作品タイトル不明
170:一番喜ばれる魔法
サルスの魔法学院は数人の魔法使いが集う研究所を前身としている。
過去に湖上の国を作り上げた魔法使い達の城。彼らは国の惜しみない援助を元に様々な功績を積み上げ、今なお他国に名を響かせ続ける魔法大国の礎を築き上げた。
つまり学院と銘打ってはいるが、学び舎としての役割など極一部。本質は魔力を用いる様々な事柄に対する研究施設であり、それに加えて後進の育成にも目を向けているというだけの事だった。
求める者には惜しみなく門戸が開かれる。外部から魔法技術の権威など呼べば、師弟問わずその真理を求めて詰めかける。義務などなく、ただ己の欲求の為だけに。
「本日、【冒険者の魔法使いってなぁに?~戦術運用される魔法技術を学ぶ~】の講演を任されましたリゼルです。冒険者について、一緒に勉強していきましょうね」
よって楽しげながらも優しく微笑んだリゼルを前に「あっちじゃなくて?」とジル達を凝視している参加者の中には大人の姿も普通にあった。
実戦的な魔法を研究テーマにしているのか、冒険者に興味があるのか、あるいはその手のマニアなのか。理由は分からないが好奇心旺盛なのは何よりだとリゼルは頷き、気にせず論説を始めた。
「あ、恐れ入りまぁす!」
冒険者ギルドを訪れたリゼル達を出迎えたのは、姿を見るなり逃してたまるかとばかりの満面の笑みで駆け寄ってきた女職員だった。
何かあっただろうか。先日ギルドに提出した水路図の覚え書きで何かあったのだろうか。お前の所為だろ。俺じゃないです。俺まだ何もしてない多分。一瞬の内にリゼル達は視線で無言のやり取りを交わす。
ちなみに水路の件は、その日の内に女職員によるギルド会議、もとい家族揃っての夕食時に話し合いが行われて水路図を燃やす事で解決した。見なかった事にしたともいう。
「少々お時間よろしいでしょうか……っぐ」
向き合う直前、女職員の足首が見るからにぐねった。
相変わらず真っ先に反応できる筈のジルとイレヴンは動かない。眺める姿は悠然とさえ見えた。リゼルのみが受け止めようと手を伸ばすも、やはり彼女は空中で身を捻ってそれを避ける。
受け身も身構えもせず、誰が聞いても凄惨な音を立てながら女職員は床へと叩き付けられた。打ち付けた背中をそのままに大の字で天井を仰ぐ彼女の瞳は死んでいる。
「仕事でヒールとかクソ過ぎるけどヒールがないとこの制服何っも似合わなすぎてウケる」
全ての感情を放棄したような声は少しの切なささえ滲んでいた。
彼女の姉達は受付の中から同情したようにその姿を見つめ、ギルド内に唯一いた女冒険者は涙をこらえるように目頭を押さえる。その隣では「別に似合わなくても楽なら良いじゃん」と言いかけた冒険者が彼女に痛烈な肘打ちを食らっていた。
敢えて楽な道を選ばないというのなら譲れない何かがあるのだろう。そう結論付けたリゼルが見守るなか、女職員は何の前触れもなく真顔を満面の笑みに変え、何事もなかったかのように立ち上がった。
「見苦しいとこをお見せして大変申し訳ございませぇん」
「大丈夫ですか?」
「勿論です、お気遣い有難うございまぁす。それで、少々ご相談がありましてぇ」
冒険者一同が同情するような転び方をした筈だが、彼女はその痛みの片鱗も見せない。
ならば心配するのも野暮だろうとそれ以上何も言うことなく、リゼル達は案内されるままに空いているテーブルへと向かった。冒険者で溢れる早朝ではあるが、入れ代わり立ち代わり依頼を受けてはギルドを発つので腰を落ち着ける者は少ない。
促されて腰かけ、三人は向かい合うように立っている女職員を見る。テーブルの上に少し皺のついた一枚の依頼用紙を差し出され、見下ろせば真っ先に目に入るのは魔法学院の文字。
「こちら、依頼として如何ですかぁ?」
「冒険者による魔法こーしゅー……なんか見覚えある」
「騎士学校」
「あ、それだ」
「魔法学院で不定期に開かれる講習でして、その都度ギルドから魔法使いを含むパーティを紹介させていただいておりますぅ」
ジルとイレヴンのやり取りに不思議そうにしながらも女職員は説明を続ける。
魔法学院と同じように冒険者を呼んで話を聞くこともあるのだろう。そう納得した彼女は、実際は講習どころか剣も交わすし全力で相手のプライドも叩き折るのが騎士学校であると知る由もない。
「で、リーダーにって?」
「できましたらぁ」
魔法使いだと信じて疑わない彼女に、リゼルはジル達から意地が悪そうな一瞥をもらった。
魔法が使える事に変わりはないのでリゼルも訂正はしないが、もっと剣士とか弓使いとかに間違われても良いのではないかと思わないでもない。まぁ装備が装備だし仕方ないか、とも思うが。
「これ、依頼用紙ですよね。普通の依頼として貼り出さないんですか?」
「いつもはそうしておりますがぁ」
女職員は笑顔のまま眉尻を落とす。
「学院の方から“ガーッと”や“ドラァッて感じ”、“嘔吐するみたいに”など言われても分からないという意見が度々寄せられておりましてぇ」
基本的には気合と根性で魔法を使う冒険者だから仕方ない。
リゼルも今までに何度も魔法使いと話す機会があったが、彼らはそもそも理屈も何も分からないまま魔法を使っている。それで大成したならば、ある意味天才型と言って良い。
つまり、学問として学ぶ学院関係者とは相性が悪い。リゼルともちょっと悪い。
「あー……だからリーダーね」
「話は通じるだろうな」
「俺も“気合で”とか言うかもしれませんよ」
「…………えっ」
素で驚かれた。
言わないけど、と付け加えれば女職員は安堵したように肩の力を抜く。
「強制ではありませんが、是非受けていただければとぉ」
「君達は?」
「好きにしろ」
「お好きにドーゾ」
判断を委ねられ、リゼルは嬉しそうに職員へと頷いてみせた。
折角の機会だ。魔法学院は騎士学校ほど厳格に立ち入りが禁止されている訳でもないのだが、理由もなく出入りできるような場所でもない。いつかは行きたいと思っていたので丁度良いだろう。
「でしたらすぐに用意しますねぇ、受付カウンターへどうぞぉ」
正直なところ人気のある依頼でもない。
女職員はもしかしてと声をかけてみた己の英断を内心で賞賛する。何やら変わった依頼ばかり受けているし、勝算はあると思っていたが想像以上にスムーズだった。
安堵しつつ、彼女はふいに立ち上がる三人を振り返った。
「そういえば、こちらの依頼人の方とはお知り合いですかぁ?」
「いえ、知り合いはいなくて……ジル?」
「いねぇよ。てめぇじゃねぇの」
「俺もいねぇし」
「え?」
予想外の返答に彼女は踏み出しかけた足を止める。
「依頼人の方が、『できれば冒険者は知性的なほうが良い。そうだな、品が良くて、穏やかに微笑むような、それでいて黒くて強そうな冒険者と一緒にいるかもしれない。いや、指名じゃない、そういう冒険者がいたらの話だけれどね。講習の責任者が回ってきた時はどうしようかと思ったが、“ガッとしてドカーンッ”とか言い出しそうのない冒険者がいてくれて助かった。いや、きっとそうなるだろうっていう予想だけどもね』とおっしゃっていたのでぇ」
「ほぼ指名じゃねぇか」
「学院の方だったんですね」
「何、誰? つか俺ハブられてんだけど」
リゼルは気に入らないというように不貞腐れてみせるイレヴンを慰める。
水路を流れていた相手との邂逅を説明すれば、彼は絶妙に嫌そうな顔をして曖昧に頷いていた。だから言わなかったのにと微笑み、そのまま依頼手続きへ。
こうして三人は魔法学院を訪れる事となった。
サルス国民は大抵、魔法学院に一度か二度しか足を踏み入れたことがない。
学院が定期的に開いている【魔力ってなぁに?】という授業、それに参加する為だ。魔道具が豊富なお国柄、最低限の魔力の扱いは覚えておいて損はない。
ただそれも親が教えても良いし、近所の学び舎で読み書きと共に習っても良い。
今、学院に通っている者達に共通するのは、それだけでは満足できなかったという一点のみ。入学に試験はなく、資格も必要あらず、何の強制もされないまま、彼らは自らの探求心を満たす為だけに師を求めて学院へと詰めかける。
それは昔から変わらない。研究者が便宜的に“教授”と呼ばれ、それらの体制が確立するにつれていつの間にか研究所が学院と呼ばれるようになった頃から、少しも。
つまり、学院に入り浸っている者達は例外なく学習意欲に溢れており。
「必須なのは、体力とコミュニケーション力です」
そんな彼らであっても理解できないような事を、リゼルは真面目に解説していた。
教壇に立つリゼルの隣。そこらへんの机から適当に椅子を持ってきて座っているジル達が「まぁ間違っちゃいない」と頷いている事から、参加者達はその発言が的外れなものではないと悟らざるをえない。
「それは魔法技術が二の次だという事かな?」
「前段階という意味ではそうかもしれませんね。それを発揮する場を整える、という」
「ああ、成程」
やる気の表れか、教壇の目の前には非常に見覚えのある長身痩躯の男が座っている。
そんな彼の片手を上げての質問にリゼルは悩まず答えた。
「魔法そのものも気になるでしょうけど、まずは冒険者としての魔法使い事情をお話ししますね。皆さん、あんまり接する機会がないみたいなので」
目の前から少しずれるけれど最前列。
身を乗り出すように組んだ腕を机に乗せている少年へとリゼルは微笑みかけた。彼は瞬きの少ない興味深そうな両目を微かに見開き、まるで心の内を見通されたような気恥ずかしさを誤魔化すように視線を逸らす。
冒険者に対して憧れまではいかないまでも、関心を抱いてくれたのなら何よりだ。
「君は、冒険者に魔法使いが少ないのは何故かを知っていますか?」
「……魔力量が多い奴がいない」
そのまま問いかければ、少年は戸惑いながらも澄ましたような声で告げる。
「その通りです。それは何故ですか?」
「魔力が多ければ冒険者になんてならなくても職に困らない。魔道具とか、魔石とかの魔力補充だけで十分に……別に、あなた達を批難するつもりじゃないけど」
「いえ、危険が多いのは確かなので。大丈夫ですよ」
語尾を濁す少年へとフォローすれば、ふいに目の前の男が再び手を上げる。
「攻撃の為の魔法というのはそんなに魔力消費が激しいのかい?」
「魔法学院ではそういった魔法は?」
「俗にいう“攻撃魔法”というのは研究されていないね。何せ使い道がない。据え置き型、あるいは自警団が使えるような対魔物用の魔道具が研究されているくらいさ」
それもそうだろう、とリゼル達三人は頷いた。
学院で教えたとして、喧嘩にでも使われたら目も当てられない。あっても生み出された目的が攻撃だったのか開拓だったのか、どちらが先かも分からないような魔法。つまり土木関係であったり、水操作であったりという生活圏内で用いられる魔法くらいだろう。
だからこそ、大人も子供も冒険者の魔法に興味津々なのだ。
「ただ攻撃するだけならそれほど魔力は必要ありませんよ」
「というと?」
「例えば炎を出して魔物にぶつける……当然、火傷を負わせる事ができますよね」
参加者は魔力や魔法に馴染みのある者達ばかり。
基本の説明までは必要ないだろうと、リゼルは掌の上に小さな火を灯してみせた。
「魔力を操り、構築して、炎を作ってから、魔物に投げて」
その小さな火をぺいっとジル達へと投げる。
参加者の誰もが何が起こったのか分からず声なき声を上げるなか、慌てる事なく双剣の一本を抜いたイレヴンがそれを両断してみせた。戯れるように手の中で回した剣を鞘へと戻す彼の隣では、ジルが散った火の粉を鬱陶しそうに手で払っている。
「そうして火傷を負わせるより、誰かが剣で魔物の脳天を割るほうが早いんです」
いや言い方。
そう参加者は思ったし、何ならジル達も真顔でリゼルを見た。
「それに負けないよう、分厚い毛皮や鱗に守られた相手に致命傷を与えようと思うと」
「ああ、成程。だから魔力量が求められるんだね。純粋な効率、あるいはコスト対効果の……ああ、だからコミュニケーション力なのか!」
羽ばたく直前の鳥のように羽毛交じりの髪を膨らませ、男は納得がいったとばかりに指を弾いた。
魔法というのは使おうと思ってパッと使えるものではない。求める効果に相応しい魔力で術式を構築するというプロセスが必ずあり、発動する魔法が強力なほどに手間も時間もかかる。
それは当然、魔物の牙や爪を躱しながら成し遂げられるものではなく。
「そう、魔法の準備中に守ってくれる仲間が必要なんです」
「お前いらねぇだろ」
「リーダーだからなァ」
二人による突っ込みを綺麗に流しつつ、リゼルは目元を緩めてみせた。
「俺も彼らとパーティを組む為にとても頑張りました」
ジル達にしてみれば微妙に納得しがたいものがあるが。
確かにリゼルにしてみれば話し合いのうえで同意を得てパーティを組んだだろう。間違いではない。力に物を言わせた事はなく、何かを強要した事だって一度もなく、二人も全て納得して己の意思でここにいるのだ。
ただ、それをコミュニケーション力の賜物だと言われると釈然としないものがある。
「ニィサンコミュ力でゲットされてんの?」
「てめぇもな」
「俺はさァ……あー……まぁコミュ力っちゃコミュ力……?」
二人揃ってあらぬ方向を見ながら密かに交わされた会話は、納得しづらくとも納得するしかない結果に終わった。言われてみればそうなる気も、となったからだ。
「冒険者の中の魔法使いの需要ってどうなのかしら」
「そうですね。需要は……」
口元のホクロが艶っぽい女性がひらりと手を振りながら告げる。
リゼルとて他の魔法使いと話す事で、それなりに冒険者の常識を身に着けつつある。何せ、それを参考にしての“体力とコミュニケーション力”宣言なのだから。
とはいえ、最初からジルと行動を共にしていたお陰でメンバー募集に苦労した事はない。早朝のギルドでそういった光景は見るものの、あまり気にして見た事はなかった。
どうなのだろう、と隣で並んでいるジル達を見る。
「魔法使い、どうですか?」
「いらねぇ」
「属性武器で代用できっから」
それに対して「気に入らない」と思った者もいただろう。
しかしそれ以前に、まさかのパーティメンバーに存在を全否定されたリゼルが気が気でなかった。不要発言された当の本人がほのほのしているのが全く理解できない。
「つっても武器は高ぇし属性ごとに持ち換えんのも面倒臭ぇけど」
「そもそも低ランクにその手の魔物いねぇよ」
「あー、確かに。つかもう冒険者で魔法やろうって時点で変人」
武器の性能で何とかできるジル達は他人事のように告げる。
変人とか言われてるけど、という視線にもリゼルは我関せずと頷いた。確かに低ランクで見かける魔物にゴーレムのような魔法(あるいは魔力属性が付与された武器)が必要となるものはいない。
そうなると同じランク帯の冒険者に求められる事はなく、また上位の冒険者はというと既に属性武器の一本くらいは手に入れられるので。
「つまり需要がないところに自らを売り込み、初対面の相手同士で連携をとらせながら自分を守らせられるコミュニケーション力があれば大丈夫です」
あまりの魔法使いの不憫さに参加者達は言葉もない。
どこまで想像したのか初老の研究者は不憫そうに目頭を押さえ、冒険者に淡い憧れを持っていた少年は机へと突っ伏す。そんな逆境に負けずに魔法使いをやっている冒険者に尊敬の念すら浮かびそうだった。
「……私は冒険者による講習がある度に話を聞きにきているが、どの冒険者も魔法使いに大切なものを質問すると『根性』と答えるのは」
「大切ですよね、根性」
初老の研究者は目頭を押さえたまま、今まで「もう少し具体的に説明できないものか」と不満を抱いていた己を反省する。確かに逆風に立ち向かうが如き境遇に負けず這い上がるだけの根性は大切だった。
「幸い俺は、冒険者入りしてすぐにパーティを組めたんですけど」
「リーダーは多分そうじゃなくても問題ないと思う」
「周りが引かなきゃな」
「そういや最初やばかったんだっけ」
やばいとは、とリゼルが不思議に思うより先に、面白そうに話を聞いていた鳥の獣人が身を乗り出して口を開く。
「体力っていうのは?」
「それはそのままです。立ちっぱなしで馬車に揺られて、高低差も罠もある迷宮に潜って、魔物と戦ってと体が資本なので」
「ああ、そういう事か」
「俺も冒険者になって体力がついた気がします」
まず魔物と対峙できなければ魔法を発動する事もできない。
そして力尽きてしまっては魔力も乱れに乱れて満足に操る事もできなくなる。イレヴンが「魔法使うと疲れる」というのと一緒だ。
「成程、冒険者の中で魔法使いの見分けがつきにくいのもそういった理由なのか」
「鍛えてる方、多いですよね。装備とかも特に変わりませんし」
「君は違うらしいね」
「鍛えようと思うと阻止されるので」
リゼルは筋トレを決意する度にそれを拒否してくる二人を見た。
気だるそうに座っているジルが鼻で笑い、椅子からずり落ちそうなだらしない恰好でイレヴンがにっこりと笑う。唯一強さのみを美徳とする冒険者、更に周りを体格の良い者に囲まれれば誰もが己もと望むのは道理だろう。
だがそれはそれ。リゼルの男の矜持など二人には知ったこっちゃない。
「装備は特にデザインを指定しなかったらこうなりました」
「分かるけれどね」
物凄く納得された。
動きやすいし気に入っているし良いけれど、とリゼルも気にせず姿勢を正す。
「それでは、本題の魔法のお話に入りましょう」
やはり参加者が求めるのはこれなのだろう。
今までの話もある意味興味深く、身を乗り出してしまうほど予想のつかない内容ではあったのだろうが、それとは一線を画して参加者の視線が強くなる。研究者の性なのだろうとリゼルは笑みを深め、気負うことなく彼らを見渡した。
「ご存知の方もいるでしょうが、魔法使いの冒険者、彼らの魔法は非常にオリジナリティが強いです。独学が多いみたいですしね」
早くも伝聞系である事に誰もが微かな不安を覚えるなか、リゼルは言葉を続ける。
「俺は基礎から学ぶ機会があったので、皆さんには面白みがないかもしれませんが」
「そんな事はない!! 先日の魔法は素晴らしかった!!」
「有難うございます」
男の言葉に参加者の期待が膨らむのを感じ、苦笑を零す。
次いで、さてどうしようかと思案した。先に述べた通りリゼルの魔法は基本に忠実であり、今更魔法技術の神髄を極めようとする者達に披露するようなものではない。
事実、リゼルが用いる魔法はこちらでも特別珍しいものでもなかった。
「(冒険者ならではの、実戦的な魔法技術のほうが彼らにとっては新鮮かも)」
魔力を実践的に、実用的に、汎用的に、あらゆるアプローチから活かす彼らであっても実戦的な活用だけは叶わない。とある支配者はそれを実現させていたが特異な例だろう。
「じゃあ、基本的な魔法発動から。皆さんも一緒にやってみましょうね」
低音高音、そしてイレヴン、様々な声が混じった返答が返ってくる。
とはいえ子供達の声も多いなか、最も大きかったのは最前列真ん前を陣取った男の声なのだが。別に獣人の性質とは何の関係もないだろう。
「はい、じゃあ魔力で光を出してみましょう。どういう方法でも大丈夫ですよ」
「待ってくれ、君は今タイムラグなしに発動した気がするんだが」
「前もって準備しておいたんです」
あっさりと告げたリゼルに、反応したのは魔法に造詣の深い者。
話しながら発動する程度ならば別段驚かない。魔法学院では同じ魔法を繰り返しすぎて、その魔法に限ってはルーチンワーク的に無意識で組み上げられるようになる者もいる。
しかし、リゼルの言い方が引っ掛かった。
ともすれば“準備しておいた魔法の発動を留めていた”と受け取れるそれ。まさしくそうなのだろう。それは“魔力構築が終われば自然に発動する”という魔法の定義を覆す。
必要性のなさ故に参加者の誰もが考えもしなかったが、確かに実戦では大きなアドバンテージとなるだろう。
「成程、冒険者ならではだな! 素晴らしい! わははははは!」
「恐れ入ります」
「魔法技術というより集中力、いや、思考力か? そちら方面での魔法の発展については考えたこともなかった! 是非あとで詳しい話を聞かせてもらいたいものだな!」
「では後で、時間があれば」
他の魔法使いが聞けば「できるかそんなもん」とキレる。
盛り上がる男を前にジル達はそう思ったが、口には出さなかった。
まぁ探せば同じような事をやっている冒険者もいるだろう。多分。三秒後に隕石が頭に落ちてくる可能性だって完全にゼロではないのだ。それよりは可能性がある。
「できない方は無理しないで大丈夫ですよ」
リゼルが参加者へ向けて柔らかく声をかける。
魔法学院とはいえ魔法に全く興味がなく、魔道具専門で通っている者もいるだろう。
「リーダーニィサンができませーん!」
「ジルは見学です」
イレヴンは引っ叩かれた。
それを微笑ましげに眺めながらリゼルが教室を見渡すと、慣れたように光を灯している大人が数人。そしてこれくらい簡単だと斜に構える子供、あるいは胸を張る子供達が数人。できない、と最初から分かっているのか気にせず友人の光球をつつく子供が数人。
そして一人、悔しげに唇を噛む少年が一人。
「やっぱできねぇの?」
「ちょっと前まで一番上手だったのに」
「……うるさいな」
揶揄う、というには心配の色が強い友人の言葉に少年はつっけんどんに返す。
それに対し、指導する立場であるらしい鳥の獣人が「おや」と不思議そうにそちらを見た。急に魔法が使えなくなるなど体に異常があっては大変だと、そう声をかけようとした時だ。
「お手伝いしても良いですか?」
先立って動いたのはリゼルだった。
座る少年に視線を合わせるように身を屈め、頬にかかる髪を耳にかけながら問いかける。訝しげに見上げてくる幼さの残る瞳に微笑み、握り締められた少年の掌をそっとほどいた。
「……無理に決まってるだろ、先生に聞いても駄目だった」
「先生が知らないこと、もしかしたら俺は知ってるかも」
「知らないこと?」
「魔法のコツとか」
戯れるようなそれに、少年はぎゅっと眉を寄せる。
自分は真剣なのにと訴えてくるそれに可笑しそうに笑い、そして開かれた華奢な掌をそっと握った。少年の頭のてっぺんから机に隠れた足の先まで視線でなぞり、再び睨みつけてくる瞳と向き合う。
「うん、力に物を言わせましょうか」
「魔力?」
「筋力です」
教室中の視線が呆然とリゼルへと向けられる。
まさかの筋力。今まで講習に訪れた冒険者による「魔法は気合」とまさしく同レベルだった。面白そうに傍観している者もいるが、見えずとも冒険者は冒険者なのかという微かな失望が空気に混じり始める。
それに気付いて口を開きかけたイレヴンだったが、直後に足を踏まれて無言で痛みに悶絶した。隣で呆れたようにジルが溜息をつく。
「っ離せよ」
「難しくないので。ね、一緒にやってみましょう」
「……そんなの、できるわけ」
「試すだけなら損もしないです。一回だけ、駄目ですか?」
握られた手を振り解こうとした少年は、その言葉に観念したように力を抜いた。
不貞腐れたような、気に入らなそうな、周囲の視線があるからか少しの羞恥を覚えているような。そんな目がちらりと見上げてくるのに、同意は得られたようだとリゼルも握っていた手の力を少し抜く。
「魔力、流せますか?」
「ん」
「うん、上手ですね。じゃあそれが、自分の中のどの魔力か分かりますか?」
「は?」
少年が理解できないと眉を寄せるのも道理だった。
人が手足を動かす際、一つ一つの筋肉の動きを意識しないのと同じようなもの。だが、そういった無意識の部分さえもマニュアルで行うのがリゼルの魔法だった。
結果だけ見れば特別な事をやっている訳ではないが、その過程がえげつない。他の魔法使いが賞賛以前に「よくやる……」と真顔になるのはそういった理由だった。
「君は今、手から腕あたりの魔力を使おうとしてるんですけど」
「は?」
「このあたり、魔力が弱めなんです。あ、体質なので全然悪いことじゃないですよ」
「は?」
「魔力量はとても優秀なので、それを引き出して使ってみましょうね」
「……は?」
くるり、とリゼルは少年の腕あたりを示してみせた。
今や教室に響くのはリゼルの説明と、少年の戸惑いの声のみ。参加者は皆身を乗り出し、あるいはもはや席を立って二人の周りに集まり、好奇に満ち満ちた瞳でやりとりを真剣に聞いていた。
「現金だよなァ」
「こんなもんだろ」
冒険者にとって魔法使いとはマイペースな変わり者ばかり。
研究職といえど似たようなものだろう、と二人は盛大な偏見を以って納得していた。
「じゃあ、身体の中心を意識してください」
「中心……」
リゼルが自身の腹へと掌を当ててみせれば、少年もそれに倣う。
「腹筋に力を入れて、内臓を持ち上げるように魔力の塊を胸まで持ち上げましょう」
「……塊なんて分かんない」
「そういうのがあるって想像するだけで良いですよ。大丈夫、上手にできてます。そのまま、肩に力を入れるように手まで持ってきて」
掌は腹から胸へ。
そして胸から握り合った掌へ。
移動するリゼルの手を目で追いながら、少年は自分の中にある魔力に集中した。自他問わず魔力を正確に感じ取れるようになるには経験を積むしかない、彼にはまだ無理だったがそれでも藁に縋るかのように目の前の冒険者を信じて。
「そう、それで、灯して」
「―― luz(光って)」
離されていく掌を追いかけるように魔力が溢れる。
直後、部屋を埋め尽くさんばかりの光が炸裂して阿鼻叫喚の悲鳴があがった。無事なのは寸前に目を閉じていたリゼルと、すぐさま反応したジルとイレヴン。そしてリゼルに目を庇われた少年のみ。
少年は友人の声も聞こえない様子で、呆然と光の落ち着いてきた掌の光球を眺める。
「できた……」
「頑張りましたね」
「できた!」
「はい、よくできました」
目を輝かせ、ばっと顔を上げた少年にリゼルは褒めるように微笑んだ。
痛む両目を押さえながら覚束ない足取りで席へと戻っていく周囲など目に入っていない。
「魔力の引き出し方も、調整も、慣れれば自然にできるようになりますからね」
「ほんと!?」
「本当です。頑張って練習しましょうね」
「うん!」
できた、できた、と高揚したように頬を赤くして繰り返していた少年だったが、ふいに後ろから椅子を蹴られて我に返ったのだろう。笑みを浮かべたまま振り返った先にあったのは意趣返しのようにニヤニヤと笑う友人の顔だった。
羞恥に赤くなった顔を顰め、平静を取り繕いながらも友人と言い合う少年の姿にリゼルは一つ頷いて教壇へと戻る。
「じゃあ、続きを……少し休憩しましょうか?」
「いや、大丈夫だ、素晴らしいよ、ぜひ続けてほしい」
両目がやられて目付きの悪くなっている面々はなかなかに圧巻だった。
「なら続きから。また光を灯してもらうんですが」
「こうかな」
「そう、今は手元で照らしていますね。それを今度は、そうですね……隣に座っている方の頭の上で発動してみましょう」
「うん?」
「パーティ内の魔法使いは発動まで守られるのが基本とお話ししましたけど、それだとパーティメンバーが必ず自分と魔物の間にいますよね。そういう時、魔法の始点をずらすことで戦っているメンバーの邪魔をすることなく」
言っていることは分かるが。
今日はよくよく常識が覆されるなと参加者は縋るようにジル達を窺った。現場の知恵とはいうがこれは流石に、とそちらを見た彼らの視線の先には呆れていたりケラケラと笑っていたりする冒険者らしい冒険者の姿。
色々察した。少し安堵もした。
「それに始点をずらせれば、複数の始点から同時に攻撃することも」
「待ってくれ同時発動だと! それはどうやって、いや、理屈は分かるんだ! どうやってそれを実現させているのかという、いや、思考力といった類だというのも分かっているんだ! ああそうか、体内の魔力を感覚に任せず制御することで未使用分の魔力の独立した操作が可能に」
安堵もつかの間、両手に光球を浮かべてみせたリゼルについに獣人の男が暴走する。
矢継ぎ早に飛んでくる質問に答えながらリゼルが窺い見てみれば、子供達は平然と男の暴走を眺めており、それどころか興味津々に質疑応答に耳を傾けている者が大半だった。
流石は魔法学院の生徒だ、と感心してしまう。
「あれはあれで反応が新鮮だな」
「あー……色々知ってるとこうなんのね」
大半の人々、あるいは例としては宿主。
彼はリゼルのやっていることを見ても魔法って凄いなぁとしか思わない。そして魔法ってこういうものなのかと間違った常識を植え付けられるのだ。
そして他の魔法使いが「あれできねぇの?」と言われてキレるまでが定例である。
「魔法のストックはどうやっているの?」
「それは」
「同時発動はストックしておいたものを? 並列思考で同時展開を?」
「えーと」
「もっと冒険者っぽい格好良い魔法が見たい」
「室内なので……あ、じゃあアスタルニアの男の子たちのリクエストでやってみたものを。“古より盟約で繋がりし獣よ、その眼をこの手に貸し与えよ――”」
「魔法陣かっけぇ! ただ明かり出しただけだけど!」
「黒い影がぶぁって出た! 犬みたいなの! 光も紐みたいにしゅるって! 凄い!」
「待ってくれこのエフェクトも全て同時発動の別の魔法じゃないか! 魔法発動に何の関係もない魔法陣、魔力的効果のない詠唱、流動する影、明かりに至っては帯状に泳がせていて、風まで起こしている……その全てが目的の魔法に何の関係もない! 素晴らしい! 魔法を飾る為の魔法、そんなものが存在するとは! わははははは!」
何気に凄い高等技術の連続なのよねと。
口元のホクロが色っぽい女性が零した言葉に、「そんなになのか」と平然と思うジル達もそれほど魔法に詳しい訳ではない。だが自らの力量さえ他人と比べる意味を見出さない二人にとっては、リゼルの魔法が他者とどう違うのかなど大して関心事でもなく。
「ハハハハッ、ごほっ、何あれ!」
「初見が戦闘中だったらやばかったな」
「俺ぜってぇ笑いながら魔物に食われる……!」
二人はただ、ある種のロマンを感じさせる魔法を発動させたリゼルに爆笑したり呆れたりするだけだった。
常夜灯が揺れる水面を照らすサルスの夜。
リゼルは濡れた髪を拭きながら脱衣所から出ると、宛がわれた部屋へとひっそりとした廊下を歩いた。昼間、散々質問攻めされたお陰で回転しっぱなしの思考を落ち着ける為にぬるめのお湯を浴びたのだが、気温の落ちるこの国ではすぐに湯冷めしてしまいそうだ。
食堂にあった暖炉はもう少し寒くなってから使うのだろうか。そんなことを考えながらタオルごと毛先を握り締めて水気を拭う。
彫り込まれたブドウの蔓が目を引く扉の前で足を止める。ドアノブが冷たい。
「シャワー、次どうぞ」
「んー」
部屋の中には三つ並んだベッド、書き物机が一つ、テーブルが一つに椅子が二脚。
一番手前のベッドではイレヴンが寝転がりながら何かの蔓を編み、椅子ではジルが装備のベルトを弄り回しながら難しそうな顔をしていた。
リゼルは気のない返事をしながら何かを編み上げているイレヴンへと近寄り、ぴんと伸びた何本もの蔓を曲げて輪にして潜らせてと淀みなく動き続ける手元を見下ろした。ぽとり、と彼の骨ばった手に水滴が落ちたのを見て頭を引く。
「すみません」
「んーん、平気」
「何を作ってるんですか?」
「魔物避け」
タオルを向ける前に、自らの服の腹あたりで水滴を拭ったイレヴンが「ん」と作りかけのそれを見せてくれる。このまま完成すれば綺麗な球型になるのだと予想できるそれは成程、確かに見覚えがあった。
作業を再開させた姿をしばらく眺め、魔物避けかと頷きながら書き物机へ。
通りがかりにジルを見れば、ベルトの大剣が接する部分を睨みつけながら何やら弄っている。最近よく触っているなと思っていたが違和感でもあるのかもしれない。
明日は自由行動にしたほうが良いだろう。しかしイレヴンは迷宮に行きたそうだ。どうしようかなと考えながら弧を描いた唇を開く。
「今日、たくさん魔法を浴びたからですか?」
「違ぇよ」
違うと分かっていながらすれ違い様に零せば、微かな笑いの滲む否定が返された。
リゼルは悪戯っぽく吐息を零すように笑いながら書き物机の椅子にタオルをかけ、乱れた髪を手櫛で簡単に整える。ベッドからケラケラとイレヴンの笑声が上がった。
「ニィサン一発も食らってねぇじゃん」
「イレヴンも」
「流石にど素人相手じゃなぁー」
もぞりと頭を持ち上げたイレヴンが挑発するように両目を細めた。
散々質問攻めしてくる相手の中には、冒険者による講習には毎回必ず顔を出すという初老の研究者の姿もあった。彼は国防における魔物対策を専門としているようで、水路からの侵入を防ぐような装置であったり、自警団ならば誰もが使えるような汎用性の高い魔道具を開発しているという。
そんな彼が魔道具については検証不足だと零した時にリゼルが提案したのだ。
『あ、じゃあジル達に向かって使ってみたらどうですか?』
『は』
『実際に動く相手に使ってみたほうが良いでしょう?』
そして突然の提案に唖然としている研究者にあっさりと告げた。
『怪我は心配しなくて大丈夫ですよ。当たらないでしょうし』
その言葉が研究者に火を点けた。
彼はあらゆる魔道具を手にした教え子たちを引き連れて中庭に現れ、数的有利を生かしながら攻撃・捕縛・誘導を試みたが全てジル達によって躱され、あるいは打ち倒された。
幾ら優れた魔道具とはいえ使い手は荒事の素人ばかり。そうでなくとも同じ結果になっただろうが。
とはいえ結果として十分なデータはとれたのだろう。全員酷く高揚したように改善点を話し合いながら去っていったのだから満足はしてもらえたようだ。
「おかげで、また来て良いって言ってもらえましたね」
「お前だけでも言われただろ」
「学院にとって君達の存在は、俺よりずっと希少ですよ」
「つっても的だけど」
リゼルはテーブルの空いた椅子に腰かけながら告げる。
魔法に詳しい者なら学院には幾らでもいる。あらゆる知識を修めた者も同様に。使い方に応用が利くというだけで創造には及ばない身と比べれば、それに貢献できるジル達の存在は学院の研究者にとって垂涎の的だろう。
まぁ魔法のエフェクトだの何だのは喜ばれたが。別に彼らの研究に役に立つものでもない。
「過小評価しねぇんじゃねぇの」
「しませんよ。あ、でも、俺の技術を思いもしない方法で彼らが活かしてくれることはあるかも」
「リーダーは他人だよりの評価しねぇからなァ」
「あ、そうかもしれません」
今更気付いたようなリゼルに、喉の奥で笑いながらジルが顔を上げる。
手にしていたベルトはテーブルの上に放り捨てられた。最上級素材を使って腕に覚えのある職人が仕上げたものだ、個人ではどうにもならずとも仕方がない。
触れる者が限られるのが最上級装備の唯一の欠点だなと、そんなことを考えるリゼルをジルの目が見据えた。
「やけに親切だったな」
「え?」
「魔力使えねぇガキ、教えてやってただろ」
他にも光の出せない子供がいるなかで、一人の少年にだけ手を貸した。
一人だけ悔しげにしていた。できる筈ができなくなっていた。確かに一人だけ何らかの事情はあっただろうが依頼内容は教師ではない。手を貸す必要はなかった。
「彼は、だって」
問い詰めるでもない、ただの何気ない疑問であったジルへとリゼルは苦笑する。
「もし暴発すればサルスが壊滅しそうだったので」
「あ?」
ジルが怪訝そうに眉を寄せ、イレヴンががばりと上体を起こした。
「巻き込まれたくないでしょう?」
「……まぁな」
「は? 何、あれだったりする? 何だっけ、魔王?」
「まさか」
思わず物語の悪役を口にしたイレヴンにリゼルは可笑しそうに笑う。
そしてそのまま椅子にかけていたポーチから本を取り出して読書を始める姿に、ジルもイレヴンも訳が分からないとばかりの視線を暫く注いでいたが、まぁ壊滅が回避されたなら良いかと各々の作業へと戻っていった。