軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

171:魔法学院も割と阿鼻叫喚

夜闇が昇る朝日に色を薄め始める頃。

水の都サルスにある、とある宿の一室でジルは目を覚ました。尾を引く眠気で満足に開かない目が彼のガラの悪さを更に増すが、本人は気にせず気だるそうに寝間着を纏わぬ上体を起こす。

窓の外からは微かに活動を始めたらしい鳥の声、屋根の上からはそれらが羽休めでもしているのか小さな爪が屋根を跳ねる音、そして澄んだ空気。リゼルなどは何故いつも決まったように起きられるのかと羨ましそうに言ってくるが、こういったものを一括りにした“朝の気配”としか言いようがない。

「……」

膝の上に重なる毛布を避け、髪を乱雑にかき混ぜ、寝起きのはっきりしない思考のまま視線を隣にずらせばベッドが二つと膨らむ毛布が二つ。起きている筈がないかと小さく息を吐きながらベッドから足を下ろす。

「おい、朝」

靴を探しながら誰にともなく口を開いた。

常より低く掠れた声。大して響くような声質はしていないが、静寂の室内では十分に相手に届くだろう。まぁそれでも二つ分の毛布はぴくりとも動かないが。いつもの事だ。

「おい」

見つけた靴を足で引き寄せ、見もせず適当に足を突っ込みながら今度は明確に目の前のベッドの持ち主へ声をかける。

三台並ぶベッドの真ん中、そこで眠るのは宿に到着した日にカードゲームで負けて両端をとられたリゼルだ。別にどうしても端が良いという訳ではないのだが、選べと言われれば端を選ぶ三人なので負けた者が真ん中となる。

立ち上がりながら毛布から覗いている寝顔を見下ろせば、当のリゼルはといえばうるさいとばかりに身じろいで反対側を向いてしまう。起こしてやっているのに図々しい奴だと、特に不快でもなく内心で零してジルはベッドから腰を上げた。

「起きとけよ」

熟睡している二人の足元を通り過ぎながら一声かけ、駄目押しのようにすれ違いざまにイレヴンのベッドの脚を蹴る。振動が響いたのだろう、もはや一片の姿も見えない毛布の中から小さな呻き声が漏れた。

それを気に掛ける事なく、ジルは洗面用のタオルを手に部屋を出た。

扉が閉まる音と共に、最も扉に近いベッドの上で毛布の膨らみが持ち上がる。

「あ゛ーー……」

毛布の中で体を起こし、酷く機嫌が悪そうに声を漏らしたイレヴンは顔面を覆う髪を鬱陶しそうにかき上げた。毛布から頭を出し、無理矢理目を開いている所為か異様に悪い目つきでシーツを睨みつける。

「蹴んなっつってんのに……」

起こし方としては最低の部類に入るだろう、あまりに強制された目覚め。

ジルに言わせれば「なら自分で起きろ」なのだが、そんな事はイレヴンには知ったこっちゃない。顔を顰めながら腹の鱗を二度三度と掻いてベッドの上に胡坐をかいた。

朝の肌寒さに眉間の皺を深めながら毛布を引き寄せ、肩にかけながら俯き気味に暫くぼんやりと動かずにいる。だが落ちかける瞼に、やばい二度寝しそうだと両手で顔を覆った。

その手を前髪ごと上にスライドさせれば、露わになった視界に入ってくるのは毛布に埋まりかけているリゼルの寝顔。もはや最低ラインをさ迷っていた機嫌がにわかに上昇する。

「リィーダー」

喉から零した声は甘やかすようであったが、ジルと同じく低く掠れていた。

基本的に寝起きのガラが悪い二人だ。誰でもそんなものだろうと言ってしまえばそうなのだが、そうはならないのが目の前にいるリゼルなのだから余計に際立ってしまう。

リゼルのほうが起床が遅いのはなかなかにレアだな、とイレヴンは毛布を肩に引っ掛けたままベッドを降りる。裸足でリゼルの枕元にしゃがみ込んで、気持ちよさそうに眠っている姿を眺めた。

「リーダー起きて」

起きてと言いながらも潜められた声に、眠るリゼルが枕にすり寄るように小さく動いた。

イレヴンは小さく笑みを零し、そろそろ起きそうかもと手を持ち上げる。そして自身のほうが早く起きた時にいつもやるように、ジルに「起こす気あんのか」と顔を顰められる寝かしつけるような加減で、寝息に合わせて上下する毛布に掌を優しく跳ねさせた瞬間。

「っえ……」

「は……?」

びくりとリゼルの肩が跳ね、驚いたように目を覚ました姿にイレヴンも咄嗟に手を引いた。

何が起こったのか分からないといった、リゼルにしては珍しい顔。それを目撃できた事を密かに喜びながら、驚かせてしまったかと謝罪を口にしようとした時だ。

「……すみません、ねすごしました?」

「は? や、まだ全然、早ぇし」

目を瞬かせながら謝られ、その声色が少しばかり窺うものであった事もあり、イレヴンは引いた手を下ろすこともできずうろつかせながら否定する。何かがおかしかった。

そして互いに出方を探るような少しの沈黙が落ちる。

「え、何……何で?」

いつものように柔らかく微笑んで、褒めるように撫でながら礼を言われる筈だった。

寝起きの所為なのだろうか、いまだに十分に思考の回っていなさそうなリゼルにじっと見られながら何とかそれだけを告げる。驚きっぱなしなのはイレヴンも同じだ、いつの間にか肩から毛布が落ちているのにも気付かずに口にした疑問に返ってきたのは衝撃の発言だった。

「いえ……その、今、たたかれて」

「は?」

反射的に殺気立つ。自分の表情が抜け落ちたのが分かった。

リゼルがそれを受けたという事が理解しがたい。誰が、と身を乗り出しかけ、ふいに今までの話の流れが脳裏に蘇る。動きを止めて数秒。

「…………は!?」

思わず立ち上がり、微かに上体を持ち上げたリゼルを見下ろす。

この時点で何かすれ違いがあるなと気付き始めていたリゼルとは裏腹に、イレヴンは混乱の真っただ中にいた。叩いた。そう言った。相応の強さをもって叩かれた。そんな意味を孕んだそれ。誰が。自分だ。理解できずに立ち尽くし、何か言おうとしてしゃがみ、そしてやはり理解できずに立ち上がる。

「イレヴン、何か」

「待って」

誤解を解こうとしたリゼルの言葉すら上手く呑み込めない。

そしてイレヴンは真顔になって一度部屋を出た。後ろからかけられる声に反応を返せない事に、思考の隅にいる冷静な自分が謝罪をしているもすぐに混乱に塗りつぶされる。

扉を閉めて、廊下で立ち尽くすこと二秒。

「……は?」

彼の心情を示す一音だった。

いや部屋を出てどうすると再び戻れば、ベッドの上で体を起こしたリゼルが何かに気付いたようにこちらを見ていた。真顔のまま部屋を出て真顔のまま二秒で戻ってきたパーティメンバーを見て一体何に気付くというのか。イレヴンすら自分が何をしているのかよく分からないというのに。

「すみません、俺が誤解を」

「何で謝んの」

ベッドから降りようと足を下ろしたリゼルの前に再びしゃがむ。

そして頭を抱えた。後ろで扉が開く音がする。ジルが戻ってきたのだろう。そんな事はどうでも良い。

「た、叩い、え、俺、叩い、……」

「イレヴン、違うんです」

「え、何、何が? え、俺、叩い、は??」

何とか誤解を解こうとするリゼルと、混乱しすぎてよく分からなくなっているイレヴンの横を、何してんだこいつらと盛大に胡乱な目をしたジルが通り過ぎていく。

そしてイレヴンは勢いよく立ち上がり、両手で顔を覆ったまま真後ろへと倒れこんだ。勢いよくベッドに倒れこんだ体が一度だけ大きく跳ね、名残で揺れ続けるなかで彼は死にそうな声でその一言を絞り出す。

「……たたいたかも」

「本当に違うんです。魔力中毒で、俺の勘違いなんです。大丈夫ですよ、イレヴン」

そんな二人の後ろで、ジルは「今日は魔力濃度が高いのか」と納得しながら着替えを始めていた。

誤解も無事に解けて、三人は予定通りに依頼を受けに宿を出た。

ちなみに女将の老婦人はリゼルよりもよほど影響が強く、魔力中毒の症状による異様な眠気で起きてこられなかったらしい。夫である老輩に「これでなんか買え」と小遣いを渡されたので、朝食は馬車を待つ間に物売り船から何か買って食べれば良いだろう。

「リーダー平気?」

「大丈夫ですよ。二人は平気なんですよね」

「何もねぇな」

「俺も」

魔力量が多い者ほど魔力中毒の症状が出やすい。

リゼルだけ症状があるのは魔鉱国の時と同じだ。冒険者ギルドの魔力濃度プレートの数字はいくつになっているのだろう、なんて思いながらリゼルは水路からなるべく離れて歩く。

「きついならアレつけろよ、布」

「はい」

「やっぱ水ダメ?」

「そうですね、今日は水路に座るのは諦めないと」

可笑しそうに笑えば、二人もそれほど無理はしてなさそうだと納得したのだろう。

湖上に浮かぶサルス、その湖に流れこむ川の上流には魔力溜まりがあるという。老輩が言うにはそこで強い雨が降ると湖の魔力濃度が上がり、水路が張り巡らされたサルスも大きく影響を受けるそうだ。

とはいえ街行く人々の様子に変わりはない。魔力中毒を起こすのも魔力量の豊富な者だけで済んでいるのだろう。

「他の魔法使いの奴らも出てきてんのかな」

「迷宮に入ったほうが楽ですしね」

「言われてみりゃそうだよな」

迷宮ほど外部の影響を受けない場所もない。

そんな事を話しながら冒険者ギルドを訪れた三人が開け放たれた扉を潜った時だ。広がる光景はカオスであった。

「あーーーー無理!! 頭が地面から離れっと凄ぇ気持ち悪ぃ!!」

「今日動かねぇと今晩の飯がねぇんだよ!」

「黙って引きずられてろ!」

「禿げる……でも兜分浮くのも無理……」

パーティメンバーに両足首を掴まれ、引きずられながらギルドを出ていく者。

「愛でる……なんでも良い……動物を愛でる……」

「毛皮でも可愛がってろ」

「ぬくもりぃーーーーーー!!」

「発狂しやがった!!」

「落として馬車つめ込め!!」

獣臭い毛皮を顔面に押し付けられながら暴れまわった末に連行されていく者。

「あーーーーーもう黙ってんのマジ無理これもう本当ヤなんだけど何でお前らだけ無事なんだよつうか俺そんなに魔力あんの今初めて知ったんだけどコレマジで魔力中毒なわけ勘弁しろよ今更魔法使いやる気ねぇんだわ中毒なり損じゃねぇかマジいい加減にしろよあーーーーー無理ーーーーーー」

「うるせぇ」

「お前がそんなに喋ってんの初めて見た」

「ウケる」

「理解のねぇパーティむかつきすぎてキレそーーーーつかキレたーーーー」

初めての魔力中毒に翻弄されてどうしようもなくなってキレ散らかしている者。

周囲の冒険者らはもはや半笑いだ。それなりに理解はあるらしく、魔力中毒者のいるパーティに受付の順番を譲る光景も見られる。

魔力中毒が身近なサルス、いつかは自分もと思うと優しくなれるのかもしれない。つまりいざとなったら互いに見て見ぬふりしようぜという足場づくり。

ギルドに現れたリゼルに対しても“魔法使いなのに無症状なのは魔力が少ないからか”という視線はなく、“パッと見では分からない症状で済んでるんだなぁ”という生暖かい目が向けられていた。そもそも魔法使いではないのだが、実際に魔力中毒だし控えめな症状で済んでいるので間違いではない。

「流石はサルス、魔法使いが多いんですね」

そんな阿鼻叫喚の様相を眺めながら、ほのほのと穏やかな感想を漏らしたリゼルをジル達は無言で見た。そしてリゼルの魔力中毒がただの敏感肌である事に心底安堵した。

「じゃあ依頼を」

「いい、待ってろ」

「良い感じの見つけてくんね」

そして何事もなかったかのように依頼を探しに依頼ボードへ、と向かおうとするも止められる。人混みの中に突撃するのは辛いだろうと気遣ってくれたらしい。リゼルは礼を告げながらギルドカードを渡し、二人を見送った。

座って立つ仕草にも違和感が付きまとう為、リゼルは空いた椅子に腰かける事なく掲示物のある壁際へと移動する。何枚かの張り紙、大切に手入れをされているらしい壁掛けの鉢植え、その隙間にある金属製のプレートが一枚。

お目当ての、数値化した魔力濃度が刻まれたプレートだ。

「(“Ⅶ”……九以上は滅多にないって言ってたし、やっぱりそれくらいかな)」

ふむ、と一つ頷く。

このくらいの数字ならば国民に注意喚起する程でもないのだろう。とはいえ魔法学院はどうなっているのだろうか。在籍に魔力量の多さは関係ないが、他所と比べれば症状の出そうな者が多かったが。

「(そういえば、魔力中毒を人前で出すと怒られるって確か)」

「リゼル君」

アスタルニアで聞いた噂を思い出していれば、ふと背後から声をかけられる。

振り向けば艶やかな翡翠色の髪。彼もSランクとはいえ一冒険者、依頼を受けにきたのだろうと微笑んで歩み寄ってくる相手へと応えた。

「ヒスイさん、おはようございます」

「うん、おはよう。平気? 魔力多いんでしょ?」

「俺の症状は大人しめなので」

常より少しばかり不機嫌そうに顰められた眉が、気遣いからか僅かに深められている。

リゼルはそれを有難く思いながらヒスイの背後をちらりと窺った。依頼ボードの前では彼のパーティメンバーがランクなど関係ないとばかりに人だかりに突っ込み、他の冒険者と押し合いへし合い依頼を選んでいる。

「大人しめって?」

「敏感肌です」

「ふぅん。今つついたら痛い?」

「今日くらいなら痛いまでは行かないと」

つつかれた。

「あ、ちょっとピリピリします」

「え、ごめん。やっぱり魔力中毒って大変だよね」

「ヒスイさんのパーティは大丈夫なんですか?」

「うん。全員そんなに魔力ないし」

ヒスイの弓は魔力を用いて飛距離を伸ばせるタイプだとジルが言っていた。

それなりの魔力量があると思っていたが、特別多いという訳でもないのだろう。魔法使いでもなければそのくらいが丁度良いんだな、とリゼルはしみじみと頷いた。

ヒスイの肩越しにジル達を窺えば、早々に依頼を選んだのか受付カウンターへと向かっている。イレヴンは扉の向こうに見える水路に物売り船を発見したのか、すきっ腹を撫でながらさっさと出て行ってしまったが。

「そういえば、サルスでは魔力中毒を表に出すのは歓迎されないって聞いたんですけど」

「ああ、それね」

もう少し時間がありそうだ、とリゼルは気になっていた事を聞いてみる。

どうやら事情を知っているのだろう。ヒスイは呆れ半分、そして大して興味がないといった顔で答えてくれた。

「別に、今は誰も気にしてないんじゃない?」

「そうなんですか?」

「うん。誰から聞いたの?」

「アスタルニアで、他の冒険者の方からです」

「じゃあそいつがたまたま厄介なのに当たっただけ」

少しばかり含みのある物言いだ。

今は、というなら昔は違ったのだろうか。忍耐を美徳とする国は珍しくはない。過度にそれを強いる事さえなければ確かに美徳となり得るだろうが、そういう風潮が消え始めているというなら風習が曲解されて因習になりつつあったのかもしれない。

「考え方が古い相手は醜態扱いしてくるらしいね」

「相手を責めるのはいけませんね」

時代の変化だなぁとリゼルは感心したようにギルド内を見渡す。

古いから良い悪いという問題でもない。それを他者に強制しなければ、そして互いを否定しなければ己が何を以って自分らしくいられるかなど個人の自由だ。思想の違いこそ議論に発展を促す、というのはリゼルの自論にすぎないが。

とある異形の支配者なんかはヒスイの言う古い考え方を持っていそうだな、なんてのんびりと考えていれば、少しばかり好奇を覗かせたヒスイがふと口を開く。

「ねぇ、そのアスタルニアの魔法使いは何して怒られたの?」

「全裸になったらしいですよ」

「ちょっと、正しい人に厄介者疑惑かけたかもしれないんだけど」

怪訝そうな顔をするヒスイに、リゼルは言われてみればそうだなと頷いた。

お互い無事に依頼を受け、ヒスイと別れたリゼルはジル達と共に馬車乗り場へ。

順番を待っている間に貰ったお小遣いで朝食をとり、近場の迷宮に向かう。敢えて近い迷宮を選んでくれたのだろう、それを有難く思いながら馬車に揺られること少しだけ。

リゼルは今、緑の中をのびのびと散策している。

「おら、足」

「リーダー手、手、頑張って」

「足だけ先行くなって」

「後もうちょい、ここまで頑張って、そしたら引っ張るから」

「頑張ります」

とは、ならなかった。

迷宮の名は“巨大樹の森”。もはや小国の国土に匹敵するだろう幹を持つ巨木を、時に巻き付く巨大蔓の上を歩き、時に虫が食い進めたような迷路状の内部を歩いて攻略していく迷宮。

見上げれば太い枝と枝の間にかけられた吊り橋があり、遠くには木々の隙間を落ちていく水の帯が見える。平坦に広がる大地には崖など見えず、その水は天から降り落ちているのか、あるいは木々が汲み上げた水が何処からか漏れ出たものなのか。

縦横無尽に歩き回る必要はあるが、基本は上へ上へと向かっていく構造だ。人工物のない環境の中ではそれも難しく、リゼルは今まさに苦労して垂れ下がる蔓にぶら下がっている。

「手ぇ痛くない? だいじょぶ?」

「痛くはないですけど、握力がそろそろ」

「落ちてくんなよ」

「落ちたら、お願いします」

両手で蔓を握り、靴の底を凹凸の少ない幹に押し付けながら少しずつ登る。

頭上では先に軽々と登っていったイレヴンが洞の中で、足元ではジルが何本もの太い蔓が絡まった足場でリゼルを見守っていた。二人に比べれば遅々としたペースだろうに、いかにも何とも思っていない様子でアドバイスをくれるのが有難い。

リゼルとて冒険者なので一人で頑張れるところは頑張る。とはいえ相互扶助はパーティの基本、必要な時に借りる事には全く躊躇しないが。

「とうちゃーく。リーダー凄いじゃん。はい、手ぇ出して」

「手を」

「やっぱ良い」

落ちるのでは、と疑問を抱けばすぐさま意見を変えられた。

そういえば同じように登ったイレヴンは最後にひょいと洞の中に上がっていた。感心しながらもしっかり見ていた筈だが、同じ状況になってみると何をどうすれば手を離せるのか全く分からない。冒険者の不思議だ。

「せぇーの」

「、っと」

洞の淵にしゃがみ込んだイレヴンに両手首を掴まれた途端、立ち上がるように引っ張り上げられる。リゼルも幹に登るように一気に洞の中へと足を踏み入れた。

技だけでは斬れる魔物にも限界があるのを思えば当然だが、ジルに隠れがちとはいえイレヴンも非常に力が強い。感心したように礼を告げれば、にんまりと笑われる。

「魔法学院では『体力が必要』って言いましたけど、俺もまだまだですね」

「進めてんだから良いじゃん」

「それもそうですけど」

あっさりと告げたイレヴンに、リゼルもあっさりと返す。

そして気にはしないが頑張ろうと内心で決意を新たにした。身近な二人が規格外れすぎて、目指す“立派な冒険者像”が遥か高みにある事をリゼルは知らない。他と比べて二人が酷く優秀である事は知っているが、どれくらい違うのかを知らないのでこうなる。

「冒険者は全員、こういう所を軽々と進めるんでしょうか」

「得意苦手はあんだろ」

リゼルに続いてジルもあっという間に登ってくる。

三人揃って歩き出したのは枝の上。樹があまりにも巨大すぎて先端すら見えない枝は酷く安定していて、余程でなければ落ちる心配もないだろう。心なしか歩く部分は曲線が緩い気もする。

「でもまぁ、ここら辺まで来れんのはそうかも?」

「Cくらいですか? そういえば、アイン君も平気で屋根の上を走ってましたね」

「走りたがんなよ」

この迷宮はジルが途中まで攻略済みの迷宮だ。

階層はなく一定の高さごとに魔法陣がある。今日はその四つ目からスタートしていた。

「正直ちょっと憧れます」

「走りたがんなっつってんじゃねぇか」

「あ、リーダーあれで上行く?」

「行けそうですか? じゃあ」

上の枝に上がる道があったかと、リゼルはイレヴンが指さした方向を見る。

そこにあったのは蔓。先ほどと同じような蔓。上の枝からただぶら下がっている蔓。

一つ頷き、そして歩み寄ると力強く両手で蔓を握った。

「行きましょうか」

壁伝いなら登れたので行けるんじゃないかと思ったが当然の如く無理だった。

枝を下から上へ随分と登った頃、ふいに三人は幹に洞窟のような穴を発見した。

「これ、奥まで続いてそうですか?」

「ちょい上ってるかも」

「今までにも見たし行けんじゃねぇの」

「こんで虫ワッサーって来たら無理なんだけど」

本来の木であれば、虫に食い進められてこういう穴が開く事もあるだろう。

つまり進んでみっちりと虫が詰まっていたら嫌だなぁと三人は足踏みしていた。ジルが一人で攻略していた時に通った穴では一度もそういった事はなかったらしいが。

「ここ、虫も大きいですしね」

「魔物でもねぇのにでけぇな」

「近くで見んのきっつい」

そう、この迷宮では樹だけでなく棲み着いている動植物も全て巨大化している。

羽ばたいている自分より大きな蝶を見て「俺たちが小人になったみたいですね」とほのほの微笑んだのはリゼル。そしてその隣で「そんなロマンチックな感想でねぇよ」と考えていたのは、ひっくり返ったまま凄い勢いで暴れ回っている甲虫を目撃したジルとイレヴン。

今はだいぶ上に上ってきているので、地面に近い頃よりは目撃する頻度も減ったが。

「大丈夫ですよ。魔物じゃないし、襲ってもこないじゃないですか」

「そうだけどさァ」

「他に道もねぇだろ」

「そうなんだけどさァ!」

虫が特別苦手でもない癖に二の足を踏むイレヴンだったが、リゼルとジルが穴に足を踏み入れれば行かない訳にはいかない。確かに入らないとどうにもならない、と諦めたように後に続く。

数秒後、三人は全力で穴から飛び出した。直後その穴から無数の巨大ムカデが這い出してくる。

「ほらァーーー!! 言ったじゃん、俺言ったじゃん!!」

「てめぇは何も言ってねぇよ」

「あれはどうしようもないです」

「魔物よりムリなんだけど! 見てこのすっげぇ鳥肌!」

恐らく、たまたま通りがかった群れだったのだろう。

この迷宮の魔物以外の生物は、襲いかかってこない代わりに冒険者側からの攻撃も通用しない。よってああいう時は逃げるしかなかった。

リゼルは押し付けるように腕を見せてくるイレヴンを撫でてやりながら、わさわさと散っていくムカデの群れを見送った。昆虫特有の機能美に特化したフォルム、感情など微塵も存在しない無機質な動きは思わず目を見張るものがあって素晴らしいとは思うが。

「魔物よりよっぽど圧倒的捕食者ですよね」

「敵意もなく食いにくるからな」

巨大な昆虫と戦うような事にならずに済んで何よりだ。

ともかくこれで穴の中のムカデはいなくなっただろう。三人はそう結論付けて、今度は少しばかり慎重に天然の洞窟へと足を踏み入れた。

巨木内部の木肌にも植物は芽吹く。

リゼルは顔の大きさの蕾に触れ、そっと魔力を送り込んだ。蕾が淡く光って花開く。

ゆっくりと雌しべから零れ落ちる光の粒子に手を翳せば、それは掌の上に降り積もった。煌めく花粉を瓶にいっぱい、ただし食用なので地面に落ちたものは避けるように、これが今回の目的だ。

「これマジで食えんの?」

「食えるから食用なんだろ」

「食べてみますか?」

「えー、マズそ」

蕾を見つける度に花粉を採取すること数十回、少量しか採れないとはいえ瓶も満ちてくる。

リゼルが差し出してみれば、イレヴンは文句を言いながらも好奇心に逆らう事なく瓶の中へと指を入れた。ふわふわとした花粉の中に指を突っ込み、煌めく粉を纏わせて持ち上げる。

「この光ってんのがまたさァ」

「綺麗は綺麗なんですけどね」

折角だから、とリゼルも瓶へと指を突っ込んだ。

食用にするくらいだし、何より採取する際にイレヴンから一言なかったので特に毒があるという事もないのだろう。

しかし食欲が湧かないな、と二人は指の先で煌めく花粉を眺める。

「食材じゃなくて薬になるのかも」

「薬の材料としちゃ珍しくはねぇな」

「じゃあマズくても良いわけね」

呆れたようなジルの視線を受けながら、二人は同時に花粉を口にする。

味は特になく、代わりに広がったのはむせ返るような花の香り。料理でも香り付けに使えるだろう、チョコレート店などは喜ぶかもしれない。

イレヴンは強すぎる香りが鼻に来たのか、鼻を摘まんで天を仰いでいる。それに対してリゼルが気遣うようにいまだ香りの余韻が残る口を開いた時だ。

「くぅ」

何か変な音がしたな、とリゼルは不思議そうに周りを見回した。

鳥の鳴き声にも似たそれ。この迷宮でも枝の間を縫うように羽ばたく鳥の姿は何度も見ている。昆虫と同じく巨木に合わせた巨体は、枝を歩いている時に横を通りがかられると風圧に飛ばされそうになった程だ。

もしや今いる穴を巣穴にしている鳥でもいるのだろうか、それにしては狭い気もするが。そんな事を考えながら後ろを振り返っていた頭を戻せば、酷く奇妙なものを見る目でこちらを見るジル達の姿がある。

「……おい」

「きゅ」

はい、とそう伝えた筈だったのだが。

喉から零れるのは鳥の声。リゼルは目を瞬かせ、そしてイレヴンを見る。

「ヂッ、チチチチッ!」

慌てたように零されたのは心配の声だったのだろう。

当のイレヴンも己の喉から発せられたそれに一瞬固まり、全てを悟り、そして面白がっていた。

「きゅ、きゅく、くぅ」

「……ヂュチ、クククク」

「くーぅ、く、ぎゅ」

「ギューーーーーチチッ」

「ピーピーうるせぇな……」

リゼルは何となくイレヴンが言っている事が分かる。

イレヴンも何となくリゼルが言っている事が分かる。

分からないのはジルだけだ。狭い穴の中で何を話しているのかチュンチュンぴーぴー鳴かれるのはなかなか辛かった。同じ鳥と言っても鳴き声的に種類が違う、などと現実逃避してみるも何の意味もない。

「くぅ」

「何だよ」

「きゅ、くぅ」

「食わねぇよ」

ジルはリゼルに差し出された瓶を嫌そうに一瞥し、本当に喋れないのかと鳴き声を張り上げているイレヴンを喧しいと引っ叩く。果たしてこんな花粉に何の需要があるのか。

うまい事やれば薬になるのか食べ物になるのかは分からないが、こんな弊害があるのなら依頼用紙に書いておけと思わないでもない。少量ずつしか集まらない花粉を試しに口に入れる冒険者が今までいなかったのかもしれないが。

「ヂ、チチッ、ヂュチ」

「くくく、きゅ、ぎゅ」

話し合いの末に何が決まったのか。ジルに向かって促すように穴の先を指さしたリゼルが歩き出すのに、先に進むのだろうと後に続く。

ジルはふと、この状態の二人を魔鳥騎兵団に差し出したらどうなるのかと考えた。

必要ないという理由で翻訳扱いはされないだろう。どうしたどうしたと笑われるか、あるいは物凄く真剣に鳥扱いされるか。後者だったら引くしかないが決して否定はできないあたりが流石の魔鳥騎兵団だ。

「これ戻んだろうな」

「きゅ、きゅく、くぅ」

「……」

リゼルが何かを鳴きながら頷いた。

酷くあっさりと断言してみせるのだから理由は何処かにある筈で。持っている情報に差はないのだからとジルは数秒思案し、そしてその理由に思い至って「それもそうか」と頷いてみせた。

依頼用紙に食用と書きながらも、口にする事への注意はなかった。食べれば鳥の声が出る食材など一度も聞いた事がない。恐らくこの効果は依頼人も知らなかった事であり、ならば迷宮内限定なのだろう。

「ヂ?」

「くく、ぎゅ」

「チチッ」

つまり攻略に何かしら関係がある可能性が高い。

今まさに答え合わせしているだろう鳴き声を聞きながら、こんなものが一体何の役に立つのかとため息をつく。

その疑問も穴から出た瞬間、空飛ぶ鳥に雛だと間違われたリゼルが巣に運ばれていった事で解決したのだが。鳥も昆虫も襲ってこない代わりにこちらの攻撃も通じないのでどうにもならなかった。

「ヂーーーーーーーッッッヂュヂュヂュヂュヂュ!!」

「てめぇの威嚇音うるせぇ」

まぁ迷宮の仕様的にすぐさま危険な目には合わないだろう。

そうジル達が結論付けながらも頭上に見える巣へと急ぎ向かう頃、ふわっふわの雛の群れへと落とされたリゼルは巣穴の底に宝箱を発見していた。暖を求めてぎゅうぎゅう集まってくる雛を掻き分けながらも手にした中身は“飼っている鳥がお散歩に行っても眠くなったら必ず帰ってくる鳥籠”。便利だし希少だし人によっては物凄く嬉しいがリゼルはあまり嬉しくなかった。

「くぅ、きゅ、きゅ」

「ぴぃ」

「ぴぴっ」

「ぴっ」

少しの間だけ兄弟姉妹になった雛たちに別れを告げ、立派に巣立ちしたリゼルはその後。無事にジル達と合流して攻略を再開した。

結局、宝箱を見つけてからは大した恩恵もなくリゼル達は迷宮の攻略を進めていた。

ちなみにあの後、イレヴンも一度巣穴に運ばれている。宝箱の中身は卵の形をした宝石だった。

「ヂ、チ……あ、あー、あーー、戻った戻った」

「あ、本当ですね」

鳥の声が出ていた間も普通に喋っているつもりではあったが、少しばかり違和感の残る喉に手をあてながらリゼルは一度だけ咳を零す。

しかし唯人の喉であの音はどうやって出ていたのか。迷宮だから仕方ないが。

「お騒がせしました」

「別に」

「意外と意思疎通には困りませんでしたね」

「ニィサン最終的に口読んでたし」

リゼル達は普通に話しているつもり、つまり口はその通りに動いている。

よってジルは鳴き声が聞こえる度にそちらを向いて、集中するあまり眉間に皺を寄せながら唇の動きを読んでいた。やった事もないしできるとも思っていなかったが、やってみたら意外とできたというのは本人の談。

「あ、魔法陣見っけ」

歩みを止めないまま話していれば大きな洞を発見する。

多分あるだろうと覗き込めば、予想通りに洞の底には魔法陣が一つ。巨大な木の実や木の葉に囲まれているそれを見下ろし、イレヴンはどうするのかとリゼル達を振り返った。

「そろそろ出る?」

「そうですね。ナハスさんへのお土産もできましたし」

リゼルは小瓶分だけ余分に手に入れた煌めく花粉、それを入れているポーチに触れる。

鳥の鳴き声は迷宮内限定とはいえ、話のネタにはなりそうなので手紙を送る良い機会になるだろう。それにナハスの魔鳥は魔力の籠る花を好んでいた、もしかしたらこの花粉も気に入るかもしれない。

「お前出れんのか」

「魔力中毒ですか?」

「ああ」

「大丈夫ですよ。朝より強くなってるって事はないでしょうし」

サルス上流で降った雨は朝の時点ですでに止んでいたという。

湖に近づきたくないからとジルとイレヴンを野営に付き合わせるのも申し訳ない。一時期迷宮内で一泊してみたくて付き合ってもらったが。あれは“人魚姫の洞”の攻略に必要な事でもあったのでひとまず棚に上げておく。

けれど、やはり少し思ってしまうのは仕方がない。リゼルは眉を落として微笑んだ。

「でも確かに、今日は少し、帰りたくない気分です」

「リーダー言い方」

「まぁサルスの魔法使い全員思ってんだろうけどな」

そして戻ったサルスではすっかり魔力濃度が元に戻っており、冒険者ギルドではパーティメンバーに土下座したり自己嫌悪で死にそうになって隅で倒れこんでいたり羞恥に顔が上げられず奇声を上げている魔法使いの姿が見られたのだった。

その頃、パルテダール王都の冒険者ギルドでのこと。

「お伺いいたします。パルテダ冒険者ギルドのご利用は初めてでしょうか。それでは拠点移動の手続きと共に簡単な説明を……は?……そういった冒険者は確かにおりましたが冒険者の所在地情報についてはギルドも把握しておりませんので何の用で探しているのかだけ吐いてもらえますか」