものなんです」

「それは……」

「貴女のパートナーも、貴女に喜んでもらいたい一心で見栄を張ってしまったんでしょう」

嘘はダメですけどね、と茶化すように告げたリゼルに、男はバツが悪そうに顔を逸らした。

少しの情けなさを感じる仕草だが、彼女にとってはまた違ったのだろう。女は赤く染まりかけた目尻を緩め、くすりと苦笑にも似た笑みを浮かべる。仕方なさそうな、慈しみの籠った笑みだった。

リゼルはそれを見て、今度はゆっくりと男を見た。自分が言うまでもないことだろうけれど、と前置きをして言葉を続ける。

「彼女もレプリカではなく、貴方に嘘をつかれたことが悲しかったんだと思います」

それだけ告げて、口を出したことを謝罪して、リゼルはジャッジたちのテーブルへと戻ってきた。

そのまま何事もなかったかのように食事を再開する。何の用だったのかと尋ねるスタッドに隠しもせず答えて、あれが美味しいこれが美味しいと会話して。ジャッジもそれに加わっていたが、視界に映りこむ男女は今が最上の蜜月とばかりに見つめ合い、謝罪を口にしあい、盗人など忘れたかのようにブローチだけ取り戻して寄り添いながら店を出ていった。

良かったな、と素直に思う。

「そういえば、ジャッジ君は嫌いなものがありませんね」

「あ、食べ物はあまり……でも、あんまり辛いのは食べれなくて」

そしてジャッジは、もう何も憂うことはないと幸せな時間を存分に堪能するのだった。

その後は特にトラブルもなく、三人はサルスの街並みを楽しんだ。

ジャッジの馬車は性能の良い魔物避けをつけている。他にも色々と対策済みであるので、多少は夜の走行にも耐えられる馬車だ。とはいえ、いざという時に対応できる優秀な護衛がつけば、という註釈は必要だが。

よって行きは仕事終わりに集合し、二人で王都を出てギリギリまで馬を走らせたが、それもなるべく早くにリゼルと会いたかったから。ならば帰りはギリギリまで一緒にいたいものだから。

「そろそろ宿に行きましょうか。君たちが遊びにくるって伝えたら、宿のお婆様が随分と喜んでくれましたよ。腕に縒りをかけた夕食をご馳走してくれるらしいです」

「わ、嬉しいです……!」

「宿も探す予定でしたができれば貴方と同じ所が良いです」

「それも大丈夫、一室頼んでおきました」

帰りは一泊した翌早朝。最も出発を引き延ばした予定だ。

最初からそう決めて、手紙に書いておいたジャッジの密かな期待をリゼルは叶えてくれた。これから明日の朝までのことを想い、浮ついた気持ちに抗うことなくジャッジはふにゃふにゃと笑う。

「ジルさんとイレヴンも一緒ですか?」

「多分いると思います」

「そういえば後一人増えたらしいですが」

「あ、会いましたか?」

「えっ!?」

そうして三人は、茜に染まる水路の脇道をのんびりと歩いていった。