軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

176:後にコーヒーの淹れ方を教わる姿がある

魔法学院の研究室は、その使用者の特色が強く表れる。

例えば天井から数多の魔石がぶら下がっていたり、そこかしこが魔道具のパーツで埋め尽くされていたり、今はすっかり少なくなってしまったが魔物の骨だらけであったり。

魔法学院の研究者という地位を得たものに与えられた部屋だ。どう使おうと本人の勝手ではあるが、時に生徒の肝試しにすら使われるというのだから惨状は推して知るべし。時折、掃除を任された生徒兼助手が発狂しているのを見かけることもあるという。

そう思えば、この部屋は十分に綺麗の範疇にあるのではないか。

リゼルは読み終えた本を閉じて室内を見回した。本を貸し借りしている白髪の鳥の獣人に宛がわれた部屋。決して広いとはいえないが、床に物もなくリゼルが茶をご馳走になるスペースすらある。

とはいえ床に物がないだけで棚には溢れているし、机の上は書き損じなのか正規の論文なのか分からない紙で埋まっているが。リゼルは、それらを机の隅に寄せて片付けられたスペースに、代わりとばかりに本を積み上げていた。隣にはソーサーなしのコーヒーカップが一つ。

そんな割かし落ち着いた空間には、時折部屋の持ち主である教授の独り言が零れていた。

「そうだ、前に調べたものが確か……」

「そこ引っ張らないでって……ッもーーーーほら崩れんじゃん!」

積み上げた用紙の下のほう、はみ出た一枚を見もせずに引っ張った教授に、少年が憤りの声を上げた。息を全て吐きつくさんばかりの憤怒の声を、教授は右から左に聞き流しながらペンを動かし続ける。完全に己の世界に没頭しているようだ。

この部屋が人を招ける程度の体裁を守っているのは、ひとえに少年の努力の成果なのだろう。今も床に散らばった用紙を文句を言いながらもかき集めている。

リゼルが読書をする机のスペースを何とか空けてくれたのも、椅子から何かの魔道具をどかしてくれたのも彼だ。何ならコーヒーも用意してくれたし、リゼルが訪れた時には箒も握っていたので掃除担当でもあるのだろう。

「偉いですね」

「……別に、皆やってるし」

微笑めば、不貞腐れたような声が返ってきた。

魔法学院の生徒たちは、己の好奇心で入り浸っている者ばかり。生徒というよりも押しかけての弟子入りというほうが正しい。

よって生徒は特に決まった時期もなく勝手に増えるし、好奇心を満たしてくれる研究者について回って必然的に助手になる。ならば確かに、他の生徒たちも似たようなことをしているのかもしれないが。

「俺は片付けが苦手なので尊敬します」

「そん……、……変なの」

「最近は客人が来るようになったからか彼の掃除にも気合が入っていてね」

ふいに紙面から顔を上げた教授が、羽毛交じりの髪の下から視線を寄こす。

悪戯っぽい眼差しに、少年の紙束を握る手に力が籠った。その耳は羞恥に赤く染まっている。

「そうなんですか?」

「そ、んなことねぇし」

「コーヒーなんて、私は今日初めて出してもらったよ」

「だってさ普通じゃん! 客くんならさぁ!」

「有難うございます。歓迎してもらえるの、凄く嬉しいですよ」

リゼルは目元を緩め、まだ湯気の立ち上るカップに触れる。

視線の先では黙り込んだ少年が、紙束を元あった机の上に叩きつけるように置いた。その視線はリゼルにも教授にも合わないが、真っ赤になった頬が彼の心情を表している。

大人二人が微笑ましげにそれを眺めるなか、彼は足を踏み鳴らしながら廊下へ出ていってしまった。感情を露にする姿がいかにも子供らしくて微笑ましい。

「おや、揶揄いすぎてしまったかな」

「ちょっと大人げなかったですね」

「まぁすぐ戻ってくるよ、ゆっくりしていくと良い。コーヒーの味には目を瞑ってもらうしかないが、私が淹れるよりはよっぽど上等だろうから」

リゼルはさもありなんと笑い、先程から少しずつ飲んでいるコーヒーに口をつけた。

研究室に機材があるようには見えないので、何処かで淹れて運んできてくれたのだろう。豆は挽きすぎたのか酸味が強く、蒸らしが足りなかったのか香りも飛んでいる。けれど、きちんと味わった。

「そういえばアスタルニアの本はどうでした?」

「素晴らしいね! あそこは魔力だまりが移動しているだろう、けれど海風に守られて国内にはやってこない。その立地だけでも魅力的だというのに、この狩人の手記など魔力だまりの要因について」

リゼルは自身が本を借りる際、教授にも何冊か研究に使えそうな本を貸している。

アリムは王族らしく潤沢な資金があり、というよりも蔵書が個人のものというより国のものということもあり、ありとあらゆる本を揃えることができていた。だが学院の研究者たちは限られた予算の中でやりくりしている。

欲しい本全ては買えず、また国外の本を手に入れる機会も少ない。リゼルが幾つか見繕った本は、大喜びの教授に大歓迎を受けた。

「一度行ってみたいものだが、あそこは少し遠すぎてね」

「そうですよね。俺たちも移動手段には悩みました」

「へぇ、どうしたんだい?」

「魔鳥騎兵の方に運んでもらえたんです。ちょうど王都に来ていたので」

「ああ、少し前にサルスにも来ていたな」

よく伝手があったものだ、と感心したように教授が告げる。

彼はコーヒーを口に含むと、いっと歯を見せて眉を寄せた。いかにも苦かった、と言わんばかりの顔だ。けれど、すぐに茶目っ気のある笑みに目を細めてみせた。

「さて、小生はコーヒーの淹れ方も教えるべきかな」

「必修でもないでしょう」

「では望まれたらにしようか」

「教授は普段から飲まれるんですか?」

「そう、眠気覚ましにはちょうど良い。ああ、そういえば」

ふと、机に向かっていた教授が体ごとリゼルを向いた。

よれた白衣が捻じれるのも気にせず、履き古したズボンに包まれた足を組む。細身の彼がそうすると、まるで気取ったポーズのトルソーが椅子に腰かけているようだった。

「魔鳥騎兵といえば魔物使いの間ではなかなか有名らしいね」

「教授は専門ではないですよね」

「そう。けれど、この学院の専門家からよく聞いている」

リゼルは一度だけ目を瞬かせ、可笑しそうに破顔した。

「ガイコツ先生ですね」

「彼は話しだしたら止まらないんだ。魔鳥騎兵の話も二十回は聞いたよ」

先日、コレクションしていた魔物の骨格標本を暴走させた研究者。

骨格標本を収集しているからガイコツ先生なのか、落ち窪んだ目と欠けた頬からガイコツ先生なのか。子供のネーミングセンスというのは素晴らしいな、とリゼルは感心しきりだ。

「それは良いお話でしたか?」

「勿論だとも。結び方が素晴らしい、とね」

「結び方?」

「ああ、この言い方は魔物使いしかしないか。従属のさせ方、というのかな」

「そのあたりの魔法構成ですね」

「そう、それだ。従属魔法は支配と友好の配分が難しい。この二つの違いはパートナーの自由意思をどこまで残すかだね。魔物に自由意思を残しすぎると、どうしたって牙を向けられる」

「魔物ですしね」

リゼルは同意するように頷いた。

何もせず魔物が人間に懐くことなどない。もし懐くのなら、家畜化して素材の安定供給が図られているだろう。これが大量に手に入れば常識が変わる、という魔物素材などいくらでもある。

いや、繁殖体系が不明すぎて無理かもしれないが。そうも人にばかり都合良くはいかない。

「けれど、魔鳥騎兵は限界まで友好に傾けているらしい。それこそ、学院が把握しているどんな方法よりもね。つまり自己判断に任せられる分だけ応用が利くんだ」

「そういえば、遊んでおいで、なんて声もかけてましたね」

「素晴らしい! そういうのが難しいんだ、できることを指示するのとは訳が違う」

ちびちびと苦いコーヒーで唇を濡らしながら、教授は目を輝かせて意気揚々と告げた。

専門外とはいえ流石は研究者、未知の魔法技術には心が躍るのだろう。ガイコツ先生もそのあたりは研究に関係ないはずだが、ようは「あいつら凄ぇな」と純粋に感動した話だ。

趣味の話になると盛り上がるマニア精神ともいう。

「学院の教授が褒めていた、って騎兵の方に伝えても良いですか?」

「うん? 小生たちで喜んでもらえるのかい?」

「勿論です」

微笑んで頷けば、教授は少しばかり照れたように片眉を上げた。

サルスの研究者がやらかしたはやらかしたが、騎兵団はそのあたりを気にする面々ではないだろう。ごく一部の存在の悪行を見て、その国全ての印象が悪くなるのは往々にしてある。しかしアスタルニア国民はその手の考え方をするタイプが少なかった。

何よりナハスは間違いなく気にしない。喜んでくれそうなので、不思議な花粉を送るついでに伝えてみようかとリゼルは一つ頷いた。

「ガイコツ先生はあれから如何ですか?」

「もちろん元気だよ。コレクションも森に運んで丁寧に埋葬したそうだ」

「そうですか」

近々、冒険者ギルドで新たなコレクション探しの依頼を見るかもしれない。

リゼルはそんなことを考えながら、ふと思い出したように机に積んだ本へと手を伸ばす。

「魔物使いといえば」

何冊か積み上げた本の内、中程にある紙束を指先でなぞった。

とある研究に対する論文。何枚ものそれを紐で括っただけのそれは、学院外には出回らないものだろう。表題にある研究者の名前は、リゼルにとっても見知ったものだった。

「異形の支配者、彼もここに所属してるんですか?」

「ああ、そうだね。ここにいる研究者の中では実力も知名度もピカ一だ」

魔法学院は国営だ。

所属を正式に認められれば、国付きの魔法使いだということ。目の前の教授も同様に。

所属する利点は多いだろう。予算には困らない、とは言えないかもしれないが、出資者探しには困らない。あらゆる英知が集い、違った切り口の発想が浮かびやすく、何より最先端だろう魔道具が揃っている。

「まさか冒険者にも知られている程だとは」

「俺はいくつか研究書を読んで知ったんですけど」

「……冒険者先生は例外だと思ったほうが良いのかな。それより彼の研究書は面白いだろう。既存のものから外れて読みにくい、何故かというと彼は他人の研究書を読む必要がないから知らないんだ。他人が考える法則は既に彼の頭の中にあり、なくとも直面すれば独力で回答をはじき出せる。他人が何年もかけた結果を、たった数日で出してしまうんだ」

「その数日を無駄だと思わない方なんですね」

「というより、他人任せは性に合わないんだろうね。彼は学院で他の誰かの意見を求めたところなど見たことがない。意見を求められて忌々しげに応じるところはあったけれど」

教授の口調はあっさりしたものだ。

学院には気難しい研究者などいくらでもいるのだろう。後進を育てることに関心がなく、己の研究に没頭している者たちが。

学院と銘打ってはいるが、研究者全員が教育に携わっている訳ではない。支配者も間違いなくこのタイプだ。

「あった、というと」

「最近はあまり姿を見ないんだ。地下にある彼の研究室に閉じこもりっぱなしでね」

「あ、学院にはいるんですね」

「ここほど設備が整っている場所も他にはないだろう?」

研究者が学院にいることの何が不思議なのかと。

疑問を浮かべた教授に、リゼルはそれもそうだと微笑んでみせた。

やはり大侵攻の真相は周囲に知られていない。知らせる訳にもいかないだろう。だが処罰は必要で、けれど彼の頭脳は手放しがたい。そんな考えから、研究設備の整った地下に監禁されているのだ。

莫大な国益を生む人物は容易に切り捨てられない、という気持ちはリゼルにもよく分かる。

「話をしたい、ってお願いしたら会わせてもらえますか?」

小さく首を傾けたリゼルに、教授は驚いたようにコーヒーカップを置いた。

「彼にかい?」

「はい」

「へぇ、そうか、それは……いや、どうだろう。憧れの相手だったりするのかな」

「いえ、そういうんじゃないです」

「ああ、良かった。いや、彼は少々、いや大分、気難しい人でね」

本人に言わないでくれよ、と彼は悪戯っぽく片目を眇める。

リゼルも思わず笑みを零した。散々な対応をされて気落ちするのでは、と心配してくれたのだろう。支配者が同僚だからと態度を軟化させるタイプとは思えないので、リゼルの持つ支配者の印象と教授のそれは大きく違わないはずだ。つまり、“性格に難あり”と。

とはいえ教授も特に厭っている訳ではないようなので、彼にとっての支配者は“付き合いはないものの非常に優秀な同僚”あたりか。

「支配者さん、空間魔法について研究したことがあるんですよね」

「んん、どうかな。すまないね、小生は聞いたことないけれど、そうなのかい?」

「そうみたいです。それで少し聞きたいことがあったんですけど……」

「空間魔法、空間魔法か……。確かに、あそこに手を出す研究者は他にいないな」

何をどうしようと理解不能すぎる、という意味だ。

「教授は彼と話したことが?」

「以前に何度か、くらいだな。ああ、いや、会いにくかったと言えばそうだが。彼には取り巻きがいてね、そんな彼らも優秀な研究者だが。『師の邪魔をするな』と門前払いにされることも多かった」

「会いに行く分には自由だったんですね」

「そう、一度だけ興が乗ったのか相談に応じてもらえたな。魔力溜まりの情報と交換でね。これがまた鼻につくんだ。『これをどう思う』と聞いて何て返ってくると思う? 小生が悩みつくして解決しなかった問題を、脳みその腐ったゾンビを嘲るように『あれ以外に何がある』なんて返してくるんだよ」

まるでジョークを口にするように、教授はわざとらしいまでに皮肉っぽく告げた。

それに苦笑を返しながらも、リゼルは今更ながら納得する。大侵攻の魔物を使役できるほどの魔力をどこから持ってきたのかと思ったが、教授から聞き出した魔力だまりを利用して溜め込んだのだろう。

その時、ふと教授が横目で扉を見た。

何かを確認するような仕草にどうしたのかと思う間もなく、彼は組んでいた足を解き、膝に両肘をかけるように身を乗り出した。向けられた瞳が悪戯っぽく光っている。

内緒話だろうか、とリゼルも笑みを深めて応えた。

「ここだけの話、地下に閉じこもりっぱなしなのは謹慎だ、なんて言われていてね」

「支配者さんがですか?」

「ああ、そうだ。さっき取り巻きの話をしただろう? 少し前に取り巻きが揃って姿を消したんだが、ちょうどその頃に彼の研究室の前に近衛が立つようになってね」

近衛、王が所有する兵隊。

これは全く不思議ではない。しでかしたことを思えば監視は必須。

時期については多少ズレがある気もするが、詳細を知らなければそんなものだろう。普段から交流のない相手ならば猶更のこと。気付けば取り巻きが消えていて、気付けば近衛がついていた。周囲にはその程度の認識を持たれているらしい。

人付き合いって大切だな、とリゼルはしみじみと思う。

「取り巻きなんて全く見なくなった。一人としてね。きっと彼らが人道に反する真似をして、その責任を取らされたのだろうともっぱらの噂だ」

「支配者さん、責任者だったんですか?」

「そういう訳ではないけれど、助手がやらかしたなら無関係ではないだろう?」

教授は乗り出した上体を起こし、コーヒーを片手に肩を竦めてみせた。

「だから、もし飲めなければ小生が飲もう」

「いえ、すっかり頂きました」

「有難いことだ」

部屋の外からは軽い足音が聞こえてくる。

少年が戻ってきたのだろう。今日は授業がないのだろうか、とリゼルは今更ながらに思う。

「……失礼しまぁす」

「おかえりなさい」

「まだいる」

「はい、お邪魔してます」

「ジャマじゃないけど……」

今までは本を借りて、割とすぐに帰っていたからだろう。

少しばかり驚いたような少年は、すぐにバツが悪そうに唇を尖らせた。

すると教授がそんな彼に、そのまま生徒に問題を出す教師のように問いかける。

「今、空間魔法について話していてね。空間魔法、知っているかい?」

「知らない」

確かに魔法の中では非常にマイナーな部類だろう。

不思議そうな少年に、日常で見ることは確かにないかとリゼルは少しばかり思案する。

「物の収納に特化した魔法なんですよ」

「へぇ」

「こういうのです」

「何それすごい!」

「何だと実物があるのか!」

ポーチの中から釣竿を取り出してみせれば、少年は目を輝かせて食いついた。

駆け寄ってきて真っ黒なポーチの中を覗き込む姿は、いかにも初めて見た様子で。ついでに教授まで駆けてきて一緒に覗き込むものだから、そよそよと額を擽ってくる羽毛がくすぐったくて仕方なかった。

「教授、それで支配者さんなんですけど」

「ああ、会えるか、だったか」

意外とあっさりと教授は落ち着いてくれた。

少年はいまだに隣で目を輝かせながら、リゼルが渡した竿を出したり入れたりしているが。

明らかにポーチとつり合わないサイズのものが出たり入ったりするのが面白いのだろう。

「あちら次第、と言ったところかな」

「あちら、というと」

「支配者の異名を持つ魔法使いさ。本人が良しと言えば会える、というのは以前から変わっていない。違いといえば、今は近衛が監視としてつくくらいかな」

「割と自由なんですね」

「はは、その本人の許可がなかなか出ないのだけどね」

本人の許可というが、恐らく今は国の許可とイコールだ。

間違いなく会う相手は制限されている。本人が許して、更に近衛から上に確認が入って。

だが、わざわざそんな過程を踏まなければならない煩わしさを思えば、もはや支配者が面会を許可することはない。本人は邪魔が入らず己の研究を進められれば十分なのだから。

だから謹慎などという噂が立つ。事実だが。

「会うのは難しそうですね」

「そう、勝率は限りなく低い」

「特に俺は部外者ですし」

「うん? 君はここに問題なくいられているだろう、部外者というのは関係ないさ。まぁ、冒険者が、というのは前代未聞だけれどね」

教授はニヒルな笑みを浮かべてみせた。

それにリゼルはぱちりと目を瞬き、ふむ、と一考の後に一度だけ頷く。

「なら、試すだけなら自由ですか?」

「面会を打診してみると?」

「はい、どうすれば良いでしょう」

「ならば小生から伝えておこう。取り巻きのガードもなくなったことだ、話を通すだけなら以前よりずっと楽に違いない」

「お願いします」

会えるなら会っておこう、とリゼルは微笑んで仲介を頼んだ。

「飛び道具の冒険者、って伝えてもらえますか?」

「魔法使いじゃなくてかい?」

「彼にとって魔法使いは珍しいものじゃないと思うので」

「ああ、成程」

魔法も飛び道具には違いない、と納得している教授は知らない。

ただ少しでも興味が引ければ、と言い換えただけだろうと思っている。けれど、それが表すのは魔法ではなく。一部の人間しか知らない、伝わらない、そんな遠まわしの伝言であった。

「(それでも、応じてもらえるかは五分五分だけど)」

まぁ、応じてもらえなければそれでも良い。

リゼルはすっかりと釣竿をポーチに収め、タールを流し込んだかのように真っ黒なポーチを覗き込んでいる少年を見た。彼はそろそろと指先を入れようとして、ふとリゼルの視線に気付くと恥ずかしげにその手を引く。

「“異形の支配者”ってどんな人なんでしょうね」

「オレも会ったことないし……名前はかっこいいけど」

リゼルは借りていく予定の本を仕舞いながら、少しばかり意味ありげに口を開く。

「俺も、君に格好良い異名をつけてもらいましたけど」

「は?……っあれは違うじゃん!」

「そうなんですか?」

「あれは、だってさぁ! 違うし……」

なら何だ、と言い返されるのを危惧したのだろう。

徐々に消えていく声に、意地悪するのはやめておこうかと教授と視線を交わして微笑んだ。

支配者が良しと言えば会えるなら、特に日付を指定されることもないだろう。

なにせいつでも研究室にいるという。リゼルとしても、手が離せずとも口さえ貸してくれれば良い。よって国の判断が出る頃に、むしろちょうど借りた本を読み終えた頃に、そのついでに返答を貰えるかなと考えていた。

駄目なら本だけ借りて帰れば良いし、許可が出たならそのまま会いにいけば良い。

「(今日あたり、行きたいんだけど)」

リゼルは宿の部屋で、読み終えた本をポーチに入れながら横目で窺う。

外で早めの昼食をとり、戻ってきた部屋にはリゼルともう一人。昨晩は迷宮かどこかに出かけていたのか、朝方に戻ってきてから寝続けているジルだ。リゼルと一緒に昼食をとったイレヴンはそのまま出かけたし、クァトは今日も元気に冒険者をしている。

「(支配者さんに会うなら、俺一人でっていうのは嫌がられるかな)」

主にジルとイレヴンに。

木窓を半分だけ閉めた、明るさ控えめな部屋でううんと悩む。特に危惧すべきことはない。一人でも何の問題もないだろうが、たとえそうだとしても二人は良い顔をしないだろう。

イレヴンを連れては、恐らくあちらも平静には話し合えまい。ならばジルに同行のお伺いを立てるべきか。本当は、昨晩に伝えようと思ったのだが。

「ジル、すみません」

「…………あ?」

寝ているところ申し訳ないけれど、と枕元に手をつきながら肩を揺する。

寝起きのかすれ声も、変な時間に起こされて盛大に顰められた顔もガラが悪い。

ジルは光を捉えた目が痛んだのか、片手で目を覆うようにこめかみを揉みながら息を吐いた。そのまま仰向けになって視線をさ迷わせるのは、今がいつ頃か分かるものを探しているのだろう。

「お昼になりました」

「ああ……」

「出かけたくて」

「……何処」

彼は腹筋を使ってゆっくりと起き上がり、雑にあぐらをかきながら後ろ髪をかき混ぜた。

まだ眠気が残っているのだろう。いつもと比べても一層悪い目つきに、リゼルは癖のついた髪をちょいちょいと直してやりながら笑みを零す。

「学院に。支配者さんに会えるかもしれなくて」

「は?」

ジルの顔が微かに不快げに歪む。

その声は更に低く、少しばかりの威圧を孕んでいた。

「何で」

「聞きたいことがあるんです」

「何を」

「空間魔法について」

いかにも気に入らない、といった端的な問いかけだった。

けれど、きっとジルは駄目とは言わない、リゼルはそう思っている。彼が一歩も譲らず本気で拒絶するのなら、最初からこんな方法などとらないのだ。それをジルも理解している。

「……また大侵攻だの誘拐だの言うなよ」

「それは大丈夫です」

諦めたように立ち上がる姿に、リゼルは礼を口にしながら可笑しそうに笑った。

学院の地下は整然としており、シンと静寂に包まれていた。

まさか許可が下りるとは、と驚いた様子の教授に案内されてたどり着いた階段。そこから監視の任についているらしい兵士に先導されながら一つ下の階層へ。

ワンフロア全てが支配者に宛がわれているのだろう。彼の功績を思えば優遇されるのも当然であり、そして彼の所業を思えば隔離しておくのにも都合が良い。

「(それにしても)」

リゼルは前を歩く兵の背を見て、次いで隣を歩くジルを横目で窺う。

何だ、とばかりに微かに眉間の皺を深める姿に、何でもないと首を振ってみせた。

「よく面会の許可がもらえたな、と」

「サルスにとっちゃ要人だしな」

「高名な彼に冒険者が、って断られると思ったんですけど」

国の要人だから部外者は会えない、と断られてもリゼルは納得しただろう。

けれど許可が下りた。ヒスイの言葉どおり、サルスはリゼルたちに関して“放置”という結論に達したらしい。それでも今回、面会を許されたことについては多少、情報を精査したいなぁという下心が見え隠れするが。

国民が勝手にパルテダールとアスタルニアに喧嘩を売ったので、サルスの上層部はその弊害を防ごうとてんてこ舞いだ。

「物好きな冒険者が珍しかったんだろ」

「失礼な」

兵士と顔を合わせた際、盛大に二度見されたことを思えば否定もできないが。

「好奇心に正直なのは冒険者らしいじゃないですか」

「好奇心の方向性が違ぇよ」

「魔力を使って戦うんだから魔力について聞きたいのは当然じゃないですか」

「そこで最高峰なんて呼ばれる相手選ぶから違ぇっつってんだよ」

何はともあれ、リゼルたちが何を気にすることもない。

雑談を交わしていれば、支配者がいるだろう研究室にはすぐたどり着いた。先導する兵士が扉を開ければ、中にいたもう一人の兵士がリゼルたちの案内を引き継ぐ。二度見された。

広い研究室の中央には、扉に背を向けて立つ姿が一つ。

どうやら何かの実験中のようだ。客人の訪問にも中断することがない彼に、リゼルは特に何を思うでもなく部屋に足を踏み入れた。澱みなく動く手元は、一見こちらに気付いていないようにも思わせる。

「こんにちは」

「何の用だ」

声をかければ、支配者は振り向きもせずそれだけを口にした。

傲慢の滲む口調だった。突き放すような鋭さと、嘲るような陰湿な声。相変わらずだと微笑んで、リゼルは周囲を見渡した。何に使うかも分からない魔道具は彼のオリジナルだろうか。

兵士は扉の前に立って監視を続けている。研究の邪魔さえしなければ、支配者にとって監視などあってないようなものらしい。不快に思うどころか、意識を向ける様子すらなかった。

「貴方が空間魔法を調べたことがある、と聞きまして」

「……あの醜悪な魔法か」

「便利だと思いますけど」

「発展の余地のない分野には吐き気がする」

リゼルは好奇心のままに設備を見学し、机の上に無造作に置かれたメモに目を通す。

それも支配者は気に掛けはしない。己の手元にしか興味がないようだった。

「完成された魔法、とは貴方は思わないんですね」

「怠惰の言い訳にすら綺麗ごとを使う俗人の発想には恐れ入る」

嘲笑交じりの言葉にも、リゼルは可笑しそうに笑みを零した。

支配者は疑う余地もない天才だ。彼を天才たらしめるのはその精神性、完成を怠惰だと言い切るほどの異常な上昇志向だろう。

それは進歩の放棄であると。完成を目的とする者を理解できず、完成させてしまった者を無能と称し、進展の余地もないものを嫌悪し、進展の余地を残しながらも止められたものを嘲る。

己の研究分野において、誰よりも先を進む彼が、誰よりも終着を嫌うというのも少しばかり皮肉ではあるが。

「つまり空間魔法については、“あれはああいうものでしかない”と?」

返事はない。肯定だ。

リゼルは興味を惹かれるままにあらかた研究室を堪能し、今は何をしているんだろう、と支配者の手元を覗きに行こうとするもジルに腕を掴まれる。だが支配者は既に、リゼルやジルに大した興味もないだろう。

けれど止められたから、とリゼルは大きな机を迂回して研究者の正面に立った。

「座っても?」

「……好きにしろ」

「ほら、ジルも」

「いらねぇ」

椅子を見つけ、支配者と向き合うようにリゼルは腰かけた。その後ろにジルが立つ。

そこで支配者は初めて手元から視線を上げた。鬱陶しそうに二人を一瞥して研究に戻る。

「空間魔法使いの魔力に他との違いはありましたか?」

「ない」

「彼らが魔力を吸わせる魔石に特殊な加工は?」

「許容量が並外れている程度だ」

「体内から体外へ吐き出された魔力の差異とか」

「あるように見えたか?」

それで、何故空間魔法が成立するのか。

支配者でなくとも訳が分からなすぎて匙を投げたくなるな、とリゼルは苦笑しながら髪を耳にかける。複製などは到底叶わないだろう。インサイも商売敵が出てこなそうで何よりだ。

「なら、魔石を飲み込んだら体内に空間魔法ができるんでしょうか」

「仮定の域を出ない話だ」

「貴方の仮定なら信用に値しますよ」

「当然だろうな」

支配者の唇が歪な笑みに歪む。

彼は変わらない。大侵攻を阻まれようと、それは変わる要因にはならない。

あれは実験としては成功だ。事実、大侵攻の魔物の行動を方向づけることには成功している。これを元に大侵攻の被害を最小限に抑えられる方法が生まれれば、後世の人々は彼を英雄と称えるかもしれない。

さらに迷宮における深層級の魔物の支配も成功。別系統の魔物に連携をとらせることも成功。大多数を操作しながらの少数の精密操作も成功。従属魔法という点だけ見てみれば、飛躍的な成果を上げている。

ついには魔物だけでなく人さえも支配。この人知を超えた目標さえ彼は達成しているのだ。

支配者はやりたいことを全てやりきった。彼を彼たらしめるのがメンタルであることを思えば、刻まれた肉体的なダメージは彼を変えるに値しない。

「(あれは、ジルとイレヴンの気晴らしっていう面が強いからなぁ)」

少しばかりの懐かしさを感じながらしみじみと思う。

思い出がやや血なまぐさいものの、あれは支配者の自業自得であるので。

「空間魔法において魔石が担うのは凝縮だ」

「はい」

リゼルはそんな考えをおくびにも出さず、彼の仮説に耳を傾けた。

理解できないと言いながらも、支配者の空間魔法への理解度は他の追随を許さない。

「圧倒的な魔力を注ぎ込まれた魔石は物質としての形を失うことで疑似的な核になる。そういう性質が奴らの魔力にはあるが、計測では何の違いも現れないというのに忌々しいことだ……。そこまでの凝縮を引き起こせるほどの魔石、という意味で品質の高い魔石が使われることが多い」

「普通の魔石じゃそうなる前に砕けてしまいますね」

「運が悪ければ腹が裂ける程度だろうな」

空間魔法使いは子供の誤飲に気を遣いそうだなぁ、と何となく思う。

そんなリゼルを、また何か変なこと考えてそうだなとジルが後ろから見下ろしていた。

「魔力構成の異なる入れ物で囲むことで空間魔法は成立するが、同じ魔力を宿す体が袋の役割を果たせる可能性は低い。成功しても衰弱死することを思えば使い道もないだろう」

「失敗すると?」

「このサルスの浮かぶ湖がどうやってできたか知らないか?」

「ああ、成程」

ふむ、とリゼルは頷いた。

そして立ち上がる。聞きたいことは大体聞けただろう。

「有難うございました、支配者さん」

支配者は何も言わなかった。

リゼルはそのままジルと共に部屋を出る。もう良いのか、と何処か拍子抜けしたような兵士につれられ、地下から見慣れた学院の廊下へ。そして兵士に見送られて歩き出した。

「もう良いのか」

「はい。有難うございます」

「別に」

「あ、ちょっと教授の研究室に寄って良いですか?」

また本でも借りるのか、と呆れたようなジルを引き連れてリゼルは勝手知ったるとばかりに廊下を歩く。冒険者先生、と呼ばれるたびに物言いたげなジルの視線を向けられつつも、とある扉の前で立ち止まってノックを数回。

「入って良いよ」

「失礼します」

「ああ、君か。どうだい、有意義な話は聞けたかな」

「はい。そのことで、少しご相談が」

部屋では教授が一人で書き物をしていた。

招き入れられるままに足を踏み入れ、リゼルは座る教授の傍に椅子を持ってくる。ジルがそこらへんに積み上げてある本を勝手に捲り始めたのを尻目に話を切り出した。

「貴方の助手についてなんですけど」

「彼がどうかしたかい?」

意外な申し出に目を丸くする教授に、リゼルも少しばかり困ったように眉を下げた。

「俺、多分ですけど彼の親戚を知っていて」

「何だって?! それは喜ぶだろう、まずは彼の家族にそれを……」

「サルスを壊滅させる前に会いに行ったほうが良いと思うんです」

「うん!?」

この時点で、全てを察したジルが真顔でリゼルを見た。

「このまま魔力を使い続ければ落ち着きそうではありますけど、支配者さんの話を聞くと少し心配が残るんです。何かあった時、俺では彼を犠牲にする方法しかとれませんし」

「待ってくれ、何が」

「溜まった魔力の吐き出し方が分からないんでしょうね。そういうのを教える前にご両親が逝去してしまって、王都のご親戚もきっと何も知らなかったんでしょう?」

「吐き出す? 魔力を?」

「彼、空間魔法使いなので。ご両親のどちらかがそうだったのかな」

この後、絶句する教授にリゼルは一から丁寧に説明した。

少年が空間魔法使いの血筋だということ。それを扱う才がありそうだということ。体内の魔力が随分溜まっていて、それで上手く魔法が使えなくなっていたんだろうということ。

放っておいたら、良くてサルスが丸ごと魔力溜まりと化すか、悪ければ湖の規模で壊滅するだろうこと。子供に聞かせるにはショックだろうと考え、教授に対応を任せることにしたのだ。

「そういうのは気付いた時点で言え」

「親しくもない他人に“あの子は危険だ”、なんて言われてたら嫌じゃないですか」

ジルに文句を言われたが、リゼルもまさか本人すら自覚がないとは思わなかったのだ。

確かにわざわざ「空間魔法が使えます」と言いふらす必要もない。時期が来たら、と考えていただろう両親も急逝してしまい、残された親戚もまさに寝耳に水だろう。

だからどう、という訳ではないのだが。

「体調管理の話ですし、ご家族できちんと話し合わないと」

「体調管理……ああ、そうか、うん、そうだな」

頭を抱えた教授も、妙に腑に落ちたように顔を上げる。

子供の体調に大人が目を配る、言ってしまえばそれだけの話であった。

「体質っていうのはデリケートなことですし、俺からはあまり……」

「よし分かった! 小生がうまいこと伝えてみるとしよう。何、彼と家族になってくれたのは、少しばかり心配性な心優しい夫婦だ。伝えれば、すぐにでも空間魔法使いの下を訪れるだろうくらいにはね」

「お願いします」

流石にリゼルもサルスに滞在中、前触れもなく吹っ飛ぶような事態は避けたい。

そうでなくとも気付いたなら助言しただろうが。何はともあれ、少年と親しい大人たちが動いてくれるなら安心だ。

ああそうだ、とリゼルは思い出したようにジルを振り返る。

「ジル、あれ渡して良いですか? 黒い魔石」

「どれだよ」

「ほら、書庫の迷宮の踏破報酬で出た」

「あー……」

そんなものもあったかと思い出すように眉を寄せたジルは、すぐにあっさりと頷いた。

良かった、とリゼルが取り出したのは掌で握りこめるほどの真っ黒な魔石。少しの光も反射しない、塗りつぶしたような黒の球体を差し出された教授が首を傾げる。

ちなみに踏破報酬、というのは非冒険者には全くピンと来ないので彼も驚いてはいない。

「これ、万が一の時の為にあの子に渡しておいてください」

「魔石かい? 見たことのないものだね」

「鑑定してもらったら『空間魔法みたいな魔石』らしくて。魔力を溜め込む際限がない、もしくは認識できないほど大きいので、もし吐いちゃっても問題なく受け止めてくれると思います」

つまり、支配者が言うところの“凝縮”が起こらないということ。

でたらめに空間魔法が発動して湖ごと空間をえぐり取ることも、吐き出した魔力を吸収しきれず魔力だまりを作ることもないということだ。その魔石の価値を理解した途端、教授の羽毛交じりの髪がぶわりと膨らんだ。

「素晴らしい、革命的な魔石だ! こんな希少な、いや、希少という言葉すら足りない唯一無二ですらある、そんなものをまさか……ッ」

「良いんですよ、使い道もないですし。ね」

「これで道連れにされねぇならむしろこの使い道しかねぇだろ」

教授も思わず納得して受け取るほどの正論だった。

その後、リゼルは予定どおりに新しい本を借りてジルと共に帰路につく。

「訳分かんねぇ魔石も役に立つもんだな」

「そういえばエレメント核のグローブはどうなりました?」

「時間かかるっつわれた」

「ジルの装備はいつもそう言われますね」

「扱いきれねぇ素材持ってくんなってキレられんの何なんだよ」

「それでも何とかしてくれるんだから凄いですよね」

そう何事もなかったかのように、のんびりと宿への道を歩いて行った。