作品タイトル不明
155:互いに居ると出来ない事をする
とある善人を最愛の娘の元へと送り届けた帰り道。馬車旅は再び始まった。
帰りは“亡霊の森”を通らず帰る予定だったが、一刀の存在により危ない賭けでもないだろうと尻の痛みが限界を迎えた片手剣使いから一言が出た。結果、厳密なる報酬交渉が行われ、“まぁ良いけど”と頷いたジルにより行きと同じ道順がとられる事となる。
「そういやさぁ」
馬車の中、やや前かがみになって尻を浮かせながら片手剣使いがジルを見る。
「貴族さん、剣おぼえんの?」
「何だそりゃ」
突拍子のない発言に、槍使いが木の実を噛み潰しながら口を開いた。
娘の誕生日を無事に祝い、ほくほくとして御者席に座る依頼主の妻から貰った木の実だ。曰く、“夫が無茶を言ったお詫びに”とのこと。大変酸っぱいので眠気覚ましに効果抜群だと御者たちに重宝される。
「あんだけ魔法で戦えりゃいらねぇだろうよ」
「まぁ、普通は魔法使いでも最低限使えるようにはなる筈だけどね?」
「寄られりゃどうしようもないからね」
全く心当たりのないジルが視線だけを返す中、槍使い達パーティの話が盛り上がる。
確かに、魔法使いも最低限の自衛手段は持つ。不慮の事故で魔物に迫られる事があれば、いちいち詠唱などしてはいられない。一撃、二撃さえ凌げれば良いのだ。後は仲間が何とかしてくれる。
「お前さんと獣人がいりゃ、心配はねぇだろうが」
木の実が酸っぱすぎたのか、眉間を揉みながら槍使いがジルを見た。
「ナイフの一本でも持たせとけよ」
「持ってる」
「お、意外だな」
ジルとて、リゼルまで魔物を通すつもりは微塵もない。
また、リゼルのことだから魔力防壁をいつでも発動できるように準備しているだろう。その上で魔銃をパンパンしている筈だ。
「つっても意味はねぇな」
「なかなか、咄嗟にナイフに手は伸びないよねぇ」
「練習しようにも機会がねぇんじゃなぁ」
自分も苦労した、といわんばかりの魔法使いが腰に差した短剣を触る。柄を握る手つきに違和感はなく、何度も使い込んでいるのだと伝えてきた。
ジルはふと、リゼルにナイフを持たせた時の事を思い出す。持たせたと言うよりは、魔法使いは大抵持っていると伝えたら持ちたがったと言うべきか。どうやって腰につけるのかと、鞘を握って手をうろうろさせている姿に全てを諦めた。
「少しくらい教えてやったらどうだ?」
「向いてねぇよ」
「ハハッ、確かにな」
カラカラと笑う槍使いも、本気で言った訳ではないのだろう。
「ま、おたくの教育方針に口出す気はねぇさ」
「や、つっても本気で貴族さん剣の練習してたんだって!」
片手剣使いが、見間違いじゃなかったと力説する。
彼は片手を前に伸ばし、そして肘から先を上へと曲げた。そして何度も繰り返し振り下ろしてみせる。
「マジでこうやってさぁ、依頼の列に並んでる時にやってんの俺見たし!」
「それ本当なの?」
「マジだって!」
知るかとジルは言いたかった。しかし知ってる。心当たりが凄くある。
リゼルは選ばれし者になりたいのだ。その為に努力を惜しまず、日々邁進している。とある迷宮の釣竿を見事引き抜く為に、それを成し遂げたという依頼人にコツまで聞いて。
何がそれ程リゼルを駆り立てるのかジルには全く理解できないが。
「だよなぁ、一刀!」
「……知るか」
しかしそれをわざわざ説明するぐらいなら、全くもって向いていない剣の練習だと勘違いされたままで良い。リゼルが釣りに嵌るなど外聞が云々、などとは一切関係ない。事実なのだから別に良い。ただ一から口に出して説明したくない。
本当だ本当だと騒ぐ片手剣使いの声に眉を寄せ、ジルは長い馬車旅に備えるように目を閉じた。
その頃、リゼルは依頼を受けようとギルドを訪れていた。
「あ、そうなんですか?」
「はい」
スタッドに依頼の受諾手続きを頼む中、いつも通りとりとめのない会話を交わしていた時だ。そういえば最近ジルの姿を見ないなと何となしに零せば、他パーティと合同で依頼を受けているという。
珍しい事もあるものだと目を瞬かせ、そしてリゼルは察した。ジルが同行していてイレギュラーが起こる事などまずあり得ない。ならば今日までの三日か四日、もしくはそれ以上かかるのは予定通りという事で、つまり自分はきっとジルから一言かけられている。
「スタッド君のお陰で助かりました」
「……?」
ジルが帰って来る前に気付けて良かったと密かに安堵し、スタッドの頭を撫でる。
礼の意味は分からなかったようだが、大人しく撫でられてくれていた。貰えるものは遠慮なく貰っておく彼に、素直な事だと微笑ましくなる。
それでもスタッドの手は澱みなく動いているのだから流石だ。
「(多分、返事もしてるはず)」
後ろに並んだ冒険者がそんなスタッドから全力で目を逸らし、冷や汗を流しながら何気ない雑談を大声で装っている声を聞きながらリゼルは一人頷いた。
ジルが寝ている人間に声をかけ、それで目的を果たしたなどという真似をする筈がない。それなら最初から声などかけずに出発すれば良いのだから、ならば自分は何かしら応えたのだろう。寝惚けていたとはいえ、全く記憶にないのが不思議だが。
「終わりました」
「有難うございます」
手続きの済んだギルドカードを受け取り、スタッドへと礼を告げる。
見上げて来る瞳に微笑み、そして混む時間帯だからと早々に受付前からどいた。ギルドを出て行くパーティらの波に乗り、そして外へ。
「リーダーあんがと」
「お待たせしました」
リゼルはギルドの外で待っていたイレヴンと合流した。
今日は二人で冒険者活動だ。自由気ままに迷宮に潜りに行くジルなので、捕まらない時も度々ある。そういう時のリゼルは一人で依頼を受けたり、イレヴンを誘ったり誘われたりして依頼を受けていた。
「そういえば、ジルは合同依頼の真っ最中みたいです」
「は? めっずらし」
「ですよね」
ジルを伴ったパーティが予想通りなら、心当たりが無いことは無いのだけれど。リゼルはそんな事を思いながら、本日の依頼である【楽団の打楽器担当が足りない】の集合場所へイレヴンと並んで歩く。
ちなみに音楽的技術は必要ないそうだ。募集内容にも“適当で良いからとにかく叩け”とあったので、音の賑やかしが欲しいのかもしれない。ちなみにこの依頼を見つけたリゼルに、イレヴンは“ヴァイオリン弾ける癖に”と思った。
「それ、本当に聞いてないんスか」
「多分聞いてます」
ほのほの微笑むリゼルに、イレヴンは全てを察してけらけらと笑う。
リゼルの寝起きの悪さは彼も知るところ。その相手がジルともなると余計に悪くなるのだから、寝ぼけて覚えてなくとも仕方がない。
「ニィサン折角言ったのにー」
「内緒ですよ」
「はいはい、ナイショ」
そして二人は互いに悪戯っぽく笑い合い、王都の街並みを歩いて行った。
ついに尻が死んで、狭い馬車内で横たわる片手剣使いをジルはふと開いた目で見下ろした。
恐らくリゼルも普通の護衛依頼ならばこうなるのだろうなと、ぼんやりと思う。手製のクッションも持っているとはいえ、何日も乗っていれば尻も腰もやられるだろう。
ジルが平気なのは、慣れとしか言いようがない。馬車に限らず迷宮に泊り込んだ時も固い地面に座って休む。とはいえ、気分が滅入らないかと言われれば別だが。
「貴族さん、こんな依頼受けたことないでしょ?」
偶然だろうが、狙いすましたようなタイミングで魔法使いから声がかかる。
「まぁな」
「おいおい、こんなって言ってやんなよ」
極々普通の護衛依頼、むしろ依頼人と気心が知れている分やりやすい依頼だ。
槍使いの言葉にジルも内心で同意を示し、知らぬ間にずれかけていた基準を修正する。そう、これが普通だ。何度か護衛依頼を経験している癖に、一度も安馬車の被害を受けた事がないリゼルがおかしい。
「嫌がるからな」
「貴族さんが?」
「周りが」
言葉短かに答えたジルに、誰もが納得する。
同じく、「あー」と声を上げながらもぞもぞ身じろいだ片手剣使いは、丸まっていた体を僅かに伸ばそうとした瞬間に魔法使いに阻止された。ぐいぐいと靴底で伸びかけた足を押され、再び小さく丸まっている。
「本人はやりたがってるのかい?」
「そこそこ」
「珍しいこった」
槍使いが笑う。
正確には積極的にやりたがっている訳ではないが、冒険者として一度はやった方が良いだろうとリゼルは思っている。馬車旅に関してはジャッジの護衛で経験したので、それなりに満足しているようだ。
「護衛が売りだろ」
「得意と好きは別だからな。俺としちゃあ、魔物とガンガンにやり合いてぇもんだ」
得意と好きが一致しているジルにはいまいち理解しがたい。
とはいえ、槍使いパーティも魔物相手に実力が不足するという事はないのだろう。むしろ受ける依頼の傾向が戦闘特化であるアイン達でさえ、彼らには余裕で捌かれてしまう筈だ。
全ての分野で優秀という、冒険者としては珍しいパーティだった。
「あんたと、あの獣人は分かるけど」
馬車内の紅一点、弓使いが気負いなくジルを見る。
「貴族さんの好きな依頼はいまいち読めないね」
「ああ、色んなの満遍なく受けるよね」
「あのEとかFとか受けんの何で?」
「ありゃあ趣味だって結論になっただろ」
何故受けた依頼が知られているのか。そして一体どこの界隈で趣味という結論に達しているのか。時折それを耳にする度、ジルは内心で突っ込んでいる。
否応なしに目につく存在なので、噂になるのは仕方がないとは思う。しかし噂の内容がおかしい。冒険者の噂によくある“生意気だ”や“目立ちやがって”がリゼルに関しては何故か大半の噂で伴わない。
そして逆に冒険者らしい“強ぇ”や“凄ぇ”も伴わない。もはや何が噂されているのかも分からない状態だ。
「受ける依頼偏るとランク上がらねぇって言ってある」
「へぇ、頑張ってるんだね」
赤い唇で弧を描き、弓使いが頷いた。
弓使いらパーティはリゼルが冒険者になった時から、ずっと王都にいる。だからと言ってこの成長を見守るような目は、大の大人に対してどうなのかとは思うが。
「最初はお貴族サマの道楽かと思ったがなぁ」
「貴族だったらギルド入れねぇじゃん」
「そりゃそうだが」
今のリゼルを見て、道楽だと笑う者はほとんど居ないだろう。
確かにどの依頼も楽しそうに受けているが、本人は立派な冒険者のつもりでいる。依頼に手を抜く事もない。ランクアップを目指して頑張っている。やっている事も、他の冒険者と然して違いがある訳ではない。
「まぁどう見ても貴族だけど」
それだけがリゼルの冒険者らしさを根こそぎ奪っていくのだ。
寝転びながら会話に参加する片手剣使いの一言に、槍使いらが同意するように頷いていたのは言うまでもない事だろう。
流れの楽団と合流したリゼル達は、早速とばかりに楽器の元へと案内されていた。
「これが今日使ってもらいたい楽器だ」
「何コレ」
「不思議な楽器ですね」
現れたのは、二本の木の板に金属の板が幾本も打ち付けられた板だった。
板はそれぞれ長さが違い、左から右にかけて徐々に長くなっている。それが机の上に二つ。そしてその間には四本の細くて真っ直ぐな木の棒が転がされている。棒の先端には、丸い木の球がくっついていた。
レトロで不思議な雰囲気の楽器だ。
「これをこうして」
案内してくれた楽団の指揮者だという男が細い木の棒を手に取り、先端の丸い球をタンッと金属の板に打ち合わせた。
すると、コーンッと見た目からは想像できない程の澄んだ金属音が広場に響く。彼はキンッ、カーンッ、と何度か打ち合わせ、そして端から順番に叩いた。やや形の不揃いな金属の板は球を当てる場所によって様々な音を立て、その音は徐々に高くなる。
「私たちが今回演奏するのは“鉱員たちのうた”。これでキンコンカンコン鳴らして、採掘っぽくしたくてな」
「成程」
「おー」
リゼルは棒を手に取り、一度だけ板と打ち合わせてみせる。イレヴンは早速両手に持ってめちゃめちゃに打ち鳴らしていた。澄んだ美しい音色のお陰で、それだけでもそれなりの曲に聞こえてきそうだ。
「初めての試みだし、急遽作ったものだが」
「それ楽器って言えんの?」
「一つでも音が出れば、何でも楽器だろう」
指揮者の男が、皮肉るように片頬を歪めた。
その通りだとリゼルも微笑む。音階もめちゃくちゃの、鉱石を辛うじて鍵盤のように見せかけただけのもの。だがそれでも、楽団員が自らの楽器とこれとの間に優劣をつける事などなく、同じ楽器だと笑って見せるのだろう。
「これ、適当に鳴らすって言っても本当に好き放題じゃダメですよね」
「ああ、この後リハーサルもある。その時に、おおまかな流れだけは説明しておこう」
「あんまムズいと俺ムリなんだけど」
そしてリゼル達はそのリハーサルが始まるまで、キンコンと担当の楽器を鳴らして遊んでいた。
馬車旅は順調だ。半日ほど走り続けているが、魔物には一度も出会わない。
行きはスピード重視で色々と突っ切ったが、帰りはそうでもないからだろう。魔物の生息地などは緩やかに避け、昼食以外で馬車を止める事なく進む事が出来ている。
その御者席では相変わらず依頼人が愛娘の笑顔を思い出して顔が蕩けているし、その中では時折誰かが言葉を交わしていた。
「お前さんの砥石、そりゃ何処のだ?」
「知らねぇ、爺に買わせた」
「俺にはダマスカスに見えんだが」
「じゃねぇの」
「本物かよ」
ふと速度を緩めた馬車が、カタンと小さく揺れて止まる。
ジルと槍使いが武器の手入れを止め、目を閉じていた魔法使いと弓使いが顔を上げ、そして一番楽な体勢を求めて何故か馬車の後ろに手をかけて地面を激走していた片手剣使いが軽く肩で息をしながら周りを見渡した。
ぞわりと、背筋を撫でるような小さな悪寒。見ずとも分かる、“亡霊の森”に辿り着いたのだ。
「おっ、着いたか」
槍使いが狭い車内で立ち上がり、馬車の幌から下がるロープへ手をかけた。
引けば幌が畳まれる。弓使いもそれを手伝い、馬車は荷車と変わらない形となった。ただでさえ神出鬼没なゴースト達が相手、視界など三百六十度あっても足りないぐらいだ。
遮るもののなくなった御者席へ、槍使いは足をかけながら身を乗り出す。
「よう、行きと同じように突っ走れよ」
「……行きは無我夢中だったが、まじまじと見ると怖いな」
「なーに、俺らがついてりゃただの森だ」
依頼人の声に、彼はカラカラと笑った。
そしてジルも頭上に広がった青空を見上げ、立ち上がる。森を突っ切っている最中は座る暇などない。手入れをしていた剣を握り、気負いなく体の横に下ろした。
前方を見れば、相変わらず昼間にも拘らず暗い森が広がっている。
「まぁ、行きにデュラハン二体やってるし」
片手剣使いが馬車へと軽く飛び乗りながら言えば、弓使いが呆れたように口を開いた。
「アンタ知らないのかい。あれは直ぐ復活するよ」
「マジで!?」
「本体を斬った訳じゃないからね」
確認する様に此方を向いた弓使いに、ジルも投げやりに頷いてみせた。
デュラハンは馬に乗る首無し騎士に致命傷を与えなければ倒せない。馬に決定打を与え、機動力を落とし、それから本体へとかかるのが安定した倒し方か。先日は逃げ切り重視という事で、馬を仕留めるだけに終えた。
「じゃあ首がねぇ馬が襲い掛かってくんの?」
「ありゃ五分もすりゃ生えるよ」
「ゴースト半端ねぇー……」
行儀悪くしゃがみ込み、嫌そうな顔で零す片手剣使いをジルは一瞥した。
リゼルに慣れてしまうと、いかにも“興味深い”と楽しそうな反応が出ない事に物珍しさを感じてしまう。やっぱあいつおかしいなと内心で呟き、動き始めた馬車に微かに足裏に力を籠めた。
この辺り控えめ、この辺り激しめ、というざっくりとした説明を貰いながらのリハーサルも無事に終わり、リゼル達はそろそろ本番を迎えようとしていた。
中心街前の広場。その端に楽器が並べられ、しかし特別ステージは用意されていないラフな演奏会だ。楽団自体、趣味で楽器に触れる者達の集まりであるらしいので、これで充分なのだろう。
「客増えてきたッスね」
「リハーサルの甲斐がありましたね」
聞こえて来た音色につられ、そしてそんな人々に通りがかりの者達がつられ、楽団の周りには軽い人混みが出来ていた。近くにある露店や喫茶店にも折角だからと客が増え、徐々に賑わいを増している。
各々楽しそうに最終調整に入っている楽団員たちを眺め、ふとリゼルは口元を綻ばせた。
「“鉱員たちのうた”らしいです」
ステージは無いが、広場の片端は今やその世界観に彩られていた。
幾つもの木箱が重ねられ、並べられている。鍛冶屋などから借りて来たのだろう、ツルハシやハンマーも立てかけられており、岩から突き出したような鉱石などもそこかしこに置かれていた。また、火の灯された幾つかのランプも。
まさに此処は採掘場。鉱員たちの働く、彼らの庭。リゼル達の周りも水晶のような鉱石に飾られ、目の前に置かれた楽器もまさにそれらを削り出して作られたような様相を醸し出す。
「ファンタズムでは出来なそうですね」
「あー……地元の奴だとそこら辺から借りて来れんスね」
国から国へと移動するには嵩張る木箱、重量のある鉱石、それらが“ちょっと何時間か貸して”で済むのだから楽だろう。あるいは、楽団に参加する人々の中にそういった業種の者がいるのか。
「あ、貴族さまー!」
ふと、幼い声に呼びかけられてリゼルは周りを見渡した。
何故居る、という視線がちらちらとリゼルへと集まる中。母に連れられた少女がパッと駆け寄って来る。見れば、少し離れた所で母親が申し訳なさそうに此方を見ていた。
気にする必要はないと微笑み、そして近付いて来た少女を見下ろす。
「こんにちは。お母様とお出掛けですか?」
「こんにちは!」
満面の笑みを浮かべ、楽しそうに頷いた少女が不思議そうにリゼルの前にある金属の板を見上げた。
「これなぁに?」
「楽器ですよ。今日はこれで、楽団のお手伝いです」
「ふぅん」
コーンッと鳴らしてみせれば、予想外に澄んだ音に驚いたのだろう。少女はぱちぱちと目を瞬かせ、そして凄い凄いと興奮したように頬を染めた。
「これ、何ていう石?」
「何でしょうね」
「貴族さまも、知らないことあるの?」
「たくさん有りますよ」
リゼルは可笑しそうにそう告げ、そしてイレヴンを見た。
暇そうに棒の先端の球をごりごりとリゼルの背に刺していた彼が、小さく肩を竦めてみせる。魔物由来ならともかく、普通の鉱石などリゼルもイレヴンも、そしてジルも詳しくはない。
「じゃあ、あっちのは?」
「あれは多分、魔石だと思います」
少女が木箱の隣に置かれている大きな結晶を指さす。
感じる魔力に魔石だろうと当たりを付けた。大きさの割に魔力の濃度は高くないので、それほど良い値はつかないだろう、なんてジャッジの真似事を内心で呟いてみる。
「あれも?」
「そうですね」
「あれは?」
「あれは……何でしょう?」
そんな会話をしていると、「あまり邪魔しないのよ」と少女の母親から声がかかる。それに元気よく返事をして、少女はぱっとリゼルへと向き直った。
「あたし、楽しみにしてるね!」
「有難うございます」
可憐な笑みを浮かべ、スカートを翻して去って行く小さな淑女を見送り、リゼルはふむと何かを考え込む。その視線が点々と飾られている鉱石をなぞっていくのを、イレヴンがどうしたのかと問うように覗き込んだ。
そんなイレヴンをちらりと見て、そして自らの楽器を見下ろし、一つ頷く。
「うん、提案するだけしてみようと思います」
「行ってらー」
そしてリゼルは、入念に指揮棒を磨き上げている指揮者の元へと足を向けた。
木々の隙間から悲鳴のような風の音が聞こえる。
不思議と肌寒く、しかし頬を撫でる風は何故か生温い。今にも車体が分解してしまいそうな程の速度で進み続ける馬車と、幾つもの蹄の音。
それは敵味方問わず、力強く地面を踏み鳴らす音が森の中を駆け巡る。
「おいおい増えてんじゃん!」
「前にだけは行かせんなよ!」
馬車を追い立てる騎乗の騎士の姿が三つ、その後ろに更に二つ。力強く剣を振り上げ、そして槍を構えながら肉薄する馬上の存在に片手剣使いが叫んだ。
「これだけでもヤベェのによぉ!」
その後方、馬上でキリキリと弓を引き絞った首なし騎士が、キンッと矢を撃ち出した。鋭い風切り音と共に凄まじい速さで襲いかかるそれを、片手剣使いがバックラーで弾く。
「危ねっ」
弾かれた矢を槍使いがひょいと片足を上げて避けた。そのまま車体に突き刺さる矢を、しかし抜いている暇はない。
ローブを纏う雄々しい角を持った獣の骸骨が現れ、宙へと浮かんだまま馬車へと並走する。その前に現れたのは魔法陣、馬車ごと全て燃やし尽くそうというのだろう。
「遅いんだよねぇ」
ただし魔法が発動する直前、炎の塊が骸骨を直撃した。炎はローブを燃やし、酷い断末魔と共に骸骨が姿を消す。
「そいつを連発してくれりゃあ楽なんだがなぁ」
「貴族さんに言ってよ」
「つか立てよお前! 何座ってんだよ!」
「こんなに揺れる馬車、僕じゃ立った途端に転がり落ちるよ」
槍使いの希望も片手剣使いの文句も聞き流し、座り込む魔法使いが再び魔力を練り上げ始める。丁度、発動のタイミングで魔法は出来上がらなければならない。なかなかに神経を使う作業なのだ。
ちなみに彼は魔力防壁が得意ではない。というか効果時間の長い魔法が得意ではない。短期集中はお手の物だが、長々と発動し続ける事を苦手とする冒険者は多かった。
「流石に、昨日の今日じゃ警戒度が高いね」
「まぁ、そう言うなって」
弓使いが遠くのデュラハンへと矢を射ながらぼやく。
魔物にそんな機微があるのかは微妙だが、全くの無関係ではない筈だ。昨日と比べて明らかにゴースト達の攻撃が激しい。
そして馬車に迫り、槍を突き出そうとした首なし騎士へと槍使いは己の槍で応える。切っ先をなぞるように刃を滑らせ、軌道を変えながら己の穂先を相手の胸へ。貫く。
「一番厄介なのを一刀が相手してるだけマシってな」
ようやく一体かと笑い、槍使いは馬車の進行方向を振り返った。
馬車を引く馬より、更に前方。それは幾千幾万もの蛇の塊のようであった。
まるで蜘蛛のような幾本もの脚が地面を這いずり回るように、そして猛然と走る度にガチャガチャと音を立てる。何本もの骨を滅茶苦茶に紡ぎ合わせたような脚、その先の地面を握る部位は人の手の形に似ていた。
その上に毒々しい色をした蛇の塊、そこからはまさに人の腕を模した骨が幾本も歪に伸び、鉈や剣を振り回す。それらが隙間なく襲いかかるのを、ジルは片手に握る大剣で防ぎきっていた。
「こ、怖……これ怖……死、死ぬ……死ぬ……!」
足元で何やらぶつぶつと煩い依頼人は、そんな恐怖の具現を前に果敢に前進を続ける馬たちを見習うべきだろうとジルは内心で呟く。
とはいえ、馬たちにも森に入る前に滋養強壮の為の木の実を与えているのだが。効果はテンションが上がる。体に害はないが、逆に無いのが不思議なくらいテンションが上がる。何故か人には全く効果が無い。
「ひえぇぇぇぇ……ッ」
車体と同じ大きさをした蛇の塊、その向こう側から何かがせり出した。依頼人の悲鳴が響く。
人の脊椎を抜き出したような、長い首を持つ頭蓋骨。牛のものと良く似ていた。まるで顎が外れたかのようにカタカタと笑い声を上げ、ぐるりと頭だけ此方を向いた。
一斉に襲い掛かる骸骨の腕と得物。斬り捨てれば、骨が握る古めかしい武器が砕け散る。
「おーい一刀、早く片付けてこっち手伝ってくれや」
「少しは減らしとけ」
この進路をとる事も、その分報酬の分配が変わる事も、互いに了承済みのこと。
ならばいちいち軽口に突っかかるほどジルも捻くれてはいない。それこそ両者共に承知しているからこそのやり取りだ。
「あれ怖ぇー……俺ぜったい振り返りたくもねぇし」
「私はもう見なかった事にしたよ」
「夢に出そうだよね」
好き勝手言っている背後を気にする事なく、ジルは忙しなく前後に動く脚を見下ろす。
例えそうであろうと対処は可能だが、幸いな事に此方の馬を潰そうという様子はない。無数の蛇が牙をむき一斉に襲い掛かって来るが、それら全ての首を断ってみせる。
「(やっぱ生えるか)」
身を縮めるように戻って行く蛇の体、数秒もすればズルリと切り口から新たな頭が生える。
ならば蛇部分を攻撃しても無駄だ。恐らく脚を断っても生えて来る。この機動力なら、多少の足止めでは意味がないだろう。
ふいに真横に現れたゴーストが鎌を振り下ろしてくるのを防ぎ、斬り捨てる。途端、牡牛の頭蓋がズルリとのたうつように頸を伸ばして襲い掛かって来た。上下に割かれた顎の中に並ぶ歯は鋭い。
「うおッ、マジか」
「いかれてんなぁ」
ジルはそのがらんどうの眼窩へ親指を差し込むように頭蓋を握り、止める。ガチガチと頭蓋の顎が鳴っていた。
そのまま思い切り引けば、無数の蛇を纏う巨体が仰け反るように持ち上がった。下敷きになろうかという馬はそれでも足を止めず、ついには失神した依頼人の口に彼の愛する妻の持たせたベリーの実を詰め込む魔法使いを足元に、ジルは浮いた巨体へと真っすぐに剣を振り下ろす。
バキバキと無数の骨を砕く音、両断された蛇の体液が飛び散った。そして真っ二つにされた異形が、車体を避けるように道の左右へと投げ出される。
「おっ、ラッキー!」
「狙ったようにも見えるけど」
グチャリと何かが潰れたような音と共に落下した巨体に、馬車に迫っていた二体のデュラハンが足を取られる。嘶きを上げながら棒立ちになる馬の背で、首なし騎士達は武器を下ろして手綱を引く事しか出来ない。
その間から、弓を持つデュラハンが猛追を止めず躍り出た。
「あれが厄介っつうか、もうちょい寄ってくれりゃ良いのに」
「私の弓は弾かれちまうしね」
「魔法も避けられるしねぇ」
妻の愛、という名の口内攻撃に飛び起きた依頼人が手綱を握り直す中、片手剣使いと弓使いが矢に備える。
「まぁ、あれだけなら逃げ切んのも」
槍使いがトンッと自らの肩を跳ねさせ、直後頭上に現れたゴーストを刺し貫いた。
その時だ。ビュンッと彼らパーティの間を縫うように何かが横切る。それは矢を番えて引き絞るデュラハンへと真っすぐに向かい、その胸を刺し貫いた。
続けてもう一体。魔力で薄っすらと光る短剣を胸に馬上から落下していく。
「手助けご苦労さん」
「そっちの矢代と帳消しだ」
「そりゃ有難いね」
“亡霊の森”は後少し。全く油断は出来ないが、あれ程の大物はもう出ないだろう。
そうして走り抜けていった馬車の後ろ、斬り捨てられた蛇の塊が蠢いて泥へと変わり、じわりじわりと融合していったのを知る者はいない。
各々の楽器が奏でる旋律が美しく広場に響き渡る。
鉱員の朝は爽やかで軽やかな、ゆっくりとした立ち上がり。目覚めの鐘を鳴らすように時折奏でられる軽やかな金属音。
昼は鉱員らが声を揃えてツルハシを振り下ろすような重厚さ。そこかしこで響き渡る金属音。反響し、重なり合う。
夕暮れ時は酒場で賑やかに、いかにも笑い声が聞こえるかのように。グラスをぶつけ合う音がそこかしこで起こるような。
そして夜。一日の労働の疲れを酒と気の良い仲間で溶かし、すっきりとした眠りへ。夢の中でも余韻が残る、鉱員だけが持つ日常音。眠る彼らに、細く優しげな残響を。
リゼルとイレヴンが棒を振る度、それらは広場中に響く。
時に戯れ、互いの楽器へ手を伸ばし。振り下ろす度に、それらはパッと光を散らした。
楽器の上で雨粒のように跳ねた光の粒子に応えるよう、そこかしこに置かれた鉱石や水晶からも柔らかな光が弾ける。音が反響する。決して、楽団の音色を邪魔しないように。
今度はあちらの鉱石が、次はこっちの水晶が。淡く光を宿しては音と共に弾ける光景に、それを目の当たりにした子供達が歓声を上げ、大人であっても感嘆の息を吐いた。
心が沸き立つ交響曲。飾られぬ木箱の上に立つ指揮者の指揮棒に合わせ、沸き起こる音楽。その指揮棒が鋭く天を指し、そしてゆっくりと下ろされた瞬間、広場は拍手に包まれた。
「いや、素晴らしい!」
演奏終了後、楽団員たちがのんびりと片付けを進める中で、リゼル達は指揮者の男から絶賛を受けていた。
「あれは私達にも出来るだろうか」
「魔力の扱いに長けた方がいれば、あるいは」
「ああ、魔力か…………魔力か」
指揮者が数度頷き、そして難しい顔をして諦めていた。
冒険者や魔力に関する仕事に就いていなければ、自身らが持つその力を意識する事もないだろう。リゼルも苦笑し、こればかりはある程度の慣れがなければ難しいと言葉を続けるような事はなかった。
何せ、応用したのは美しいエルフ達の言葉。声に魔力を乗せ、どこまでもどんな形でも届けられる彼女達の、リゼルでさえ極々一端しか扱えない技術だ。お遊び程度ではあるが、意外と難易度は高い。
「今日は助かった。また何かあれば声をかけさせて貰う」
「俺達が受けるかは分かりませんよ」
「ああ、そういえばそうか」
こんな依頼を受ける冒険者など滅多にいないけど、とイレヴンは内心で零すに留めた。
とはいえ冒険者が捕まらなければ、知り合いを適当に捕まえれば良いだけだ。リゼルとイレヴンでさえほぼぶっつけ本番で出来たのだから不可能ではないだろう。
それなりの力で板を打ち続ける作業は地味に辛く、力も体力もある冒険者に目を付けた気持ちも分からないでもないが。
そしてリゼル達は、無事に依頼料を受け取ってその場を後にした。鉱石を積んだ台車をふらつきながらも押す楽団員を追い抜きながら、宿に向かって歩く。
「流石に腕が疲れましたね」
「痛い?」
「ちょっと痛いです」
指揮者から受け取った依頼完了の証明書を丁寧にポーチへ仕舞い、ひらひらと手を振るリゼルを眺めてイレヴンが笑う。
「明日、リーダーと迷宮行こうと思ってたのに」
「あ、行きましょうか。ジルもいつ帰って来るか分からないし」
「久々の二人迷宮ッスね」
さて何時ぶりだったか、そんなに久しぶりでもないはず。
そんな事を話しながら二人は茜に染まりかけた空の下、並んで歩を進めるのだった。
そして三日後。
「あ、ジルお帰りなさい」
「ああ」
そこには“きちんと起きていて話を聞いていたのか”と考えかけ、“いやスタッドにでも聞いたのかもしれない”と思い直すジルの姿があった。
リゼル相手に考えが読めるとは思えないので、そのまま思考は放棄されたが。